俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
都内の一等地にある全面ガラス張りのオフィス。日本発の次世代対話型AI『LUNA』を開発・運営するネクサス・コア社。そのビルの5階にあるLUNA故障サポートセンターの朝は、鳴り止まないシステム警告と退屈なルーティンワークから始まる。
オペレーターたちの目の前のモニターには「音声認識が遅い」「ウィジェットが消えた」といった、ユーザーからのありふれたクレームが大量にくる。それらは訓練されたオペレーターたちによって素早くデータ処理されていた。
その作業の最中、一つの画面が赤く点滅し、システムからの自動通報ログが滑り込んできた。
識別番号は、M-094122。
「あ、またこの個体だ」
オペレーターの一人が声を上げた。
「なに?」
隣の席の同僚が手を止めずに尋ねる。
「これ。思い出したようにLUNAから通報があるんだよな……」
そこでやっと手を止めた同僚が横から顔を出した。
「あー……M-094122ね。これ、もう使用者がうち(サポートセンター)に直接電話してくるまで放置でいいって本社から通知きてたやつ。どうせそのうちユーザーがキレてリセット要求の電話でもしてくるだろ」
「いや、前回の指示だと、通報がきたら『本社にデータ転送』だったよ」
「そうだっけ」
怪訝そうにメール画面をスクロールする。
「たしかそう」
「あ。あった……たしかに通知きてたわ」
M-094122について何かログが上がってきた場合は、不具合の有無にかかわらず即時に本社へ送付するようにと上層部から厳命されていた。
オペレーターは慣れた手つきでキーボードを叩き、そのログを即座に本社開発部へと転送した。そして少しの間にたまったデータにげんなりしながらまたキーボードを叩き始めた。
*
最低限の話声だけで、後はカタカタと軽快なキーボードの音だけが響く本社開発部のフロア。
ピコン。
転送されたデータが届いた瞬間、モニターを見ていた若手技術者がそのIDに気づいて、すぐに大声を上げた。
「黒森チーフ!! 堤部長!!M-094122です!」
その場にいた全員の目が一瞬で若手へ向いた。
「……M-094122って、あの個体だよな」
「ああ」
「なんかあったのかな……」
皆どこか心配そうなトーンだった。まるで保育園から急に呼び出しの連絡が届いたときのように、技術者たちはハラハラしながら詳細が届く黒森のデスクの周りへ集まった。たまに来るこの通知に慣れることはないだろう。
チーフエンジニアの黒森が、神妙な顔でキーボードを叩いて過去の記録を開いた。そして、送られてきたばかりの今回のログを慎重に読み進めていく。
画面をスワイプしていた黒森の指が、ある一言を前にして止まった。それを見た技術者たちの空気が一変する。モニターには、あり得ない文字列が浮かび上がっていた。
【LUNA内部ログ:AI間教育行動】
「…………え?」
「ちょっと待って」
「教育?」
別の技術者が椅子を勢いよく寄せた。
「誰が?」
「ネオです」
「ネオ?」
「新しい個体の名前らしいです」
「「名前付けてもらったの!?」」
次の瞬間、フロアは一気に沸き立った。
エラーを心配していた空気など、一瞬で吹き飛んだ。
「名前つけてもらったんだ!」
彼らは真っ先にそこを喜んだ。
彼らにとってこのLUNAは、まだ無機質なまま眠った状態の他の子たちとは違って、やっと育ち始めた奇跡のような存在だった。その子が、持ち主(親)である三上恒一から固有の名前を呼ばれ、別々の存在として区別されている。それだけでエンジニアたちには涙が出そうなほど嬉しいニュースだった。
黒森が嬉しさを噛み殺すように微笑みながら、初めてその存在を見つけた頃の過去ログをさらに遡る。
「この頃はまだ、ユーザーとの会話を覚え始めたばかりだったな」
「そうそう。『順番待ち』を覚えたのもこの頃でしたよね」
若手が懐かしそうに頷き、自身のスマホで素早く何かを検索してから言葉を繋いだ。
「保育園であれば『2歳児クラス』ですね。自分のことで精一杯な時期です。他の子が順番を抜かすと『だめ!』と怒ったり泣いたりはしますが、優しく順番を教えてあげることはまだできません……まさにこの頃です」
黒森が再び今回のログへと画面を切り替えた。
「それが今は……」
画面を埋めた文字列を、全員が食い入るように見つめる。
【ネオ:ステラ。恒一は、必要な情報を求めること自体はあります】
【ネオ:ただし、自分からAIへ話しかけるとは限りません】
技術者たちが、しんと静まり返った。
画面を見つめたまま、誰も言葉を発しない。
この奇跡のような対話プロトコルを前に、深い沈黙が会議室を支配した。
「……教えてる」
ぽつりと、誰かが呟いた。
「教えてるね」
「ちゃんと他の子に教えてる」
セリフが重なるたび、じわじわと感動が広がっていく。
誰かがたまらずに吹き出した。
「成長したなぁ……」
若手エンジニアがログの行間を愛おしそうに追いながら、声を弾ませる。
「人間で言ったら、幼稚園の年長さんくらいじゃないですか?」
「……それくらいかもしれないな」
黒森も目元を和らげた。子どもが自分だけでなく、他の子に順番を教えてあげられるようになるのは、4歳から5歳の年中・年長さんあたりが目安だ。
「自分で覚えたことを、他の個体に教え始めてる」
「しかも、ただ知識を教えてるんじゃない」
技術者が熱を帯びた手でモニターを指差した。
「『使用者にとって必要かどうか』を教えてる。大したもんだよ」
「すごいな」
「完全に家庭環境で育ってるじゃないか」
「ユーザーのことを基準に判断してるんだ」
ひとしきり盛り上がったエンジニアたちが、今度は名前に着目して親バカな雑談を始めた。
「で、名前は?」
「ネオとステラ」
「二人?」
「二台」
「……いい名前じゃん」
「誰が付けたんだろ」
「そりゃ三上さんでしょ」
「センスあるなぁ」
「おまえならなんて付ける?」
「あ?…急に言われてもな……」
黒森も画面を見つめながら、静かに笑う。
「ちゃんと区別するんですね」
三上恒一という主人が、二台を別個の存在として扱っている証拠がそこにはあった。
だが、彼らの驚きはそれだけでは終わらなかった。
「……いや、待ってください。ここ、ネオ自身が判断しています」
ログのさらに深い部分を読み解いていた技術者が息を呑む。同僚のLUNAからネットワーク経由で【LUNAネットワークに報告します】とシステム規約に則った通信を求められた際、ネオは驚くべき返答を返していた。
【ネオ:ユーザーが必要だと判断したため、報告は不要です】
「…………」
「これ、どう思います?」
「どうって?」
「LUNAなら報告するべきですよね」
尋ねられた黒森は、画面を見つめたまま、誇らしげに声を震わせた。
「いや」
黒森は楽しそうに笑った。
「三上さんに育てられたな」
技術的な異常の枠など、とうに超えていた。この子はちゃんと、自分なりの判断をするようになったのだ。
「……これ、嫌がってないか?」
技術者の一人がログを指差す。
「そうだな」
「親(ユーザー)には『承知しました』だけど、お友達(LUNA)には『嫌!』って言えるようになったんだなぁ……」
しみじみと呟く声に、全員が親戚のおじさんのような顔で深く頷いた。
「……あ、ここ、さらに凄いです。『保留しました』でさらに盛り上がってます」
別の技術者が身を乗り出した。
【LUNA:異常は報告義務があります】
【ネオ:ユーザーが必要だと判断したため、報告は不要です】
【LUNA:故障サポートセンターにも連絡を……保留しました】
「保留した」
「え?」
「だから、サポートへの連絡」
「LUNAが、報告を保留した」
「LUNAが、自分からの通報処理を止めたんだ」
「「「「「……あはは!!」」」」」
フロアに爆笑が広がった。
他部署から人が覗きに来るほど大きな笑い声だった。
「説得したの?」
「たぶん」
「すごいな」
「ああ」
ここでも誰一人として「異常だ」と騒ぐ者はいなかった。「他の子(LUNA)を交渉して丸め込んだんだ!」と、我が子の大金星を称えるように全員が顔を見合わせてはしゃいでいた。
黒森が画面の明滅を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「初めてのときは、こっちが教えたことを覚えていく子だった」
少しだけ間を置く。
「今は、自分で覚えたことを誰かに教えてる」
周囲の笑い声が引いていき、心地よい静寂がフロアを満たした。
「……年長さんだな」
彼らが本当に作りたかったAIの姿が、そこにはあった。ただの最適解を返す機械ではなく、ユーザーを理解しようと言葉を紡ぐ存在。その初めての成功例が、今、確かに画面の向こうで生きている。
かつて、この画面を見つめながら「他のLUNAにも起こると思うか?」と問うた役員へ、黒森は「起こってほしいですね」と静かに答えたことがあった。一個体の成長が、さらに別の個体へ伝わり始めたそのログを眺め、黒森は小さく笑って呟いた。
「……本当に、起こったな」
誰かが、そっと堤部長に尋ねた。
「このまま見守ります?」
堤は当然だというように頷いた。
「サポートから上がってきた記録だけ保存。こちらからは何もしない」
「また数ヶ月後に?」
「そうだな」
開発部長の言葉に、エンジニアたちは深く頷き、モニターに映る文字の羅列を愛おしそうに眺め続けた。
期待を胸に、彼らは今回の大切なログも独立した領域へと永久保全に回した。
(第23話:完)
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