バチィィィンッ!!!
美琴の前髪から放たれた、怒りと絶望に染まった青白い雷撃。
それは空の身体を一直線に狙い――しかし、彼を貫く寸前でわずかに軌道を逸れ、背後の焼け焦げたコンクリート壁に着弾して激しい爆発を起こした。
爆風が吹き荒れ、空のボロボロの白衣が激しく翻る。
だが、空は避ける素振りすら見せなかった。彼はただ無防備に立ち尽くし、自身を睨みつける美琴の血走った瞳を、真正面から受け止めていた。
「……加担、か。君の目には、そう見えるよな」
自嘲気味に呟いた瞬間。
空の指先から、クルクルと回っていた一枚のトランプが力なく滑り落ちた。
パサリ、と瓦礫の上に紙のカードが落ちる乾いた音が響く。
それを合図にしたかのように、空が纏っていた氷のような冷徹さ――暗部の
そこから露わになったのは、冷酷な殺人鬼の貌などではない。どうしようもない無力感と自己嫌悪に押し潰され、絶望の淵で泣くことすらできない、一人の傷ついた少年の素顔だった。
「俺も……あの子たちと、同じなんだよ。美琴」
「……え?」
不意に名前で呼ばれ、美琴の瞳から電撃の光がスッと消え去る。
「親に捨てられ、大人たちの実験で自我を焼き切られ、心を空洞にされた。俺の能力は、誰かの法則を真似るだけの『エミュレート』だ。……俺には、自分自身のものなんて何一つない」
空は自身の胸ぐらを、爪が食い込むほど強く握りしめ、苦しげに顔を歪めた。
「俺は、誰かの
美琴は息を呑んだ。
空の言葉の裏にある、彼自身の凄惨な過去の重みが、冷たい刃となって彼女の胸に突き刺さる。
「あの子たちが殺される現場を片付けるたびに……ひしゃげた死体をストレッチャーに乗せ、血を洗い流すたびに! 俺自身が殺されているような気がして……狂いそうだった!」
空の叫びが、破壊されたコントロールルームに悲痛に木霊する。
「今すぐ統括理事長の首を刎ねて、第1位をぶっ殺して、この狂った実験を止めたかった。こんなこと、一秒だってやりたくなかった……っ!」
「だったら……! だったらどうして!」
「できないんだよ!!」
空の血を吐くような絶叫が、美琴の言葉を強引に遮った。
「俺が暗部に牙を剥けば……統括理事会に反逆すれば、報復は俺一人じゃ終わらない! 上条や、青髪や、土御門……そして、君たちにまで、確実に暗部の刺客が差し向けられる!」
空の瞳の奥で、決して流れることのない涙が、血の涙となって溢れているように見えた。
「俺は……俺みたいな空っぽの化け物に、表の世界で笑いかけてくれる……お前たちを失うのが、怖かったんだ……!」
暗部に与し、地べたを這いずり、泥を啜ってでも。自分の手をどれだけ血で汚そうとも、彼ら彼女らの平和な日常を守りたかった。
その残酷な代償として、自分と同じ「代替品」である妹達の命を、暗闇の中で見殺しにするしかなかった。それが、瀬川空という少年の抱えていた地獄のような葛藤の全てだった。
美琴は目を見開き、愕然とその場に立ち尽くした。
彼を責める言葉など、もう一言も出てこない。自分は自分のクローンを救えなかった無力さに絶望していたが、目の前の少年は、自分たち表の世界の人間を守るために、たった一人でその死体の山を背負い続けていたのだ。
「……悪いな。醜い言い訳だ」
空は乱れた呼吸を整え、再び顔から感情を消し去った。
「それじゃあ、俺はこの実験の片付けに行かないと。……これ以上、深追いするなよ、第3位」
空は、言葉を失った美琴を残し、逃げるようにその場から立ち去っていった。
♢
数分後。
第7学区、人気のない暗い路地裏。
そこはつい先程、第10031次実験が行われ、第1位の手によって妹が惨殺された現場だった。
鼻を突く血の匂いの中、空が到着した時には、既に別の妹達があらかたの遺体回収と後処理を終えようとしていた。
「……すまない。遅れた」
空は、内臓が千切れるような苦悶の表情をどうにか押し殺し、冷徹な掃除屋を装いながら妹達に声をかけた。
いつもと同じ、自分と同じ顔をした死体を処理する、無機質な作業。
「いえ、片付け自体には何の問題もありません、とミサカは応答します」
一人の妹が、ミリタリーゴーグルを上げて感情の読めない瞳を向け、淡々と報告する。
その抑揚のない機械的な声が、かえって空の良心に鋭いナイフのように突き刺さる。
だが、空はその無機質な報告の中に、一つ気になる表現があることに気がついた。
「……自体?」
「ええ、実は一つ問題があります、とミサカは打ち明けます」
妹は、どこか困惑したような、あるいは申し訳なさそうな微細な表情の変化を見せた。
「処理作業の途中で、あの少年に遭遇し、事態を目撃されました、とミサカは報告します」
「あの少年って……上条、か」
空は、妹達の限られた交友関係と、この第七学区という場所から、すぐに一つの明確な答えを導き出した。
先日、街中で御坂妹が接触していたという、ツンツン頭のお節介な高校生。
「そうなりますね、とミサカは肯定します」
「…………」
空は無言で天を仰いだ。
「……分かった。少し考えさせてくれ」
上条当麻が、この狂った実験の全貌を知った。
あの、世界中の誰が相手だろうと、理不尽を絶対に許さない男が。目の前で泣いている少女がいれば、自分の命を投げ打ってでも助けようとする、あの大馬鹿野郎が。
この実験を知って、どう思うだろうか? そして、どう行動するだろうか?
(……止めに行く、だろうな)
答えは簡単に出せた。絶対に、第一位の前に立ち塞がる。それが上条当麻という人間だ。
暗部の掃除屋としての本来の任務に従うならば、空は今すぐ上条を追いかけ、その記憶を物理的に消去するか、気絶させて拘束し、この計画から遠ざけなければならない。
そもそも、上条たちをこの暗部の闇に巻き込まないために、空はこれまでずっと泥を被り、妹達を見殺しにするという地獄に耐えてきたのだから。
だが。
為す術もなく、絶対的な無力さに打ちひしがれていた空にとって。
『上条当麻の介入』は、この真っ暗闇の底に差し込んだ、唯一の希望の光でもあった。
どんな異能の力も打ち消す、あの右手の力があれば。
学園都市最強の第1位が相手でも、あるいは倒せるかもしれない。このふざけた殺戮実験を、根底からぶち壊してくれるかもしれない。
「……ハハッ」
空の口から、乾いた笑い声が漏れた。
「上条たちを巻き込まないように……大人しくビーカー野郎に従ってたんじゃなかったのかよ、俺は。……結局、他力本願かよ」
自身の矛盾と、情けなさに嘲笑する。
それでも。彼が美琴を守り、妹達を救うためには、もうその希望に縋るしかなかった。
空は、上条が走っていったであろう方向――第1位が待つ実験場が設営された方角を見据えた。
感情の抜け落ちた瞳の奥に、強い祈りの光を灯して。
「……上条。俺の代わりの主人公。……後は、頼んだ」
夜の闇に溶けていくようなその呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。