名もなき器に、おかえりを   作:朝麦亭の四人目

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鍵のない部屋

目を覚ますと、三人がいなかった。まず天井を見た。白い。

 次に壁。白い。毛布も、寝台も、窓を塞ぐ布も白い。白い市場より、きれいに何もない。

 

「趣味が悪い」

 声は出た。胸は痛い。脚も痛い。

 痛いということは、まだ私だ。少し安心した。

 

「アデル」

 返事はない。

 

「ミナ。シエナ」

 何もない。戸は一つ。

 取っ手がない。鍵穴もない。滑らかな白い板が、壁へ埋まっているだけだ。

 

「鍵のない部屋って、聞こえは自由そうなのにね」

 実際は、内側から開ける方法がない。暁鐘院は言葉の使い方が上手い。

 拘束を保護。監禁を治療。人を器。

 

「約束が違う!」

 戸を叩いた。両手の凍傷が裂ける。

 赤い跡が、白い板についた。

 

「三人をどこへやったの!」

 しばらくして、壁の一部が透けた。向こうに男が立っている。

 四十歳くらい。灰色の髪をきれいに撫でつけ、暁鐘院の銀紋を首元へつけている。

 

「お目覚めですね、フィア・ルーメル」

 

「そちらは、約束を守らない偉い人?」

 

「院長代理、アルノー・セルムです」

 名乗った。こちらも名前を知っている。白い市場への注文書へ署名した秘書官の上司。

 

「ご友人は、別室で検査を受けています」

 

「五人一緒が条件だった」

 

「移送は一緒でした」

 

「言葉遊びは嫌い」

 

「あなたは、お友達を危険へさらしたいのですか」

 柔らかい声だった。怒鳴るより、腹が立つ。

 

「三人は名の錨です。候補と長く接触すれば、白夜の侵蝕を受ける」

 

「それを消そうとしてる人が言う?」

 アルノーさんの表情は変わらない。

 

「違法な記憶購入は、一部職員の独断です。私も法務院の調査へ協力しています」

 

「注文書に院長代理の秘書官の署名があった」

 

「偽造です」

 

「便利な言葉」

 大丈夫より便利かもしれない。何でも偽造で済む。

 

「三人へ会わせて」

 

「検査後に」

 

「いつ」

 

「王都到着後」

 ここは、街道沿いにある暁鐘院の北部治療棟らしい。馬車で眠らされた。

 何を飲まされたか分からない。ミナがいれば気づいたはずだ。だから先に、私だけへ飲ませた。

 

「王都まで三日です」

 アルノーさんが言う。

 

「あなたの傷は重い。移動中に悪化しないよう、無痛処置を始めます」

 

「嫌」

 

「痛みを感じる部分を眠らせるだけです」

 

「私を眠らせるんでしょ」

 

「苦しむ必要はない」

 白い壁へ、術式が浮かぶ。三つの輪。

 私の胸にある、三人の札と同じ形。

 

「やめて」

 

「これは治療です」

 

「嫌だって言ってる」

 

「判断能力が低下しています」

 怪我。疲労。

 禁術の影響。何でも使える。私が拒んでも、正しい判断ではないことにされる。

 

「三人へ聞いて」

 

「彼女たちは、あなたを失う恐怖で正常な判断ができません」

 

「じゃあ誰が正常なの」

 

「専門家です」

 自分たち。最初から、答えは一つしかない。

 

「無痛処置を受け入れれば、王国は救われます」

 壁の向こうで、アルノーさんは微笑んだ。

 

「リーネ村も」

 胸の中へ刃が入る。

 

「村の名前を使わないで」

 

「あなたが守りたい場所でしょう」

 

「だから使わないで」

 

「四つの火種を王都へ納めれば、白夜は止まる。あなたは死にません。お友達も村人も生きる」

 私だけが、私でなくなる。

 

「望んでいた結果では?」

 答えられない。近い。痛くなくなる。誰も死なない。

 三人に忘れられたと気づく私もいなくなる。昨日、全部忘れられれば楽になると思ったと話した。

 この人は、同じことをきれいな言葉へした。

 

「違う」

 それでも言えた。

 

「何が?」

 

「私は、三人と帰りたい」

 

「三人はあなたを忘れます」

 

「それでも」

 

「あなたも、帰りたいという欲求を失う」

 

「だから、今のうちに決める」

 白い壁へ手をつく。

 

「嫌です」

 アルノーさんの微笑みが消えた。

 

「残念です」

 壁の術式が光る。冷たい空気が部屋へ満ちた。痛みが遠くなる。指先。

 脚。胸。

 順に、私のものではなくなる。

 

「待って!」

 返事はない。壁は元の白へ戻った。

 

 *

 

 眠ってはいけない。そう思った。でも痛みが薄くなると、体は眠りたがる。痛みが私を起こしていたのだ。

 なくなれば、楽だ。そのまま目を閉じればいい。

 

「ミナ」

 名前を呼ぶ。胸の中の糸が、少し震える。

 

「シエナ」

 二本目。

 

「アデル」

 三本目。まだある。

 忘れられていない。私は右手首へ爪を立てた。第一火種。

 赤い光が皮膚の下でともる。第二はシエナの日記。第三はアデルの剣。三人が持っている。

 取り上げられていなければ。

 

「まず言う」

 自分へ言う。

 

「火種を使いたい」

 聞く人はいない。一呼吸。吸う。

 痛くない。それが怖い。吐く。

 

「使う」

 火種を戸へ向けた。熱ではなく、名前を探る。この部屋を作った人。

 扉を閉じた人。術式を維持する人。誰かの灯があれば、そこへ道ができる。赤い線が白い板を走った。

 反対側で、何かが鳴る。警報。

 失敗。天井から白い鎖が落ちた。手首へ巻きつく。

 火種を抑えられる。

 

「フィア・ルーメル。抵抗を中止してください」

 壁から声。

 

「今のところ、治療に満足していません」

 

「鎮静濃度を上げます」

 

「苦情を聞いて」

 白い霧が濃くなる。目を開けていられない。三人の名を繰り返す。アデル。

 ミナ。シエナ。

 順番を間違えないように。一人も落とさないように。壁が割れた。

 音ではなく、青い線が一本入った。戸ではない。横の壁。線が四角を描き、白い板が内側へ倒れる。

 向こうにシエナがいた。

 

「扉は鍵がない」

 日記を抱えている。青い第二火種。

 

「だから壁を開けた」

 

「遅い」

 

「十二分」

 

「すごく遅い」

 シエナが私の手首の鎖へ術式を当てる。

 

「フィアが先に動いたから、警備が増えた」

 怒られた。

 

「ごめん」

 

「あとで」

 廊下から足音がする。緑の煙が流れ込んだ。

 警備兵が二人、眠りながら倒れる。ミナが薬瓶を持って現れた。

 

「眠り薬の反対」

 私の鼻へ瓶を近づける。ひどい匂いがした。

 

「くさっ」

 意識が一気に戻る。

 

「起きた?」

 

「鼻が死んだ」

 

「それなら大丈――」

 ミナが口をつぐむ。

 

「鼻の感覚は生きてる」

 言い直した。

 

「皆は?」

 

「レオナさんが記録庫。アデルちゃんが北階段を押さえてる」

 三人が、それぞれ動いている。私を助けに。

 

「運ぶよ」

 ミナとシエナが寝台の布を外し、簡易担架にする。

 

「歩ける」

 

「歩けない」

 

「痛みがないから」

 

「だから危ない」

 ミナに押し戻される。

 

「今は、運ばれて」

 嫌だった。二人が担架を持つ。私は横になる。天井しか見えない。

 何が起きているか分からない。廊下の角を曲がるたび、先に敵がいるかもしれない。

 ミナとシエナが攻撃されても、すぐ起き上がれない。守られている。

 

 怖い。

 

「右から三人」

 シエナが言う。ミナが担架を下ろす。術式紙が飛ぶ。

 爆ぜる音。私は寝ている。天井の染みを見ている。

 

「終わった」

 また運ばれる。何もしていない。焦る。

 私が動けば、もっと早い。第一火種で鎮静の術式を壊せる。

 

「使いたい」

 口にした。

 

「何を?」

 ミナが聞く。

 

「火種。廊下の結界を全部消す」

 

「駄目」

 シエナが即答した。

 

「一つずつ解除する」

 

「時間がかかる」

 

「レオナの合図まで十三分」

 

「アデルが一人で押さえてる」

 

「役割」

 

「でも」

 遠くで剣の音がした。アデル。一人で戦っている。

 私は右手を担架から出した。一呼吸。待てない。

 

「ごめん」

 火種を廊下へ向ける。

 

「フィア、やめて!」

 赤い光を放った。白い結界が連続で割れる。

 一枚。二枚。三枚。

 道が開く。同時に、警報が施設中で鳴った。防火扉が落ちる。私たちの前後を塞ぐ。

 

「何をしてるの!」

 ミナが叫ぶ。

 

「結界を」

 

「警報とつながってる!」

 シエナが防火扉を調べる。

 

「解除に十五分」

 さっきより長くなった。剣の音が聞こえない。

 アデルとの道も閉じた。

 

「私が壊す」

 起き上がろうとする。胸が動かない。

 痛みはない。体だけが壊れたまま。担架から落ちた。

 床へ肩が当たる。何も感じない。

 

「フィアちゃん!」

 ミナが抱き起こす。口元に血がついた。自分では分からなかった。

 

「どうして待てないの」

 泣きながら怒っている。

 

「アデルが」

 

「アデルちゃんは、自分で役割を選んだ!」

 分かっていた。分かっていたのに、守られる側でいるのが怖かった。

 何もできないまま、結果を待つのが。

 

「ごめん」

 

「あとで!」

 シエナが壁へ手をつく。青い火種を日記から引き出す。

 

「この施設の術式は、扉をすべて管理網へつないでいる」

 

「うん」

 

「だから、扉を使わない」

 また壁へ四角を描く。

 

「外壁まで、あと二枚」

 白い板が倒れる。倉庫へ抜けた。ミナが私を担架へ戻す。

 

「今度こそ、動かないで」

 

「はい」

 それしか言えない。

 

 *

 

 二枚目の壁を抜けると、中庭だった。アデルがいた。

 剣を持っている。十二人の警備を相手に、階段を守っていた。肩から血が出ている。

 

「アデル!」

 

「呼ぶな!」

 灯替えを使うと思われた。そのとおりだった。

 

「使いたい!」

 私は叫んだ。

 

「使うな!」

 アデルは警備の剣を受け流し、柄で顎を打つ。

 

「これは私の傷だ!」

 肩の切り傷。血が多い。でも動ける。

 致命傷ではない。

 

「分かった」

 右手を下ろす。

 

 待つ。

 アデルが最後の一人を倒した。こちらへ走る。

 

「遅い」

 私が言う。

 

「誰のせいだ!」

 怒鳴りながら、担架の前を持つ。レオナさんも記録の束を抱えて中庭へ出た。

 

「東壁だ!排水路へ降りる!」

 五人が揃う。シエナの作った穴から外へ抜け、凍った排水路を滑り下りた。

 後ろで鐘が鳴る。追手の灯が壁へ並ぶ。それでも森まで出た。

 逃げ切った。三人が、私を助けた。私は守られている間に待てず、道を塞ぎ、時間を増やし、担架から落ちた。ほとんど失敗させた。

 森の暗がりへ着くと、アデルが担架を下ろした。ミナが治療薬を置く。

 シエナが日記を閉じる。三人とも、私を見た。施設の警報より、怖い。

 

「あとで、が来た」

 シエナが言った。逃げ道はなかった。

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