人狼の騎士 ~統一王朝崩壊史~   作:ポオツマス亭

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第9話 狼の泉と純白のドレス

大聖堂へと向かう静かな回廊の中ほどで、ミリアルデが不意に足を止めた。

 

「ちょっと待って……アルフレッド。式が始まる前に、ロザリアちゃんのところへ寄りたいわ」

 

「……何? 式の直前に花嫁の部屋に行くなど、無用な混乱を招くだけだぞ」

 

「いいから付き合いなさい……女の子には、式の直前にしかできない支度というものがあるのよ」

 

強引に引っ張られるまま、アルフレッドは王城の高層部――王女や高貴な夫人たちが身を寄せる控室エリアへと足を踏み入れることとなった。

 

当然ながら、その奥は厳格な男子禁制の聖域であった。

 

どれほど『王国の最高位騎士』として白銀と濃紺の正装を纏っていようと、男であるアルフレッドが立ち入ることは許されない。

 

「ここで大人しく待っていなさいね」

 

ミリアルデはそう言い残すと、重厚な扉の向こうへと消えていった。

 

遺されたアルフレッドは、豪華な調度品が並ぶ静かな待合室で一人、所在なく立ち尽くすこととなった。

 

(……何なのだ、全く)

 

格式高い待合室であるため、もちろん煙草を吸うことなど許されない。

 

体内に刻まれた死臭を覆い隠す紫煙を断たれたアルフレッドは、手持ち無沙汰と焦燥感から、苛立ちを紛らわすために貧乏ゆすりを始めた。

 

コン、コン、と硬質な軍靴のかかとが、無機質に絨毯を叩く。

 

どれほど膨大な戦場をくぐり抜けようと、乙女たちの秘密の部屋の前で待たされる時間ほど、この人狼の騎士にとって苦痛なものはなかった。

 

その時だった。

 

ギギ……と音を立てて、待合室の重厚な木製扉が静かに開いたのは。

 

「――っ」

 

アルフレッドが足を止め、黄金の瞳を向けた瞬間、呼吸が止まった。

 

扉の奥から姿を現したのは、今回の婚礼のために最高峰の職人たちが総力を挙げて特別に仕立て上げた、絢爛豪華な花嫁衣裳――純白のウェディングドレスに身を包んだロザリア王女であった。

 

朝の光を受け、ドレスに施された銀糸の刺繍と無数の真珠が眩いばかりの輝きを放っている。

 

「どうですか? 人狼の騎士」

 

ロザリアは可憐な唇を綻ばせ、遠慮がちな声で囁いた。

 

その佇まいは、まさに今日から統一王朝の『未来の皇后』として歴史に名を刻む者に相応しい、息を呑むほど神聖で美しい姿であった。

 

アルフレッドの胸に、激しい衝動が走り抜ける。

 

(……ああ)

 

もし……三百年前に、あの残酷な殺戮が起きず、許嫁のシルヴィアが生きていたならば。

 

彼女もまた、これほど豪華ではなくとも、素朴で愛らしい純白の衣装に身を包み、己の前に立ってくれたのだろうか。

 

遠い過去への果てしない哀愁と感慨が、彼の胸を締め付けた。

 

だが、アルフレッドが言葉を失ってその美しさに見惚れていた、まさにその瞬間であった。

 

「……なによ。やっぱりロザリアちゃんの方がよかったんじゃないの」

 

扉の影から、どこか不貞腐れたような、むくれた声が聞こえてきた。

 

「……ミリアルデ?」

 

現れたその影を目にした瞬間、アルフレッドの全身の神経に、雷が走り抜けた。

 

息を吸うことすら忘れ、黄金の瞳が激しく見開かれる。

 

そこにいたのは、ロザリア王女にも決して劣らない――いや、数千年の悠久を生きるエルフの大魔法使いだからこそ纏える、神聖で不可侵な輝きを放つドレス姿のミリアルデであった。

 

彼女が身に纏っているのは、ロザリアから贈られた、繊細なレースが施された淡い薄手のドレス。

 

いつも酒瓶を抱えていて怠惰に笑っていたエルフの女が、朝の光を透過させて透き通るような白銀の肌と、薄い金色の美しい髪を光輝かせて立っている。

 

「わたくしのお気に入りでしたの。ミリアルデ様に着ていただけて、本当に光栄ですわ」

 

ロザリアが嬉しそうに微笑む。

 

「ありがとうね、ロザリアちゃん。こいつが突然、式に出席するなんて言いだすからさ……」

 

ミリアルデは少し照れくさそうに呟くと、アルフレッドの視線を受け止め、ドレスの裾を優雅に広げてくるりと一回転してみせた。

 

薄手の生地が風を孕んでふわりと舞い、まるで光の粒子が飛び散るかのような幻想的な美しさが広がった。

 

「どう? 私も結構イケてるでしょう?」

 

ミリアルデは少し誇らしげに胸を張り、眩い笑みを浮かべて人狼の騎士に見せつけるように問いかけた。

 

その刹那。

 

アルフレッドの胸の中で、何かが激しくはじけ飛んだ。

 

三百年間、ただ過去の傷跡と死者の思い出だけに縛られ、凍りついていた彼の心が、根こそぎ奪い去られたような激しい熱量。

 

全身の神経が歓喜と昂ぶりで熱く灼けつく。

 

目の前で光を放ちながら微笑む、この数千年の時を生きてきたエルフの姿。

 

――心を奪われ、強烈な衝動が彼の魂を貫いた。

 

「……ああ、綺麗だ、ミリアルデ」

 

アルフレッドの口から漏れたのは、低く、深みのある、飾りのない本心のつぶやきであった。

 

彼は吸い込まれるようにミリアルデを見つめ、静かに言葉を継いだ。

 

「……今まで、どうして気づかなかったんだろうな」

 

「――っ!?」

 

その言葉が落ちた瞬間、ミリアルデの白い頬が、一瞬で朱色に染まった。

 

数千年の忘却の海を漂い、あらゆる感情をあきらめていた大魔法使いの顔が、尖った長耳の先端まで真っ赤に跳ねあがる。

 

「……バカ! バカバカッ! ロザリアちゃんの前で何言っているのよ、この唐変木っ!?」

 

白銀の正装に飾られた無数の勲章が、ジャラジャラと甲高い音を立てて揺れる。

 

「ふふ、お二人とも、本当にお似合いですわ」

 

その光景を見つめていたロザリア王女は、くすくすと上品に微笑んだ。

 

彼女の瞳には、かつて自分が焦がれた狼が、今確かに「目の前にある光」に心を奪われたことに対する、誇らしげで心温まる祝福の光が宿っていた。

 

「では……式典で、お二人とも」

 

ロザリアは可憐にお辞儀をすると、控えていた侍女たちに付き添われ、気高く胸を張って大聖堂へと向かっていった。

 

取り残された待合室に、少しだけ甘く照れくさい静寂が降り立つ。

 

真っ赤になった顔を背け、呼吸を整えようとしているミリアルデ。

 

アルフレッドは白手袋を嵌めた己の腕を、優しく彼女へと差し出した。

 

「……行くか?」

 

「……もちろんよ」

 

ミリアルデはまだ少し不機嫌そうに唇を尖らせていたが、そっとアルフレッドの腕に自分の細い腕を絡めた。

 

太陽の眩い光が差し込む廊下へ、二人は足を踏み出す。

 

王国の未来を決定づける歴史的な祝宴の場へ向けて、人狼の騎士とエルフの大魔法使いは、今度こそ連れ添って静かに歩みを進めていったのだった。

 

 

(第10話に続く)




<ポオツマス亭の他作品ついてのご紹介>

白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~(『オルクセン王国史』二次創作)
https://syosetu.org/novel/420318/


白狼の騎兵 ~オルクセン国王直属騎兵史~(『オルクセン王国史』二次創作)
https://syosetu.org/novel/421304/


氷雪の魔女 ~店主リヒターの不条理な日常~(『葬送のフリーレン』二次創作)
https://syosetu.org/novel/421529/
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