名もなき器に、おかえりを 作:朝麦亭の四人目
一時間で、国の行き先を決めることになった。朝麦亭なら、昼食の献立を決めるだけでも母さんと三十分は揉める。豆の煮込みか。
魚のスープか。私が肉を希望すると、予算の話になる。今日は王都か、リーネ村。どちらを選んでも、人が死ぬかもしれない。
「まず事実」
シエナが王墓の床へ紙を四枚並べた。全員ではなく、四人分。レオナさんとデナさんは、少し離れて待っている。
「王都へ向かう場合」
一枚目。
「南門まで六日。暁鐘院へ入る方法は、灯守として接続するか、内側の協力者を得るか。接続すればフィアの無名化が始まる」
「地方へ流す術式を止められる可能性はある」
アデルが加える。
「でも、リーネへ白夜が着くほうが早いかもしれない」
ミナが二枚目へ書く。
「北へ向かう場合」
第三線の西門からリーネまで、荷馬車で三日。白夜到達まで、早ければ七日。村を避難させる時間はある。
ただし北鐘が止まるまでに王都へ戻れない。王都の鐘は閉じたまま。
「二十三万人」
私は王都の数字を見る。
「村は二百四十一人」
「数字を比べない」
シエナが紙を伏せた。
「でも」
「今は、知っていることと望むことを分ける」
この子は、私の逃げ道を見つけるのが得意すぎる。
「三枚目」
白い紙。
「自分が望むこと」
「書くの?」
「口でもいい」
「正しい答えは?」
「ない」
そんな問題がいちばん苦手だ。正しい答えなら探せる。
人数。時間。助かる可能性。
自分の望みには、数字がない。
「私は村へ行く」
アデルが先に言った。驚いて顔を見る。
「フィアに合わせてる?」
「お前はまだ何も言ってない」
「そうだけど」
「リーネは私の故郷でもある。村の北柵は、騎士候補になる前に私が作った。白夜を流すために残したくない」
アデルの望み。守るべき人数ではなく。
「私は、村の人を逃がしたい」
ミナが言う。
「治療所には歩けない人が十一人いる。冬至までに南へ運ぶなら、今から準備しないと」
「ミナも、自分で?」
「うん。フィアちゃんが王都へ行きたいって言っても、私は北へ行く」
胸が少し痛む。置いていかれる想像をした。
でも、それがミナの選択なら、奪ってはいけない。
「私は村へ」
シエナも言う。
「日記と、王墓の記録をオルガへ見せたい」
「どうして母さん?」
「十年前から、私たちの昔話が噛み合わないと気づいていた。村に、院が消せなかった記録があるかもしれない」
ネネ。十年前の白夜。母さんは何を知っているのだろう。
「三人とも北」
「うん」
私の番。
「私は」
王都へ行くべきだと思う。二十三万人。
四つの火種。私だけが鐘を開けられる。村へ三人を行かせ、私はレオナさんと南へ。
そう言えば、全員が役割を持てる。正しい。たぶん。
「四枚目」
シエナが最後の紙を出した。
「フィアが、正しさを考える前の望み」
「そんなの、どうやって分けるの」
「朝麦亭を思い浮かべて」
言われた。目を閉じる。食堂。焦げた梁。
古い卓。母さんの大きな声。
朝のパン。四人分の椅子。ネネの墓へ続く細い道。
白夜が、そこへ近づいている。
「帰りたい」
出た。小さな声。
「村へ帰りたい」
目を開ける。三人がいる。
「王都より?」
アデルが聞く。
「比べられない」
「それでいい」
「よくないよ。王都にはたくさん人がいる」
「望むことと決定は別」
シエナが言う。
「先に望みを言う」
「母さんに会いたい」
言う。
「朝麦亭へ帰りたい。パン窯が無事か見たい。ネネの墓へ行きたい」
止まらない。
「村を、地図の点で終わらせたくない」
身勝手だ。二百四十一人へ、二十三万人より近い名前があるから。
「私の家だから助けたい」
それが本音。正しさとは別。
「南へ行けば、褒められるかな」
口にしてみる。反逆者の指定は消える。
三人とレオナさんの罪も問われない。王都の二十三万人を救った灯守。名前が歴史へ残るかもしれない。
器になれば消されるので、残らないかもしれない。
「褒められたい?」
ミナが聞く。
「少し」
「正直」
「母さんにも褒められたい」
「村へ帰ったら?」
「最初に叱られる」
帰りが早い。怪我が多い。服が破れている。
それから、ご飯を食べさせる。想像すると、胸が動いた。答えはもう出ている。それを口にすると、王都を捨てる人になる気がして怖いだけだ。
「村へ行って、王都が凍れば後悔する」
アデルが言う。
「王都へ行って、村が凍っても後悔する」
「じゃあどうして村?」
「私は、村の北柵を守る騎士になると決めた」
正式な騎士ではない。候補。王命へ逆らえば、その道もなくなる。
「王国の騎士になれないよ」
「王国が村を捨てるなら、今の王国の騎士にはなりたくない」
剣を鞘ごと膝へ置く。
「理由が分からなくなった剣へ、今日の理由をつける」
「村を守る」
「まずは」
永遠の答えではない。今日、剣を持つ理由。
「私も、今日の理由で選んでいい?」
「いい」
「母さんに会いたい」
「会いに行こう」
強い人が正解をくれたわけではない。同じように後悔すると言い、それでも隣で同じ道を選んだ。それが少し、心強かった。
「言えた」
ミナが笑った。
「でも、決めないと」
「四人の望みは同じ」
アデルが三枚の紙を重ねる。村。四枚目も、その上へ置く。
「なら北へ行く」
「王都は?」
「見捨てない」
「間に合わないって」
「今の道では」
シエナが、王墓で光った白夜の流路を写す。王都から北部へ霧を送る術式。
「流路は双方向」
「白夜を流す道を、逆に使う?」
「可能性」
火種を四つ揃えた灯守なら、流路へ入れる。村で白夜本体へ接続し、その道をたどれば、普通の街道より早く王都へ届くかもしれない。
「危険は?」
ミナが聞く。
「不明」
「便利な言葉」
「今は本当に不明」
王都を確実に救える道ではない。村を救ったあと、全員が間に合わないかもしれない。
「それでも」
アデルが私を見る。
「お前は北へ行きたい?」
「行きたい」
今度は、すぐ言えた。
「じゃあ四人で北」
「レオナさんは?」
少し離れたところで、レオナさんは聞いていた。
「私は王都へ行くべきだ」
胸が縮む。
「北部を見捨てる計画の証拠は持った。法務院と王太子府へ直接渡せば、命令を止められるかもしれない」
「一人で?」
「デナと行く」
デナさんが驚く。本人へ相談していない。
「本人抜き」
私が言う。
「そうだった」
レオナさんは訂正する。
「同行を頼めるか」
「断る」
デナさんが即答した。
「私は西門を開ける。そのあと北へ行く。第三線の騎士たちへ、避難民を通すよう説得する」
「では私は一人で」
「嫌」
私が言った。
「お前たちの決まりを私へ使うな」
「パンを食べた」
「いつまで有効なんだ」
「一生」
レオナさんが嫌そうな顔をする。少しだけ、いつもの空気が戻った。
「王都へは行かないで」
私は真面目に言い直す。
「一人で証拠を持っていったら、着く前に捕まる。アルノーさんは、全部レオナさんが誘拐したことにしてる」
「証拠が届かなければ」
「写す」
シエナが日記を持ち上げた。
「第三線の町、村、教会へ一部ずつ残す。王都だけが記録を持つ状態にしない」
「ミレイス市議会も味方になる」
ミナが言う。
「記憶市場の契約を持ってる」
「北部で人を集める」
アデルも続く。
「王都へ一人で届けるより、北部全体から告発させる」
レオナさんは三人を見た。私も。
「五人で北」
言う。
「六人だ」
デナさんが加わった。
「パンを食べてない人は数えません」
「理不尽だな」
「門を開けたら一枚あげる」
決まった。出発前、四人で荷物を分けた。
食料。記録。薬。
武器。
「フィアの荷物は?」
ミナが聞く。
「私自身」
「重い」
「最近、体重が減りました」
「傷は荷物じゃないよ」
ミナは治癒鞄から、小さな薬瓶を三本出して私の毛布へ結んだ。
「痛み止め。熱。呼吸」
「一人分?」
「フィアの分」
「三人も怪我してる」
「自分の分は自分で持ってる」
今までなら、三人へ渡していた。私は最後。
ミナが最初から私の分を分けた。
「使わなかったら?」
「私が怒る」
「怖い」
「なら使って」
シエナは記録を三つに写した。一つは自分。
一つはレオナさん。一つは私の担架の下。
「私に?」
「誰か一人だけが記録を持たないように」
「なくしたら」
「怒る」
「今日は怒られる予定が多い」
アデルは、自分の外套を担架へかけた。
「寒いから」
「アデルは?」
「剣を振れば温かい」
「振らないで済む道がいい」
「私も」
四人分の荷物。誰か一人が全部を持たない。私自身も、荷物の一つとして数えられている。
運ばれることが、少しだけ嫌ではなくなった。王命には従わない。王都へ火種を運ぶ任務を中断する。リーネへ帰る。
王都を見捨てるためではない。私たちの家を、先に冬へ沈めさせないため。
そして、家を救ったあと、まだ道を探す。正しいかは分からない。私が望んだ道だ。
*
第三線の西門は、夜半に開いた。石壁の上に、北部騎士団が並んでいる。
閉鎖区域から人を出さないための門。今はまだ、向こうに避難民はいない。門の前には、私たちの荷馬車が一台。
デナさんが調達した。寝台は治療棟のものより固く、幌には穴がある。私は、こちらのほうが好きだった。
「反逆者レオナ・ハルトと、灯守候補を確認」
門上から声。
「通すなとの王命だ」
デナさんが門の鍵へ手をかける。
「この先には二百四十一人の村がある」
「封鎖区域だ」
「人がいる」
「命令は」
「読んだ」
デナさんは鍵を回した。
「だから開ける」
騎士たちが剣へ手を伸ばす。アデルが前へ出た。
「私も北部騎士候補だ」
「王都から反逆者指定が出ている」
「知ってる」
「剣を置け」
アデルは腰の剣へ触れた。第三火種が橙色に光る。
「置かない」
門が半分開く。騎士たちは動かない。
デナさんを捕らえれば、まだ王命に従える。見逃せば、同罪になる。
「村へ家族がいる者は」
レオナさんが門上へ呼びかけた。三人が顔を上げる。
「王都は、第三線より北へ白夜を流す。避難命令は出さない。記録はここにある」
シエナが写しを掲げる。
「信じるかは、自分で決めろ」
レオナさんの言葉。命令ではない。一人の騎士が剣から手を離した。
次に、二人。全員ではない。半分だけ。それで十分だった。
門が開く。荷馬車が通る。
デナさんは残り、門の内側へ避難民を迎える。
「パン」
通り過ぎるとき、手を出された。
「本当に覚えてた」
荷物から一枚渡す。
「門の代金としては安い」
「あとで朝麦亭へ来て。ちゃんと食べさせる」
「店が残っていたら」
「残す」
口にした。約束ではない。望み。
荷馬車は北へ走る。王都を背にする。四つの火種を持ったまま。王国の命令へ逆らって。
地図の小さな点へ帰る。空は白い。
朝はまだ来ない。それでも、この道を自分で選んだ。