反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む 作:evejanjan
二学期の終業式を二日後に控えた昼休み。
軽井沢恵は、机の上へ伏せた端末を三度裏返した。
新しい通知はない。
画面に並んでいるのは、クラスのグループチャットと、女子同士の短いやり取りだけだった。
「恵、さっきから何見てるの?」
隣の席から佐藤麻耶が覗き込む。
「別に。冬休みの予定」
「それ、朝も見てなかった?」
「予定が多いの。人気者だから」
「自分で言うんだ」
佐藤が笑う。
軽井沢も同じように笑い返した。
口元だけなら、普段と変わらない。
端末を伏せる。
教室の前では、平田が掲示板へ新しい記録用紙を足していた。
誰かに呼び止められた場合。
人の少ない場所へ誘われた場合。
同じ質問を別の相手から受けた場合。
短くてもいいから残す。
昨日までなかった注意書きが、一日ごとに増えている。
最初は池だった。
その次が高円寺。
須藤や佐藤も、帰宅時に誰と行動するかを聞かれたらしい。
質問そのものに、決定的な意味はない。
誰と仲がいいのか。
困った時に誰へ頼るのか。
誰が迎えに来るのか。
そんなことばかりだった。
けれど、軽井沢には分かっていた。
龍園は答えを探している。
船上試験のあとから、何度も思い出さないようにしてきた名前。
姿を見せずに、真鍋たちを止めた相手。
自分の弱点を知り、守る代わりに使うと告げた相手。
綾小路清隆。
教室の後方を見る。
綾小路は席に座り、隣の男子と短く話していた。
こちらを見ていない。
目が合う気配もない。
それはいつものことだった。
教室で関係を見せない。
必要がある時だけ、端末へ指示が届く。
軽井沢も、彼の名前を不用意に口にしない。
そういう約束だった。
だが、今日は何も届いていない。
昨日も。
その前の日も。
「恵?」
「何?」
「聞いてた?」
佐藤が頬を膨らませている。
「明後日の終業式が終わったら、昇降口で集合って話。みーちゃんたちも来るって」
「ああ、うん。行く行く」
「平田君も?」
「たぶん。冬休みの予定を確認するって言ってたし」
「じゃあ決まりね」
軽井沢は端末を持ち上げた。
通知は増えていない。
代わりに、開いていた画面を閉じる直前、教室の外に立つ女子生徒が見えた。
Cクラスの制服。
扉の横から中を覗き、軽井沢と目が合う前に歩き去った。
偶然かもしれない。
別の生徒を見ていたのかもしれない。
けれど、その日の朝にも、同じ制服の男子が寮の入口近くにいた。
昨日は廊下で、名前を知らない女子が平田の行き先を聞いてきた。
その前には、真鍋と目が合った。
真鍋はすぐに視線を逸らした。
以前なら、遠くからでも嫌味の一つは向けてきた。
今は近づかない。
それでも、何かを待つようにこちらを見ている。
あの映像を送った相手を恐れているのか。
龍園へ話したことを恐れているのか。
どちらなのかは分からなかった。
分かるのは、止まっていたはずのことが再び動いているということだけだった。
◇
放課後。
軽井沢は寮へ戻らず、校舎の階段を一つ上った。
普段は使わない階の踊り場。
部活動へ向かう生徒の声が遠く、近くに人はいない。
安全手順には反している。
それでも、教室や寮の共有スペースから連絡する気にはなれなかった。
端末を取り出す。
何度か指を止めたあと、登録してある番号を呼び出した。
一度。
二度。
三度目の呼び出し音が鳴る前に、接続される。
『どうした』
低く、変化の少ない声だった。
軽井沢は息を吐いた。
声を聞いただけで、身体に入っていた力が少し抜ける。
「今、話せる?」
『ああ』
「龍園が、Dクラスのことを調べてる」
『知っている』
迷いのない返事だった。
軽井沢は踊り場の壁へ背を預ける。
「だったら、分かるでしょ。真鍋たちにも何か聞いてる。今日もCクラスの奴が教室を見てた」
『それで?』
「それで、って……」
声が大きくなりかけ、抑える。
「私のところまで来るかもしれない」
『可能性はある』
「可能性って、他人事みたいに言わないでよ」
返事はすぐには来なかった。
通信が切れたわけではない。
向こうの微かな呼吸だけが聞こえる。
「前に言ったよね」
『何をだ』
「守るって」
船の中で、逃げ場を失った時。
綾小路は、自分を守る代わりに協力しろと告げた。
優しい言葉ではなかった。
選べる道も多くなかった。
それでも、守られる場所があるという事実だけは残った。
軽井沢はそれを利用した。
平田の隣に立ち続けるために。
過去を隠し続けるために。
孤立しないために。
『状況が変わった』
「何が変わったの?」
『君に頼むことは、もうない』
意味を理解するまで、一拍かかった。
「……え?」
『これまでの協力関係は終わりだ』
軽井沢は端末を耳へ押しつけた。
聞き間違いだと思いたかった。
「ちょっと待って」
『待つ理由はない』
「龍園が動いてるのに?」
『龍園の行動と、俺たちの関係は別だ』
「別じゃないでしょ!」
踊り場へ声が響いた。
軽井沢は階段の下を見る。
誰かが上がってくる気配はない。
それでも声を落とした。
「あいつが探してるのは、たぶんあんたよ」
『証拠はあるのか』
「ないけど……真鍋たちを止めたのは、あんたでしょ」
『それを龍園へ話したのか』
「話してない!」
即座に否定した。
「誰にも言ってない。平田君にも、堀北さんにも。あんたが言うなって言ったから」
『そうか』
返ってきたのは、それだけだった。
「何、その返事」
『確認しただけだ』
「確認って……」
胸の内側へ、冷たいものが広がる。
自分が何を求めて電話したのか、ようやく分かった。
指示が欲しかった。
次にどう動けばいいのか。
誰かに呼び出されたら断れと言ってほしかった。
何かあれば連絡しろと。
以前と同じように、最後には守ると。
そのどれも返ってこない。
「私、もう使えないってこと?」
『今の君に頼むことはない』
「同じじゃん」
『そう受け取っても構わない』
軽井沢は唇を噛んだ。
怒鳴り返したかった。
最初から利用するつもりだったくせに、と。
人の弱みを握って、逃げ道を塞いだくせに、と。
けれど、その言葉を口にすれば、自分が何を信じていたのかまで認めることになる。
「じゃあ、私がどうなっても関係ないんだ」
沈黙。
ほんの数秒だった。
軽井沢には長く感じられた。
『今後、俺から指示を出すことはない』
質問への答えではなかった。
だからこそ、答えに聞こえた。
「……分かった」
『他に用件はあるか』
「ない」
軽井沢は通話を切った。
画面が暗くなる。
自分の顔が薄く映った。
いつもの髪。
いつもの化粧。
教室では、誰もが知っている軽井沢恵の顔。
その下にあるものを知った相手は、もう守らないと言った。
壁から背を離す。
足に力が入りにくい。
それでも、ここに長く残れば安全手順に反する。
端末を鞄へ入れ、階段を下りた。
誰にも見つからないうちに教室へ戻る。
それまでと同じ顔を作る。
それくらいは、一人でもできるはずだった。
◇
綾小路は通話の終わった端末を机へ置いた。
寮の自室。
画面には、軽井沢との通話時間だけが残っている。
龍園の捜索は、候補者本人から周囲の人間関係へ移っている。
高円寺への接触。
複数のDクラス生徒への質問。
軽井沢の周辺で変化した真鍋たちの行動。
そこまで辿れば、軽井沢が調査対象に入る可能性は高い。
軽井沢へ新しい指示を出せば、その指示に従った行動が残る。
保護を保証すれば、その保証を求める反応が出る。
どちらも龍園へ線を見せることになる。
何も与えなければ、別のものが見える。
守られる保証を失った状態で、軽井沢が何を選ぶのか。
過去を守るのか。
現在の立場を守るのか。
自分との関係を売るのか。
軽井沢は、これまで指示へ従ってきた。
だが、それは保護という対価がある間の行動だった。
対価がなくなったと感じたあとも秘密を守るかは、まだ確認できていない。
綾小路は端末へ手を伸ばさない。
追加の説明もしない。
安心させる言葉も送らない。
龍園が軽井沢へ接触するとは限らない。
別の線を選ぶ可能性もある。
軽井沢が自分から平田や堀北へ相談し、一般の安全手順へ入る可能性も残っている。
何を選んでも、その行動は判断材料になる。
廊下から、隣室の扉が閉まる音がした。
綾小路は机の上の教科書を開く。
通話前と同じページ。
文字へ視線を戻しても、内容を読み直す必要はなかった。
◇
翌朝。
軽井沢は教室へ入る前に、端末を確認した。
通知はない。
靴を履き替えたあとにも確認する。
廊下の角を曲がる前にも。
教室へ入ると、佐藤が手を振った。
「おはよ、恵」
「おはよ」
「顔、ちょっと疲れてない?」
「昨日、寝るの遅かっただけ」
「また動画見てたんでしょ」
「まあね」
席へ鞄を置く。
綾小路はすでに来ていた。
視線は本へ向いている。
軽井沢が入ってきても顔を上げない。
昨日の通話などなかったように見える。
そうするように決めたのは自分たちだった。
教室では関係を見せない。
だが、見せないことと、なくなることは違う。
昨日までは、そう思っていた。
今は何も分からない。
「軽井沢さん」
平田が近くへ来た。
「昨日、何かあった?」
軽井沢の肩が僅かに動く。
「何で?」
「放課後、教室へ戻ってきた時、少し顔色が悪かったから」
「気のせい。階段上ったから疲れただけ」
「一人で?」
「電話してただけだよ」
誰と、とは聞かれなかった。
平田は一度だけ軽井沢の表情を見て、頷く。
「明日の終業式のあと、昇降口で待ってる。来られなくなったら連絡して」
「分かってるって」
「うん。それならいいんだ」
平田は離れていく。
問い詰めない。
それが助かる時もある。
今は、少しだけ困った。
何も聞かれなければ、何も話さずに済む。
その代わり、自分から助けを求めなければ、誰も本当の理由には近づかない。
端末が震えた。
軽井沢は反射的に画面を見る。
佐藤から送られた、明日の集合時間の確認だった。
息を吐く。
「何か待っているのか」
横から声がした。
ルルーシュが、軽井沢の机から少し離れた場所に立っている。
黒い瞳が端末へ一度向き、すぐに軽井沢へ戻った。
「別に」
「そうか」
それだけ言って、離れようとする。
軽井沢は思わず呼び止めた。
「ちょっと待って」
ルルーシュが足を止める。
「何?」
「それだけ?」
「お前が別にと言った。なら、こちらから端末の中身まで確認する理由はない」
「最近、何でも記録しろって言ってるじゃん」
「あれはCクラス側の接触を把握するための手順だ。私的な連絡を全て提出させる仕組みではない」
軽井沢は端末を握る。
「もし、Cクラスからだったら?」
「内容は話せるか」
「まだ来てない。もしもの話」
「なら、来た時点で平田か堀北へ伝えろ。相手、時刻、場所、要求された内容だけでいい」
「言いたくない内容だったら?」
ルルーシュはすぐには答えなかった。
軽井沢の顔を見る。
何を隠しているのかを探るような視線ではない。
どこまでなら答えられるかを測っている。
「秘密そのものを話す必要はない」
「でも、理由を言わなきゃ動けないでしょ」
「理由を話さなくても、呼び出しを拒否することはできる。危険があるとだけ伝えれば、人のいる場所へ移すことも、誰かを同行させることもできる」
「それで相手が諦める?」
「諦めるとは限らない」
はっきりした返事だった。
「だが、一人で相手の指定へ入るよりはましだ」
軽井沢はルルーシュを見る。
「あんたなら、誰が何を隠してるか、全部分かるんじゃないの?」
「分かるなら、今のような記録は必要ない」
ルルーシュの声に苛立ちはなかった。
「私は、お前が何を待っているのか知らない。龍園が誰を使い、何を送るかも確定していない。知らないものを知っているふりはしない」
「……そう」
「ただし、様子が変わったことには気づく」
軽井沢の指が止まる。
「端末を確認する回数が増えた。昨日、教室へ戻った時刻も普段より遅い。Cクラスの生徒がお前を見ていたという報告も一件ある」
「監視してるの?」
「全員の動きを記録しているわけではない。別々の報告を並べただけだ」
「じゃあ、私が狙われてるって思ってる?」
「可能性はある」
綾小路と同じ言葉。
響きは違った。
綾小路の言葉は、距離を切るために聞こえた。
ルルーシュの言葉は、確定していないものを確定させないために聞こえる。
「過去を話せとは言わない」
ルルーシュは続けた。
「だが、呼び出しが来た事実まで隠せば、こちらは動けない」
「動いてほしくないって言ったら?」
「お前一人の問題で終わるなら、拒否する選択はある」
「終わらなかったら?」
「他の生徒へ被害が及ぶなら、その部分までお前一人の秘密にはできない」
軽井沢は返事をしなかった。
龍園が自分の過去をクラスへ広めれば、自分だけの問題では終わらない。
平田の立場。
女子の関係。
クラス内で築いた位置。
全部が崩れる。
その被害を防ぐために相談すれば、隠してきたことへ誰かが近づく。
どちらも選びたくなかった。
「ルルーシュ」
スザクが教室の前から呼ぶ。
平田と掲示物を確認していたらしい。
ルルーシュは軽井沢から離れ、そちらへ向かおうとする。
途中で、スザクが軽井沢の机へ視線を向けた。
「軽井沢、何かあったのか?」
「何もないって」
「そう」
スザクは一度頷く。
それから、少し言葉を選ぶ間を置いた。
「一人で来るように言われても、応じないで」
「だから、何も来てない」
「今はね」
責める口調ではなかった。
「言いたくないことがあっても、誰かと一緒に行くことはできる。相手に話す内容を決めるのは、そのあとでいい」
「誰かって、あんた?」
「僕じゃなくてもいい。平田でも、堀北でも、佐藤でもいい」
「佐藤を巻き込めって?」
「危険な場所へ連れていくって意味じゃない。呼び出されたことを誰かが知っているだけでも違う」
軽井沢は顔を背けた。
「余計なお世話」
「うん」
スザクは否定しなかった。
「でも、何も知らないまま一人でいなくなるよりはいい」
その言葉だけを残し、ルルーシュと平田の方へ戻る。
軽井沢は二人の背中を見た。
どちらも、理由を話せとは言わなかった。
守るとも言わなかった。
選択を残したまま、危険だけを避けろと言った。
それが正しいことは分かる。
正しいからこそ、自分には使えなかった。
誰かへ知らせれば、龍園に見られる。
綾小路との関係が残っているなら、その線を辿られるかもしれない。
もう終わった関係なら、話す意味もない。
軽井沢は端末を伏せた。
それから、一時間もしないうちにまた持ち上げた。
◇
Cクラスの教室。
龍園は石崎から受け取った報告を端末へ移していた。
軽井沢が教室へ入る前に何度も端末を確認していた。
Cクラスの女子が廊下から見た時、すぐにこちらへ気づいた。
平田が近づいた。
その後、ルルーシュとスザクも言葉を交わした。
会話の内容までは分からない。
だが、軽井沢を見れば周囲が動く。
平田。
ルルーシュ。
スザク。
表で確認できた線だけでも三本ある。
「これで決まりか?」
石崎が聞く。
「何がだ」
「軽井沢がXを知ってるってことだよ」
「まだ決まってねえ」
「でも、あいつの周りだけ反応が多いんだろ?」
「平田が動くのは当然だ。あいつは誰にでも同じことをする」
「枢木もだろ」
「そう見えるな」
「ランペルージは?」
龍園は端末の画面を送る。
ルルーシュが軽井沢へ近づいた時間。
離れた時間。
そのあとスザクが話した時間。
詳しい内容はない。
「軽井沢を見て動いたのか、Cクラスの接触全体へ反応したのかは分からねえ」
「じゃあ、また見るだけかよ」
「見るだけで答えが出るなら、とっくに終わってる」
龍園は別の記録を開いた。
真鍋の証言。
軽井沢へ向けた感情のきっかけに、中学時代の知人が関わっていたこと。
軽井沢が過去を知られることを嫌がっているという、真鍋の見立て。
匿名の映像が届いたあと、真鍋たちの接触が止まったこと。
どこまでが事実で、どこからが真鍋の悪意や推測なのかは分からない。
龍園も、軽井沢が隠している過去の中身までは掴んでいない。
だが、本人へそう思わせるには十分だった。
「軽井沢を呼ぶ」
龍園が言う。
石崎が笑った。
「ようやくか」
「お前らはまだ動くな」
「何でだよ」
「呼んですぐ周りが動けば、それだけで終わる。誰へ伝えるかを見る」
「一人で来なかったら?」
「その時は、連れてくる方法を変える」
龍園は新しいメッセージを作る。
送り先は軽井沢恵。
匿名にはしない。
名前を隠す必要はなかった。
誰から届いたのか分からなければ、相談する相手を選ぶ反応が混じる。
龍園からだと分かれば、恐怖へどう反応するかだけを見られる。
「本当にXが出てくると思うか?」
「出てこなくても構わねえ」
龍園は文字を打つ。
「軽井沢が何も知らねえなら、線が一本消える」
「知ってたら?」
「どこまで切れば、隠れてる奴が痛がるか分かる」
石崎の笑みが薄くなる。
龍園は送信ボタンへ触れなかった。
今送れば、終業式までまだ時間がある。
相談し、逃げ道を作る時間を与える。
必要なのは、考える時間を完全に奪うことではない。
誰へ伝えるかを選べる程度の時間。
同時に、学校側の通常手順へ持ち込む余裕は減らす。
龍園は作成した文面を保存した。
「今日の放課後に送る」
「終業式の前日か」
「ああ」
二学期を平穏に終えられると思い始めたところで、選ばせる。
守られていると思うなら、その相手を呼ぶ。
守られていないなら、一人で来る。
どちらでも線は動く。
◇
その日の授業が終わった。
明日は終業式だけで、通常の授業はない。
教室では冬休みの予定を話す声が増えていた。
「じゃあ明日、終わったら昇降口ね」
佐藤が鞄を持ち上げる。
「遅れたら置いてくから」
「私が遅れるわけないじゃん」
軽井沢は笑う。
「恵、今日も寮に戻る?」
平田が聞く。
「戻るけど」
「途中まで一緒に行こうか」
「何で?」
「最近、Cクラスの生徒が廊下に多いから」
「大丈夫だって。人もいるし」
「でも――」
「平田君」
軽井沢は声を少し強くした。
近くにいた生徒がこちらを見る前に、笑顔を作る。
「本当に大丈夫。明日の集合にはちゃんと行くから」
平田は何か言いかけた。
それでも、無理に同行するとは言わなかった。
「分かった。着いたら一度連絡して」
「はいはい」
教室を出る。
廊下にはまだ多くの生徒がいる。
階段も、昇降口も、人目が途切れない。
安全手順どおりだった。
靴を履き替え、校舎を出る。
冷たい風が吹く。
軽井沢は上着の襟を押さえた。
端末が震えた。
歩きながら画面を見る。
送信者の名前を確認した瞬間、足が止まった。
龍園翔。
短い文面が表示されている。
『明日の終業式が終わったら、特別棟へ一人で来い』
その下に、もう一通。
『誰かに話した場合も、来なかった場合も、お前が中学で何を隠してきたか、Dクラス全員にばらす』
風が制服の裾を揺らす。
周囲では、生徒たちが寮や部活動の施設へ向かっている。
誰も軽井沢を見ていない。
画面を閉じようとして、指が動かなかった。
平田へ伝える。
堀北へ伝える。
ルルーシュへ伝える。
スザクへ伝える。
選べる名前はいくつもある。
そのどれを選んでも、過去へ近づかれる。
最後に、別の名前が浮かぶ。
綾小路。
昨日までなら、最初に選んでいた名前。
軽井沢は通話履歴を開いた。
一番上に、昨日の記録が残っている。
今後、俺から指示を出すことはない。
指が発信ボタンの上で止まる。
守るという言葉は、もう残っていない。
軽井沢は画面を閉じた。