【男の娘】チンポ付き、声変わり前に日本一のアイドルを獲る   作:サボテニウム

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最終話 東京湾より深い推しの愛

 

 

 

 天宮ひかりが男だと認めた記者会見から、一週間。

 

 世間は思ったより早く順応した。

 

《男の娘アイドル》

 

《正直すぎる詐欺師》

 

《ファンへ悪口を直接言う清純派》

 

《黒崎麗奈の胸が好きな男》

 

「最後の肩書きだけ消せねえのか!」

 

 光は事務所のパソコンへ拳を叩きつけた。

 

「俺の芸能活動、麗奈の胸に全部吸われてんぞ!」

 

 獅子堂は隣で武道館の販売状況を確認している。

 

「一番検索されてる」

 

「俺の代表作を他人の乳にすんな!」

 

「関連商品も売れた」

 

 机へ新しいTシャツが置かれた。

 

 胸元には大きく、

 

《実物の方がでかい》

 

「売るなァァァァ!」

 

「黒崎麗奈の事務所から苦情が来た」

 

「当たり前だ!」

 

「売上の一割で示談した」

 

「本人の胸を本人抜きで収益化すんな!」

 

「二割を要求された」

 

「向こうも商売始めてんじゃねえか!」

 

 記者会見後、一度は二千席近くまで落ち込んだ武道館チケットは、黒崎麗奈の応援声明と炎上の再燃によって持ち直していた。

 

 販売済み、五千八百二十二席。

 

 残り、約四千。

 

 公演まで四十三日。

 

「間に合わねえだろ」

 

「今のペースなら無理」

 

「さらっと死亡診断書読むな!」

 

「営業を増やす」

 

 獅子堂が予定表を渡した。

 

 翌日、北海道。

 

 その翌日、福岡。

 

 次の日、大阪。

 

 名古屋。

 

 仙台。

 

 沖縄。

 

「全国ツアーじゃねえか!」

 

「全国行商」

 

「アイドルを海産物みたいに売り歩くな!」

 

「寝台車を用意した」

 

「珍しく優しいな」

 

「移動中も配信できる」

 

「寝顔まで搾り取る気か!」

 

「寝言も切り抜く」

 

「俺の無意識にまで著作権主張すんな!」

 

     ◇

 

 光は全国を回った。

 

 北海道では雪まつりの端で歌った。

 

「寒い! スカートで来させた奴、凍死したら死体にパンツかぶせるぞ!」

 

 福岡では商店街を歩いた。

 

「武道館来てくださーい! 男でーす! でも顔はいいでーす!」

 

 大阪では客から、

 

「ほんまに男なん?」

 

 と聞かれた。

 

「疑うならチケット買って確かめに来い!」

 

「武道館で脱ぐん?」

 

「公然わいせつの予告で客集めさせんな!」

 

 名古屋では巨大なエビフライを持たされた。

 

「これで男性の象徴を隠して」

 

「象徴が二本に増えただけだろ!」

 

 仙台では牛タン店の一日店長。

 

「ひかりちゃんのタンください!」

 

「俺の舌は非売品だ! 牛の食え!」

 

 沖縄では海を背に撮影した。

 

 獅子堂が言う。

 

「沈める場所の下見」

 

「観光パンフレットに殺害予告混ぜんな!」

 

 光はどこへ行っても、同じことを言った。

 

「来たくないなら来なくていい!」

 

「俺は男だ!」

 

「歌もまだ下手だ!」

 

「踊りは少しマシになった!」

 

「顔だけはテメーらの推しよりいい!」

 

 各地のアイドルファンから罵声が飛んだ。

 

 物が飛んだ。

 

 たまに下着も飛んだ。

 

「投げるなら女物にしろ! 男物は俺が履けるから反応に困る!」

 

 それでも最後には、武道館のチケットが売れた。

 

 配信を見て笑った者。

 

 光の失言を生で聞きたい者。

 

 男だと分かった途端、逆に興味を持った者。

 

 黒崎麗奈との関係を見届けたい者。

 

 光が本当に一万人を集められるのか、失敗を見物したいだけの者。

 

 動機は何でもよかった。

 

 座れば客だった。

 

 武道館まで残り二十日。

 

 販売済み、八千三百二十一席。

 

「あと千六百七十九」

 

 光は座席表を見上げた。

 

「見えてきたな」

 

「油断しないで」

 

「してねえよ」

 

「声」

 

 獅子堂が言った。

 

 光は黙った。

 

 この一週間で、声のかすれが増していた。

 

 高音が出にくい。

 

 喉が痛いわけではない。

 

 むしろ低い音が、以前より自然に出る。

 

 十八年間待ち続けた声変わりが、よりによって今、本格的に始まろうとしていた。

 

「病院では?」

 

「いつ変わってもおかしくない」

 

「武道館まで二十日」

 

「知ってる」

 

「商品寿命」

 

「俺の成長を賞味期限で呼ぶな」

 

 獅子堂は光を見る。

 

「口パクにする?」

 

「しねえ」

 

「別の歌手に歌わせる」

 

「誰のライブだよ」

 

「顔は君」

 

「中身まで他人にしたら、俺にはチンポしか残らねえだろ!」

 

「あるね」

 

「安心材料みたいに言うな!」

 

 光は喉に手を当てる。

 

「今まで顔も声も性別も、全部嘘だった」

 

「顔は本物」

 

「女として売った時点で嘘だ」

 

 光は鏡の中の自分を見る。

 

 長い髪。

 

 白い衣装。

 

 女にしか見えない顔。

 

「最後くらい、自分の声で歌う」

 

「出なくなったら?」

 

「客に歌わせる」

 

「また?」

 

「一回成功した芸は擦るんだよ!」

 

「成長したね」

 

「芸能界の悪い方にな!」

 

     ◇

 

 武道館まで残り十二日。

 

 黒崎麗奈がドラゴンプロモーションのスタジオへ来た。

 

「何しに来た」

 

「最後のレッスン」

 

「事務所に止められてるだろ」

 

「謹慎になった」

 

 光の口が開いた。

 

「は?」

 

「あなたの武道館に出るって言ったら、しばらく活動を休めって」

 

「人生を勢いで悪化させんな!」

 

「もう出演届は出したから」

 

 麗奈が一枚の紙を見せる。

 

 出演者。

 

《黒崎麗奈》

 

「本人の許可を取る前に名前書いた獅子堂と同じことしてんぞ!」

 

「あなたの許可は必要ないでしょう?」

 

「俺のライブだよ!」

 

 麗奈は腕を組んだ。

 

「男だって認めた時、私の胸の話までした責任を取ってもらうから」

 

「そっち!?」

 

「武道館で正式に訂正して」

 

「何を」

 

「実物の方が大きいという発言」

 

「訂正するとこそこかよ!」

 

「具体的なサイズを公表されたみたいで嫌なの!」

 

「俺、数字は言ってねえだろ!」

 

「視線で言ってた!」

 

「目に字幕つけんな!」

 

 スタジオの外では、獅子堂が撮影していた。

 

「やめろ! 恋愛ニュースじゃなくて乳裁判だぞ!」

 

「話題になる」

 

「今さら話題の薪を追加すんな! 武道館が炭になるわ!」

 

 麗奈は光の喉を気にしていた。

 

 以前より低くかすれた声。

 

 歌えば途中で裏返る。

 

「本番まで持つ?」

 

「持たせる」

 

「無理しないで」

 

「今さら無理しないで何が残るんだよ」

 

 麗奈は少し黙った。

 

「逃げてもいいと思う」

 

「獅子堂にも言われた」

 

「珍しいわね」

 

「借金返した後だけどな」

 

「じゃあ、どうして続けるの?」

 

 光は答えなかった。

 

 座席表を見る。

 

 赤く埋まった八千を超える席。

 

 光を女だと思って買った者。

 

 男だと知って買い直した者。

 

 本人から悪口を言われたくて買った変態。

 

 蜂型ペンライトを一万人で鳴らしたい狂人。

 

 麗奈にもう一度殴られるところを見たい復讐者。

 

「客がバカだから」

 

「何それ」

 

「見る目がねえんだよ」

 

 光は鼻を鳴らした。

 

「俺みてえなのに金払って、仕事休んで、地方から東京まで来る」

 

「だから?」

 

「バカを放置すると危ねえだろ」

 

「あなたが言う?」

 

「俺が責任持って、一か所に集める」

 

「武道館へ?」

 

「まとめて隔離だ」

 

 麗奈が笑った。

 

「ファン思いなのね」

 

「今の話聞いてその感想になるお前も隔離対象だ!」

 

     ◇

 

 公演前日。

 

 チケット販売数、九千九百二十七。

 

 残り七十三席。

 

「ここまで来て七十三人足りねえ!」

 

 光は事務所の机へ突っ伏した。

 

「もう社員全員買え!」

 

「買ってる」

 

「親戚!」

 

「買ってる」

 

「債務者!」

 

「買わせたら君が怒る」

 

「今日だけ倫理を質屋へ入れろ!」

 

「戻ってこないかも」

 

「テメーは最初から預けっぱなしだろ!」

 

 母親が段ボールを抱えて入ってきた。

 

「光、最後の衣装ができたわよ」

 

 箱の中には、白いドレスが入っていた。

 

 最初に着せられた、前任のホワイトリリーのセンター衣装。

 

 何度も破れ、汚れ、そのたびに母親が直してきた。

 

 だが、同じ衣装ではない。

 

 光の身体に合わせて作り直されている。

 

 胸元の白百合。

 

 スカートの裾。

 

 裏地には、小さな蜂の刺繍。

 

「何で蜂入れた」

 

「縁起物でしょう?」

 

「俺を刺した害虫だよ!」

 

「売れたでしょう?」

 

「母さんまで獅子堂に染まってんじゃねえ!」

 

 光は衣装へ触れた。

 

「これで、最後か」

 

「何が?」

 

「天宮ひかり」

 

 母親は少しだけ黙った。

 

「声が変わっても、光は光でしょう?」

 

「まともなこと言うと気持ち悪いな」

 

「衣装代は事務所の経費よ」

 

「先に言え!」

 

 夜。

 

 光は眠れなかった。

 

 声を出してみる。

 

「あー」

 

 低い。

 

 明らかに昨日より低い。

 

 高音を出そうとすると、空気だけが漏れた。

 

「この野郎……」

 

 十八年間、来いと思っていた。

 

 今来たら殺すと思っていた。

 

 自分の身体に対して、これほど理不尽な怒りを抱いたことはない。

 

 スマートフォンが震えた。

 

 獅子堂からのメッセージ。

 

《寝て》

 

「テメーが一番眠れなくしたんだろ」

 

 返信する。

 

《七十三席どうすんだ》

 

《当日券》

 

《売れなかったら》

 

《空席》

 

《東京湾は》

 

《ない》

 

 光は画面を見る。

 

 少しだけ肩の力が抜けた。

 

 続けてメッセージ。

 

《でも赤字》

 

「人の感傷を決算書で殴るな!」

 

     ◇

 

 日本武道館。

 

 公演当日。

 

 光は舞台袖から客席を覗いた。

 

 広い。

 

 広すぎる。

 

 一階席。

 

 二階席。

 

 アリーナ。

 

 白いペンライト。

 

 蜂型ペンライト。

 

《穴開きショック》Tシャツ。

 

《危険な真実》タオル。

 

《実物の方がでかい》Tシャツ。

 

「最後の着てる奴、麗奈に見つかったら殺されるぞ」

 

「もう見つけた」

 

 背後に麗奈がいた。

 

「俺じゃねえ! 獅子堂が作った!」

 

「あなたも売上受け取ってるでしょう?」

 

「一割だけだ!」

 

「共犯ね」

 

「取り分で罪を軽くしろ!」

 

 客席から声が飛ぶ。

 

「ひかりちゃーん!」

 

「男でもかわいいぞー!」

 

「穴開きショックやってー!」

 

「一万人集まって最初に求めるのが下ネタかよ!」

 

 さらに大きな歓声が返る。

 

 まだ舞台袖なのに、声が届いている。

 

 光は喉を押さえた。

 

 リハーサルでは、高音がほとんど出なかった。

 

 医師もスタッフも、曲目変更を勧めた。

 

 獅子堂は口パク用の音源まで用意している。

 

「逃げてもいい」

 

 背後から獅子堂が言った。

 

「またそれか」

 

「満員じゃない」

 

 当日券を含め、販売数は九千九百八十八席。

 

 十二席、空いている。

 

「借金はない」

 

「分かってる」

 

「東京湾もない」

 

「それも聞いた」

 

「声も変わる」

 

「うるせえな」

 

 光は獅子堂を振り返った。

 

「テメーが俺をここへ入れたんだろ」

 

「うん」

 

「顔と声だけ見て」

 

「売れると思った」

 

「俺の気持ちは?」

 

「売上に関係ない」

 

「最後までブレねえなテメー!」

 

 獅子堂は光を見る。

 

「今は?」

 

「何が」

 

「売れる?」

 

 光は客席を見た。

 

 少し考えた。

 

「知らねえよ」

 

 笑う。

 

「売ってくる」

 

 白いドレスの裾を翻し、ステージへ出た。

 

     ◇

 

 大歓声が、身体を殴った。

 

 一万人近い人間。

 

 自分だけに向けられた光。

 

 光は、最後まで天宮ひかりだった。

 

 長い黒髪。

 

 白いドレス。

 

 胸元の百合。

 

 スカートの下には、半年間守り抜いた危険な真実。

 

「見るなよ!」

 

 何も起きていないのに、光は先に警告した。

 

 客席が笑う。

 

「今日こそ衣装破れるかと思って!」

 

「期待すんな! 俺の股間はアンコールに対応してねえ!」

 

 最初の曲。

 

 前任のホワイトリリーから引き継いだ代表曲。

 

 イントロが流れる。

 

 光は歌い始めた。

 

 一番は出た。

 

 今までより少し低い。

 

 それでも、天宮ひかりの声だった。

 

 二番。

 

 高音で声が裏返った。

 

 客席がざわつく。

 

 光は続けようとした。

 

 声が出ない。

 

 伴奏だけが進む。

 

 初ライブと同じだった。

 

 ただし、あの時は百八十人。

 

 今は一万人。

 

 ここで止まれば、母校への取材どころではない。

 

 日本中の茶の間が気まずくなる。

 

 光は手を上げた。

 

 伴奏が止まる。

 

 武道館が静まり返った。

 

「ごめん」

 

 光の声は低く、かすれていた。

 

「もう、今までの声じゃ歌えねえ」

 

 客席から、

 

「頑張れ!」

 

 と声が飛んだ。

 

「言われなくても頑張ってんだよ!」

 

 笑いが起きる。

 

「九千八百円払ったからって上から来んな! テメーら全員、俺が歌詞忘れた時に歌う予備パーツだからな!」

 

 歓声。

 

 光は客席を見回した。

 

「十八年間、声変わりしねえのが嫌だった」

 

「男なのに女みてえな声で、電話に出りゃ母親と間違われる」

 

「カラオケ行きゃ、毎回女の歌」

 

「コンビニじゃ、お姉さん」

 

「高校の友達には、女のふりして告白電話させられた」

 

 客席から笑い。

 

「だから、早く声変われって」

 

「ずっと思ってた」

 

 喉へ手を当てる。

 

「なのに」

 

 一度、息を吸った。

 

「よりによって今日かよ」

 

 武道館が笑いに包まれた。

 

「十八年待った成長期が、武道館当日に来やがった!」

 

 光は天井へ向かって叫ぶ。

 

「空気読めや俺の喉ォォォ!」

 

 拍手と笑い。

 

 光も笑った。

 

「でも」

 

 客席を見る。

 

「この声だったから」

 

 シロユリ一筋十八年がいる。

 

 山本がいる。

 

 高齢者施設の老婆がいる。

 

 地下ライブで勝手に古参へ任命した男がいる。

 

 日本中から集まった、見る目のない馬鹿たちがいる。

 

「お前らと会えた」

 

 武道館が静まった。

 

 光は照れたように鼻をこする。

 

「だから」

 

 長く言うつもりはなかった。

 

 格好いいことを言えば、どうせ自分で台無しにする。

 

「今日だけは、この声に礼を言う」

 

 客席から拍手。

 

「十八年間、散々俺を苦しめやがって」

 

「最後に一万人集めたから、チャラにしてやる」

 

 誰かが叫んだ。

 

「ひかりの声、大好きだー!」

 

「俺は嫌いだったんだよ!」

 

 光は怒鳴り返した。

 

 だが、少しだけ目が潤んでいた。

 

「泣いてるー!」

 

「泣いてねえ!」

 

 鼻をすすった。

 

「鼻から感動が出ただけだ!」

 

 客席が笑う。

 

「それから」

 

 光は白いドレスの裾をつまんだ。

 

「今日で、美少女アイドル天宮ひかりは終わります」

 

 客席がざわついた。

 

 どこかから男の声。

 

「結婚してー!」

 

「人の引退宣言に戸籍乗せんな!」

 

「男でもいいー!」

 

「俺がよくねえんだよ!」

 

 笑い。

 

 光はマイクを握り直した。

 

「でも、最後まで」

 

「今日は天宮ひかりで歌う」

 

 衣装は脱がない。

 

 ウィッグも外さない。

 

 声が変わっても、今夜だけは天宮ひかり。

 

 半年間、光を武道館まで運んだ姿を、最後まで捨てない。

 

「じゃあ最後!」

 

 光は客席へマイクを向けた。

 

「声が出ねえところは、テメーらが歌え!」

 

 大歓声。

 

「一緒に歌えェェェ!」

 

 音楽が始まった。

 

 新曲。

 

《一位になるまで帰れない》

 

 低くなり始めた、不安定な声。

 

 女声と男声の中間。

 

 何度も裏返った。

 

 高音は出ない。

 

 上手くもない。

 

 それでも客席が歌った。

 

 初ライブと同じ。

 

 光が歌えないところを、ファンが埋める。

 

 黒崎麗奈がステージへ現れた。

 

 地下ライブで出会ったアイドルたち。

 

 各地で共演した者たち。

 

 全員がコーラスへ加わる。

 

 武道館全体が、一つの歌になった。

 

 白いドレスの天宮ひかりは、最後まで笑っていた。

 

     ◇

 

 最後の曲が終わる直前。

 

 鬼塚が舞台袖から光へ合図した。

 

 十二席の空席。

 

 まだ埋まっていない。

 

 満員ではない。

 

 獅子堂が入口へ向かう。

 

 ちょうどそこへ、スーツ姿の男たちが入ってきた。

 

 一人が手帳を見せる。

 

「警察です。獅子堂龍一さんですね」

 

「違います」

 

 獅子堂は即答した。

 

「本人だろ!」

 

 舞台上から光が叫んだ。

 

「今さら身元隠してんじゃねえ!」

 

「恐喝、違法貸付、文書偽造、動物病院の診断書悪用などの容疑で逮捕状が出ています」

 

「最後だけ前代未聞だな!」

 

 光の声が武道館へ響く。

 

 警察官は客席を見た。

 

「公演終了まで待ちます」

 

 獅子堂が十二人の捜査員を指差す。

 

「座って」

 

「我々は捜査に来たんです」

 

「十二席空いてる」

 

「客ではありません」

 

「座れば客」

 

「法律を座席表で曲げるな!」

 

 光がマイクを握ったまま叫ぶ。

 

「座れ警察!」

 

「何を言ってるんだ!」

 

「九千九百八十八人待たせてんだ! 逮捕は二曲後にしろ!」

 

 客席から、

 

「座れ!」

 

「警察も推せ!」

 

「チケット代払え!」

 

 という大合唱。

 

 捜査員たちは困惑しながら、最後の十二席へ座った。

 

 会場管理スタッフが合図する。

 

 全席、着席。

 

 満員。

 

 光は両腕を上げた。

 

「武道館、満員だァァァァ!」

 

 割れんばかりの歓声。

 

 直後。

 

「獅子堂龍一、逮捕!」

 

 別の歓声。

 

 獅子堂が手錠をかけられる。

 

「何で客が喜んでる」

 

「半年見てりゃ誰でもそうなるわ!」

 

 獅子堂は連行されながら、光を見た。

 

「売れたね」

 

「テメーは先に自分の身柄売ってこい!」

 

     ◇

 

 公演の最後。

 

 光は客席を見渡した。

 

 シロユリ一筋十八年。

 

 山本。

 

 高齢者施設の老婆。

 

 地下ライブで古参にされた男。

 

 全国で出会った人間。

 

 男だと知っても買い直したファン。

 

 麗奈。

 

 両親。

 

「最初は、テメーら全員金づるだと思ってた」

 

 客席から、

 

「知ってる!」

 

「今も思ってる」

 

「知ってる!」

 

「一人五枚買え!」

 

「もう買った!」

 

「じゃあ家族だ!」

 

 笑いと歓声。

 

 光は少しだけ目を伏せた。

 

「半年間」

 

「俺みてえな嘘つきに付き合ってくれて、ありがとな」

 

 客席が静まる。

 

「俺は男だし」

 

「口は悪いし」

 

「歌詞は忘れるし」

 

「蜂に刺されたら下ネタ言うし」

 

「黒崎麗奈の胸も見る」

 

 麗奈が横から光の頭を叩いた。

 

「最後に追加するな!」

 

「いてっ!」

 

 客席が笑う。

 

 光は頭を押さえながら、笑った。

 

「でも」

 

「お前らが見てた天宮ひかりは」

 

「全部、俺だ」

 

 男だと隠していたことも。

 

 ファンを金づると呼んだことも。

 

 ファンの顔を覚えたことも。

 

 無理をする客を止めたことも。

 

 蜂に刺されて泣いたことも。

 

 武道館まで逃げずに来たことも。

 

「だから」

 

「今日で終わっても」

 

「忘れんなよ」

 

 客席から、

 

「忘れない!」

 

 と返る。

 

 光は鼻をすすった。

 

「泣いてるー!」

 

「泣いてねえっつってんだろ!」

 

 白いドレスの袖で目元を拭く。

 

「化粧落ちるだろコノヤロー!」

 

 最後まで笑いが返ってきた。

 

「これで、美少女アイドル天宮ひかりは終わりだ」

 

 少し間を置く。

 

「じゃ、帰るわ」

 

 光はあっさり舞台袖へ歩き出した。

 

 客席が騒ぐ。

 

 スタッフが固まる。

 

 麗奈が光のマイクを奪った。

 

「帰るな」

 

「何だよ」

 

「アンコール」

 

 客席から声が始まる。

 

「アンコール!」

 

「アンコール!」

 

「アンコール!」

 

 武道館全体へ広がる。

 

 光は喉を押さえた。

 

「声出ねえって言ってんだろ!」

 

「歌えー!」

 

「ブラック企業かここは!」

 

「歌えー!」

 

「九千八百円で残業まで要求すんな!」

 

 光は頭を掻いた。

 

 白いドレスのまま、再びステージ中央へ戻る。

 

「一曲だけだからな!」

 

 歓声。

 

「歌えねえところは全部お前らが歌え!」

 

 さらに大きな歓声。

 

「あと、麗奈!」

 

「何?」

 

「胸の件は謝る!」

 

「今?」

 

「実物の方が――」

 

 麗奈の拳が光の腹へ入った。

 

「最後まで言わせろォォォ!」

 

 アンコールが始まった。

 

 天宮ひかりの最後の夜は、予定より一曲だけ長く続いた。

 

     ◇

 

 公演から三日後。

 

 光は東京拘置所の面会室にいた。

 

 ガラスの向こうには獅子堂。

 

 収監されても無表情。

 

 高級スーツが拘置所の服へ変わっただけで、雰囲気はほとんど同じだった。

 

「テメーのせいで警察から事情聴取されたぞ」

 

「話題になったね」

 

「芸能ニュースと社会面を同時制覇させんな!」

 

「武道館、黒字」

 

「捕まって最初の話がそれかよ!」

 

「グッズも売れてる」

 

「誰の」

 

「逮捕記念」

 

 獅子堂が一枚のTシャツをガラスへ押しつけた。

 

《獅子堂、御用》

 

「犯罪を公式グッズにすんな!」

 

「予約一万枚」

 

「俺の武道館より売れてんじゃねえか!」

 

 獅子堂は次の書類を出した。

 

 東京ドーム。

 

 一年後。

 

「……何だこれ」

 

「予約確認書」

 

「見りゃ分かる! 何で東京ドーム押さえてんだ!」

 

「男性アイドル、天宮光」

 

「俺、引退するって言ったよな!」

 

「美少女アイドルはね」

 

「言葉の隙間から次の契約入れんな!」

 

「声変わり後の成長物語」

 

「俺の第二次性徴を第二期扱いすんな!」

 

「東京ドーム、五万人」

 

「武道館の五倍じゃねえか!」

 

「埋まらなかったら」

 

 獅子堂が少しだけ口元を上げた。

 

「東京湾」

 

「留置場からどうやって沈めんだよ!」

 

「部下がいる」

 

 背後で刑務官が咳払いした。

 

 光は受話器を握り締める。

 

「テメーの興行、海しか出口がねえのか!」

 

「売れるよ」

 

「何が!」

 

「君」

 

 光は黙った。

 

 十八年間嫌いだった顔と声。

 

 そのすべてを、最初に売れると言った男。

 

 光は書類を見る。

 

 東京ドーム。

 

 五万人。

 

 無理に決まっている。

 

 馬鹿げている。

 

 また炎上する。

 

 また恥をかく。

 

 また最低な目に遭う。

 

 そしてたぶん、少しだけ面白い。

 

「……ギャラは?」

 

「借金ないから、三割」

 

「七割どこ行った!」

 

「経費」

 

「捕まっても取り分変わんねえじゃねえか!」

 

 光は受話器を叩きつけた。

 

「二度とやるかァァァァ!」

 

     ◇

 

 翌日。

 

 ドラゴンプロモーション公式アカウント。

 

《重大発表》

 

《男性アイドル・天宮光》

 

《一年後、東京ドーム単独公演決定》

 

 投稿には、留置場の獅子堂が親指を立てる写真が添えられていた。

 

 投稿から一分。

 

 光から電話。

 

「釈放前に次の事件起こしてんじゃねえぞテメーーーッ!」

 

 予約開始から一時間。

 

 東京ドームのチケットは、五百枚売れた。

 

 美少女アイドル天宮ひかりの物語は、武道館で終わった。

 

 天宮光の地獄は、ここから始まる。

 

 東京湾は今日も冷たかった。

 

 

 

 

 




完!

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