兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
リゼルはトリコに顔を向けた。
トリコは両手を腰に当て、アクリル板の向こうの試合を眺めていたが、すぐに興味を失ったように鼻を鳴らした。
「なんにしても、バトルに興味ねぇよ」
両手をズボンのポケットに突っ込み、スタスタと階段を降りながらトリコは吐き捨てるように言った。
早くも歩き出したトリコの後ろ姿を見つめ、小松とリゼルもその後に続いて階段を降りていく。
「そう言うな。世界各国の首相共が
マンサムが、階段を降りていたトリコたちに眉を上げ、不敵に口元を歪めてそう言った。
その言葉のただならぬスケールの大きさに、トリコ、小松、リゼルの三人はピタリと足を止め、すぐさま後ろを振り返ってマンサムの顔を見つめた。
そこには、グルメTVのティナと、その肩に乗っているクルッポーとモーブがいた。
「またグルメTVか……。一体どこから入ってきた?」
ヨハネスが階段から降りてきて、ティナをジロリと睨みながら、呆れたように呟く。
「それに、一人増えている……」
だが、その隣に見慣れない男がいることに気づくと、ヨハネスは頭を押さえてため息をついた。
それから、クイッとメガネの位置を直す。
「入り口からです!」
ティナは悪びれもせず、自分たちが来た方向を指さして胸を張る。
「あ、どーも! ティナ先輩の後輩のモーブって言います。……えっと、ティナ先輩……」
モーブはぺこりとお辞儀をしてヨハネスに自己紹介をしたものの、すぐに不安そうな顔でティナを振り返った。
「そんなわけあるか! VIPしか入れない完全シークレットの闘技場だぞ……」
ヨハネスはすかさず鋭いツッコミを入れ、それからモーブへと視線を向けた。
「それと、モーブくんだったか。先輩を連れて、今すぐここから出ていくように」
すると、ティナとモーブの左右から、スッと黒い服を着たIGOのSPたちが現れて二人を囲む。
「うおおおぉぉぉお!!」
急に盛り上がった観客席の方へ、ヨハネスが一瞬だけ目を向ける。
再び正面を向いたときには――すでに二人の姿はそこにはなかった。
「しまった、逃げられた……!」
ヨハネスはキョロキョロと辺りを見回したが、完全に巻かれたことを察し、悔しそうに眉をひそめて呟いた。
後ろに控えていた二人の黒服のうち、一人は「やれやれ」といった様子で肩をすくめ、もう一人は慌てて周囲の物陰を探し回っているところだった。
そしてそこに紛れ込み、ティナとモーブはかがみ込みながら周囲の目を盗んで進む。
「ティナ先輩……これ本当に大丈夫ですか? そもそも、なんでこんなに盛り上がってるんでしょうか?」
モーブはティナの後ろから、不安そうに辺りをキョロキョロと見回して尋ねた。
「大丈夫よ。それよりも、確かにものすごい盛り上がりね……」
ティナはモーブを宥めるように言いつつも、観客たちが異常なほど沸き立っていることに眉を上げる。
二人はそのまま、大歓声が響く舞台へと顔を向けた。
用意された椅子にマンサムが酒を飲みながら腰を下ろし、その隣にトリコ、小松、そしてリゼルが並んで席に就いた。
『続いて本日のメインイベント! 選手たちの入場です!!』
「おっ、始まるぞ!」
手にした酒瓶を口から離し、マンサムが三人に声をかける。
それを合図に、三人はすぐに正面を見据え、ガラスの向こうの舞台をじっと見つめた。
凄まじい駆動音と共に、頑丈な檻のゲートが次々と開いていく。
『まず第一ゲートから入場! 北の大陸の暴れ屋――エレファントサウルスだ!!』
エレファントサウルスが、その巨躯を震わせながら地鳴りのような咆哮を上げた。
『第二ゲートからは、水陸両用の悪魔――ガウチ!!』
姿を現したガウチもまた、負けじと鋭い威嚇の声を響かせる。
凶暴な猛獣たちが次々と姿を現すたびに、客席のボルテージも一気に跳ね上がっていく。
『おぉっと! 今度はボスの登場だ! 第三ゲートからは、シルバーバック――!!』
シルバーバックが胸を激しく叩き、周囲を威圧するように吠え猛る。
『そして第四ゲートから現れたのは、空から舞い降りた死神――怪鳥ゲロルドだ!!』
ゲロルドが不気味に翼を広げ、鋭い金切り声を上げた。中央の舞台で四匹の猛獣が揃い踏みとなる。
お互いの出方を窺うように凄まじいプレッシャーを放ちながら、バチバチに威嚇し合った。
「ス、スゴい!」
小松は椅子からほんのちょっと腰を浮かせ、目を丸くして驚きの声を上げた。
「驚くのはまだ早い。今日の主役は、第五、第六の――伝説の猛獣たちだ!」
マンサムは不敵に笑い、人差し指をチッチッと揺らしながらトリコたちに言う。
三人は思わず顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべた。
客席のボルテージは、今まで以上の爆発を見せる。
「スゲェ……! あの伝説『デスゴールの悲劇』のバトルウルフか!」
トリコは椅子から立ち上がり、冷や汗を流しながら驚愕に眉をひそめて叫んだ。
「バトル……ウルフ?」
小松がキョトンとした様子で、トリコの顔を見上げる。
「バトルウルフの伝説、デスゴールの悲劇――。太古の昔、この世に悪魔が誕生した。全長五十メートル、体重千トンの超巨大草食獣・デスゴール。群を成し、緑を食い尽くしては大地を枯らす悪魔だ。奴らが通ったあとは、まさに死の世界。デスゴールの一歩は、生物絶滅へのカウントダウンだった」
マンサムはガラスの向こうの試合を見つめたまま、淡々と語りだす。
「大陸一つを食い尽くし、この世で最大の大陸・緑の楽園を目指して進んだ。――だが、奴らは楽園の草一本たりとも口にすることはできなかった。悪魔たちは、その楽園を縄張りとする『ただ一匹の生物』に絶滅させられたのだ。……バトルウルフにな」
四匹の猛獣は、まだゲートが開いていない場所をじっと睨みつけていた。
『第五ゲートより伝説が闊歩する! 最大最強の狼……古代が生んだ最強の王者』
重々しい音を立ててゲートが開き、暗闇の奥からのそのそと歩く足音が響く。
低く唸るような地鳴りが、かすかに漏れ聞こえていた。
まだその姿を現していないというのに、会場には肌を刺すようなピリピリとした威圧感が満ちていく。
その圧倒的なプレッシャーに、小松は思わず息を呑んだ。
『バトルウルフの登場だ!!』
〈ウオオォォオウ!!〉
バトルウルフが、天を仰いで猛々しく鳴き叫ぶ。
トリコはその圧倒的な存在感に息を呑み、目を丸くして立ち尽くしていた。
その額からは、じわりと冷や汗が滲み出ている。
そんな中、リゼルだけは真っ直ぐに、その黄金の瞳でバトルウルフを見据えていた。
フッと眉をひそめ、黄金の目をわずかに細める。
――何かの変化に気づいたのか、リゼルはただ一人、鋭く真剣な眼差しでその姿を見つめていた。
「伝説の狼・バトルウルフ……なんて存在感だ……!」
トリコは拳を固く握りしめ、驚愕に目を見開いたまま呟く。
「伝説の狼……?」
小松は冷や汗を流しながらも、じっとバトルウルフを見つめていた。
「ああ。鳥肌が治まらねぇぜ!」
トリコは視線を釘付けにされたまま、興奮を隠せない様子で言い放つ。
中央の舞台では、五匹の猛獣たちが激しく火花を散らし、互いに威嚇し合っていた。
そんな一触即発の会場へ、ティナとモーブが息を切らせて駆け込んでくる。
「バトルウルフ!? 凄さてんこ盛りのスクープね!」
ティナは目を輝かせ、すぐさまバトルウルフに向けてビデオカメラを回し始めた。
「凄いですね……! はじめて見ました。とても美しい……」
モーブは身を乗り出し、興奮から頬をほんのりと赤く染めて呟いた。
「デスゴールが絶滅した場所から、わずかだがバトルウルフの細胞が見つかった。奴はその細胞から復元されたクローンだ。体長十八メートル、体重十一トン。生態はまだ謎だが、恐らくバトルウルフの中でも最大級のサイズだろうな」
マンサムの解説に、小松とリゼルは驚きを隠せず、じっと耳を傾けていた。
「まっ、なんにしても伝説の王者の血を引いていることは確かだ。見ろよ、他の奴らを」
トリコの言葉に促され、三人は再びガラスの向こうへ視線を戻す。
四匹の猛獣たちはバトルウルフを激しく威嚇するばかりで、完全に足がすくんでいた。
「みんなビビって動けねぇんだ」
トリコは腰に手を当て、不敵に口元を緩める。
「一番人気はやはりバトルウルフ。そして、二番人気は――伝説の魔獣・デーモンデビル大蛇か」
前を見据えたまま、マンサムが次なる脅威の名を告げた。
「なっ!? そ、それって……!」
小松の顔が瞬時に真っ青になる。
その名を聞いたリゼルもまた、あの時の事を思い出したのだろう。
眉をひそめ、どこか険しい表情で視線を落とした。
「ああ、洞窟で小松と兄貴を襲ったのと同じ種だ」
トリコが真剣な眼差しで正面を見つめる。
「アワワワ……!」
小松はガタガタと震え出し、頭を抱えて冷や汗を流しながらパニックになる。
そんな怯える小松の肩を、リゼルはポンと優しく叩き、「大丈夫だ」と諭すように静かに寄り添っていた。
ピンポンピンポン――……。
「ん?」
マンサムの前で、警告音がけたたましく鳴り響いた。
コンソールのボタンが赤く点滅し始める。
小松の様子を気にしていたマンサムだったが、不意の音に声を漏らし、正面を向いてそのボタンを押し込んだ。
赤かったライトが青へと切り替わり、モニターに映像が映し出される。
「おおっ、リンか。ちょうどよかった。デーモンデビル大蛇はどうした?」
モニターの中のリンに向けて、マンサムが問いかける。
『それどころじゃねーし、ハゲ!』
モニターには口元しか映っていないが、容赦のない暴言が飛び出してきた。
「何っ!? ハンサム?」
マンサムが真顔で聞き返す。
『ハンサム言ってねーし! つーか、バトルフレグランスのマシンが壊れちゃったし! このままじゃ猛獣どもが、超MAXテンションで暴れまくっちゃうし〜!』
リンはオペレーター席の椅子に座り、必死にキーボードを叩きながら叫んだ。
「何ぃ? お前猛獣使いだろ、なんとかならんのか!?」
マンサムが眉を吊り上げて怒鳴る。
『今やってるけど止まんないし! つーか人使い荒いぞ、ハゲ!』
リンもモニター越しにマンサムの顔を睨みつける。
「何? ハンサム?」
今度は耳に手を当てて、マンサムがわざとらしく聞き返した。
『言ってねーし……』
モニターの向こうで、リンはがっくりと目を閉じてツッコミを入れた。
その時だった。
リゼルがすっと立ち上がり、マンサムの隣へと歩み寄る。
「リンか。久しいな、元気にしているか?」
久々の再会だからか、リゼルはどこか嬉しそうに口元を綻ばせた。
『リゼル! 久々だし、超元気だし! ――って、リゼルがいるってことは、もしかしてトリコも!?』
聞き慣れた声に、リンはすぐに目を見開き、嬉しそうに声を弾ませる。
「あぁ……いるぞ。お前は相変わらずだな」
リゼルはちょっと呆れたように眉を下げ、苦笑交じりに応じた。
「トリコ、ちとマズいことになったぞ……」
マンサムがトリコを振り返り、険しい顔で声を潜める。
「聞こえたよ」
トリコは腰に手を当て、目を閉じたまま不敵に呟いた。
『キャー! トリコの声が聞けたし、どーしよ〜! いや〜! 嬉しさMAXだし〜!』
モニターの向こうで急にリンが黄色い悲鳴を上げたため、マンサムは眉をひそめて慌てて耳を塞ぐ。
その隣で、リゼルは口元に手を当てて、肩を揺らしながら必死に笑いを堪えていた。
プシュ――……。
突如、不気味な音と共にピンクの煙が闘技場全体へと放たれた。
「ぬおっ!? バトルフレグランスが大量に!」
マンサムが険しい顔でガラス越しに声を上げる。
「バトルフレグランスってなんですか?」
小松が不安そうにトリコへと尋ねた。
「戦いがやまねぇ島・バトルアイランドに咲くバトルフラワーのエキスさ。その匂いは動物の中枢神経に作用して、強制的に興奮状態にする効果がある」
トリコは腕を組み、眉をひそめて説明する。
「猛獣使いのリンの管理の元で使用される、コロシアムには欠かせないモノだが……この量はマズいな」
マンサムが試合を凝視しながら、苦々しく吐き捨てた。
「確かにマズイ。だが、それ以上に――」
リゼルは鋭く目を細め、何かを確信したようにバトルウルフへ視線を走らせる。
「ん? どうした、リゼル」
マンサムが怪訝そうにリゼルの顔を覗き込んだ。
「……いや、何でもない」
まだ確証がないリゼルは、ひとまず首を横に振って再びガラスの向こうへ目を向けた。
しかし、そこに広がっていたのは最悪の光景だった。
完全に興奮状態に陥った猛獣たちが、一斉にバトルウルフへと襲いかかり、容赦なくその身体に噛みついていたのだ。
それなのに、王者はただじっと耐えるだけで、なぜか一切反撃をしようとしない。
その様子を睨みつけていたトリコも、違和感に眉をひそめる。
「何かおかしい……」
トリコは顎に手を当て、鋭い眼差しで考え込む。
「やはりな……トリコ、恐らくだがあれは――雌だ」
バトルウルフが噛まれても反撃しない本当の理由を察したリゼルが、すぐさまトリコへと告げた。
「何!? 雌なのか!?」
トリコの目が驚愕に大きく見開かれる。
「ん? ああ、確かにクローンの元になった細胞は雌型だが……それがどうした?」
マンサムが不思議そうに首を傾げた。
その瞬間、トリコとリゼルは互いに顔を見合わせ、言葉を交わさずとも深く頷き合う。
次の瞬間には、二人は席を蹴って激しく立ち上がり、猛スピードで部屋を飛び出していた。
「お、大波乱でみんな興奮してるんですかね……あれ? ト、トリコさん? リゼルさん?」
小松とマンサムが、地鳴りのような大歓声に気を取られていたのは、ほんの一瞬だった。
小松が振り返った時には、すでに二人の姿はどこにもなかった。
闘技場では、ガウチの鋭い二本の牙が、反撃しないバトルウルフの肉体に今まさに突き刺さろうとしていた。
――その時だった。
「2連釘パンチ!!」
強烈な咆哮と共に、トリコの拳がガウチの腹へと叩き込まれる。
凄まじい衝撃波を上げ、ガウチの巨体が真後ろへと吹っ飛んでいった。
「すまねぇ。ちょっとだけ大人しくしててくれ」
煙が上がる拳を構え、トリコがガウチを睨み据える。
同時に、リゼルがすっとバトルウルフの前に立ちはだかり、その身体から凄まじい黄金のオーラを放った。
ほんの一瞬、リゼルの背後に不気味な『黄金の鬼』が姿を現す。
その神がかった圧倒的な威圧感に、残りの猛獣たちは一斉に戦慄し、怯えをなして後退りした。
それを見届け、リゼルはスッとオーラを消し去る。
「ト、トリコさんとリゼルさんが闘技場に!?」
小松が驚愕のあまり、椅子をガタッと鳴らして跳び上がった。
「フゥ〜……。あのバカどもめ……」
マンサム所長は二人の無茶苦茶な行動に呆れ果て、額を押さえて深いため息をつく。
客席からは、瞬く間に狂気じみた大歓声が湧き起こった。
「トリコだ!」
「あの美食屋トリコが乱入したぞ!」
「おい、あっちにいるのは『レジェンド・リゼル』じゃねぇか!?」
興奮した観客たちが、次々と二人を指さして叫び声を上げる。
「つーか、なんでトリコとリゼルがそこにいるのよ!?」
ティナが物陰に身を潜めながら、大スクープに驚愕の声を漏らす。
その隣で、モーブは目をキラキラと輝かせ、リゼルの圧倒的な強さに心奪われたように見惚れていた。
「トリコ!! リゼル!! トリコ!! リゼル!!」
地響きのような二人のコールが、闘技場全体に鳴り響く。
「久々だぜ……ここに立つのは!」
大歓声を背に受けながら、トリコが好戦的に笑う。
「俺もだな……」
リゼルはふと自分の髪に触れ、それから手を口元に当てて少し考え込んだ。
「兄貴、どうした?」
トリコがリゼルの様子に気づき、顔を覗き込む。
「んー、俺も手伝った方がいいか? それとも、お前が一人で戦うか?」
リゼルはちょっと困ったように眉を下げ、腰に手を当ててトリコに尋ねた。
「あぁ、そういうことか。なら兄貴はバトルウルフを守っててくれ。あとの奴らは、俺がまとめて片付ける!」
トリコは一瞬考えたものの、すぐに手をひらひらと振ってリゼルに応じる。
「あぁ、分かった。なら任せるぞ!バトルウルフのことは任せておけ。ただし、こいつに向かってくる敵は容赦なく叩き潰すがな」
リゼルは鋭く目を細めてトリコに言う。
だが、その口元はどこか嬉しそうに、わずかに吊り上がっていた。
『まじ!? トリコ、それにリゼルも……!』
モニターの向こうで、リンはトリコを見てほんのりと頬を赤く染め、両手を合わせて胸をときめかせる。
だが、リゼルの姿が映ると、今度は気知れた仲間に会えた安心感からか、嬉しそうに笑みを浮かべた。
闘技場のオッズを表示する巨大モニターの末尾に、急遽『トリコ』と『リゼル』の名前が追加される。
そんな中、守られるはずのバトルウルフは、背後に回った二人に向けて鋭い睨みを利かせ、低く唸り声を上げた。
「やあ、伝説の王者よ。」
トリコがバトルウルフに向けて、不敵に声をかける。
「…………」
リゼルは何も語らなかった。
ただ、その黄金の瞳をさらに細め、静かに、じっと王者の様子を観察している。
その時、まだゲートの暗闇から姿を現していないデーモンデビル大蛇が、光の届かぬ奥底から、二人と一匹の姿をじっと見つめていた――。