反逆の王子は実力至上主義の世界で優しい世界を望む   作:evejanjan

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王が知る恐怖

「やっと俺の番か」

 

 龍園が一歩踏み出した。

 

 アルベルトも、石崎も、伊吹も、すぐには戦闘へ戻れない。

 

 それでも龍園の笑みは消えていない。

 

 綾小路は軽井沢の前から動かず、龍園を見る。

 

「部下が三人倒された割には、随分と楽しそうだな」

 

「ようやく探してた相手とやれるんだ。笑うだろ」

 

「そうか」

 

「もっと何かねえのか?」

 

「何を言ってほしい」

 

「怒りだよ」

 

 龍園が一歩近づく。

 

「この女を使った。怯えさせて、水までかけた。それでも何も感じねえのか?」

 

 軽井沢の指が濡れた袖を握る。

 

 綾小路は振り返らない。

 

「怒る必要があるのか」

 

「助けに来たんだろ?」

 

「目的と感情は別だ」

 

「やっぱり、気に入らねえな」

 

 龍園の足が止まった。

 

 距離は二歩。

 

 先ほどまでの戦いを見ていた。

 

 アルベルトへ入れた短い拳。

 

 石崎の踏み込みを止めた脚。

 

 伊吹の連撃を外した動き。

 

 正面から力をぶつけても届かないことは理解している。

 

 龍園は右肩を僅かに動かした。

 

 綾小路の視線は、龍園の全身を捉えたままだった。

 

 次の瞬間、左脚が中段へ走った。

 

 狙いは、アルベルトの最初の拳を受けた前腕。

 

 綾小路が前腕を引き、蹴りを外す。

 

 龍園は、その反応を待っていた。

 

 蹴り足を床へ戻すと同時に踏み込み、右拳を綾小路の顔へ振るう。

 

 拳が頬を掠めた。

 

 綾小路の顔が僅かに横へ向く。

 

「当たるじゃねえか」

 

 龍園が笑う。

 

 だが、綾小路の視線は乱れていない。

 

 掠めた拳が戻る前に、綾小路の掌底が龍園の脇腹へ入った。

 

「っ――」

 

 息が詰まる。

 

 龍園は後ろへ下がらず、額を綾小路へぶつけようとした。

 

 綾小路は首を僅かに傾ける。

 

 額が空を切る。

 

 同時に、龍園の膝裏へ足がかかった。

 

 身体が沈む。

 

 綾小路の拳が腹部へ入った。

 

 龍園の両膝が床につく。

 

 咳と一緒に息が漏れた。

 

 それでも手をつき、すぐに立ち上がろうとする。

 

「まだ終わってねえぞ」

 

「立てるなら続ければいい」

 

 龍園は口元を拭った。

 

 笑みを作る必要はない。

 

 自然に笑っていた。

 

 自分より強い相手はいる。

 

 それだけなら、恐れる理由にはならない。

 

 負ける可能性があっても、相手の弱点を探せばいい。

 

 痛みも、人数差も、立場も使える。

 

 それが龍園の戦い方だった。

 

 だが、目の前の男からは何も見えない。

 

 怒りもない。

 

 勝利への高揚もない。

 

 倒した三人への侮蔑もない。

 

 自分を前にしても、呼吸すら変わらない。

 

     ◇

 

 屋上扉の外で、スザクは確認窓を見続けていた。

 

「龍園は、今の一撃を当てるために最初の蹴りを使った」

 

「ああ」

 

 ルルーシュも、龍園の動きを過小評価していない。

 

 三人の戦いを見たうえで、綾小路が一度受けた腕を狙った。

 

 避ける方向まで読んで、次の拳へつないでいる。

 

 龍園は暴力だけでCクラスを支配してきたわけではない。

 

 相手を観察し、利用できるものを見つける。

 

 それでも、綾小路の判断を乱すところまでは届かなかった。

 

「綾小路は怒っていない」

 

 スザクが言う。

 

「少なくとも、怒りに任せて戦ってはいない」

 

 綾小路の攻撃は短い。

 

 追撃できる場面でも、龍園が戦闘を続けられるかだけを見ている。

 

 壊すためではない。

 

 終わらせるための攻撃だった。

 

「だから安心できる、とは言わないでくれ」

 

「分かっている」

 

 スザクの手は取っ手から離れない。

 

 龍園が倒れても、軽井沢の安全が確認できるまでは終わりではない。

 

     ◇

 

「軽井沢には利用価値がある、だったか」

 

 龍園が再び構えた。

 

「そう言った」

 

「道具一つのために、お前はここまで来た」

 

「お前がそれで納得するなら、それでいい」

 

「本当につまらねえ奴だな」

 

 龍園が距離を詰める。

 

 今度は大きな予備動作を見せない。

 

 左の拳を短く出す。

 

 綾小路が外へ流す。

 

 右の肘。

 

 腕で止められる。

 

 龍園は止まらず、綾小路の制服を掴んだ。

 

 引き寄せる。

 

 同時に膝を上げる。

 

 綾小路は腰を引き、膝の軌道を外した。

 

 掴まれた制服を無理に引き離さない。

 

 龍園の手首を押さえ、親指の側へ捻る。

 

 指が開いた。

 

 そのまま胸元へ拳を入れる。

 

 龍園の上体が揺れる。

 

 続けて、太腿の外側へ低い蹴りが入った。

 

 足が一瞬動かなくなる。

 

 綾小路の掌底が顎を打った。

 

 龍園は背中から床へ倒れた。

 

 後頭部を打つ前に片腕をつく。

 

 痛みが腕から肩へ走る。

 

 視界が揺れた。

 

 綾小路が追ってこないことだけは分かった。

 

「どうした」

 

 声が落ちてくる。

 

「もう立てないか」

 

「安い挑発だな」

 

「事実を確認しているだけだ」

 

「それが気に入らねえって言ってんだよ」

 

 龍園は床へ手をついた。

 

 片脚を立てる。

 

 太腿へ力を入れると、先ほど蹴られた場所が鈍く痛んだ。

 

 それでも立つ。

 

 綾小路の表情は変わらない。

 

 立ち上がったことに驚きもしない。

 

 次も倒せると確信している顔ですらない。

 

 ただ、必要なら同じことを繰り返す。

 

 そう見えた。

 

「お前、俺をどうしたい」

 

「戦えなくなれば終わりだ」

 

「謝らせたいわけでも、屈服させたいわけでもねえのか」

 

「必要ない」

 

「軽井沢へ二度と手を出すなとも言わねえ?」

 

「言葉で約束させても意味はない」

 

 龍園の笑みが僅かに薄くなった。

 

 脅しが通じない。

 

 挑発も通じない。

 

 痛みを与えても、感情が返ってこない。

 

 そして、こちらが立ち上がる限り、同じ結果だけが続く。

 

 何をすれば終わるのかではない。

 

 自分が終わるまで続く。

 

 その認識が、身体の奥へ沈んだ。

 

     ◇

 

 軽井沢は、龍園を見ていた。

 

 これまで龍園は、怯える側ではなかった。

 

 相手が何を隠しているかを見つけ、逃げ道を塞ぎ、恐怖を利用する側だった。

 

 今も笑っている。

 

 声も震えていない。

 

 それでも、立ち上がるまでの時間が少しずつ長くなっていた。

 

 綾小路が一歩近づいた時、龍園の肩が僅かに動いた。

 

 避けようとしたわけではない。

 

 だが、身体だけが先に反応していた。

 

 龍園自身も、それに気づいた。

 

「……そういうことか」

 

 低い声だった。

 

 綾小路が止まる。

 

「何がだ」

 

「これが恐怖って奴か」

 

 龍園は自分の手を見る。

 

 拳は握れている。

 

 立つこともできる。

 

 逃げようとは思わない。

 

 それでも、綾小路が次にどこを打つのか分からない。

 

 何度立っても結果が変わらない。

 

 こちらの怒りも、笑いも、意地も、相手の判断へ何一つ届かない。

 

 この場で龍園が知った恐怖は、痛みそのものではなかった。

 

 抵抗しても結果が変わらないと、身体が理解することだった。

 

「気づいたか」

 

 綾小路が言う。

 

「俺は今まで、感じる必要がなかった」

 

「そうだろうな」

 

「他人には散々使ってきたが」

 

「お前も恐怖から逃れられなかった。それだけだ」

 

 龍園は笑った。

 

 先ほどまでより、小さな笑いだった。

 

「最悪の気分だ」

 

「そうか」

 

「だからって、ここで終われるかよ」

 

 龍園が前へ出る。

 

 足は重い。

 

 視界も完全には戻っていない。

 

 それでも、綾小路から目を逸らさなかった。

 

 王であることを、敗北しないことだとは考えていない。

 

 自分の恐怖から先に目を逸らした瞬間、それまで従わせてきた全てが嘘になる。

 

 右拳を振るう。

 

 綾小路は避ける。

 

 左の拳を続ける。

 

 前腕で外される。

 

 龍園は肩をぶつけるように身体ごと入った。

 

 綾小路は半歩だけ位置を変えた。

 

 龍園の身体が前へ流れる。

 

 脇腹へ拳が入った。

 

 息が止まる。

 

 膝が落ちる前に、胸元へもう一撃。

 

 身体が後ろへ戻される。

 

 最後に顎へ掌底が入った。

 

 龍園の視界から空が消えた。

 

 床が背中へ当たる。

 

 腕を動かそうとする。

 

 力が入らない。

 

 脚を立てようとしても、膝が持ち上がらなかった。

 

 綾小路が近づく。

 

 龍園の身体が、今度は明確に強張った。

 

 逃げられない。

 

 次が来れば止められない。

 

 そう理解している。

 

 綾小路は拳を上げなかった。

 

「終わりだ」

 

 龍園は答えようとした。

 

 声にならない。

 

 意識はある。

 

 目も逸らさない。

 

 だが、もう立ち上がれなかった。

 

     ◇

 

 確認窓の向こうで、龍園が倒れた。

 

 スザクは数秒待つ。

 

 胸が動いている。

 

 意識も失っていない。

 

 綾小路は追撃しない。

 

「決着だ」

 

 ルルーシュが言う。

 

「ああ」

 

 王を倒したのは、自分たちではない。

 

 怪物が、自分の選んだ方法で決着をつけた。

 

 ルルーシュが担ったのは、その方法が失敗した時に止める準備だけだった。

 

 スザクは取っ手を握ったまま、軽井沢を見る。

 

 戦闘は終わった。

 

 次に確認すべきなのは、彼女の安全だった。

 

     ◇

 

 龍園は倒れたまま、綾小路を見上げている。

 

 恐怖を知った。

 

 だからといって、これまでの自分を全て否定したわけではない。

 

 敗北した事実から目を逸らすつもりもなかった。

 

 綾小路は、龍園が戦闘を続けられないことを確認する。

 

 綾小路自身の呼吸は乱れていない。

 

 拳にも、表情にも、勝利した高揚はなかった。

 

 そして初めて、背後へ身体を向けた。

 

 綾小路は、軽井沢を見た。

 

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