偽りの聖者と枯れぬ羨望 作:かなりゆっくりめ
しかし、その直後。
和平の場へ降り注いだのは、思いもよらない相手からの攻撃でした。
――アレン――
「………本当に、この条件を受け入れるのだな?」
「もちろんですわ! これもアレン卿の、我々魔族への深き『愛』であると受け取ります!」
頼むから、その気持ちの悪い物言いはやめてくれ。
「も、ももももちろんよ!! 『平等』こそが、この私の信念なんだから!!」
アウラは笑っているつもりらしいが、口元は細かく震えていた。お前の天秤のどこが平等だったのか、小一時間ほど問い詰めたいところだが、今は契約を成立させる方が先だ。
「まあよい。皆、一列に並べ。――『契約の呪印(アイトゼーゲル)』」
黄金の線が地面を走り、四人の足元へ伸びていく。
しかし鎖はまだ輪にならない。ここから先は俺がどれだけ魔力を注いでも動かず、四人が俺と同じ約束を理解したうえで、自ら受け入れるのを待つしかなかった。
止めるなら今だ。そう告げるように術式を留めたが、誰も魔力を引かなかった。
光の鎖が四人の首へ巻きつき、皮膚の下へ沈んでいく。アウラ、シュライン、ドラート、リーニエ。最後の錠が閉じる感触が一つずつ俺の内側へ返り、四人全員が本当に同意したことを伝えてきた。
抵抗の一つくらいは想定していたのだが、拍子抜けだ。
「では、グラナト伯爵も」
「うむ。頼む」
領民へ魔族を騙し討ちにしないよう命じ、違反者は人間の法で裁く。人間側が負う約束を頭の中でもう一度なぞってから鎖を伸ばすと、伯爵の同意も迷いなく術式を閉じた。
「まあ……血を見ずに済んでよかったな、でいいのか? これは」
「そうですね……」
「アレン様と同じように人間と共存できる魔族の誕生に期待しつつ……万が一、契約を守れずに即死した場合の『部屋の掃除手順』についても考えておかねばなりません」
「……失礼なことを言う」
フェルンは人間だ。ここで騙すつもりの言葉を返せば、結んだばかりの鎖がドラートの命を奪う。
「我々は………………契約を守ろうと『努力するように思考できるよう』に…………努力するかもしれない」
何も起きなかった。随分と慎重に言葉を重ね、結局は何一つ約束しなかったものだ。
「仕方ない。アウラ様がそう言うなら従う。……『今は』」
リーニエの鎖も動かない。わざわざ付け加えた『今は』を外していたら、危なかったのかもしれない。
「私の愛は、魔族皆の進化を促すためのもの……これは崇高な試練ですわ」
「アウラ、貴女もしっかりやってくださいね?」
「…………ううう……………はい……」
だがシュラインは魔族であり、その命令へ従わなくても契約には何の関係もない。アウラはまだそこまで頭が回っていないらしいが、わざわざ教えてやる必要もないだろう。
◇◇
「フェルンさん」
「……はい??」
「私ね………人間は、本当にとても偉大な種族だと思っていますの」
今度は何を始めるつもりだ。
話を聞きながら、シュラインの首へ沈んだ鎖へ意識を向ける。
「獰猛な本能を抱えながらも、知性と理性でギリギリの均衡を保ち、巨大な社会を形成している」
鎖は動かない。
「『心』という名の、一見すると合理的な社会の維持とは相反する不確定要素を持ちながらも……ここまで世界を繁栄させている!」
明らかに俺へ聞かせるための言葉だ。
人間を欺く意図があるなら契約に触れるはずだが、それでも鎖からは何の感触も返ってこない。
「私………人間のことを、心から尊敬していますのよ。我ら魔族も、ぜひ貴方方に倣うべきですわ!!」
「……そう……なんですね……」
フェルンの返事が僅かに遅れた。俺もすぐには言葉が出なかった。
嘘ではなく、人間を信用させるために都合のよい言葉を並べたわけでもない。
この女は本気で人間を尊敬し、自分たちも倣うべきだと考えている。
人間を騙す同族なら、いくらでも見てきた。だが、人間に倣えと本気で口にする同族は初めてだ。鎖が閉じたときより、今の方がよほど不気味だった。
◇◇
理由を尋ねるより先に、背中へ冷たいものが触れた。風かと思った瞬間には、それが頭上から叩きつけられる殺気だと分かった。
「…………ッ!?」
フェルンは視線を空へ貼りつかせたまま、魔力を動かしていない。このままでは間に合わない。腰を掴んで引き寄せた。
「伏せろッ、フェルン!!」
地面を蹴った直後、鋼鉄の雨が落ちてきた。
数える気にもならないほどの鏃が先ほどまで立っていた場所を黒く埋めるなか、抱えたフェルンを外套の内側へ押し込み、着地点を変えた。
「ぐああああっ……!!」
「何だ、この矢は……ッ!? 魔力で弾けない、抜けん……ッ!!」
声が出るなら、ドラートはまだ生きている。
振り返ると、全身に矢を受けたドラートの背後へ、リーニエがきれいに身体を収めていた。
「ドラート………よい盾になった。魔族を盾にするなら、契約違反じゃない」
それはそのとおりだが、盾にされた本人へ言う必要はない。
「ひぃぃっ!!」
アウラの防御障壁が矢を弾き、その内側にはグラナト伯爵まで収まっていた。
「なんで私が、グラナト伯爵を守る羽目になってるのよぉぉぉっ!!」
「…………れ、礼を…………言う…………」
「怪我は?」
「ありません」
息をつくより早く、次の音が重なった。一射ごとの間隔が人間の腕ではあり得ないほど短い。今度は青白い光が空を埋め、そのすべてがシュライン一人へ集まっていく。
「ふふ…………これは正当な自衛ですわね」
「――『疾風の残影(シュネルヴァルト)』」
シュラインの姿が消えた。
いや、速すぎて目が追いつかないだけだ。視覚を捨てて魔力へ意識を切り替えると、矢が地面へ突き刺さるたび、そのすぐ脇へ反応が移っていた。
前へ出て、右へかわし、半歩下がりながら身体を傾ける。一連の動きのどこにも無駄がなく、一本も掠らない。
攻撃を絶対に躱す魔法。話には聞いていたが、これほどとは思わなかった。
最後の矢が地面へ突き刺さった直後、今度は頭上から声が降ってきた。
『蒼天…………雷槍ッッ!!!!』
青い雷が視界を焼き、反射的に目を閉じても瞼の裏まで白く染まった。
遅れて大地が揺れる。シュラインとの間へ魔力を向けながら目を開くと、土煙の中から青白い雷を纏った槍、その後ろに白銀と蒼の鎧が現れた。
金髪を見た瞬間、考えるより先に名前が出た。
「なっ……まさか、エレナ!?」
「何をやっている!!」
『死んでも押さえてッッ!!!』
森の奥から飛んできた声はクラウのものだった。狙いはシュラインだとしても、ここにはフェルンも、アルトも、グラナト伯爵もいる。あいつは全員を矢雨へ巻き込んででも、シュラインを仕留めるつもりだったのか。
「エレナッ!!」
アルトが俺より先に飛び出し、剣を抜いてエレナとシュラインの間へ割り込んだ。
「お前、どうしちまったんだよッッ!! 目を覚ませ!!」
「…………誰だ?」
エレナの目の奥では青い光が渦巻き、正面にいるアルトへ焦点すら合っていない。
「私は……マスターの命令を守る……」
マスターとはクラウのことか。槍から溢れる魔力には気配がなく、身につけている槍にも鎧にも見覚えがない。宿へ残った二人の間で、何があった。
「――邪魔だ」
エレナが槍を一振りすると、剣へ触れた瞬間に青い光が破裂した。
「ぐおおおおおおおおおおっッ!!!」
アルトの身体が俺の横を通り過ぎ、その先で岩の砕ける音がした。魔力は消えていない。生きているなら、今は駆け寄るよりもエレナを止める方が先だ。地面を蹴った。
「待てッ!! エレナッッ!!!!」
青い穂先がこちらへ向いた。俺一人なら避ければ済むが、軌道の先にはフェルンがいる。かといって攻撃魔法を使えば、正気ではないエレナまで殺しかねない。
突き出された槍を両手で挟み込むと、穂先が掌を裂いて止まった。その直後、槍を覆っていた雷が両腕へ流れ込んでくる。
「ぐっ……!」
焼ける掌に構わず押し返す。だが、槍は動かない。この俺が、エレナ一人に押し留められている。
「エレナ……!」
返事はない。力も緩まない。
手を離せば、穂先は後ろのフェルンへ届く。それだけはさせられず、裂けた掌へさらに力を込めた。
そのとき、穂先の向こうで視線がぶつかった。
今まで、俺を見ていなかったのか。
エレナの目を満たしていた青い光が揺れ、抵抗が消えた。押さえていた力が空を切る。前へつんのめった俺の腕へ、槍ではなくエレナの身体が落ちてきた。
「エレナ?」
鎧越しに速い鼓動が伝わる。頬へ指が触れた。
正気に戻ったのかも分からない。
だが、この触れ方を、知っている。
燃える町で、エリーも同じように俺の頬へ触れた。逃げろと言い、最後まで俺を責めなかった。
「………アレン………愛してる」
聞き間違えるはずがない。何百年も忘れられなかった声だ。
「………………………エリー……?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
契約を受け入れた魔族たち。
そして突然現れたエレナと、最後に彼女が口にした言葉。
今回の展開や、エレナに何が起きているのかについて、感想や予想をいただけると嬉しいです。