ウェンは一通りの経緯を説明した。
羽澄の携帯のこと、メラモンのこと、ファンビーモンのこと。そして、最後に現れた赤い目の黒い影のこと。
「ということは、やっぱり裏にいたのはシェイドモンか」
「ええ、マスターが思った通りでしたよ」
「……やっぱり?」
冷やしたスポーツドリンクを飲んで少し落ち着いた羽澄が小首をかしげた。
「昨日、和歩さんが帰った後、こちらで壊れた携帯に残っていたデータを調べていたんだ。その結果、特定のデジモンの痕跡があった。それが、シェイドモンだ」
マスターはノートPCでシェイドモンの姿を見せてくれる。だが、その姿はどれも曖昧で明確な形を持っていなかった。共通しているのは『黒い炎のような身体』と『赤い目』。そして、その能力として他のデジモンを使役して襲わせる力がある。
「メラモンは操られ、連れてこられたんだ。シェイドモンにいいように使われて、そして殺された……」
「……悪いこと……したかな」
「前も言ったろ、デジモンは一度死んでも卵になって蘇る。縁があればまた会える。その時に借りを返せばいい。例えメラモンが覚えてなくてもな」
そう言ったウェンをマスターが柔らかな目で見つめていた。
それに気づいたウェンが怪訝な目を向ける。
「なんですか?」
「いや、ウェン君もデジモンとの付き合い方に慣れてきたなと思ってね」
「誰のせいですか」
ウェンはそう言ってコーヒーを差し出した。
マスターはブラックで、ゴツモンにはいつものように砂糖をたっぷりと。ただし、羽澄とウェンはスポーツドリンクだ。脱水の人間にカフェインはよろしくない。
そして、ウェンはファンビーモンにもコーヒーカップを差し出した。
ファンビーモンはその目の前の黒い液体を怪訝な顔で見つめていた。
「これは?」
「コーヒーだ。気に入ってくれたらまた淹れてやる。まずは飲んで、感想を聞かせてくれ」
「…………」
ファンビーモンは刺されたストローに口をつけ、恐る恐るというようにコーヒーを吸い上げた。
「っ!」
「どうだ?」
「苦い……だが、このコクと深い香りを伴う苦味は……おいしい」
「ファンビーモンはブラック派みてぇだな……」
「ブラック?」
「まぁ、味変は追々な。それよか、ファンビーモンの話も聞かせてくれ、お前はどうやってこっちに?」
「もちろんデジタルゲートを通ってです」
「そりゃそうなんだが、問題はそのデジタルゲートだ。あれは雑草みたくそこらに生えてくるわけじゃない。『どこのゲート』からここに来た?」
「どこと言われましても……」
ファンビーモンは青い触覚をヒクヒクとさせ、首を傾げた。
「メラモンを……押しのけて……と言えばいいですかね」
「メラモン?さっき倒した奴か?」
「はい」
ファンビーモンはコーヒーを一口飲み、改めて自分の行動を最初から説明しだした。
「私はいつものようにデジタルワールドで仲間達と一緒に働いていました。その時、唐突に自分のパートナーが危険な目に合っていることを悟ったんです」
それを聞き、マスターが補足を入れた。
「『虫の知らせ』というやつですかね。パートナーデジモンというものは往々にして自分のパートナーである人間のことを最初から知っていますが、危機まで察知できるのはなかなか珍しいですね」
「……そうなの?」
羽澄が尋ねたのは隣に座っていたゴツモンだ。
ゴツモンは「懐かしいな」と言って頷いた。
「オイラもウェンのことは産まれた時から知ってた。デジタルワールドにいた時はずっとウェンを待ってたもんだ。でも、待ってるだけじゃいられなくて、オイラから会いに行ったんだよなぁ。で、そん時にウェンがたまたまピンチでさ」
「……そうなんだ」
「俺達の話はいいんだよ」
ウェンがそう言って話を区切る。
「今の問題は羽澄のことだ。ファンビーモン、お前が悟った危機ってのはなんだったんだ?」
「私が感じたのは漠然としたものでした。ですが、いても立ってもいられず。胸騒ぎに従うままに向かった先に偶然あったゲートに飛び込んだのです。その時にあのメラモンを押しのけました」
それを聞き、『マスター』は難しい顔で顎に手を当てた。
「……おそらく、シェイドモンが配下のメラモンを呼ぶ為に作ったゲートでしょうね……今日と同じようにメラモンを呼び出そうとしたところをあなたが横取りしたわけですか……ですが、それはそれで厄介な話ですね。シェイドモンが自由にデジタルゲートを開けるということになる。しかし、シェイドモンは成熟期。そこまでのパワーがあるとは思えませんが……」
『マスター』はしばし思考を巡らせていたが、ひとまずファンビーモンに話の続きを促した。
「とにかく、あなたはそれでゲートに飛び込み、昨日の夜に和歩さんと出会った。ということですね」
「はい、その時はフォージビーモンでしたが……こちらの世界に来て、目の前にいたシェイドモンに攻撃を加えようとしたのです。ですが、そこであなた方に攻撃を阻止されました」
「それは悪いことしたけどよ……」
「いえ、誤解を招いた私も悪いのです。本当はひと声かけるべきでしたが、あの時点では私から見て、『シェイドモン』と『あなた方』のどちらが羽澄さんの危機なのかわからず……その隙を突かれて見事にぶっ飛ばされましたが」
ファンビーモンはそう言って乾いた笑い声をあげたが、ぶっ飛ばした本人達であるウェンとゴツモンは苦笑いだ。
あの時にもう少し手加減していれば、ファンビーモンと情報の共有ができた。
それなら、今日のピンチも少しはマシだっただろうに。
そんな中、羽澄はファンビーモンの頭にポンと手を置いた。
「……助けに……来てくれてたんだね」
「もちろんですとも、羽澄さんの為であればこのファンビーモン。例え火の中、水の中、いかなる場所でもあなたの力になりましょう!パートナーデジモンとして!」
「……うん……」
羽澄はワシャワシャとその頭を撫でる。気持ちよさそうに目を細めるファンビーモンを見下ろすと、なぜか懐かしい気持ちになった。昔からの知り合いにもう一度会ったような、幼少期の思い出の場所をもう一度訪れたような、そんな気持ち。
これが、パートナーデジモンというものなのだろうか?
羽澄はそんなことを思った。
そして、ファンビーモンの話が終われば次なる問題はシェイドモンの方だ。
ウェンはその話を聞く為に今日この店に呼ばれていたのだ。
「『マスター』、それでシェイドモンの方の情報は?それを調べてたんでしょう?」
「うん……さっきも言ったけど、和歩さんから受け取った携帯からデジモンの気配を見つけた。それで、データを追っていったところオンラインゲームの通信記録にシェイドモンの痕跡が残されていた。今日、午前中にそのゲームを扱っている本社に行ってきたよ。どうやらシェイドモンが意図的にバグを起こしているようだ。和歩さんは覚えがないかい?」
「……そういえば……」
羽澄はダンジョンに潜ろうとしたときにチームメンバーが次々と離脱したことを思い出した。その話をすると、マスターは納得したように頷いた。
「それはシェイドモンの仕業だろうね」
「……でも……なんの為に?」
「それはわからないが、少なくともシェイドモンの最終目標は常に1つだ。食べることさ」
「……え?」
羽澄の眉が跳ね上がる。それを見てマスターは慌てて言い直した。
「あっ、もちろんシェイドモンが直接人間の肉を齧るわけじゃない。シェイドモンは『絶望』を食べるんだよ」
「……『絶望』」
羽澄はその言葉を反芻する。
「シェイドモンは人間に取り付き、その人間が感じる『絶望』を自分の栄養にするんだ」
「…………」
「シェイドモンはまず人間に『小さな希望』を見せる。そして、それを最高の瞬間で取り上げて『絶望』に叩き落とす。ネットゲームの中の人間関係など恰好の獲物だっただろう」
「趣味の悪い野郎ですね」
ウェンがそう言い、羽澄も同意するように頷いた。
「デジモンにも色々いるからね。ただ、シェイドモンは通常、取り付いた人間から離れない。そんなシェイドモンが通信機能を使ってまで和歩さんのところに現れた。これは……つまり……」
口淀むマスター。その言葉の続きを羽澄自身が引き取った
「……それは……私が……『絶望』していたから……ですか?」
「…………」
マスターは何か気の利いた答えを探すように視線を左右に走らせたが、結局何も言うことはできず「そうだ」と頷いた。
羽澄は小さくため息をついた。
母は自分の誕生日を祝ってくれず『ヤナギ』の誕生日を祝った。そのことに、羽澄は激しい感情に呑まれた。その中に絶望する気持ちがあったことは否定しない。それが、シェイドモンを引き寄せた。
そして今日、『ヤナギ』に送られてきた母からのメールに罠が仕掛けられていたことで、羽澄は「『ヤナギ』が母に殺されようとしている」と思い込んでしまった。あの時、羽澄の胸に押し寄せてきた『絶望』はシェイドモンにとって極上のご馳走であったことだろう。
そんな羽澄に向け、マスターは真剣な顔で問いかけた。
「……和歩さん。シェイドモンが誰に取りついているか、君はわかるかい?」
「……はい」
羽澄はそう言い、顔を上げる。
「……シェイドモンの罠を送ってきていたのは……私の母です……」
マスターの眉間の皺が一層深くなる。ウェンが小さく舌打ちを放った。
「シェイドモンは……私の母に取りついている……シェイドモンは……私の家にいる」
「一人暮らしじゃなかったのか?」
ウェンがそう言い、羽澄は小さく「……ごめんなさい」と答えた。それをウェンは鼻で笑い飛ばす。
「こういう時は『冗談』とは言わねぇんだな」
「……嘘をつくのと……冗談は……違うから」
「そこの分別があるようで俺は嬉しいよ」
ウェンはそう言い、羽澄を真正面から見据えた。
「それじゃあ……どうする?」
「……どうする……って?」
「逃げるか?戦うか?」
それは、冷たい問いかけだった。
「逃げるなら構わねぇ。俺がシェイドモンをどうにかしてくる。お前は家の鍵だけ開けてくれりゃいい」
そう言ったウェンの左頬には火傷の痕が残っていた。それだけではない、剥き出しの前腕には打撲の痕があり、幾度とメラモンを殴った拳は真っ赤に腫れ上がっている。
それでもなお、ウェンは『自分が戦う』と言った。
羽澄は息をのむ。
「……どうして……ウェンは……そこまで」
青い顔をする羽澄。そんな彼女に向け、ウェンは馬鹿みたいにヘラヘラと笑った。
「前に言ったろ。俺はトラブルにはできるだけ首を突っ込むようにしてる。俺の都合だ。だから、俺のことは気にするな。お前が逃げるなら責めやしない」
「そそっ、オイラもいるしな!」
ゴツモンが石の腕でガッツポーズを取ったが、ウェンは肩をすくめた。
「いまいち頼りねぇけどな」
「なんだとぉ!」
2人は仲の良い兄弟のように小突きあう。
危機感や深刻さなどはまるで感じさせない。
まるで、親に頼まれたおつかいに出かけるような気楽さだ。
そんな2人に幾度となく助けられた。
「…………」
羽澄の手に力がこもった。
脳裏に浮かぶのはこの二日間でデジモンと幾度と相対してきた記憶。
フォージビーモンの巨大な腕
メラモンの滾る炎
そしてシェイドモンの赤い瞳
この2人はその全てから自分を守ってくれた。
羽澄は両手でスポーツドリンクのペットボトルを握った。次第に冷えていく指先。その掌に残った火傷はまだ鈍い痛みを残していた。
「私は……」
その時、視線を感じた。
「…………」
ファンビーモンだった。
ファンビーモンのオリーブ色の瞳と目が合う。ファンビーモンは何も言わず羽澄を見つめていた。
羽澄はペットボトルに口をつけ、大きく傾けた。彼女はボトルの半分程を一気に飲み干し、大きく息を吐いた。
そして、小さく呟いた。
「……戦う……」
そう言った羽澄の声は少し震えていた。
羽澄は口の中の唾液を飲み込み、その震えを抑え込む。
「……私は……戦う……」
本当にシェイドモンが母に取り付いているとなれば何が起こるかわからない。しかも、シェイドモンがいる場所は羽澄の自宅だ。
そして何より、もうウェンとゴツモンだけに戦わせたくなかった。
羽澄は意を決して、拳を握りこんだ。
表情を硬くする羽澄。羽澄はウェンを見上げ、改めて頭を下げた。
「……お願いします……ウェン……ゴツモン……力を貸してください」
「『力を貸す』わけじゃねぇ」
ウェンはそう言ってエプロンを外した。
「何度も言うが、俺は自分の為に人助けしてんだ。俺は俺の意志でシェイドモンと戦う」
「……でも……これが……本来の
今回の原因はシェイドモンだ。そのシェイドモンを呼び寄せたのは羽澄の家庭問題であり、最初からウェンには関係がない話だ。だから、羽澄が頭を下げ、手を貸してもらうのが道理なのだ。
「律儀だな。それに頑固だ……」
「……それは……お互い様だと思う」
「……言うじゃねぇか」
ウェンが苦笑いをこぼす。
「わかったよ……だから顔上げろ」
羽澄が言われるままに顔を上げると、目の前に諦めたように笑うウェンの顔があった。
「けど、力は貸さない。っていうか、お前が貸せ。俺の人助けを手伝ってくれ……それでいいか?」
「……何が……違うの?」
「俺のテンションの問題。あと、責任。俺は一応、こういうデジモントラブルの解決でバイト代もらってっからさ」
「…………」
羽澄の問題解決にウェンが雇われるのではなく、あくまでウェンのバイトを羽澄が手伝う。
それがウェンにとっても最低限のラインであった。
お金の問題を出されては反論がしにくく、羽澄も渋々といった
「……よし、それじゃ」
そう言い、ウェンは羽澄に向けて拳を突き出した。
「……え?」
「一緒に戦うんだ……握手じゃ、ちょっとあれだろ?」
「あ……」
ウェンの意図を察した羽澄は目の前の節くれだった拳に、自分の真っ白な小さな拳骨をぶつけた。
羽澄の細くて薄い握り拳。
誰かを殴ったことなど一度もない。
『戦う』という決意すら今にも揺らぎそうになる。
そんな柔い拳に力を送り込むようにウェンは腕を押し込んだ。
ウェンの肉厚で傷だらけの太い拳
人間とデジモンの隔てなく殴ってきた腕だ。
常に『戦う』ことを続けてきたウェンの力に押し込まれ、羽澄の腕が小刻みに揺れていた。
「よろしくな、羽澄」
「……よろしく……お願いします」
羽澄の声は震えていた。
だが、拳骨の震えは自分の震えではない。
羽澄はそう思うことにした。