ほりぽんときよぽんによる最終プレゼンが終わると、
教室内には先ほどまでの拍手や笑いとは異なる、落ち着かない緊張感が広がり始めた。
どちらの発表も、単なる思いつきのゆるキャラ紹介では終わっていなかった。
ほりぽんは、努力と成長を象徴しながらも、
努力できない日や休息の必要性まで受け入れるキャラクターへ成長していた。
堀北や須藤、平田、松下を中心とした制作班が、
自分たちのクラスの歩みを重ねながら作り上げた存在である。
きよぽんは、長谷部が描いた簡単な落書きから始まり、
三宅が身体を作り、幸村が設定や安全管理を整え、佐倉が顔へ柔らかさを与えた。
さらに他クラスとの交流まで取り込み、一人で完成するのではなく、
誰かと共にいることで意味を持つキャラクターへ変わっていた。
二体のうち、正式代表として選ばれるのは一体だけだった。
茶柱先生が教卓へ戻り、投票用紙の束を持ち上げる。
「これから投票を行う。全員、自分の席へ戻れ」
教室内を移動していた生徒たちは、それぞれの席へ戻っていく。
ほりぽんの制作班。
きよぽんの制作班。
どちらにも直接関わっていない生徒。
全員が同じ一票を持つ。
机の上へ、一枚ずつ小さな白い紙が配られた。
名前を書く欄はない。
中央の空白へ、ほりぽんかきよぽんのどちらか一体の名前だけを記入する。
「投票時間は五分とする」
茶柱先生は全員へ視線を巡らせた。
「他の生徒と相談するな。どちらを正式代表にするかは、自分で決めろ」
教室が静かになった。
聞こえるのは、紙へ触れる音と、ペンを持ち直す僅かな音だけだった。
オレは、目の前の投票用紙を見ながら、改めて二体の特徴を比較した。
ほりぽんは、努力と成長を中心に置いたキャラクターである。
飛べない白いフクロウが、何度も失敗し、休息し、
仲間へ助けられながら少しずつ前へ進む。
その物語には、堀北の変化が反映されていた。
以前の堀北であれば、努力しない者や、
すぐに立ち上がれない者へ厳しい態度を取っていた可能性が高い。
しかし現在のほりぽんは、飛ぶことを強制せず、
休むことも認め、本人が望まないなら別の道を探す。
須藤は実際に着ぐるみへ入り、翼の操作を身につけた。
平田と松下も物語やグッズの方向性を支えている。
学校の理念を説明するキャラクターとしては分かりやすく、
専門審査において高い評価を得られる可能性がある。
一方のきよぽんは、ほりぽんとは正反対に近い。
静かな場所を好み、一人でいたい者へ無理に近づかない。
励まさない。
頑張れとも言わない。
夢が決まっていない者を否定せず、何かを解決できなくても、
少し離れた場所へ座っている。
長谷部、三宅、幸村、佐倉を中心に、クラスの多くの生徒が制作へ関わっている。
外見も覚えやすい。
乳白色の丸い身体。
眠そうな目。
頭へ載せたヨーグルト容器。
学校の公式キャラクターとして相応しいかは、ほりぽんより説明が難しい。
ただし、一度見れば忘れにくいという意味では、きよぽんの方が強い可能性があった。
他クラスの代表候補も考える。
一之瀬クラスのほなわんは、誰とでも友達になれる親しみやすい犬。
坂柳クラスのありすぽーんは、何度転んでも前へ進む、小さなチェスの駒。
龍園クラスのぶっくまるは、本を通して人と人を繋ぐ穏やかな熊。
ほりぽんは、ありすぽーんと「努力と成長」という領域が重なる。
表現方法は異なる。
ほりぽんには休息や仲間との協力という要素がある。
それでも専門審査では、似た理念を持つキャラクターとして比較される可能性が高い。
きよぽんは、他の三体と明確に異なっていた。
ヨーグルトを頭へ載せ、眠そうな顔をし、積極的には何もしない。
それでも、誰かが一人にならないよう隣へいる。
一般投票で最も記憶に残る可能性があるのは、きよぽんかもしれない。
クラスの勝利へ近いのはどちらか。
個人的には、きよぽんの着ぐるみへ入り続けることを望んでいない。
その事情は判断から除外するべきだった。
完全に無視することは難しい。
それでも、自分の都合を上回るだけの理由があるかどうかを考える。
一般来場者が一度見ただけで覚えるのはどちらか。
他クラスとの差を作れるのはどちらか。
このクラスにしか作れないキャラクターはどちらか。
オレは投票用紙へ、平仮名で名前を書いた。
『きよぽん』
ペンを置いた後も、僅かに妙な感覚が残った。
自分の名前の一部を付けられたキャラクター。
自分をモデルにして作られた存在。
それへ自分で投票する。
恥ずかしさがまったくないわけではない。
ただし、きよぽんはすでにオレだけのキャラクターではなかった。
長谷部が生み出し、三宅や幸村や佐倉が形へし、クラス全体が協力した。
さらに他クラスの生徒まで、勝手に意味や設定を与え始めている。
オレは自分自身へ投票したのではない。
多くの人間が作り上げたキャラクターと、その可能性へ一票を入れた。
五分が経過すると、茶柱先生が投票用紙を回収した。
全ての枚数を数え、クラスの人数と一致していることを確認する。
続いて、記入内容に問題がないかを簡単に調べた後、黒板の前へ立った。
黒板の左側には「ほりぽん」。
右側には「きよぽん」。
茶柱先生は一枚目を開いた。
「ほりぽん」
左側へ一本の線が引かれる。
二枚目。
「きよぽん」
右側にも一本。
一対一。
三枚目はほりぽん。
四枚目はきよぽん。
最初の数票は、示し合わせたかのように交互へ入った。
五対五。
七対六で、ほりぽんが一票先行する。
次の票がきよぽんへ入り、八対八。
十対九で、今度はきよぽんが僅かに先へ出る。
教室内では、誰も声を出さなかった。
長谷部は自分の机の前で、両手を強く握っている。
堀北は表情を動かさず、黒板だけを見つめていた。
須藤は腕を組んでいるものの、普段より肩へ力が入っている。
池でさえ余計な口を挟まず、黙って開票を見守っていた。
三宅、幸村、佐倉も同じだった。
表情だけで、誰がどちらへ投票したのかを判断することはできない。
開票は続く。
十二対十二。
十四対十三でほりぽんが再び先行。
次の票できよぽんが追いつき、十五対十五。
残りの投票用紙が少なくなるほど、教室内の緊張は強くなっていった。
「きよぽん」
茶柱先生の声と共に、右側へ一本増える。
十五対十六。
「ほりぽん」
十六対十六。
同数。
教室全体に緊張が走った。
残りは四票だった。
茶柱先生が一枚を開く。
「ほりぽん」
十七対十六。
次の用紙。
「きよぽん」
十七対十七。
残り二票。
長谷部が息を止めたように見えた。
堀北は動かない。
茶柱先生が、残り二枚のうち一枚を開く。
その内容を見た瞬間、僅かに眉が動いた。
「無効票だ」
教室がざわつく。
「何て書いてあったんですか?」
池が尋ねた。
茶柱先生は、何も言わずに投票用紙を教室側へ向ける。
紙には、大きな字で書かれていた。
『フライング・モンキー』
教室にいる全員の視線が、一斉に池へ集まった。
池は露骨に目を逸らす。
「お前……」
須藤の声が低くなった。
池は追い詰められたように反論する。
「だって、消えないって言っただろ!俺は最後までフライング・モンキーを信じる!」
「投票用紙には、ほりぽんかきよぽんのどちらかを書けと言われたでしょう!」
堀北が立ち上がる。
「俺の信念だ!」
「ただの無効票よ!」
「フライング・モンキーへ一票入った!」
「入っていないわ!無効なの!」
張り詰めていた緊張が、一瞬で崩れた。
笑う者。
呆れる者。
池へ怒る者。
様々な声が教室へ広がる。
茶柱先生は教卓を軽く叩いた。
「静かにしろ」
教室が収まる。
茶柱先生は最後の一枚を持ち上げた。
「残り一票だ」
黒板には、ほりぽん十七票、きよぽん十七票、無効一票と記録されている。
最後の一票がほりぽんなら、十八対十七。
きよぽんなら、十七対十八。
池の無効票があるため、同票にはならない。
この一票だけで、正式代表が決まる。
茶柱先生が紙を開いた。
教室の全員が、茶柱先生の口元を見ている。
「きよぽん」
一瞬、教室が完全に静まり返った。
黒板には、最後の線が引かれる。
ほりぽん、十七票。
きよぽん、十八票。
無効、一票。
一票差だった。
正式代表は、きよぽん。
長谷部が勢いよく立ち上がった。
「勝った……」
最初に漏れた声は小さかった。
すぐには喜んでよいのか判断できないように、黒板を見つめる。
ほりぽん十七票。
きよぽん十八票。
結果をもう一度確かめた後、長谷部の表情が一気に明るくなった。
「きよぽんが勝った!」
今度は教室全体へ届く声だった。
長谷部は隣にいた佐倉の手を取る。
「愛里、勝ったよ!」
「う、うん!」
佐倉も突然手を握られて驚きながら、嬉しそうに笑った。
三宅は椅子へ深く座り、大きく息を吐く。
「一票差かよ……」
幸村は眼鏡を直した。
「想定以上に拮抗した」
軽井沢と佐藤も、きよぽん制作班の生徒たちと喜んでいる。
その横で池だけが、納得していないように言った。
「俺の一票があれば同票だった!」
「お前はどっちにも入れてねぇだろ!」
須藤が怒鳴る。
教室に笑いが起きた。
しかし、オレは堀北を見た。
堀北は立ったまま、黒板へ視線を向けている。
ほりぽん十七票。
きよぽん十八票。
表情は大きく変わっていない。
それでも、僅かに目が伏せられていた。
須藤も堀北の様子へ気づいたらしい。
先ほどまで池へ怒鳴っていたが、途中で言葉を止めた。
平田。
松下。
ほりぽん制作班の生徒たち。
全員が、すぐには動けない。
一票差。
ほとんど互角だった。
それでも、負けは負けだった。
長谷部も喜びながら、堀北へ視線を向けた。
教室内の空気が、少しずつ静かなものへ戻っていく。
茶柱先生が正式に結果を告げた。
「堀北クラスの代表キャラクターは、きよぽんに決定する」
この結果は覆らない。
「午後五時までに学園側へ登録する。結果へ異議がある者はいるか?」
誰も手を挙げなかった。
ほりぽん制作班の生徒たちも、投票結果を受け入れている。
茶柱先生が次の説明へ移ろうとした時、堀北が口を開いた。
「待ってください」
教室内の全員が堀北を見る。
「異議ではありません」
堀北は黒板の前へ進んだ。
ほりぽんの名前と、その下に記された十七票。
その正面へ立つ。
「結果は受け入れます」
声は震えていない。
「きよぽんが、私たちの正式代表です」
堀北は長谷部へ顔を向けた。
「おめでとう、長谷部さん」
長谷部は少し驚いたように目を見開いた。
「ありがとう」
「一票差だったからといって、勝利の価値が下がるわけではないわ」
「うん」
「きよぽんを、必ず完成させましょう」
ほりぽん陣営ときよぽん陣営は、敵対する別のクラスではない。
同じ堀北クラスだった。
投票前から、正式代表となった側へクラス全体で協力すると決めている。
「ほりぽんも」
堀北は、教室後方に置かれている白いフクロウの試作品へ視線を向けた。
「きよぽんの友達として、制作を続けます」
須藤がすぐに立ち上がった。
「当然だろ」
堀北が須藤を見る。
「俺、あれだけ翼を動かす練習したんだぞ」
「まだ中へ入るつもりなの?」
「友達キャラクターとして、少しくらい出るんだろ?」
須藤は頭を掻いた。
「ここまで作って、倉庫へ置くだけなのは勿体ねぇ」
堀北の表情が僅かに変わる。
「ありがとう」
「別に」
須藤は照れたように顔を逸らした。
「きよぽんが休みすぎたら、ほりぽんが引っ張り出してやる」
「無理に引っ張るのは、ほりぽんの設定と違うわ」
「じゃあ、翼で扇いで起こす」
「ヨーグルトが温まる」
オレが言うと、須藤が勢いよく振り返った。
「そこを気にするのかよ!」
教室から笑いが起こり、先ほどまで残っていた重い空気も少しだけ和らいだ。
長谷部が堀北へ近づく。
手には、以前配布されたほりぽんの試作グッズである、白い羽根の栞を持っていた。
栞には、『今日の努力が、明日の翼になる』という言葉が記されている。
「この栞、きよぽんのポケットへ入れてもいい?」
堀北は理由が分からないように尋ねた。
「なぜ?」
「最終プレゼンで、きよぽんにはほりぽんが必要だって言ったから」
長谷部は、きよぽんの胴体へ取り付けられた小さな背中のポケットを示す。
「きよぽんが頑張れなくなった時に、ほりぽんの栞を見るの」
堀北は数秒間、白い羽根の栞を見つめた。
「ええ」
静かに答える。
「入れて」
長谷部は栞を、きよぽんの背中のポケットへ入れた。
一方、堀北は長谷部からきよぽんのステッカーを一枚受け取る。
「それはどうするの?」
「ほりぽんの手帳へ貼るわ」
「きよぽんの方が目立たない?」
「友達の印よ」
長谷部は笑った。
「じゃあ、お揃いだね」
きよぽんは正式代表。
ほりぽんは友達キャラクター。
二体の立場は決まった。
しかし、代表を争ったことで生まれた関係まで終わるわけではなかった。
◯
「ところで」
茶柱先生が口を開くと、再び教室の空気が変わった。
「代表が決定した以上、着ぐるみの正式担当者も早急に決める必要がある」
教室内の全員の視線が、ほとんど同時にオレへ集まった。
「なぜオレを見る」
「きよぽん本人だから」
長谷部が即答した。
「本人ではない」
「最終プレゼン、完璧だったよ」
軽井沢も加わる。
「歩き方が自然すぎた」
「オレが動かしているからだ」
「ほら、本人じゃん」
「理屈が繋がっていない」
茶柱先生は資料を確認しながら説明を続けた。
「学園へ提出する代表登録票には、
着ぐるみの主担当者と補助担当者を記載する欄がある」
「今日中に決める必要があるのか?」
「主担当者については仮登録でも構わない。ただし、二日以内には正式に確定しろ」
長谷部が三宅を見る。
「みやっち」
「何で俺を見る」
「補助担当」
「中身じゃなくて補助なら、まあ……」
三宅は完全には拒否しなかった。
制作を通じて、きよぽんの骨組みや接続部分を最もよく理解している生徒の一人である。
補助員としては適任だった。
「ゆきむーは安全管理」
「それは引き受ける」
幸村は即答した。
「愛里は表情と衣装」
「う、うん」
佐倉も頷く。
三宅が長谷部へ尋ねる。
「波瑠加は何をするんだ?」
「マネージャー」
「自称だろ」
「今日から公認」
「誰が決めたんだよ」
「私」
最後に、全員がもう一度オレを見る。
「きよぽん、主担当をお願い」
長谷部が言った。
以前であれば、即座に断っていただろう。
ただし、オレ自身がきよぽんへ投票した。
他のどの候補よりも、クラスの勝利へ近づける可能性が高いと判断した。
正式代表になった以上、その判断へ一定の責任を持つ必要がある。
「条件がある」
教室が静かになり、長谷部の表情が明るくなる。
「何?」
「オレ一人では担当しない」
「どういうこと?」
「着ぐるみ内部は高温になる。長時間の連続活動は危険だ。
学園祭中の活動を考えれば、交代要員が必要になる」
幸村が頷く。
「その通りだ。十五分活動し、十分休憩することを基準にするなら、
全時間を一人で担当することは不可能だ」
長谷部は再び三宅を見た。
「じゃあ、みやっちも中身」
「俺!?」
三宅が驚く。
「体格が近い」
オレが言うと、三宅が今度はこちらを見た。
「お前まで言うのかよ!」
「歩き方は練習すれば合わせられる」
「魂は?」
長谷部が真剣な顔で尋ねた。
「森下と同じことを言うな」
「でも、中身が変わったらきよぽんじゃなくなるかもしれない」
「着用者によってキャラクターそのものが変わる方が問題だ。
基本動作を決め、誰が入っても同じきよぽんに見えるよう練習する」
幸村が端末へ内容を記録する。
「合理的だ」
三宅は頭を抱えた。
「合理的って言えば、何でも通ると思うなよ」
「みやっち」
佐倉が控えめに呼びかけた。
「少しだけなら、手伝ってあげてもいいんじゃない?」
三宅の動きが止まる。
「愛里まで」
「清隆くん一人だと大変だし」
「……分かったよ」
三宅は諦めたように息を吐いた。
「交代要員だけだからな」
「ありがとう、みやっち!」
長谷部が喜ぶ。
「中身二号」
「番号で呼ぶな」
「きよぽんが一号」
「オレも番号で呼ぶな」
「じゃあ、きよぽんAときよぽんB」
「ロボットみたいにするな」
教室が笑いに包まれた。
正式な担当者は、主担当がオレ。
交代担当が三宅。
補助や管理を長谷部、幸村、佐倉が行う。
軽井沢や佐藤は宣伝を担当する。
さらに、ほりぽん制作班も加わることになった。
堀北は黒板へ、新しい役割表を書き始めた。
正式代表。
きよぽん。
友達キャラクター。
ほりぽん。
制作統括。
堀北鈴音。
企画・演出。
長谷部波瑠加。
構造・安全管理。
幸村輝彦、三宅明人。
デザイン。
佐倉愛里、松下千秋。
広報。
軽井沢恵、佐藤麻耶。
きよぽん演技。
綾小路清隆、三宅明人。
ほりぽん演技。
須藤健。
全体調整。
平田洋介。
長谷部が黒板を見て笑う。
「堀北さんが制作統括なの?」
「そうよ」
「きよぽんに負けたのに?」
「だからこそよ」
堀北は振り返った。
「正式代表となった以上、クラス全体で完成させる。
あなた一人へ任せて失敗されたら困るわ」
「失敗しないよ」
「なら、私が確認しても問題はないでしょう」
「厳しくしすぎないでね」
「必要な部分は厳しくするわ」
「きよぽんは、ゆるいんだよ」
「安全管理までゆるくするわけにはいかないでしょう」
「それはそう」
二人のやり取りは、代表決定前とは異なっていた。
ほりぽん対きよぽんという対立ではない。
正式代表となったきよぽんを、ほりぽんの制作者である堀北も支える。
「綾小路くん」
堀北がオレを見る。
「主担当を引き受けるのね?」
「可能な範囲で」
「本番までに、歩き方と基本動作を統一するわ」
「誰と」
「三宅くんと」
三宅が力なく言う。
「俺、もう逃げられないのか?」
「クラスの勝利に必要よ」
「便利な言葉だな!」
「それから」
堀北はオレの顔を見た。
「きよぽんのモデルとして、設定監修も続けて」
「それは引き受けていない」
「ヨーグルトに関する誤りを放置できる?」
答えづらい。
長谷部が笑う。
「無理だよね」
「最低限だ」
「本人監修」
「最低限と言った」
「公式プロフィールに書くね」
「書くな」
「『ヨーグルト設定監修・綾小路清隆』」
「オレの名前を載せるな」
「なら『謎の有識者』」
「余計に怪しい」
代表を決める勝負は終わった。
しかし、騒動が終わったわけではない。
むしろ正式代表が決まったことで、
きよぽんを本当に完成させる作業が、ここから始まろうとしていた。
◯
午後四時四十分。
正式登録の期限まで、残り二十分。
堀北は学園側から渡された試験専用端末を操作し、必要事項を一つずつ入力していった。
クラス名。
代表キャラクター名。
モチーフ。
基本設定。
制作責任者。
着ぐるみ担当者。
「名称は、きよぽん!」
端末を横から覗き込んだ長谷部が、確認するまでもないことを大きな声で言った。
「分かっているわ」
「平仮名だからね」
「提出された表記のまま入力しているわ」
「『きよポン』じゃないよ」
「変えるつもりはない」
「英語表記は?」
「必要ないわ」
「KIYOPON」
「ローマ字にしただけでしょう」
「世界進出するかもしれない」
「まずは学園祭を成功させてから考えなさい」
堀北が基本モチーフの欄へ進んだところで、指を止めた。
「何と書けばいいの?」
教室が静かになる。
きよぽんが、何の生き物なのか。
それは今になっても決まっていない。
「謎の生き物」
長谷部が答える。
「正式な書類よ」
「それが正式な設定だよ」
「分類不能では駄目か?」
幸村が提案する。
「印象が悪いわ」
「ヨーグルトの妖精」
佐藤が言った。
「妖精なの?」
「飛べない妖精」
「フライング・モンキーなら飛べるぞ!」
池が参加する。
「今は関係ない」
「乳酸菌」
須藤が言った。
「生き物ではあるが、外見が違いすぎる」
オレが答える。
「じゃあ、ヨーグルトから生まれた何か」
軽井沢が笑う。
「森下さんみたいなことを言わないで」
長谷部が止めた。
正式登録期限まで、残り十八分。
教室内では、きよぽんの分類を巡る議論が始まる。
「未確認生物は?」
松下が提案する。
「UMA?」
池が反応した。
「格好いいじゃん!」
「ゆるキャラとして怖くないかな」
佐倉が心配そうに言う。
平田が穏やかにまとめた。
「謎の生き物でいいんじゃないかな。分からないことを、無理に決める必要はないと思う」
幸村が正式な文章へ整える。
「学校のどこかに住んでいる謎の生き物。外見は乳白色で、ヨーグルトを好む。
人前へ積極的に出ることは少ない」
「それでいいわ」
堀北が入力した。
次の項目。
「夢は?」
再び指が止まる。
「決まっていない」
長谷部が答えた。
「正式プロフィールへ、そのまま書くの?」
「うん」
「夢を探している、ではなく?」
「探しているかどうかも分からないから」
佐倉が言った。
「目標がないことを、否定しないキャラクターだよね」
「夢は、まだ決まっていない」
オレが答えると、教室内の全員がこちらを見た。
「何だ」
「きよぽんの案?」
長谷部が尋ねる。
「お前たちがプレゼンで説明していたことだ」
「でも、きよぽんが選んだ」
「設定として最も正確だ」
堀北が入力する。
『夢:まだ決まっていない』
次は、好きなもの。
『適切な温度と時間で発酵したヨーグルト』
堀北が入力しながら、少し呆れたように言う。
「長いわね」
「正確だ」
「本人監修」
長谷部が言う。
「訂正しなくていい」
他には。
静かな場所。
友達と作る大きな丸。
苦手なもの。
人混み。
急かされること。
一人で大きな丸を作ること。
続いて、口癖の欄。
『違う。きよぽんが勝手に』
「これは本当に載せるのか」
オレが尋ねる。
「一番有名な設定でしょう」
堀北が平然と答えた。
代表を争っていたはずの堀北まで、完全に受け入れている。
キャラクターの役割には、
『頑張れない時や一人でいたい時に、何も言わず近くにいる』
と入力された。
友達キャラクター。
『ほりぽん』
関係性。
『互いに苦手なことを補い合う親友』
長谷部は少し笑った。
堀北も否定しない。
「登録します」
午後四時五十六分。
全員が端末の画面を見る。
代表キャラクター。
きよぽん。
登録内容に誤りがないか、最後の確認を行う。
「異論は?」
堀北が尋ねた。
誰も答えない。
「送信するわ」
堀北が登録ボタンへ触れた。
数秒後。
画面へ完了通知が表示される。
『堀北クラス正式代表:きよぽん』
決定した。
学園の試験専用ページも更新される。
それまで仮候補として並んでいたほりぽんときよぽんの表示が変わった。
正式代表。
きよぽん。
友達キャラクター。
ほりぽん。
同じように、ぶっくまるの隣には、代表候補だったりゅうまるが友達として描かれている。
選ばれなかった候補も、最初の友達として残ることになったらしい。
その直後、全校生徒へ通知が送信された。
『全クラスの代表キャラクターが決定しました』
ほなわん。
ありすぽーん。
ぶっくまる。
きよぽん。
四体の画像が並んでいる。
きよぽんの隣には、小さくほりぽんも描かれていた。
教室内では、長谷部の端末へ早くも他クラスから反応が届き始めている。
一之瀬。
『きよぽん、おめでとう!ほなわんから正式代表用のお友達カードを渡すね!』
ひより。
『おめでとうございます。ぶっくまると一緒に、ヨーグルト作りの本を探しておきます』
龍園。
『ヨーグルト野郎が勝ったか』
そのメッセージの下には、きよぽんのステッカーを貼った端末ケースの写真が添えられていた。
伊吹。
『龍園、まだ貼ってる』
龍園。
『敵情視察だ』
坂柳。
『非常に興味深い結果です。学園祭を楽しみにしています』
森下。
『きよぽん公式化、おめでとうございます。研究予算の増額を申請します』
「何の研究だ」
オレは呟いた。
白石。
『おめでとうございます。ありすぽーんとも仲良くしてくださいね』
山村。
『お、おめでとうございます……。静かな休憩所は、少し利用してみたいです……』
他クラスの生徒たちにも、きよぽんの役割が伝わり始めている。
長谷部は端末を下ろし、オレを見る。
「きよぽん」
「ああ」
「代表になったよ」
「ああ」
「きよぽんとして一言」
「言わない」
「一言だけ!」
「何を言わせたいんだ」
「何でもいいよ」
教室内の全員が、こちらを見ている。
きよぽんへ入った十八票。
その中には、オレ自身の一票も含まれていた。
誰かが勝手に選んだわけではない。
オレも、自分たちの代表としてきよぽんを選んだ。
「違う」
オレは言った。
長谷部が笑う。
「きよぽんが勝手に?」
「クラス全員で選んだ」
教室が静かになった。
「だから、きよぽんが勝手に代表になったわけじゃない」
長谷部は少し驚いた顔をした。
堀北も。
三宅も。
幸村も。
佐倉も。
全員がこちらを見る。
「オレたちが選んだ」
それ以上の説明は必要ない。
長谷部は、しばらくオレを見た後、ゆっくり頷いた。
「うん」
そして黒板の右側へ移動すると、きよぽんの名前の上へ大きく文字を書いた。
『正式代表』
左側のほりぽんの上には、
『最初の友達』
と書く。
須藤が不満そうに言った。
「二番手みたいで嫌だな」
「なら、親友にする?」
佐藤が提案した。
「それでいい」
堀北は黒板の文字を修正する。
『きよぽんの親友』
長谷部も反対しない。
きよぽん。
正式代表。
ほりぽん。
親友。
白いフクロウと、ヨーグルトを頭へ載せた謎の生き物。
二体の役割は、正式に決まった。
◯
第一回ゆるキャラ選手権へ参加する、全クラスの代表が出揃った。
一之瀬クラスからは、誰とでも友達になれる犬のほなわん。
坂柳クラスからは、何度転んでも一歩ずつ前へ進む、小さなチェスの駒であるありすぽーん。
龍園クラスからは、本を通じて人と人を繋ぐ、穏やかな熊のぶっくまる。
そして堀北クラスからは、夢がまだ決まっていない、頑張れない人を急かさず、
何も言わずに少し離れた場所へ座る、ヨーグルトを愛する謎の生き物であるきよぽん。
代表は決まった。
しかし、特別試験はまだ序盤に過ぎない。
ここから着ぐるみを完成させ、三種類以上のグッズを制作する。
宣伝活動。
動画制作。
交流会。
ステージ演技。
学園祭。
一般投票。
専門審査。
他クラスとの競争は、これから本格的に始まる。
そして、最も大きな問題も残っていた。
きよぽんの主担当。
綾小路清隆。
交代担当。
三宅明人。
オレは、正式登録された役割表を見た。
投票前と比べて、逃げられる可能性は明らかに減っている。
長谷部が、すでに次の予定を考えていた。
「明日から歩き方の練習ね」
「もう必要ないだろ」
「代表になったから、もっと必要だよ」
「今日の歩き方で問題はなかった」
「ほなわんたちと交流する時の動きも考えないと」
「普通に手を振ればいい」
「ありすぽーんが転んだ時は、どうする?」
「補助員を呼ぶ」
「きよぽんが助けて」
「短い腕では、ありすぽーんを起こせない」
「なら、隣に座る」
「ありすぽーんは起き上がるまで四十七秒かかる」
「一緒に待つ」
「それならできるね」
答えた後、長谷部が笑った。
「もう完全にきよぽんだね」
「違う」
「きよぽんが勝手に?」
「それは、もういい」
「飽きたの?」
「違う」
オレは黒板を見る。
正式代表。
きよぽん。
「今度からは」
少しだけ考える。
これまで、長谷部たちが勝手に名前を付け、勝手に設定を作り、勝手にオレを巻き込んだ。
しかし今回は、オレ自身も投票した。
クラス全員で選び、正式代表として登録した。
「オレたちが勝手に、だ」
長谷部は数秒間、何も言わなかった。
その後、大きく笑う。
「それ、二つ目の決め台詞にしよう!」
「するな」
教室中へ笑いが広がった。
こうして、高度育成高等学校史上、恐らく最も意味不明で、最も眠そうで、
そして最もヨーグルトの温度管理に厳しい公式キャラクターが、正式に誕生した。
その名は、きよぽん。
ただし、そのモデルとなった本人は、
今なお自分がゆるキャラであることを一度も認めていなかった。