ヤン・ウェンリー少将は、ついに自由惑星同盟への帰還の途に就いた。これは本来の予定よりは遅れていたが、彼の予想よりは早い。理由は第一三艦隊の兵員のうち32%が、同盟への帰還を拒否したためだ。やはり彼らがまだフェザーン回廊に、新ローザコートの手中にある内に、自由惑星同盟軍が攻撃に出たと言う事実が、彼らにとって祖国の許しがたい裏切りに映ったためであろう。
ぶっちゃけた話、帰還する人数が少なくなったために、ヤンが乗るはずだった最後の便までの時間が少なくなったのである。もっとも壊滅した第三、第八、第九艦隊の生き残りたちも新ローザコートではとりあえず引き取りたくも無いので、帰還させる事になっている。新たな国民をスカウトするにしても、新ローザコートが直接民主制を採っている以上は、現在の国民たちの感情がとりあえず鎮まるまで待たねばならないのだ。
「アップルトン中将とアル・サレム中将は、不幸だったよなあ。あんな勝ち目のない無謀な作戦に上からの命令で参加させられて」
「それを言うなら、ルフェーブル中将こそが不幸中の不幸でしょう、少将閣下」
「パトリチェフ大佐、たしかにそうなんだがね」
ルフェーブル中将は今回の戦いにもならなかった戦いで、命を落としている。どうせなら、フォーク准将だけ死んでしまえば良かったのにとは、生き残りたちや迷惑を被った第一三艦隊兵員の大多数が思っている事だろう。まあ不謹慎だから、あえて口に出す者も居ないが。というか、言うまでもなく大多数に取って、理の当然であるとも言える。
*
大量の書類の山に囲まれながら、ベルクファストは精力的に働いていた。コンピューターが無数の処理を代行し、データのみで多数の決済が行われるこの時代になっても、最終段階や重要局面で信頼されるのはプリントアウトされた書類だと言うのは、何か笑いを誘う。
「総帥閣下、次の全体会議に向けて、準備をいたしませんと」
「そうだな。自由惑星同盟に対する水面下での働きかけとその結果、そして銀河帝国の現状に関しての情報を、取りまとめてわたしの端末に送っておいてくれ」
「了解しました」
そしてベルクファストは、即座に送られてきた一部データを閲覧する。
「……同盟では、フェザーンのひも付きであった政治家に対して、これまでの支持が一斉に反発にすり替わっている模様だな。トリューニヒト氏は憂国騎士団を切り離し、自分も騙されていたのだ、との論調で必死に権力を保とうとしているが。今回ばかりはミスった模様だな」
「ですかな」
「ああ。切り離した憂国騎士団が、裏切者であるトリューニヒト陣営に対しテロ行為に走っている。更に、多少だが頭の回る人間もいたらしいな。トリューニヒトが自分たちとズブズブの仲であった証拠を、幾つも確保していたらしい」
彼は立体映像ディスプレイに手をかざし、次の書面を呼び出す。
「だからと言って、サンフォードら元議長たちもズタボロだ。我々新ローザコートに対する軍事行動で、三個艦隊を喪失した事を責められている。こちらは上手くすればまだ生き延びる可能性も無くは無いが……」
「ところで、ヤン少将も少し面倒な立場に追い込まれている様ですね」
「ああ。今回の大敗は、彼が我々新ローザコートに捕まったからだ、などと見当違いの世迷言を並べ立てている人間も居てな」
「世も末です」
彼らはその後、黙々と書類仕事を続けた。
*
ヤン少将は、統合作戦本部長シトレ元帥に呼び出されていた。シトレの表情はこわばり、疲れ果てて、老化がかなり進行している様にさえ見えた。
「ヤン少将、まだ言っておらなんだね。よく帰って来た。……本当に、よく帰って来てくれた」
「……遅くなって、申し訳ありませんでした。本部長閣下」
「いや、遅くなった理由についても理解している。……ムライ准将が帰還したとき、彼の報告と各種映像データ、それを見ればあのフェザーン回廊方面への出兵が、無謀な冒険……。いや、冒険にもならぬ、ただの自殺行為である事は理解できたはずだ。……はず、だった」
「……」
大きなため息を吐きつつシトレは、手元の書類を持つ。
「元与党は、選挙で惨敗。サンフォード氏はかろうじてぎりぎり再選は果たしたが、しかしその地位は少数とまでは言わんが中堅野党の党首でしかない。かと言ってあの出兵に反対はしたものの、トリューニヒト元国防委員長も斜陽だ。彼が同盟と帝国を争わせて漁夫の利を得ようとしていたフェザーン首脳部と、ズブズブだった事。地球教というテロ組織、カルト教団の後押しであそこまでの影響力を得ていた事。もはや同盟では、再起は叶わぬだろう」
「それは……。不幸中の幸いですね。不幸が巨大過ぎて、少々実感はありませんが。あと同盟では、とは言っても帝国との行き来は封鎖され、フェザーンは消滅しておりますが」
「ふふ、君はいつも辛辣だな。……ヤン少将、軍は此度の出兵に関し、何度か記者会見を開いて来た。だが今回、君ヤン少将が帰還した事で、改めて大規模な記者会見を開く。予定ではなく決定だ。
そして、わたしの権限と少しばかり、いや少しばかりではないな。かなり多大な根回しをもって、幾つかの事柄について、機密解除する。いや、した。その内容を、君の口で、君の肉声で、記者会見の場で語って欲しい」
シトレはヤンに、書類を手渡した。ヤンはその書類に目を遣り、一瞬硬直する。
「閣下は、わたしに政治を批判しろと、政治に口を出せと仰るのですか」
「君がそれを嫌っている事、軍人が政治に口出しするべきでは無いとの信念を持っている事は知っている。理解している。だが、あえて曲げて欲しい」
「しかし!」
だがヤンは、シトレの老いた瞳がヤンの瞳を見据えて放さない事を感じ取る。そこには、強制、圧力、だがそれだけではなく、懇願、哀願の色さえもあった。
「本来であれば、命令するべきだろう。だがここは、あえて頼む! 政治を批判するのではない! 犯罪を糾弾してもらいたいのだ……!!」
「……!!」
ヤンは、蜘蛛の巣に、底なし沼に、足を絡め捕られた気持ちになる。だが、シトレの言葉も判る。理解する。逃げ場は無かった。
*
山の様な事務仕事から解放されたベルクファストは、とりあえず芳醇なコーヒーと、お茶請けのチーズケーキを楽しんでいた。ちなみにいかに機械の身体を持っていたとしても、あくまで嗜好品としての食料品は、精神の衛生を保つために必要であるらしかった。まあ長期間の単独航宙であるならば、糧食を積み込む余裕は無いであろうが、それでも大抵の場合は嗜好品としての食料は幾ばくか用意される物である。
それはともかくとして、このコーヒーはいわゆる軍伝統の泥水コーヒーでは無い。ベルクファストの趣味で、ドリップではなくサイフォンで淹れた、薫り高いコーヒーだ。味事態はドリップコーヒーの方が上らしいが、ベルクファストはサイフォンで淹れると部屋中にコーヒーの香りが満ち満ちるのを好んでいた。
「そう言えば、同盟ではヤン少将に記者会見の場で証言させた様だな」
「は。正直申しまして、気の毒でしたね」
「ああ、彼の気質からするとそうだろうな。記録映像を見てみるか」
再生された記録映像の中で、ヤンは記者会見の場でシトレの手で強引に機密解除された幾つかの事柄について、証言していた。イゼルローン要塞攻略のために第一三艦隊を率いてイゼルローン回廊に出兵したところ、折悪しく同盟と帝国の間を遮断する新ローザコートの一大作戦とかち合った事。ワープを完全に封じられ、同盟に帰還するにも人の一生では足りない時間が必要と判断されたため、やむなく新ローザコート機動要塞『惑星デスペラン』による救助を受け入れた事、などである。
またそれに付随して、新ローザコートは第一三艦隊を同盟に帰還させる確約を結んでいた事、同盟に対する敵意は少なくとも第三、第八、第九艦隊出兵までは無かった事も語る。しかもその内容は、ムライ准将ら初期帰還者によって報告されていた事も語られるや、記者会見の記者席はまるで蜂の巣をつついたかの様な騒ぎになった。
そしてヤン少将は、記者会見の席で語る。
『新ローザコートは、銀河連邦時代に人類社会から枝分かれして以来、ほとんど歩みを止めずに科学技術を進歩させて来た存在です。我々との技術格差は激しいなどと言うレベルではありません。仮に彼らが、我々の最先端レベルだと仮定すると、我々の技術レベルは蒸気機関発明直後レベルでしかありません。それだけの差があります。
そしてアンドリュー・フォーク准将は、自らの栄達のために先の同盟首脳部に対し、ここで大きな軍事的成果があれば選挙で優位に立てる、との論調で自らの無謀な作戦案を飲ませました。先の同盟首脳部は、選挙対策のためにムライ准将の報告を無視し、勝ち目のまったく無い無謀な相手に喧嘩を売ったのです。第三、第八、第九艦隊の者達は、命令故に逆らう事もできず、宇宙に散りました』
更に彼は、新ローザコートの政治体制についても解説した。
『新ローザコートは、特殊な政治体制を採用しています。……直接民主制、です。投票によって選ばれた代議士による議会ではなく、国民1人1人が直接議会に参加するという、本来であれば信じがたい政治体制です。ですが彼らは、自身の身体を機械体にする事で、魂以外の全ての身体パーツを機械にする事で、それを解決しています。
そう、彼らは科学的に魂の存在についても立証しています。それ以外の身体は、彼らにとって代替可能な物でしかありません。彼らは国民1人1人が週に1度程度、30分から1時間程度、超光速回線でネットワークに繋がれます。そして機械的に超加速され、30分が数ヵ月にもなる引き延ばされた時間の中で徹底議論し、実時間で長くても1時間で結論を出します』
そしてヤンは、
『彼ら新ローザコートは、機械の頭脳故の超高速な学習と超広大な記憶容量により、一般の国民が一流の政治家に匹敵する政治的能力を備えています。これも直接民主制が衆愚政治にならずに成立している大きな理由でしょう。ですが、そんな彼らであっても。此度の第三、第八、第九艦隊による出兵は、不愉快であった模様です。彼らの内部ではまだ極めて少数ですが、自由惑星同盟を見捨てて、銀河帝国人民を再教育した方が付き合いやすいのでは、という考えが生まれました。生まれてしまいました。
彼らの指導者、新ローザコート軍総帥であるベルクファスト最高元帥閣下は、それでも自由惑星同盟に好意的です。ですがその彼であっても、軍事国家ではあっても民主国家であるが故に、民意を無視する事はできません。……冷静に、行動してください。銀河帝国どころではない、強大な存在が、今は我々の隣人なのです。どうか冷静に行動し、冷静に話し合ってください。今、我々は、薄氷の上に立っているのです』
映像を切り、ベルクファストは口を開く。
「……ヤン少将、脅かし過ぎたか?」
「いえ、どんなにソフトに語っても彼の立場からすると、駄目でしょう」
「まあ、それはそうだな」
ベルクファストは、肩を
*
そしてヤンは、予備役送りになった。シトレ本部長の巻き添え、である。そのシトレ元帥は今回の件で強引な機密解除とそのための非合法な根回しが問題になり、更に健康状態が悪いとの事で退役する事になった。その後釜にNo.2であるラザール・ロボス元帥が座るかと思われたのだが、ここで彼の健康状態についてのスクープが出回る。よってロボス元帥もまた、周囲のすすめという半ば強制によって退役させられる事になったのだ。
ちなみにこの一件を境に、政権内に残留していた旧フェザーン癒着勢力や、軍内部に於けるいわゆる『汚い』連中はごっそりと消える事になった。まあヤンの様に巻き添えで予備役に放り込まれる連中も居たわけだが。ヤンはもともと退役したがっていたわけであるし。と言うか、シトレの考えではヤンは予備役にしておけば、必要なら自分の後任たちがいつでも呼び戻せるだろう、との思惑だったのだろうが。
「シトレ校長の後釜は、元第一艦隊司令のクブルスリー中将、いや昇進して大将閣下か。それにしてもなあ。シトレ元本部長の巻き添えをくらったときは、これで退役できると思ったんだが」
「予備役でしたね」
「そうなんだよ。万一予備役招集でもされたら、たまったもんじゃない」
「退役出来ていたら、政治活動とかできたんでしょうけどね」
「やめてくれユリアン! わたしに政治家なんて、とんでもない!」
「できそうな気もするんですけどねえ」
ユリアンは紅茶をヤンの元に運ぶ。ヤンはそれを受け取って、香りを嗅ぎつつ一口飲み込む。
「ああ、帰って来たなあ」
「本当に……。提督が行方不明になった時は、目の前が真っ暗になりましたよ。そしてムライ准将が帰還して、提督が捕虜になったらしいと聞いた時は」
「いや、提督じゃないぞ。それと救助されたんであって、捕虜じゃない」
「元提督」
「……まあ、うん」
そこへ玄関のインターホンが鳴る。ヤンは怪訝そうな顔をした。
「誰だろう?」
「また取材でしょうか」
「あの記者会見からこの
『こんにちは、突然申し訳ありません。ヤン予備役少将閣下はご在宅でしょうか』
「え」
「え」
インターホンの画面に映っていたのは、ヤンの元副官、フレデリカ・グリーンヒル中尉殿であったりする。その表情は、何かしら思い詰めたような感じであった。何か重要な問題かも知れない。ヤンは彼女を最近契約して引っ越したばかりのフラットに、迎え入れたのだった。
ちなみにヤンは予備役編入されたので、官舎には入っていられない。そのため恩給で充分維持できそうなこのフラットを探し、引っ越して来たのである。だがその新住所は、まだ先輩であるアレックス・キャゼルヌ少将にも教えていない。どうやって元副官殿が、ヤンの居所を掴んだのか。それはまだ不明であった。
ちなみに、この記者会見前では自称良識派による汚職議員とか汚職軍人に対するテロとかが頻発してました。というか、規模は小さかったのであまりガス抜きにもならず、いやそれどころか大爆発の前兆でしか無かったと思われます。
ですが、記者会見の後では、なんか冷や水をぶっかけられたみたいになって、どう新ローザコートに対処していけばいいのか、と頭ワケワカになってしまいました。爆発寸前だった自称良識派テロ野郎共も、熱が冷めたと言いますか。蒸気機関レベルで宇宙艦隊に対抗しろと言われたら頭抱えますよね。
でもまあ、まだ小規模なテロは続きます。テロで歴史は動かないけど、歴史を遅らせたりは出来てしまいます。導火線に火をつけることも。満州事変とか。
ちなみに感想で意見があったので書きますが。
Q型戦艦というのは、シュヴァルツシルトⅠで艦船を研究して行くと最後に開発できる超戦艦です。直接的な戦闘力は、1つ前のP型よりちょっと上程度なんですが。大事なのは、製造コスト。Pの数分の一の金と資材で大量生産できるという化け物です。というか、ラスボスはそのぐらいの生産性で『戦いは数だよ兄貴!』をやらないと……。
FB型戦艦というのは、シュヴァルツシルトⅡで最終的に開発できる戦艦です。シュヴァルツシルトⅡでは、FB型戦艦の前まではF1~F8型という対戦艦のドッグファイト戦艦と、足が遅いけど惑星爆撃ができるB1~B8型という爆撃戦用艦の2種類を作らないといけないんですな。爆撃で惑星陥落させないと占領できない。FB型は、最終型にして初めて格闘戦も爆撃戦もできる上に、攻撃力最強なのです。