ルーデウス視点
七星の召喚実験が成功した翌朝になっても、昨日の光景は妙にはっきりと頭に残っていた。
五層の魔法陣が順番に光り、その中央へ落ちた透明な容器。俺にとっては前世で嫌というほど見た、何の変哲もないペットボトルだ。だが、この世界には存在しないはずのそれを両手で握り締め、泣きながら「できた」と笑った七星の姿を見れば、ただのゴミだの容器だのとは到底思えなかった。
人間を召喚できたわけではない。こちらから日本へ帰る方法が分かったわけでもない。
それでも、ゼロと一では違う。
昨日まで「本当に向こうの世界とつながることなどできるのか」と半ば手探りだった研究に、初めて明確な答えが出たのだ。
そのおかげで昨夜はちょっとした祝賀会にまでなり、家へ帰った頃にはすっかり夜も更けていた。七星の研究について考えるだけなら、しばらくは余韻に浸っていられただろう。
だが、今の俺にはもう一つ、どうにも頭から離れないことがあった。
ノルンとアイシャである。
父さんから届いた手紙には、二人を信頼できる人物へ預け、シャリーアへ向かわせたとあった。手紙の方が先行している可能性は十分にあるし、そもそも正確な到着予定日まで決められていたわけでもない。それでも、書かれていた出発日から逆算すれば、そろそろシャリーアへ着いていてもおかしくない時期には入っていた。
だから朝食を終えた後、俺とレイネは大学へ向かう途中で冒険者ギルドへ寄った。
「南方街道でございますが、数日前の増水で複数の隊商が足止めされていたそうです。最も長いものでは六日ほどとのことでございました」
ギルドを出たところで、レイネが職員から聞いた内容を整理してくれた。
「魔物や盗賊の大きな被害は?」
「少なくとも、確認できた範囲ではございません。増水のため渡河できなかったことが主な原因のようでございます」
「なら、まあ……」
俺は息を吐いた。
何かあったと決まったわけでもないのに、ここ数日は想像力だけが絶好調だった。馬車の事故、病気、盗賊、魔物。最後には「ルイジェルドさんでもどうにもならない何か」まで考え始めるのだから、人間の脳というやつは実に余計な仕事をしてくれる。
もっと有意義な方向へ働いてほしい。
たとえば、俺を一晩で世界一の大富豪にする方法とか。
「ひとまず、こちらから捜しに行く必要はなさそうですね」
「はい。かえって行き違う可能性がございます。シャリーアでお待ちする方がよろしいかと存じます」
隣を歩くレイネも、いつもより少しだけ南の街道を気にしている。
「早く会いたいですね」
俺が言うと、レイネは一瞬だけこちらを見た。
「……はい。私も、早くお顔を拝見しとうございます」
ノルンとはミリシオンで三か月を一緒に過ごした。アイシャとはシーローンで初めて顔を合わせた。
血のつながった妹なのに、俺は二人のことを大して知らない。
好きな食べ物も、苦手なものも、普段何を読んでいるのかも、朝に強いのか夜に強いのかさえ知らない。
兄としての俺の経験値など、たぶん初心者冒険者以下だ。
「アイシャ様は、以前よりさらにしっかりなさっているかもしれませんね」
レイネが言った。
「それは困りますね」
「なぜでございますか?」
「妹の方が兄よりしっかりしている家庭って、兄の立場がありませんよ」
レイネが小さく笑った。
否定はしなかった。
「そこは『そんなことはございません』と言ってくれるところじゃないんですか?」
「根拠のないことを申し上げるわけにはまいりません」
「ひどい」
まあ、アイシャなら本当に俺よりしっかりしていても驚かない。
そうして少し気持ちが軽くなったところで、俺たちは大学へ向かった。
そして、その日の午後。
待っていた知らせは、思っていたより唐突にやってきた。
◇
講義を終え、次は図書館にでも行こうかと廊下を歩いていると、一人の大学職員に呼び止められた。
「ルーデウス・グレイラット君」
「はい?」
「正門に、君を訪ねてきた者がいる。女の子が二人と、魔族の男が一人だ」
足が止まった。
「……三人?」
「ああ。ただ、男の方について少し確認に時間が掛かった」
職員が声を低くする。
「緑色の髪に、額へ赤い石がある。本人はルイジェルド・スペルディアと名乗っている」
心臓が大きく跳ねた。
「ルイジェルドさん?」
「知り合いか?」
「はい!」
思った以上に大きな声が出た。
職員が僅かに身を引く。
「あ、すみません。知り合いです。間違いありません」
「そうか。本人が所持していた冒険者証もその名義だったが、念のためギルドへ照会した。以前『ルード』という名で活動していた記録と正式に紐付けられていて、本人確認も取れている」
そこまで聞いて、ようやく事情が分かった。
本名へ変えたのか。
しかも、正式に。
「今は正門脇の詰所で待ってもらっている。さすがにスペルド族を名乗る者を、確認もせず構内へ通すわけにはいかなかったのでな」
「いえ。それは当然だと思います。ありがとうございます」
少なくとも、槍を突きつけられて追い返されたわけではない。
身元を確認し、一人の冒険者として扱われている。
魔大陸での旅を思えば、それだけでもかなり違う。
だが、今はそれより。
ノルン。
アイシャ。
二人も来ている。
「すぐ行きます!」
走り出しかけて、二歩で止まった。
レイネ。
俺だけで会いに行くのは、何か違う。
ノルンとはミリシオンで長く一緒にいた。アイシャとはシーローンで別れた。そしてルイジェルドとは、魔大陸から旧フィットア領まで共に旅をした。
レイネだって待っていたのだ。
「すみません、レイネを見ませんでしたか?」
「白髪の女性なら、研究棟へ向かっていたと思うが」
「ありがとうございます!」
今度こそ走った。
◇
七星の研究室へ飛び込むと、昨日成功した積層型魔法陣の記録を、七星とレイネが並べて確認していた。
「ルーデウス様?」
レイネが顔を上げる。
「来ました」
「何がでございますか?」
「ノルンとアイシャです」
レイネの手が止まった。
「それから、ルイジェルドさんも」
赤い目が大きく開く。
「……本当に?」
普段ならまず出てこない言葉だった。
「あ、はい。本当に」
「ご無事なのですね」
「三人とも」
レイネの表情が一気に緩んだ。
「……よかった」
昨日、七星の成功を見た時と同じだった。
嬉しい時に、もう隠さない。
「行ってきなさい」
七星が言った。
レイネが振り向く。
「ですが――」
「昨日成功したばっかりなんだから、今日くらい一時間ずれたところで死なないわよ。それに、そんな顔で記録を読まれても集中できない」
「そのような顔をしておりますでしょうか」
「してる」
七星は即答した。
俺も頷いておく。
「してますね」
レイネが俺を見る。
「ルーデウス様まで」
「早く行きましょうよ」
数秒だけ迷った後、レイネは記録帳を閉じた。
普段なら筆を揃え、紙の端を合わせ、机の位置まで確認してから席を立つところだが、今日は筆を置くだけだった。
七星もそれを見て、口元を少し緩める。
「行ってらっしゃい」
「……ありがとうございます。サイレント様」
そして俺たちは、揃って正門へ向かった。
◇
正門周辺には、いつもより少しだけ人が集まっていた。
大騒ぎというほどではない。それでも、緑色の髪、額の赤い宝石、大きな三叉槍という組み合わせは目立つ。
受付脇に立つ大柄な男を、俺が見間違えるはずはなかった。
ルイジェルド・スペルディア。
青く染めていた髪は、もう自然な緑色へ戻っている。
そして、その前に二人の少女が立っていた。
先に俺へ気づいたのはアイシャだった。
「あ」
その声で、隣にいたノルンもこちらを見る。
しばらく俺を見つめた。
記憶の中の俺より身長が伸びているせいだろう。
だが、やがて目を見開いた。
「……兄さん?」
「ノルン」
名前を呼ぶと、ノルンが駆け出した。
「兄さん!」
胸へ飛び込んできた身体を受け止める。
思っていた以上の勢いだった。
「本当にいた……」
「いますよ。ちゃんと」
「お父さんはここにいるって言ってましたけど、来たらいなかったらどうしようって……」
「さすがに住んでいる町から失踪する予定はありませんよ」
何だ、その予定。
自分で言っていておかしい。
けれどノルンは少し笑った。
服を握った手は、まだ離れない。
俺も背中へ腕を回した。
「おかえりなさい、兄さん」
胸の奥を、強く掴まれたような気がした。
ミリシオンで別れた時、ノルンは俺へ「いってらっしゃい」と言った。
その続きを覚えていてくれた。
「ただいま、ノルン」
それだけで十分だった。
頭を撫でると、少し恥ずかしそうにしたものの、嫌がられなかった。
やがてノルンが離れる。
今度はアイシャが俺の前まで来た。
こちらは走らない。
ただし歩幅が妙に大きい。
本人は平静を装っているつもりなのだろう。
「お久しぶりです、お兄さま」
「久しぶりです、アイシャ」
シーローンで見た時より、当然ながら成長している。
それでも、少し澄ました顔でこちらを見るところは変わらない。
アイシャは数秒、俺の顔を観察した。
「約束、覚えていらっしゃいますか?」
喉が詰まった。
――次に会う時まで、死なないでください。
覚えている。
そして俺は、一度破った。
オルステッドに心臓を貫かれた。
レイネがいなければ、本当にそこで終わっていた。
だが、今ここで「実は一回死にました」などと言えば、感動の再会が一瞬で事情聴取会場へ変わる。
しかも説明のためには、オルステッドやレイネの秘術まで話さなければならない。
俺は少し迷ってから答えた。
「……また会えました」
アイシャの目が細くなる。
完全には答えていないと気づいたのだろう。
怖い。
この妹、やっぱり頭が良すぎる。
けれど今は追及しなかった。
「はい」
笑顔になる。
今度はちゃんと、年相応の顔だった。
「会いたかったです、お兄さま」
「僕もです」
するとアイシャも俺へ抱きついた。
俺はその身体を抱き返す。
シーローンでは、本当に少ししか一緒にいられなかった。
これからは違う。
少なくとも、そうしたい。
アイシャが離れた次の瞬間、視線が俺の隣へ移った。
「レイネさん!」
「はい、アイシャ様」
今度こそアイシャは走った。
レイネへ飛びつき、レイネも両腕で受け止める。
「お久しぶりです!」
「お久しぶりでございます。お怪我はございませんか?」
「ありません。レイネさんも元気そうでよかったです」
「はい。私も、アイシャ様へまたお会いできて嬉しゅうございます」
アイシャがレイネの胸元から顔を上げる。
「私、覚えてますからね」
「何をでしょう?」
「レイネさんみたいになりたいって言ったことです」
レイネが一度瞬きをした。
それから、柔らかく笑う。
「では、以前よりどれほど成長なさったのか、今度ゆっくりお聞かせくださいませ」
「はい!」
その後ろでノルンが待っていた。
レイネが振り向く。
「ノルン様」
「お久しぶりです、レイネさん」
ノルンの方から近づく。
少し迷った末、二人は短く抱き合った。
「長旅、お疲れ様でございました」
「ありがとうございます」
「お身体は?」
「大丈夫です。少し疲れましたけど」
「後ほどしっかりお休みくださいませ」
「はい」
ミリシオンで過ごした三か月が、俺だけのものではなかったことが分かる。
それだけ確認すると、俺は最後の一人へ向き直った。
「久しぶりだな、ルーデウス」
あの声だった。
姿を見た時より、声を聞いた瞬間の方が強く実感した。
「……はい。お久しぶりです、ルイジェルドさん」
ルイジェルドは俺を頭から足まで見た。
「大きくなったな」
「またそれですか」
「前より大きい」
「まあ、成長期ですから」
大きな手が頭へ置かれる。
妻が二人いる男としては、なかなか威厳を保ちにくい扱いだ。
とはいえ、ルイジェルド相手に今さら格好をつけても仕方がない。
魔大陸では何度も助けられた。
泣いたところも、情けないところも、失敗したところも散々見られている。
「元気そうだ」
「ルイジェルドさんも」
「ああ」
俺は少し迷ってから、余計な言葉を捨てた。
「会いたかったです」
ルイジェルドの目が僅かに細くなる。
「俺もだ」
短い。
だが、それで十分だった。
次にルイジェルドはレイネを見る。
「レイネ」
「はい」
「元気そうだ」
「おかげさまで」
少し長く見つめた後、ルイジェルドは言った。
「変わったな」
「私が、でしょうか?」
「ああ」
「どのように?」
「分かりやすくなった」
レイネが固まった。
俺は口元を押さえた。
危ない。
笑ったら怒られる。
「……そのように見えますか」
「ああ。悪くない」
レイネの頬が僅かに赤くなった。
「ありがとうございます」
そこで俺は、改めてルイジェルドの頭を見る。
青くない。
「ルイジェルドさん。もう髪は染めてないんですね」
「ああ」
「名前も?」
「今は本名を使っている。冒険者証も変えた」
やはりそうだった。
「詳しく聞いても?」
「後で話す」
周囲を見る。
大学の門前。
確かに、何百年にわたるスペルド族の話をする場所ではない。
「そうですね」
「先に二人を休ませろ」
ルイジェルドがノルンとアイシャを見る。
二人とも元気そうにはしているが、近くで見れば疲労は分かる。
「はい。家へ行きましょう」
こうして、俺たちは揃って家へ向かった。
◇
途中、父さんとルイジェルドがどのように再会したのかを聞いた。
「港町で会った」
「父さんたちがベガリットへ渡る前ですか?」
「ああ」
「私が見つけました」
ノルンが横から言った。
少し得意そうだ。
「ノルンが?」
「はい。髪が緑だったから最初は迷ったんですけど、顔も槍も同じだったので」
「よく分かりましたね」
「三か月もいましたから」
言われてみればその通りだ。
俺の中ではルイジェルドとの旅が大きすぎて忘れそうになるが、ノルンだってミリシオンで彼を知っている。
「父さんは?」
「俺を見て、すぐ名前を呼んだ」
想像できる。
父さんなら「お前、あのルイジェルドか!?」くらい言いそうだ。
「それで、二人を頼まれたんですか?」
「ああ。自分たちはベガリットへ向かう。二人は連れていけない。お前のところまで送ってほしい、と」
「……わざわざ旅程を変えてくださったんですね」
「気にするな」
「気にしますよ」
「二人を送り届けたかっただけだ」
そこで少し間を置き、ルイジェルドは続けた。
「お前にも会いたかった」
俺は返事に詰まった。
こういうのはずるい。
こんな顔で、こんな口調で言われると、こっちが何も言えなくなる。
「……僕もです」
それだけ返した。
少し先では、アイシャが鞄から折り畳んだ紙を取り出していた。
何だろうと思っていると、ノルンが嫌そうな顔をした。
「またそれ見るんですか?」
「もう到着しましたので、最終確認です」
「何です、それ?」
俺が聞く。
アイシャは紙を広げた。
細かな文字と数字がびっしり並んでいる。
「旅程表です」
「旅程表」
嫌な予感がする。
「川の増水で四日間止められました。その後、予定していた隊商を使い続けるとさらに遅れるので、次の宿場で東回りの馬車へ乗り換えれば一日と半日取り戻せると計算しました」
「取り戻せる?」
「はい。その後は休憩時間を一日合計で二刻ほど短縮して――」
「夜まで歩こうとしたんです」
ノルンが割り込んだ。
アイシャがむっとする。
「夜通しではありません」
「暗くなるまででしょう?」
「ルイジェルドさんがいるので、安全性には問題ないと――」
「お前が眠った」
ルイジェルドが淡々と言った。
アイシャの口が止まった。
「眠ってません」
「歩きながらふらついた」
「足元に石がありました」
「座った後、寝た」
「目を閉じただけです」
「寝息がしていた」
ノルンが吹き出した。
アイシャの顔が赤くなる。
なるほど。
頭脳は天才でも、身体は子供らしい。
少し安心した。
「結局どうしたんです?」
「俺が止めた」
ルイジェルドが答える。
「二人とも休ませた」
「それが正解ですよ」
「お兄さま?」
アイシャの視線が鋭い。
「いや、アイシャの計算が間違っているという意味ではなくてですね」
「計算は間違っていません」
「でしょうね」
そこは全然疑っていない。
たぶん俺が同じ条件で計算したら、三回くらい間違える。
「でも、無事に来てくれる方が大事ですから」
そう言うと、アイシャは少し黙った。
「……はい」
素直に頷く。
完全無欠ではない。
やはり子供なのだ。
その横でノルンが少し笑っている。
「何ですか、ノルン姉さま」
「別に」
「笑いました」
「笑ってません」
「笑いました」
二人が言い合い始める。
俺はその様子を眺めながら、思わず口元を緩めた。
父親は同じでも母親は違う。転移事件までは、一緒に育った時間も決して長くない。
それでも今の二人は、互いの失敗を覚え、遠慮なく文句を言い、当たり前のように隣を歩いている。
「何ですか、兄さん」
ノルンが気づいた。
「いや。ちゃんと姉妹なんだなと思って」
ノルンとアイシャが揃って黙った。
「……姉妹ですから」
ノルンが少し恥ずかしそうに言う。
「当然です」
アイシャも前を向く。
いい。
すごくいい。
俺は今、たぶん気持ち悪いくらいニヤニヤしている。
◇
家へ着くと、ノルンとアイシャが建物を見上げた。
「ここが兄さんの家ですか?」
「そうです」
「大きいですね」
「お兄さま」
アイシャがこちらを見る。
「はい?」
「学生ですよね?」
「学生です」
「どうして学生が一軒家を所有しているんですか?」
「いろいろありまして」
「その『いろいろ』は後で説明してください」
「善処します」
学生、一軒家、妻二人、これから妹二人も同居。
前世の俺が聞いたら、絶対に怪しい宗教か何かだと思うだろう。
扉を開く。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
奥から足音が聞こえた。
「おかえり、ルディ」
シルフィだった。
家の中なので、濃色眼鏡も掛けていない。
白い髪のまま、いつもの柔らかい顔でこちらへ来る。
「来たんだね!」
「はい。お二人とも、ご無事でございました」
レイネが答える。
「よかった……」
シルフィが安心したように笑った。
ノルンは当然、知らない女性を見る顔をしている。
一方、アイシャは少し違った。
シルフィの顔をじっと見ている。
目を細め、首を傾げた。
「……あれ?」
シルフィもアイシャを見る。
「どうしたの?」
「もしかして……」
アイシャの目が大きくなる。
「シルフィお姉ちゃんですか?」
シルフィも固まった。
「え?」
次の瞬間、こちらも目を見開く。
「アイシャちゃん?」
「やっぱり!」
アイシャの表情が一気に明るくなった。
ノルンと俺が揃って置いていかれる。
「知ってるんですか?」
ノルンが聞いた。
「ブエナ村にいた頃に会っています。髪が違ったから、すぐには分かりませんでしたけど」
アイシャが答える。
「覚えてくれてたんだ」
シルフィが嬉しそうに言う。
「もちろんです。シルフィお姉ちゃんこそ、よく分かりましたね」
「顔を見たらなんとなく。すごく大きくなったけど」
「それはシルフィお姉ちゃんもです」
「僕も?」
二人で笑う。
俺は横で、妙な感慨に襲われた。
ブエナ村にいたシルフィ。
シーローンで再会したアイシャ。
俺の知らないところで一度交差していた二人が、今また同じ家にいる。
「ノルン。こちらはシルフィエットです。僕の幼馴染です」
「初めまして。ノルン・グレイラットです」
「初めまして。ルディから話は聞いてるよ」
シルフィが笑ってから、ルイジェルドへ向き直る。
少しだけ緊張している。
「ルイジェルドさん、ですよね」
「ああ」
「ルディが魔大陸で、本当にお世話になりました」
「俺だけが守ったわけではない。ルーデウスにも助けられた」
「それも聞いてます」
「シルフィ」
俺は慌てて声を掛けた。
これ以上俺がどれほどルイジェルドを尊敬しているかなど暴露されると、家庭内での威厳がさらに減る。
シルフィが俺を見て笑った。
どうやら意図はバレたらしい。
「まず荷物を置きましょう。話したいこともありますし」
今度こそ、全員で居間へ移動した。
◇
全員が卓へ着いたところで、俺は少し緊張した。
結婚について話さなければならない。
玄関で「僕の妻です」と一言で済ませなかったのは、隠したかったからではない。
特にノルンには、座ってきちんと説明したかった。
「ノルン。アイシャ。さっきシルフィを幼馴染だと紹介しましたけど、今はもう一つ関係があります」
二人が俺を見る。
「僕は、シルフィと結婚しました」
ノルンが目を大きくした。
「結婚?」
「はい」
シルフィが少し頬を赤くする。
「僕がルディのお嫁さんです」
「……そうだったんですね」
ノルンは驚いている。
だが、まだ普通の驚きだ。
アイシャもシルフィを見て、「なるほど」とでも言いたげに頷いていた。
問題はここから。
喉が渇く。
妹へ家庭事情を説明するだけなのに、なぜ俺は魔物との戦闘前みたいな緊張をしているのだろう。
「それから」
レイネを見る。
レイネは逃げずに俺を見返した。
「レイネとも結婚しました」
沈黙。
ノルンが俺を見る。
シルフィを見る。
レイネを見る。
もう一度俺を見る。
「……二人と?」
「はい」
「二人とも、兄さんのお嫁さんなんですか?」
「そうです」
ノルンの眉が寄った。
「それは……変です」
来た。
分かっていた。
それでも妹から言われると刺さる。
「ノルン?」
アイシャが横を見る。
「アイシャのお母さんのことを悪く言ってるんじゃないです」
ノルンはすぐに言った。
「分かっています」
「アイシャだって私の妹です。でも……ミリスでは、一人の人が何人も奥さんを持つのはよくないことだって教わりました」
「はい」
「なのに兄さんは二人って……」
困っているのだ。
怒っているというより、自分が教えられてきたものと、目の前の家族が噛み合わない。
「どうしてですか?」
「二人とも好きだからです」
「それだけで二人と結婚していいんですか?」
「それだけではありません」
「じゃあ、どうして?」
ここで「この世界では珍しくない」と逃げれば簡単だ。
父さんを盾にしてもいい。
うちの父は妻が二人だから、これは遺伝です。
……最悪だな。
絶対に言ってはいけない。
「僕が二人を好きだと伝えて、三人で話しました。シルフィも、レイネも、それぞれ自分で考えてくれました」
ノルンはシルフィを見る。
「シルフィさんは、本当にいいんですか?」
「うん」
「兄さんに言われて、仕方なくじゃなくて?」
シルフィは少し考えた。
「何にも嫌じゃないって言ったら、それは嘘になるかな」
ノルンが驚く。
俺の胸も僅かに痛んだ。
それでもシルフィは俺を庇うために話を変えたりしなかった。
「僕だって嫉妬するよ。ルディを独り占めしたいなって思うこともある」
「だったら……」
「でも、レイネにも言ったんだ。嫌な時は嫌だって言うし、寂しい時は寂しいって言うって。それでも僕は、ルディとレイネと一緒にいたいって決めた」
ノルンは黙った。
今度はレイネを見る。
「レイネさんも?」
「はい」
「嫌じゃないんですか?」
「嫉妬はいたします」
即答だった。
ノルンが目を丸くする。
シルフィが少し笑った。
「するよね」
「いたします」
レイネも僅かに笑う。
「ですが、それを理由にシルフィへいなくなってほしいとは思っておりません。私がルーデウス様とともに生きることも、私自身が望みました」
「兄さんに命令されたからじゃなくて?」
「もちろんでございます」
「そもそも僕、レイネに命令して結婚してもらえるほど偉くないですからね」
口から余計な一言が出た。
シルフィが吹き出し、レイネも口元を押さえる。
ノルンは呆れたような顔をした。
少しだけ空気が緩む。
「でも、私はまだ……いいことだとは思えません」
「それは仕方ないですよ」
「兄さん、嫌じゃないんですか?」
「嫌は嫌です」
正直に言うと、ノルンが驚いた。
「そりゃあ妹には『おめでとう』って言ってもらいたかったですよ。兄としては。そのくらい期待します」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいです。納得してないのに、僕が兄だからって賛成される方が困ります」
ノルンは少し俯いた。
そこへ、今まで黙っていたルイジェルドが口を開いた。
「ルーデウス」
「はい」
「エリスはどうした」
一瞬で、空気が変わった。
やはり聞く。
当然だ。
むしろ聞かれなければおかしい。
「剣の聖地にいます」
「なぜだ」
「強くなるためです。……俺たちと別れた後、エリス自身から聞きました」
ルイジェルドが黙って続きを待つ。
「オルステッドに何もできなかったことを悔しがっていました。もう誰かに守られているだけでは嫌だって。僕やレイネの隣へ、自分の力で立てるようになりたいって」
レイネも静かに聞いている。
それは、エリスが俺へ直接話してくれたことだ。
「それで剣の聖地へ?」
「はい。ギレーヌと一緒です」
「そうか」
ルイジェルドは短く答えた。
「それから……エリスとは、好きだってお互いに伝えて別れました」
ノルンがこちらを見る。
アイシャも目を瞬かせた。
まあ、そうなる。
妻が二人いる上、さらに別の女の子と両想いです。
自分で説明していて胃が痛い。
「エリスは戻ってくると言いました。僕も待つと約束しました」
ルイジェルドの目が少し鋭くなる。
「今のことを、エリスは知っているのか」
「手紙は送りました。シルフィとレイネと結婚したことも全部書いています。ただ……まだ返事は来ていません」
「なら」
ルイジェルドは俺を見る。
「戻ってきたら話せ」
「はい」
「隠すな」
「隠しません」
「勝手にエリスの答えを決めるな」
「はい」
それだけ言ってから、ルイジェルドはシルフィを見る。
「シルフィエット」
「はい」
「自分で選んだか」
「はい」
次にレイネ。
「レイネ」
「はい。私自身の意思でございます」
ルイジェルドが頷く。
「ならいい」
そして俺を見る。
「二人を泣かせるな」
「……はい」
「エリスにも嘘をつくな」
「はい」
「それだけだ」
短い。
でも、この方がルイジェルドらしかった。
俺の人生を代わりに整理してくれるわけではない。
何が正解かまで決めてくれるわけでもない。
自分で決めた相手には責任を持て。
いない人間を勝手に除外するな。
それだけだ。
ノルンはそのやり取りをしばらく見ていた。
「……エリスさんも兄さんのことが好きなんですか?」
「はい」
「兄さん、どうするんですか?」
「分かりません」
即答した。
ノルンが呆れた顔をする。
「分からないんですか?」
「エリスが戻ってきて、本人と話してないのに決められませんよ」
「そうですけど……」
「僕も怖いです」
「何がですか」
「エリスが怒った時のことを考えると」
シルフィが笑いを堪えた。
レイネまで目を逸らす。
ルイジェルドだけが真顔だった。
「怒るだろうな」
「ルイジェルドさんまで言わないでください」
ノルンも、とうとう少し笑った。
それから、まだ完全には納得していない顔のままシルフィとレイネを見た。
「……私は、やっぱり二人のお嫁さんっていうのは変だと思います」
「うん」
シルフィが答える。
「でも」
ノルンは俺を指差した。
「シルフィさんかレイネさんを泣かせたら、兄さんのこと怒りますからね」
ずいぶん具体的になった。
そして、そちらの方がノルンらしい。
「分かりました」
「エリスさんもです」
「はい」
「本当に?」
「何で僕、妹にこんなに信用されてないんでしょう」
「兄さんだからです」
どういう意味だ。
父さんの血筋という意味でないことを祈りたい。
◇
「私は驚きましたけど」
今度はアイシャが口を開いた。
「お兄さまがレイネさんを好きなのは、シーローンにいた時から少し分かっていました」
「え?」
俺とレイネの声が重なった。
「アイシャ様?」
「見ていれば分かります」
怖い。
何を見た。
俺はシーローンでそんな分かりやすい顔をしていたのか。
「それに、シルフィお姉ちゃんがお兄さまのお嫁さんになったのは、少し意外ですけど……」
シルフィが笑う。
「嫌だった?」
「いいえ。むしろ安心しました」
「安心?」
「昔から知っている方なので」
それからアイシャは俺を見る。
「ただ、お兄さま」
「はい」
「エリスさんへ送った手紙が届いているか確認する方法はないんですか?」
「さすがに今すぐは無理ですね。剣の聖地まで行く商人も限られていますし」
「では、返事が届いたらすぐ話してください」
「何でアイシャに報告することになってるんです?」
「気になります」
「それだけ?」
「それだけです」
少し子供らしい答えだった。
よかった。
何でもかんでも合理性だけで処理する機械ではない。
◇
その後、二階へ上がって二人の部屋を見せた。
置いてあるのは寝台と最低限の収納だけで、かなり殺風景だ。
「何もないですね」
ノルンが部屋を見回す。
「わざとです」
「どうして?」
「お二人のお部屋でございますから」
レイネが答えた。
「必要最低限のものだけ先にご用意いたしました。机や棚などは、ご自身で選ばれた方がよろしいかと」
ノルンの顔が明るくなる。
「好きなのを置いていいんですか?」
「もちろん」
シルフィが答える。
「明日、一緒に見に行こうよ」
「本棚が欲しいです」
即答だった。
「どんな本棚?」
「本を見てから決めたいです」
「本じゃなくて本棚を――まあいいか」
俺が口を挟むと、ノルンが少し笑った。
隣の部屋では、アイシャがすでに寸法を測るように壁から壁まで歩いている。
「アイシャは?」
「机が欲しいです」
「勉強用?」
「はい。それと、仕事にも使える大きさがいいです」
来た。
「まだ仕事は決まってませんからね」
「覚えていらっしゃったんですね」
「当然ですよ」
シーローンで話した。
リーリャさんの娘だからという理由だけで、アイシャの将来を侍女に固定したくはない。
本人がいろいろ見た上で、それでも侍女を選ぶなら話は別だ。
「私は今でも侍女になりたいです」
「来た初日に進路決定しなくてもいいでしょう」
「では明日決めます」
「一日しか伸びてない」
アイシャが少し笑う。
「冗談です」
冗談を言った。
これは貴重だ。
「レイネさんには、いろいろ教えてほしいです」
「私でお役に立てることであれば」
「お掃除と、お料理と、礼儀作法と、家計管理と――」
「待ってください。多いですね」
「全部必要です」
レイネが少し考えた。
「では、一つずつにいたしましょう」
「はい」
そしてレイネが付け加える。
「ただし、将来正式に雇用契約を結ぶ場合は、給金額と支払日、業務内容を最初に明記いたします」
アイシャの顔が一気に真剣になった。
「絶対にお願いします」
俺は天井を見上げた。
父さん。
あなたが何年もレイネの給金を忘れていた件、完全に教育教材になっていますよ。
◇
夕食は少し豪華にした。
長旅を終えた妹たちを迎える日であり、ルイジェルドと再会した日でもある。
卓には俺、シルフィ、レイネ、ノルン、アイシャ、ルイジェルド。
普段よりかなり狭い。
でも悪くない。
むしろ、こういう狭さなら歓迎したい。
ノルンはまだ時々、シルフィとレイネを見る。
三人の結婚について考えているのだろう。
それでもシルフィから料理を渡されれば普通に礼を言い、レイネに体調を尋ねられれば素直に答える。
今すぐ答えを出さなくてもいい。
そのくらいでいいだろう。
食事をしながら、三人の旅についてさらに聞いた。
やはり川の増水で四日動けなかったらしい。
その間、アイシャは宿場で別の隊商の出発日まで調べていたという。
「川を渡った直後に馬車の車軸まで壊れました」
ノルンが言う。
「誰にも予想できない故障です」
アイシャが反論する。
「その後、アイシャが『ここで別の商隊へ乗れば半日取り戻せる』って言い始めたんです」
「実際、取り戻せました」
「その後また歩く時間を増やしたでしょう?」
「一刻だけです」
「二刻です」
「初日だけです」
「その初日に寝た」
ルイジェルドが言った。
アイシャの頬が赤くなる。
「寝ていません」
「寝た」
「少し休んだだけです」
「俺が抱えて運んだ」
沈黙。
俺は耐えられなかった。
「ぷっ」
「お兄さま!」
「すみません、すみません」
「笑わないでください!」
「いや、だって……」
完璧な旅程表を作った天才少女が、最終的にルイジェルドに抱えられて運ばれている。
面白いに決まっている。
ノルンも笑っている。
シルフィも口元を押さえていた。
レイネすら肩を揺らしている。
「レイネさんまで!」
「申し訳ございません」
全然申し訳なさそうではない。
いいな。
こういうの。
アイシャは頬を膨らませていたが、しばらくすると自分でも少し笑った。
◇
夕食が終わる頃には、さすがに二人とも眠そうだった。
特にアイシャは、目を開けているつもりなのだろうが、明らかに半分閉じている。
「もう寝ましょう」
「まだ大丈夫です」
「大丈夫ではございません」
レイネが即座に切った。
「お目が閉じかけております」
「元からこのくらいです」
「元からではございません」
「……はい」
勝てなかった。
ノルンも立ち上がったが、階段へ向かう前に俺のところへ来た。
「兄さん」
「はい?」
「明日も大学に行くんですか?」
「行きますよ」
少し顔が曇る。
そこで気づいた。
ミリシオンでも、再会した後に俺は旅へ出た。
ノルンにとって俺は、まだ「毎日帰ってくる兄」ではないのだ。
「夕方には帰ってきます」
「ちゃんと?」
「ちゃんとです」
「どこかへ行ったりしませんか?」
「大学からベガリット大陸へ瞬間移動したりはしませんよ」
「そんなこと聞いてません」
怒られた。
冗談が滑った。
「ここが僕の家です」
今度は真面目に言う。
「大学へ行っても、用事があって町を出ても、帰ってくる場所はここです」
ノルンが少しだけ俺を見る。
「……はい」
表情が和らいだ。
「おやすみなさい、兄さん」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい、お兄さま」
アイシャも続く。
「おやすみなさい、アイシャ」
二人は階段を上がっていった。
途中で、どちらがどちらの部屋を使うかという話になり、さっそく小さく揉めている。
「元気だね」
シルフィが笑った。
「はい」
レイネも二階を見ながら答えた。
「安心いたしました」
俺も同感だった。
◇
二人が眠った後、居間には俺とシルフィ、レイネ、ルイジェルドの四人が残った。
シルフィがお茶を淹れる。
そこでルイジェルドが、先ほどまで話さなかったことを教えてくれた。
「ルードの名前を捨てたのは、お前たちと別れた後だ」
「すぐだったんですか?」
「ああ」
「怖くは?」
「怖くないとは言わん」
ルイジェルドは淡々と答えた。
本名を名乗っただけで宿を断られた。
町へ入れてもらえなかった。
依頼を断られた。
そういうことは何度もあったらしい。
「それでも、以前ルードとして仕事をした町では、俺を覚えている者がいた」
「ルードとルイジェルドが同じ人だと話したんですか?」
「ああ」
「信じてもらえました?」
「最初はな」
やはり簡単ではない。
青髪の魔族として働いていた男が、ある日緑色の髪へ戻し、「自分はスペルド族のルイジェルド・スペルディアだ」と言い出すのだ。
普通なら警戒する。
「だが、俺の槍を覚えている者がいた。助けた子供もいた。受けた依頼を覚えている職員もいた」
ギルドに残る「ルード」の記録。
積み重ねてきた仕事。
それらを照合し、最終的には冒険者証そのものを本名へ変更したという。
「ルードを知っている者が、ほかの者に言うこともある。こいつなら大丈夫だ、と」
俺はしばらく何も言えなかった。
魔大陸で、俺たちが必死に考えたことだった。
スペルド族だと名乗った瞬間に誰にも見てもらえなくなるなら、まず別の名で行動を見てもらう。
子供を守る。
依頼を守る。
無駄に人を殺さない。
そして後から名前をつなげる。
あの時は、本当にうまくいく保証などなかった。
「……よかったですね」
「ああ」
ルイジェルドは短く答える。
「まだ、スペルド族そのものへの恐怖は強い。俺一人の評判が変わっても、種族全体が変わったわけではない」
「はい」
「だが、前よりはいい」
その一言で十分だった。
何百年も歩き続けてきた本人が、前よりはいいと言える。
俺には、それが嬉しかった。
レイネも静かに笑っている。
ルイジェルドが俺を見る。
「礼を言う」
「僕に?」
「お前と、レイネと、エリスにだ」
レイネが僅かに目を見開いた。
「私にも、でございますか?」
「ああ」
ルイジェルドはそれ以上、大げさなことを言わなかった。
俺がルードという名前で行動を積み重ねる案を出したこと。
レイネが、スペルド族だと知った後も態度を変えなかったこと。
船や宿で差別的な扱いを受けた時も、力で脅さず、「それは本当に決まりなのか」と一つずつ問い続けたこと。
エリスが正体を知っても離れなかったこと。
「俺一人なら、あそこまで人の中へ入らなかった」
「……そうでございますか」
「俺には大きかった」
レイネは少し黙った。
「ありがとうございます」
今度は余計に否定しなかった。
それでいい。
◇
話が一段落したところで、俺は尋ねた。
「ルイジェルドさん、明日もシャリーアにいますよね?」
少し期待していた。
一週間とは言わない。
二、三日でもいい。
大学を見せたい。
ザノバやクリフ先輩も紹介したい。
何より、もっと話したい。
だが、ルイジェルドは首を振った。
「あした出る」
「もうですか?」
「ああ」
「そんなに急がなくても……」
言いかける。
今度は、ルイジェルドが理由を話した。
「港で情報を得た」
「情報?」
「北東の山間部で、額に赤い石を持つ緑髪の魔族を見たという商人がいた」
俺は姿勢を正した。
スペルド族。
「いつの話です?」
「数年前だ」
古い。
それでも、ルイジェルドにとって無視できる情報ではない。
「本当かどうか確かめる。その途中でパウロと会い、二人を送るためにこちらへ来た」
つまり元々北東へ向かっていたのに、妹たちのために大きく進路を変えたのだ。
「なるほど……」
行ってほしくない。
もっといてほしい。
でも、同族を捜し続けているルイジェルドへ「俺が寂しいから残ってくれ」とは言えない。
だからといって、何も言わず格好よく見送る必要もない。
「もう少しいてほしかったです」
素直に言った。
ルイジェルドが俺を見る。
「ああ」
「久しぶりなのに、一日だけって短いですよ」
「ああ」
「でも、行くんですよね」
「ああ」
本当に「ああ」ばかりだ。
昔から変わらない。
だから少し笑った。
「また会えますか?」
「ああ」
「絶対ですよ」
「ああ」
今度は安心した。
レイネがルイジェルドへ向き直る。
「今夜は、お二人のお部屋を使用しておりますので、居間へ寝具をご用意いたします」
「床でいい」
「寝具がございます」
「ああ」
それで終わった。
昔と同じ距離だった。
必要なことだけを言い、相手もそれで理解する。
シルフィがお茶を淹れ直す。
四人で卓を囲んだところで、ルイジェルドが俺を見る。
「ルーデウス」
「はい」
「エリスのことを聞かせろ」
「はい」
今度は昼間のような短い説明ではなく、きちんと話せる。
「その前に、僕たちが別れた後から話した方がいいですね」
「ああ」
俺は一度、シルフィとレイネを見る。
二人とも頷いた。
「ルイジェルドさんと別れた後、エリスは自分で剣の聖地へ行くことを決めました。俺は、その理由をエリス本人から聞きました」
俺を守れるようになりたい。
レイネ一人へ戦わせたくない。
同じ場所に立てるようになりたい。
戻ってくるために強くなりたい。
それを、エリスは自分の言葉で俺へ伝えてくれた。
「それから、俺に『好き』って言ってくれました」
少し恥ずかしい。
シルフィの前で昔の告白を詳細に語るというのは、なかなかの罰ゲームだ。
横を見るとシルフィは普通に聞いている。
レイネも同じだ。
逃げる方が格好悪い。
「僕も、エリスが好きだと答えました。もう一度生きて会おうって約束して、エリスはギレーヌと剣の聖地へ行きました」
ルイジェルドは黙っている。
俺は続けた。
エリスと別れた後のこと。
北方で過ごした時間。
大学へ来たこと。
シルフィと再会したこと。
レイネと向き合ったこと。
そして俺たち三人がどういう話をして、今の関係を選んだのか。
簡単には終わらない。
ルイジェルドも、それを分かっているようだった。
「長くなりますよ」
「ああ」
「本当に長いですよ。下手すると朝になります」
「構わん」
いつも通りの返事だった。
「明日出るまで時間はある」
胸の奥に、また少し寂しさが浮かぶ。
けれど今はまだ目の前にいる。
二階では、ようやく再会できた妹たちが眠っている。
隣にはシルフィとレイネがいる。
そして、長い旅を共にしたルイジェルドがいる。
全部を今夜だけで片づける必要はない。
けれど、今夜話せることなら話しておきたい。
俺は湯気の立つ杯を一度口元へ運び、それからルイジェルドを見た。
「では――ルイジェルドさんと別れた日の続きから、話します」