8月3日
真夏の日差しは昨日と同じ顔で街を照らしつけ、今年の最高気温を更新していた。『Philip.D』もまたいつものように客のいない店内にジャズミュージックを流し続けている。
そんな、客のいないカウンター裏で若石 ウェイミンは身体のあちこちに包帯を巻き、コーヒーの研究に勤しんでいた。
本来ならまだ夏季登校日の授業時間であったのだが、ウェンには軽い用事があった。用事そのものはすぐに終わったのだが、そのまま学校に顔を出すのも煩わしく、こうしてバイト先に顔を出しているのであった。
そんな時、カランコロンと来店を告げるベルが鳴る。
「いらっしゃ……なんだ、お前か」
カウンター裏にいたウェンが顔を上げると、表口にはファンビーモンを連れた羽澄が立っていた。
「お前もサボりか」
「……うん……ウェンと一緒」
「ああ、そうだな」
羽澄は『サボった』と言ったが、身に着けているのは学校の制服だ。半袖のセーラー服から伸びる手足には昨日の戦いの跡が残っている。そのどれもが昨日の戦いが終わった後で『マスター』に治療を施されたものだ。
だが、一つだけウェンに見覚えのないものがあった。
左頬に貼り付けられた大きなガーゼだった。
「顔、どうした?」
「……お母さんに……ビンタされた」
「え……」
羽澄はそのままカウンター席に座る。ファンビーモンは店内をフラフラと飛び回り、最終的にテーブルに残されていたクッションの上に着陸した。それはファンビーモンが拘束されていた時に寝転がされていたクッションだが、どうやら気に入ったらしかった。
羽澄が頬のガーゼをはがすと、羽澄の白い肌に赤い痣が残っていた。その一部は黒く変色しており、内出血を起こす程の威力で殴られたのだと察せられた。
「……今朝、部屋に入ったら……『入るなって言ってるでしょっ』……って怒鳴られて……バチン……いつも通り」
「いつも通りってお前」
「昨日は見向きもされなかった」
「………」
デジモンに襲われても、ベランダから突き落とされても、彼女はPCに向かい続けていた。それを考えると『正常に戻った』と言えるのであろう。
「お前はそれでいいのかよ」
「……うん」
羽澄は感情を読ませない無表情のまま頷いた。
ウェンはしばし何か言うべきか悩んだ。
だが、結局へため息一つだけに留め、言葉は胸の内に飲み込んだ。
羽澄の家庭の事情にウェンがしてやれることなど何も無い。本人が納得しているのなら、それ以上できることはなかった。
だから、彼が口にしたことは別のことだった。
「……昨日も言ったけどさ」
「……?」
「この店、裏には使ってねぇ部屋がいくつもある。普段はマスターが本職の仕事で泊まり込んだり、俺が家に帰る気力が無くて寝たりとかしてるんだが……オメェがいいなら、好きに使え」
家庭の事情に首は出せない。ウェンに和歩家の家族問題を解決してやることはできない。それでも、出来ることはある。
「本当に⋯⋯いいの?」
「ただし、水回りの掃除とゴミ捨ては徹底しろ。一応飲食店だからな」
「……うん」
「あとは、この店は男2人が自由に出入りできるから、内鍵を追加してもいいって、マスターが……」
「……それは……いい」
「そうか?」
「……うん……信用してるから……それに……」
羽澄はウェンの目を見つめ、目元を僅かに緩ませた。
「ウェンならいい」
「…………」
「…………冗談」
「だと思ったよ」
なんとなく、羽澄の会話のテンポに慣れてきたウェンであった。
「まぁ、マスターが変なことしてきたら俺に言え。2秒で締めてやる。」
「……うん、そうする」
羽澄が仄かに笑いながらそう言うと、すぐさまファンビーモンが飛んできて羽澄の頭上でホバリングを始めた。羽澄の髪が振り下ろされる風を受けてふわりと広がった。
「ウェンさん、安心してください。今後も羽澄さんに危機が訪れた際は私が必ず対処します!」
「頼もしいソルジャーだな」
「はい!任せてください!!……まぁ……今朝は守ることができませんでしたが……」
ファンビーモンがそう言って項垂れる。
だが、ファンビーモンは羽澄に『母に姿を見せないように』と厳命されていたので仕方ないと言えた。だが、ファンビーモンはそれで割り切れるような性格ではなかったのだ。
「ですが、次は必ずお守りします!」
「……うん……ファンビーモンも……改めてよろしくね……」
「もちろんですとも!!」
握手を交わす羽澄とファンビーモン。2人のパートナー関係は良好なようだった。
「ところで、ウェンさん。先日頂いた『こーひー』をまたいただけないでしょうか?あの味がどうしても忘れられなくて」
「……私も……もらっていい?」
ウェンは「そう言うと思った」と言って、手元で用意していたサイフォン式の道具一式を掲げた。
「マスターが言ってたぞ、俺が淹れるコーヒーに限り二人は永続無料だってよ」
「……いいの?」
「いいのいいの、どうせマスターにとってこの店は趣味みたいなもんなんだから、あとこれ」
ウェンは無造作に羽澄に向けて携帯を投げ渡した。
「……え?……あ……これ……」
それは、『マスター』が『誕生日プレゼント』として羽澄に送ったものだった。
その携帯は昨日シェイドモンが通過した際にバグを起こして動かなくなっていた。
だが、手の中にある羽澄の携帯は正常に稼働していた。
「マスターがもう一回データを入れなおしてくれたんだ。バックアップデータがあったから復旧は楽勝だったってさ。だから遠慮せずにもらっとけ」
「…………」
携帯の中の画像フォルダや過去のメールも問題なく復旧されている。
何より、昨日はなかったウェンの連絡先と『マスター』の連絡先も追加されていた。
「……ありがと……」
「礼は後でマスターに言ってくれ、俺は何もしてない」
その『マスター』は店の裏で関係各所にメールを飛ばしまくっていた。昨日のシェイドモンとの戦いでマンションの一部が壊れたり、飛び回るワスプモンが目撃されたりと小さな騒ぎになっていたのだ。
デジモンという存在は政府によってひた隠しにされている。政府は強大な力を持った超常の存在がいることを認知してこそすれ、直接的な対応を決められずにいた。その方針が固まるまで、こういったデジモン事件に対処する為の組織に所属しているのが『マスター』だった。
『世界を救うのが子供の仕事なら、日常を守るのが大人の仕事さ』
それが『マスター』がよくウェンに語る言葉だった。
とはいえ、やっていることは噂のもみ消しやマスコミ対応など地味なものばかりだ。
ちなみに『マスター』のパートナーデジモンの方もシェイドモンが取り憑いていた他の人間の捜査に出向いていた。
『マスター』のパートナーデジモンは普段は店の厨房を担当しているから、滅多に店の方には顔を出さないがその実力は折り紙付きだ。
昨日も見えない位置から常にバックアップをしており、ウェン達がマンションから落下した時も受け止められる態勢をとっていた。
色々と危険な目にあったウェン達ではあるが、実のところ全ては『マスター』の監視下での行動だった。
「ああ、それと。マスターから伝言。今度、報告書作るから今回のことのあらましを纏めてレポートにしてくれると助かるってさ」
「⋯⋯レポート⋯⋯夏休みの宿題みたい」
「まんま、そのままのこと言ってたぞ『夏休みの宿題を増やして申し訳ないが⋯⋯』ってさ。ってか、お前は夏休みの宿題とかもう終わらせてそうだな」
「⋯⋯あと⋯⋯自由研究だけ」
「⋯⋯マジか⋯⋯」
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯冗談じゃないよ」
「だよなぁ⋯⋯俺も英語と数学ぐらいは手ぇつけるか⋯⋯」
ウェンはそんなことを口にしながらお湯を沸かし、コーヒーの準備を進めていく。
「⋯⋯⋯⋯」
羽澄はそんなウェンの姿を前にして、言葉を探していた。
「……ウェン」
「ん?」
「……ウェンに……ありがとう……は、言っちゃダメ?」
「……………」
ウェンはコーヒーカップを用意しようと伸ばした手を止めた。
いつもなら、『身体を張ったゴツモンに言ってやれ』と返すところだが、今回は自分も身体を張った自覚があった。
だが、自分の信念として、人助けに対して感謝の言葉はいらない。善意でやっていることではないからだ。
とはいえ、礼を言いたい羽澄の気持ちもわからないわけではない。
だからウェンはその折衷案を用意していた。
ウェンは机の下から飾り気のない茶色の紙袋を取り出した。
「……ほれ」
ウェンはほとんど投げ捨てるような仕草でその紙袋を羽澄の前に置く。
「…………?」
「……その……誕生日プレゼントだ」
「……え……」
羽澄はその紙袋を前にして何度も瞬きを繰り返す。
「……え?……ウェン……これ」
「この前、誕生日だったんだろ!だから、その……」
「……それで……学校サボったの?」
「違う!違うんだが……その……だから……昨日のことに礼を言わなくていい……だけど、その……誕生日プレゼントに関しては……その……」
羽澄はしばし呆気にとられたようにウェンを見つめる。
そして、何かに気づいたかのように目を見開いた。
「……あ……これ、開けていい?」
「別にいいけどよ、センスとか期待すんなよ!」
ウェンの上ずった声に羽澄はクスリと笑った。
渡された紙袋は飾り気の一切ないものであったが店のシールから少しばかり遠出したことが伺えた。
羽澄は丁寧にテープをはがし、中身を取り出す。
中から出てきたのは髪留めであった。プラスチック製の簡素なものであったが、表面には蜂のモザイクアートの細工が施されており、店内の照明に照らされて静かな光を放っていた。
「……………」
カウンター裏で羽澄の様子をうかがっていたウェンは羽澄と目が合いそうになり、慌てて視線をコーヒーに戻した。
「……ウェン……」
「……ん?」
羽澄はその髪留めを胸元にギュッと抱きしめる。
そして、心から一言だけ――――
「『ありがとう』」
万感の思いを込め、そう言った。
「……おう……まぁ……その……おう」
ウェンはほとんど真下を向きながら、コーヒーカップを羽澄の前に並べる。
耳まで真っ赤にしながら、苦虫を噛み潰したような顔をするウェンの姿は、昨日まで荒々しく暴れていた人と同一人物とは思えなかった。
羽澄は渡された髪留めに目を落とし、ファンビーモンと見比べる。
「……ファンビーモン……ちょっと真面目な顔して……」
「え?真面目な顔、え?こうですか?……というか、私は大体真面目な顔してます!」
「……うん……いい表情」
「聞いてますか!?」
「……冗談」
「……羽澄さん……あなたは……」
呆れかえるファンビーモンに向け、羽澄はクスクスと笑う。
そして、羽澄は差し出されたミルクコーヒーを口に運ぶ。
まろやかなコーヒーの苦味と、仄かなミルクの甘味は初めて味わったこの店のコーヒーより幾分か美味しく感じた。
「……ウェン……」
「……なんだよ」
「……私……バイトしたい」
「…………」
ウェンは不自然な程にゴツモンに世話を焼いていた手を止め、羽澄を振り返った。
「バイトか?」
「……うん……バイトして……お金貯めて……あの家を……出たい」
「……そっか」
「……うん……だから……ここでバイトできる?」
羽澄がそう言うと、ウェンは歯を見せてニカっと笑った。
「もちろん。人手は大歓迎だ」
「……お客いないのに?」
「喫茶店の方はな。でも、この店にはもう一つの顔がある」
「……顔?」
「ああ、この店は……」
その時、店の扉がカランコロンと音を立てる。だが、ウェンが「いらっしゃいませ」と言う前に来店した客が声を張り上げた。
「お願いします!助けてください!変な炎に追われているんです!」
転がり込んできたのは慶風学園の制服に身を包んだ女子生徒であった。その彼女に羽澄は見覚えがあった。
「……え……ミカちゃん?」
「へ?あれ?羽澄!学校サボってなにしてんの!?って、えっ、どうしたのその怪我。やっぱり若石関連!?若石になんかされたの!?」
「……『やっぱり』ってどういうことだよ」
「へ?うぇっ!!あっ!わわわ、若石くんさん!!!」
「……彼はウェンでいいよ」
「お前が許可だすな。それよか、火の玉に追われてんのか?」
「あっ、そう!そうだった!わぁぁあああっ!来たぁぁ!」
扉が再度開き、ベルが音を立てる。
そして、フラフラと揺れながら困った顔で現れたのはゴツモンやファンビーモンといった『成長期』より一段階前の『幼年期』のデジモン。
真っ赤な炎と人形のように縫い合わされた口、そして青い瞳が特徴的なデジモン。『プチメラモン』であった。
「あわわ、すみません。話を聞いてください〜私は怪しいデジモンじゃありません〜」
「……………」
羽澄がウェンの方を振り返る。
ウェンは不敵な笑顔を返した。
「ここ、デジモン関係のトラブルの駆け込み寺なんだ。ちょいと危ないこともあるが、その分危険手当も出ていい稼ぎになる。どうする?」
ウェンはそう言ってウィンクを一つ飛ばした。
羽澄はそれを見て、小さく頷いた。
「……うん……働く……働きたい」
ウェンは「そうこなくっちゃ」と言い、カウンター越しに拳を突き出した。
「そんじゃ、これからよろしく」
「……うん!」
ウェンと羽澄が拳をぶつけ合う。それを見てミカが目を丸くした。
「え……え?……なに?二人、どういう関係?」
「ただの仕事仲間だよ。それよか話を聞かせてくれ」
ウェンがミカから話を聞いていく。それを横目に羽澄はこっそりと携帯を起動した。羽澄はオンラインゲームのアイコンを長押しし、『アンインストール』の項目を呼び出した。
「…………」
羽澄は静かに『Yes』の欄をタップする。画面からゲームのアイコンが消えていく。
羽澄は携帯から顔を上げ、気を引き締めるようにその豊かな髪を頭の後ろでまとめ、そこに髪留めを差し込んだ。
「…………」
「……ウェン……ポニテ好き?」
「バッカ!ちげぇよ!!」
ウェンは顔を真っ赤にしながら叫ぶ。それを見てミカが呆然とした表情を浮かべた。
「もう一回聞いていい?二人、どういう関係?」
「仕事仲間だって言ってんだろ!」
「……うん……一晩過ごした仲」
「お前はまた変なタイミングで冗談を差し込むんじゃねぇ!」
「……うん……冗談」
ウェンが呆れたように俯き、それを見て羽澄は久しぶりに心の底から笑えた気がした。
ここは住宅街の片隅にひっそりとたたずむ隠れ家的喫茶店。
窓から中を覗き見れば、不思議な生き物が動いているのを見ることができるだろう。
デジタルモンスター、縮めてデジモン。
困ったことがあればお尋ねあれ。
デジモンはいつも
ひとまず第一章、完です!
デジモンのゲームにアニメに色々と熱を受け、始めたこの作品ですが、デジモンビートブレイクも終わり、更なる熱量を持って続けていきます。
次回、第二章はまだまだ羽澄主役回となる予定。
本当はウェンのことをもっと書きたいんですけどね!!彼はなぜ人助けをするのか?ゴツモンとの出会いは?『マスター』との関係って?
まぁ、そこはこの作品の根幹にも関わりますのでまだまだ匂わせていきます
それでは少しばかりプロットを練る時間を頂きますが、遠からずまたお会いしましょう