【男の娘】チンポ付き、声変わり前に日本一のアイドルを獲る 作:サボテニウム
天宮ひかりが男だと認めた記者会見から、一週間。
世間は思ったより早く順応した。
《男の娘アイドル》
《正直すぎる詐欺師》
《ファンへ悪口を直接言う清純派》
《黒崎麗奈の胸が好きな男》
「最後の肩書きだけ消せねえのか!」
光は事務所のパソコンへ拳を叩きつけた。
「俺の芸能活動、麗奈の胸に全部吸われてんぞ!」
獅子堂は隣で武道館の販売状況を確認している。
「一番検索されてる」
「俺の代表作を他人の乳にすんな!」
「関連商品も売れた」
机へ新しいTシャツが置かれた。
胸元には大きく、
《実物の方がでかい》
「売るなァァァァ!」
「黒崎麗奈の事務所から苦情が来た」
「当たり前だ!」
「売上の一割で示談した」
「本人の胸を本人抜きで収益化すんな!」
「二割を要求された」
「向こうも商売始めてんじゃねえか!」
記者会見後、一度は二千席近くまで落ち込んだ武道館チケットは、黒崎麗奈の応援声明と炎上の再燃によって持ち直していた。
販売済み、五千八百二十二席。
残り、約四千。
公演まで四十三日。
「間に合わねえだろ」
「今のペースなら無理」
「さらっと死亡診断書読むな!」
「営業を増やす」
獅子堂が予定表を渡した。
翌日、北海道。
その翌日、福岡。
次の日、大阪。
名古屋。
仙台。
沖縄。
「全国ツアーじゃねえか!」
「全国行商」
「アイドルを海産物みたいに売り歩くな!」
「寝台車を用意した」
「珍しく優しいな」
「移動中も配信できる」
「寝顔まで搾り取る気か!」
「寝言も切り抜く」
「俺の無意識にまで著作権主張すんな!」
◇
光は全国を回った。
北海道では雪まつりの端で歌った。
「寒い! スカートで来させた奴、凍死したら死体にパンツかぶせるぞ!」
福岡では商店街を歩いた。
「武道館来てくださーい! 男でーす! でも顔はいいでーす!」
大阪では客から、
「ほんまに男なん?」
と聞かれた。
「疑うならチケット買って確かめに来い!」
「武道館で脱ぐん?」
「公然わいせつの予告で客集めさせんな!」
名古屋では巨大なエビフライを持たされた。
「これで男性の象徴を隠して」
「象徴が二本に増えただけだろ!」
仙台では牛タン店の一日店長。
「ひかりちゃんのタンください!」
「俺の舌は非売品だ! 牛の食え!」
沖縄では海を背に撮影した。
獅子堂が言う。
「沈める場所の下見」
「観光パンフレットに殺害予告混ぜんな!」
光はどこへ行っても、同じことを言った。
「来たくないなら来なくていい!」
「俺は男だ!」
「歌もまだ下手だ!」
「踊りは少しマシになった!」
「顔だけはテメーらの推しよりいい!」
各地のアイドルファンから罵声が飛んだ。
物が飛んだ。
たまに下着も飛んだ。
「投げるなら女物にしろ! 男物は俺が履けるから反応に困る!」
それでも最後には、武道館のチケットが売れた。
配信を見て笑った者。
光の失言を生で聞きたい者。
男だと分かった途端、逆に興味を持った者。
黒崎麗奈との関係を見届けたい者。
光が本当に一万人を集められるのか、失敗を見物したいだけの者。
動機は何でもよかった。
座れば客だった。
武道館まで残り二十日。
販売済み、八千三百二十一席。
「あと千六百七十九」
光は座席表を見上げた。
「見えてきたな」
「油断しないで」
「してねえよ」
「声」
獅子堂が言った。
光は黙った。
この一週間で、声のかすれが増していた。
高音が出にくい。
喉が痛いわけではない。
むしろ低い音が、以前より自然に出る。
十八年間待ち続けた声変わりが、よりによって今、本格的に始まろうとしていた。
「病院では?」
「いつ変わってもおかしくない」
「武道館まで二十日」
「知ってる」
「商品寿命」
「俺の成長を賞味期限で呼ぶな」
獅子堂は光を見る。
「口パクにする?」
「しねえ」
「別の歌手に歌わせる」
「誰のライブだよ」
「顔は君」
「中身まで他人にしたら、俺にはチンポしか残らねえだろ!」
「あるね」
「安心材料みたいに言うな!」
光は喉に手を当てる。
「今まで顔も声も性別も、全部嘘だった」
「顔は本物」
「女として売った時点で嘘だ」
光は鏡の中の自分を見る。
長い髪。
白い衣装。
女にしか見えない顔。
「最後くらい、自分の声で歌う」
「出なくなったら?」
「客に歌わせる」
「また?」
「一回成功した芸は擦るんだよ!」
「成長したね」
「芸能界の悪い方にな!」
◇
武道館まで残り十二日。
黒崎麗奈がドラゴンプロモーションのスタジオへ来た。
「何しに来た」
「最後のレッスン」
「事務所に止められてるだろ」
「謹慎になった」
光の口が開いた。
「は?」
「あなたの武道館に出るって言ったら、しばらく活動を休めって」
「人生を勢いで悪化させんな!」
「もう出演届は出したから」
麗奈が一枚の紙を見せる。
出演者。
《黒崎麗奈》
「本人の許可を取る前に名前書いた獅子堂と同じことしてんぞ!」
「あなたの許可は必要ないでしょう?」
「俺のライブだよ!」
麗奈は腕を組んだ。
「男だって認めた時、私の胸の話までした責任を取ってもらうから」
「そっち!?」
「武道館で正式に訂正して」
「何を」
「実物の方が大きいという発言」
「訂正するとこそこかよ!」
「具体的なサイズを公表されたみたいで嫌なの!」
「俺、数字は言ってねえだろ!」
「視線で言ってた!」
「目に字幕つけんな!」
スタジオの外では、獅子堂が撮影していた。
「やめろ! 恋愛ニュースじゃなくて乳裁判だぞ!」
「話題になる」
「今さら話題の薪を追加すんな! 武道館が炭になるわ!」
麗奈は光の喉を気にしていた。
以前より低くかすれた声。
歌えば途中で裏返る。
「本番まで持つ?」
「持たせる」
「無理しないで」
「今さら無理しないで何が残るんだよ」
麗奈は少し黙った。
「逃げてもいいと思う」
「獅子堂にも言われた」
「珍しいわね」
「借金返した後だけどな」
「じゃあ、どうして続けるの?」
光は答えなかった。
座席表を見る。
赤く埋まった八千を超える席。
光を女だと思って買った者。
男だと知って買い直した者。
本人から悪口を言われたくて買った変態。
蜂型ペンライトを一万人で鳴らしたい狂人。
麗奈にもう一度殴られるところを見たい復讐者。
「客がバカだから」
「何それ」
「見る目がねえんだよ」
光は鼻を鳴らした。
「俺みてえなのに金払って、仕事休んで、地方から東京まで来る」
「だから?」
「バカを放置すると危ねえだろ」
「あなたが言う?」
「俺が責任持って、一か所に集める」
「武道館へ?」
「まとめて隔離だ」
麗奈が笑った。
「ファン思いなのね」
「今の話聞いてその感想になるお前も隔離対象だ!」
◇
公演前日。
チケット販売数、九千九百二十七。
残り七十三席。
「ここまで来て七十三人足りねえ!」
光は事務所の机へ突っ伏した。
「もう社員全員買え!」
「買ってる」
「親戚!」
「買ってる」
「債務者!」
「買わせたら君が怒る」
「今日だけ倫理を質屋へ入れろ!」
「戻ってこないかも」
「テメーは最初から預けっぱなしだろ!」
母親が段ボールを抱えて入ってきた。
「光、最後の衣装ができたわよ」
箱の中には、白いドレスが入っていた。
最初に着せられた、前任のホワイトリリーのセンター衣装。
何度も破れ、汚れ、そのたびに母親が直してきた。
だが、同じ衣装ではない。
光の身体に合わせて作り直されている。
胸元の白百合。
スカートの裾。
裏地には、小さな蜂の刺繍。
「何で蜂入れた」
「縁起物でしょう?」
「俺を刺した害虫だよ!」
「売れたでしょう?」
「母さんまで獅子堂に染まってんじゃねえ!」
光は衣装へ触れた。
「これで、最後か」
「何が?」
「天宮ひかり」
母親は少しだけ黙った。
「声が変わっても、光は光でしょう?」
「まともなこと言うと気持ち悪いな」
「衣装代は事務所の経費よ」
「先に言え!」
夜。
光は眠れなかった。
声を出してみる。
「あー」
低い。
明らかに昨日より低い。
高音を出そうとすると、空気だけが漏れた。
「この野郎……」
十八年間、来いと思っていた。
今来たら殺すと思っていた。
自分の身体に対して、これほど理不尽な怒りを抱いたことはない。
スマートフォンが震えた。
獅子堂からのメッセージ。
《寝て》
「テメーが一番眠れなくしたんだろ」
返信する。
《七十三席どうすんだ》
《当日券》
《売れなかったら》
《空席》
《東京湾は》
《ない》
光は画面を見る。
少しだけ肩の力が抜けた。
続けてメッセージ。
《でも赤字》
「人の感傷を決算書で殴るな!」
◇
日本武道館。
公演当日。
光は舞台袖から客席を覗いた。
広い。
広すぎる。
一階席。
二階席。
アリーナ。
白いペンライト。
蜂型ペンライト。
《穴開きショック》Tシャツ。
《危険な真実》タオル。
《実物の方がでかい》Tシャツ。
「最後の着てる奴、麗奈に見つかったら殺されるぞ」
「もう見つけた」
背後に麗奈がいた。
「俺じゃねえ! 獅子堂が作った!」
「あなたも売上受け取ってるでしょう?」
「一割だけだ!」
「共犯ね」
「取り分で罪を軽くしろ!」
客席から声が飛ぶ。
「ひかりちゃーん!」
「男でもかわいいぞー!」
「穴開きショックやってー!」
「一万人集まって最初に求めるのが下ネタかよ!」
さらに大きな歓声が返る。
まだ舞台袖なのに、声が届いている。
光は喉を押さえた。
リハーサルでは、高音がほとんど出なかった。
医師もスタッフも、曲目変更を勧めた。
獅子堂は口パク用の音源まで用意している。
「逃げてもいい」
背後から獅子堂が言った。
「またそれか」
「満員じゃない」
当日券を含め、販売数は九千九百八十八席。
十二席、空いている。
「借金はない」
「分かってる」
「東京湾もない」
「それも聞いた」
「声も変わる」
「うるせえな」
光は獅子堂を振り返った。
「テメーが俺をここへ入れたんだろ」
「うん」
「顔と声だけ見て」
「売れると思った」
「俺の気持ちは?」
「売上に関係ない」
「最後までブレねえなテメー!」
獅子堂は光を見る。
「今は?」
「何が」
「売れる?」
光は客席を見た。
少し考えた。
「知らねえよ」
笑う。
「売ってくる」
白いドレスの裾を翻し、ステージへ出た。
◇
大歓声が、身体を殴った。
一万人近い人間。
自分だけに向けられた光。
光は、最後まで天宮ひかりだった。
長い黒髪。
白いドレス。
胸元の百合。
スカートの下には、半年間守り抜いた危険な真実。
「見るなよ!」
何も起きていないのに、光は先に警告した。
客席が笑う。
「今日こそ衣装破れるかと思って!」
「期待すんな! 俺の股間はアンコールに対応してねえ!」
最初の曲。
前任のホワイトリリーから引き継いだ代表曲。
イントロが流れる。
光は歌い始めた。
一番は出た。
今までより少し低い。
それでも、天宮ひかりの声だった。
二番。
高音で声が裏返った。
客席がざわつく。
光は続けようとした。
声が出ない。
伴奏だけが進む。
初ライブと同じだった。
ただし、あの時は百八十人。
今は一万人。
ここで止まれば、母校への取材どころではない。
日本中の茶の間が気まずくなる。
光は手を上げた。
伴奏が止まる。
武道館が静まり返った。
「ごめん」
光の声は低く、かすれていた。
「もう、今までの声じゃ歌えねえ」
客席から、
「頑張れ!」
と声が飛んだ。
「言われなくても頑張ってんだよ!」
笑いが起きる。
「九千八百円払ったからって上から来んな! テメーら全員、俺が歌詞忘れた時に歌う予備パーツだからな!」
歓声。
光は客席を見回した。
「十八年間、声変わりしねえのが嫌だった」
「男なのに女みてえな声で、電話に出りゃ母親と間違われる」
「カラオケ行きゃ、毎回女の歌」
「コンビニじゃ、お姉さん」
「高校の友達には、女のふりして告白電話させられた」
客席から笑い。
「だから、早く声変われって」
「ずっと思ってた」
喉へ手を当てる。
「なのに」
一度、息を吸った。
「よりによって今日かよ」
武道館が笑いに包まれた。
「十八年待った成長期が、武道館当日に来やがった!」
光は天井へ向かって叫ぶ。
「空気読めや俺の喉ォォォ!」
拍手と笑い。
光も笑った。
「でも」
客席を見る。
「この声だったから」
シロユリ一筋十八年がいる。
山本がいる。
高齢者施設の老婆がいる。
地下ライブで勝手に古参へ任命した男がいる。
日本中から集まった、見る目のない馬鹿たちがいる。
「お前らと会えた」
武道館が静まった。
光は照れたように鼻をこする。
「だから」
長く言うつもりはなかった。
格好いいことを言えば、どうせ自分で台無しにする。
「今日だけは、この声に礼を言う」
客席から拍手。
「十八年間、散々俺を苦しめやがって」
「最後に一万人集めたから、チャラにしてやる」
誰かが叫んだ。
「ひかりの声、大好きだー!」
「俺は嫌いだったんだよ!」
光は怒鳴り返した。
だが、少しだけ目が潤んでいた。
「泣いてるー!」
「泣いてねえ!」
鼻をすすった。
「鼻から感動が出ただけだ!」
客席が笑う。
「それから」
光は白いドレスの裾をつまんだ。
「今日で、美少女アイドル天宮ひかりは終わります」
客席がざわついた。
どこかから男の声。
「結婚してー!」
「人の引退宣言に戸籍乗せんな!」
「男でもいいー!」
「俺がよくねえんだよ!」
笑い。
光はマイクを握り直した。
「でも、最後まで」
「今日は天宮ひかりで歌う」
衣装は脱がない。
ウィッグも外さない。
声が変わっても、今夜だけは天宮ひかり。
半年間、光を武道館まで運んだ姿を、最後まで捨てない。
「じゃあ最後!」
光は客席へマイクを向けた。
「声が出ねえところは、テメーらが歌え!」
大歓声。
「一緒に歌えェェェ!」
音楽が始まった。
新曲。
《一位になるまで帰れない》
低くなり始めた、不安定な声。
女声と男声の中間。
何度も裏返った。
高音は出ない。
上手くもない。
それでも客席が歌った。
初ライブと同じ。
光が歌えないところを、ファンが埋める。
黒崎麗奈がステージへ現れた。
地下ライブで出会ったアイドルたち。
各地で共演した者たち。
全員がコーラスへ加わる。
武道館全体が、一つの歌になった。
白いドレスの天宮ひかりは、最後まで笑っていた。
◇
最後の曲が終わる直前。
鬼塚が舞台袖から光へ合図した。
十二席の空席。
まだ埋まっていない。
満員ではない。
獅子堂が入口へ向かう。
ちょうどそこへ、スーツ姿の男たちが入ってきた。
一人が手帳を見せる。
「警察です。獅子堂龍一さんですね」
「違います」
獅子堂は即答した。
「本人だろ!」
舞台上から光が叫んだ。
「今さら身元隠してんじゃねえ!」
「恐喝、違法貸付、文書偽造、動物病院の診断書悪用などの容疑で逮捕状が出ています」
「最後だけ前代未聞だな!」
光の声が武道館へ響く。
警察官は客席を見た。
「公演終了まで待ちます」
獅子堂が十二人の捜査員を指差す。
「座って」
「我々は捜査に来たんです」
「十二席空いてる」
「客ではありません」
「座れば客」
「法律を座席表で曲げるな!」
光がマイクを握ったまま叫ぶ。
「座れ警察!」
「何を言ってるんだ!」
「九千九百八十八人待たせてんだ! 逮捕は二曲後にしろ!」
客席から、
「座れ!」
「警察も推せ!」
「チケット代払え!」
という大合唱。
捜査員たちは困惑しながら、最後の十二席へ座った。
会場管理スタッフが合図する。
全席、着席。
満員。
光は両腕を上げた。
「武道館、満員だァァァァ!」
割れんばかりの歓声。
直後。
「獅子堂龍一、逮捕!」
別の歓声。
獅子堂が手錠をかけられる。
「何で客が喜んでる」
「半年見てりゃ誰でもそうなるわ!」
獅子堂は連行されながら、光を見た。
「売れたね」
「テメーは先に自分の身柄売ってこい!」
◇
公演の最後。
光は客席を見渡した。
シロユリ一筋十八年。
山本。
高齢者施設の老婆。
地下ライブで古参にされた男。
全国で出会った人間。
男だと知っても買い直したファン。
麗奈。
両親。
「最初は、テメーら全員金づるだと思ってた」
客席から、
「知ってる!」
「今も思ってる」
「知ってる!」
「一人五枚買え!」
「もう買った!」
「じゃあ家族だ!」
笑いと歓声。
光は少しだけ目を伏せた。
「半年間」
「俺みてえな嘘つきに付き合ってくれて、ありがとな」
客席が静まる。
「俺は男だし」
「口は悪いし」
「歌詞は忘れるし」
「蜂に刺されたら下ネタ言うし」
「黒崎麗奈の胸も見る」
麗奈が横から光の頭を叩いた。
「最後に追加するな!」
「いてっ!」
客席が笑う。
光は頭を押さえながら、笑った。
「でも」
「お前らが見てた天宮ひかりは」
「全部、俺だ」
男だと隠していたことも。
ファンを金づると呼んだことも。
ファンの顔を覚えたことも。
無理をする客を止めたことも。
蜂に刺されて泣いたことも。
武道館まで逃げずに来たことも。
「だから」
「今日で終わっても」
「忘れんなよ」
客席から、
「忘れない!」
と返る。
光は鼻をすすった。
「泣いてるー!」
「泣いてねえっつってんだろ!」
白いドレスの袖で目元を拭く。
「化粧落ちるだろコノヤロー!」
最後まで笑いが返ってきた。
「これで、美少女アイドル天宮ひかりは終わりだ」
少し間を置く。
「じゃ、帰るわ」
光はあっさり舞台袖へ歩き出した。
客席が騒ぐ。
スタッフが固まる。
麗奈が光のマイクを奪った。
「帰るな」
「何だよ」
「アンコール」
客席から声が始まる。
「アンコール!」
「アンコール!」
「アンコール!」
武道館全体へ広がる。
光は喉を押さえた。
「声出ねえって言ってんだろ!」
「歌えー!」
「ブラック企業かここは!」
「歌えー!」
「九千八百円で残業まで要求すんな!」
光は頭を掻いた。
白いドレスのまま、再びステージ中央へ戻る。
「一曲だけだからな!」
歓声。
「歌えねえところは全部お前らが歌え!」
さらに大きな歓声。
「あと、麗奈!」
「何?」
「胸の件は謝る!」
「今?」
「実物の方が――」
麗奈の拳が光の腹へ入った。
「最後まで言わせろォォォ!」
アンコールが始まった。
天宮ひかりの最後の夜は、予定より一曲だけ長く続いた。
◇
公演から三日後。
光は東京拘置所の面会室にいた。
ガラスの向こうには獅子堂。
収監されても無表情。
高級スーツが拘置所の服へ変わっただけで、雰囲気はほとんど同じだった。
「テメーのせいで警察から事情聴取されたぞ」
「話題になったね」
「芸能ニュースと社会面を同時制覇させんな!」
「武道館、黒字」
「捕まって最初の話がそれかよ!」
「グッズも売れてる」
「誰の」
「逮捕記念」
獅子堂が一枚のTシャツをガラスへ押しつけた。
《獅子堂、御用》
「犯罪を公式グッズにすんな!」
「予約一万枚」
「俺の武道館より売れてんじゃねえか!」
獅子堂は次の書類を出した。
東京ドーム。
一年後。
「……何だこれ」
「予約確認書」
「見りゃ分かる! 何で東京ドーム押さえてんだ!」
「男性アイドル、天宮光」
「俺、引退するって言ったよな!」
「美少女アイドルはね」
「言葉の隙間から次の契約入れんな!」
「声変わり後の成長物語」
「俺の第二次性徴を第二期扱いすんな!」
「東京ドーム、五万人」
「武道館の五倍じゃねえか!」
「埋まらなかったら」
獅子堂が少しだけ口元を上げた。
「東京湾」
「留置場からどうやって沈めんだよ!」
「部下がいる」
背後で刑務官が咳払いした。
光は受話器を握り締める。
「テメーの興行、海しか出口がねえのか!」
「売れるよ」
「何が!」
「君」
光は黙った。
十八年間嫌いだった顔と声。
そのすべてを、最初に売れると言った男。
光は書類を見る。
東京ドーム。
五万人。
無理に決まっている。
馬鹿げている。
また炎上する。
また恥をかく。
また最低な目に遭う。
そしてたぶん、少しだけ面白い。
「……ギャラは?」
「借金ないから、三割」
「七割どこ行った!」
「経費」
「捕まっても取り分変わんねえじゃねえか!」
光は受話器を叩きつけた。
「二度とやるかァァァァ!」
◇
翌日。
ドラゴンプロモーション公式アカウント。
《重大発表》
《男性アイドル・天宮光》
《一年後、東京ドーム単独公演決定》
投稿には、留置場の獅子堂が親指を立てる写真が添えられていた。
投稿から一分。
光から電話。
「釈放前に次の事件起こしてんじゃねえぞテメーーーッ!」
予約開始から一時間。
東京ドームのチケットは、五百枚売れた。
美少女アイドル天宮ひかりの物語は、武道館で終わった。
天宮光の地獄は、ここから始まる。
東京湾は今日も冷たかった。
完!
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