とある無頼漢のアウトロー 作:リーチャー
重厚な装甲板に覆われた特殊護送車の車内、防弾ガラスの向こうを流れる学園都市の風景は、夕暮れの赤に毒々しく染まり始めている。
タイヤがアスファルトを噛む低い走行音が、三人の鼓膜を揺らしていた。
車内に、指先が端末を叩く乾いた音だけが響く。
白井黒子が、手元のタブレットに表示されたデータを、冷ややかな声で読み上げ始めた。
「……城ヶ崎礫。19歳。第7学区内の公立高校所属。成績は平均的、素行評価はDマイナス。ですが、出席日数はゼロ。二年連続で留年中。……よくこれで退学になりませんわね」
「籍がないとこの街にいられないからな。授業料だけは払ってやってるんだ、感謝してほしいね」
黒子は呆れたように画面をスクロールさせた。
「その間の始末書提出回数、四十八回。器物損壊、過剰防衛、容疑者への暴行……。
……ですが、検挙率だけは支部の歴代トップ。解決困難な『
黒子はそこで顔を上げ、皮肉げな視線を礫に向けた。
「これだけの実績がなければ、即座に資格剥奪、良くて除名処分でしたでしょうね」
「剥奪される前に、こっちから捨ててやったんだよ」
礫は悪びれもせず鼻を鳴らす。
「それに、始末書の半分は
礫はそこで言葉を切り、鬱陶しそうに手首を持ち上げた。
ジャラリ、と鎖が重たい音を立てる。
「……それより。参考人相手に手錠《これ》は過剰警備じゃないか、白井黒子」
後部座席で身じろぎもせず、城ヶ崎礫が低い声で返した。
その両手首には、能力者拘束用の特殊合金製手錠が容赦なく食い込んでいる。
「口答えをしないでいただけますこと? 貴方がただの一般生徒なら、このような無礼はいたしませんわ。ですが相手は、あの『第73支部の狂犬』ですもの。……わたくしの個人的な判断として、念には念を入れさせていただきましたわ」
黒子は興味なさげに視線を戻し、端末の『所持品リスト』に目を落とした。
「それに、所持品も不審極まりないですわね。学生証なし、定期券なし、生徒手帳もなし。ポケットに入っていたのは小銭と、安物の使い捨てライターだけ。……貴方、本当に文明社会で生きる気がありますの?」
「身軽なのが好きなんでな。それに、俺の顔と名前は、裏通りの悪党どもの間じゃ学生証よりも通りが良い」
礫は、拘束されたままの手で頭をかこうとして、ガチャリと鎖の音を立てた。
そして、隣の少女へ横目を向ける。
その瞳には、先ほど黒子に向けたような鋭い光はない。
あるのは、無茶をする妹を案じるような、呆れと優しさが入り混じった色だけだ。
「……なあ、御坂。お前みたいな『表』の人間が、わざわざこんな泥船に付き合う必要はないんだぞ」
それは、拒絶ではない。
穢れ役は自分一人で十分だという、彼なりの不器用な配慮だった。
だが、美琴はフンと鼻を鳴らし、窓の外へと顔を背けた。
「うるさいわね。監視役よ、監視役。……アンタがまた一人で暴走して、取り返しのつかないことになる前にぶん殴って止める。それが私の仕事」
投げやりな言葉。だが、窓ガラスに映るその表情は真剣そのものだ。
彼女は知っているのだ。この男が、乱暴な言葉の裏にどれだけ繊細な責任感を隠しているかを。だからこそ、放っておけない。
「…………」
礫は眩しそうに目を細めた。
彼女のこの「真っ直ぐさ」には敵わないと、彼は心の底から認めていた。
「……はは。違いない」
礫は短く笑うと、ふっと肩の力を抜いた。
意地悪なからかいも、冷たい拒絶もしない。
ただ、彼女が隣にいてくれるという事実を、素直に受け入れた。
「……悪いな。あと、ありがとう」
ボソリと、聞き取れるかどうかの声量で呟く。
美琴の体が、ピクリと反応し、耳がほんの微かに赤くなる。
彼女は何も言わず、ただ組んだ腕にギュッと力を込めた。
車内に、タイヤがアスファルトを噛む低い走行音だけが戻る。
短い安らぎの時間は終わりだ。
礫は視線を正面に戻し、表情を引き締めて目の前の監視者――黒子を見据えた。
「……それで? どこへ連れて行く気だ」
礫が話題を戻す。
黒子は小さく息を吐き、タブレットの画面を礫に見せた。そこには、逮捕時の阿形勇のデータが表示されている。
「第7学区の警備員詰め所ですわ。……正直、不可解な点が多い事件ですの」
「不可解?」
「ええ。現場に残された証拠は完璧でしたわ。指紋、硝煙反応、薬莢の位置……全てが阿形勇を犯人だと指し示していました。ですが……」
黒子は眉をひそめ、言葉を濁した。
「確保された時の阿形は、重度の薬物依存で箸すらまともに持てない状態でしたのよ? そんな男が、短時間の間に一発を除き五発もの精密狙撃を行う……常識的に考えて不可能ですわ」
冤罪の可能性。黒子はその疑念を捨てきれていないようだった。
だが、礫は鼻を鳴らし、その疑念を一蹴した。
「……常識? 甘いぞ
「なんですって?」
「ここは学園都市だぞ。
礫の瞳が、冷酷な光を帯びる。
「『能力体結晶』の粗悪品か、未認可の
「そ、そんな物を使ってまで……」
「使うさ。あいつはそういう男だ」
礫は断言した。
そこには一ミリの迷いもなく、阿形という男への絶対的な「不信」があった。
「そもそも、その犯人、元エリートのテストシューターが、なんでアンタを指名したのよ。さっきから聞いていると知り合いみたいな感じだし」
「……一年前、俺がアイツを挙げて自白させたんだ」
礫は、手錠をかけられた両手を組んだまま、淡々と語り始めた。
「いいか、兵器会社のテストシューターになる奴の動機は、大きく分けて三つある」
礫が指を一本立てる。
「一つ目は、金と名誉だ。最新鋭の兵器開発に携わるエリートとしての地位と、桁外れの報酬目当て」
二本目の指を立てる。
「二つ目は、純粋な
「……まあ、どっちも理解できる動機ですわね」
黒子が頷く。だが、礫はそこで言葉を切り、ゆっくりと三本目の指を立てた。
その瞳は、暗い井戸の底のように光を失っていた。
「……そして三つ目。一番シンプルで、一番厄介な理由だ」
礫は、阿形の写真を見据えたまま言った。
「――――『生きた的』を撃ちたいと思っている奴だ」
美琴と黒子が息を呑む。
「阿形は、最後のタイプだ」
礫の語り口は、まるでその場を見てきたかのように克明だった。
「あいつは努力した。血の滲むような訓練を積んで、ついにテストシューターの座を勝ち取った。……仕事は過酷だ。週に二千発以上の精密射撃をこなす。だが、初めは『撃てるだけ』で満足だった」
礫が自分のこめかみを指差す。
「それも長くは続かない。やがて……あいつは一日中スコープを覗きながら、的の向こう側に、本物をイメージするようになる。人が撃たれ、血飛沫が噴き出すのを想像し始める」
車内の空気が、重油のように粘つく不快感を帯び始める。
「来る日も来る日も撃ち続ける。捕まるまでの一年間、それを毎日こなす。週に二千発。合計、十万四千発だ。……想像つくか? 終わりのない渇きだ」
礫が、美琴の方を向く。
「……そして一年前、奴はついに一線を越えた。第10学区の廃倉庫で、たむろしていたスキルアウトを四人、頭部への精密射撃で処刑したんだ」
「四人も……!?」
「だが、奴の公的な経歴に『殺人』の文字はない。あるのは『薬物乱用による懲戒解雇』。それだけだ」
礫は、汚いものを吐き出すように低く言った。
「開発元のベル・システム社にとって、最新兵器のテスト中に起きた不祥事は、株価を揺るがす致命傷になりかねない。だから奴らは、殺人を『薬物の副作用による錯乱事故』というシナリオに書き換え隠蔽した」
「な……っ」
「アンチスキルが現場に踏み込むより早く、企業の『掃除屋』が到着していたのさ。血痕は洗い流され、遺族の頬は端金と秘密保持契約書で叩かれた。……スキルアウトの命なんざ、企業にとっちゃ消耗品以下でしかないからな」
礫の手が、ギリリと手錠を軋ませる。
「俺が奴を追い詰め、銃口を突きつけた時には……もう、全てが終わっていた。奴は法的には『人殺し』ではなく、過酷な任務で心を病んだ『可哀想な被害者』として、精神療養所の白い個室で保護されていたんだよ」
美琴が息を呑み、言葉を失う。
隣の黒子でさえ、そのあまりに周到で冷徹な「大人のやり口」に、表情を凍りつかせていた。
礫の言葉からは、かつて彼が対峙した阿形という男の闇だけでなく、それを生み出し、守り抜いたこの都市のシステムそのものへの、底知れない嫌悪感が滲み出ている。
「……じゃあ、アンタは」
重苦しい沈黙を破るように、美琴が恐る恐る尋ねる。
「阿形が無実だと思って、助けに行くんじゃないの?」
「それは違う美琴」
礫は氷のように冷たく言い放った。
「俺はあいつを救いに来たんじゃない。引導を渡しに来たんだ」
空気が凍りついた。
それは冷たく乾いた殺意だった。
「……聞き捨てなりませんわね、城ヶ崎礫」
キィン、と硬質な音が響く。
黒子の手の中で、金属矢が切っ先を礫に向けていた。
「『引導を渡す』……それは、
一触即発。
黒子の親指が矢のグリップに力を込め、礫の筋肉が爆発寸前の緊張感で収縮した。
その時だ。
「礫、少し冷静になりなさいよ」
静かな声と共に、柔らかい感触が礫の右手を覆った。
「……」
礫が殺気を削がれて視線を落とす。
そこには、美琴の小さな掌が、手錠をかけられた礫の無骨な拳の上に、そっと重ねられていた。
ギリ……と、金属が軋む音が止む。
怒りで強く握りしめすぎていた礫の拳を、美琴の手が優しく、だが強い意志で包み込んでいたのだ。
「……アンタがジャッジメント辞めたのって、ルールに縛られるのが嫌だったからでしょ? なのに今度は『過去の怒り』なんて鎖に、自分から縛られに行くわけ?」
美琴は礫の拳を包み込んだまま、真っ直ぐにその瞳を覗き込んだ。
そこにあるのは同情ではない。
確固たる信頼だ。
普段は乱暴で、適当で、どうしようもない『
本当のアンタは、怒りに身を任せる獣なんかじゃない――と。
言葉には出さないが、その瞳は雄弁にそう語っていた。
拳の上に重なる、彼女の体温。
それが、冷たい金属と殺気で麻痺しかけていた礫の理性を、現実に引き戻していく。
「……悪い。白井も、騒がせたな」
数秒の沈黙の後、礫はふっと短く息を吐き、全身の力を抜いた。
握りしめられていた拳が解かれ、美琴の手の中でだらりと開かれる。
「伊達に一年、アンタの愚痴聞いてないわよ」
美琴は満足げに鼻を鳴らすと、パッと手を離し、何事もなかったかのように座席へ背中を預けた。
だが、その耳は僅かに赤らんでいる。
美琴は「慣れないことはするもんじゃないわね」と小さく呟き、窓の外へ顔を背けた。
黒子はそんな二人の様子を見て、構えていた矢を静かに下ろした。
そして呆れたような、それでいて熱っぽい溜息を一つ吐いた。
(……ああ、本当に)
黒子の瞳に映るのは、不貞腐れたように窓の外を見る美琴の横顔。
学園都市第三位、『
白井黒子という人間が彼女に心酔し、その背中を追い続ける理由が今まさにここにあった。
それは、どんな演算装置でも算出できない、御坂美琴という人間だけが持つ引力だ。
レベル5という冠なんて関係ない。
ただそこにいるだけで周囲を惹きつけ、変えてしまう、あまりにも眩しく尊い輝き。
黒子は矢を収納すると、どこか誇らしげに目を細めた。
「……今回だけは、お姉様に免じて見逃して差し上げますわ」
黒子はツンと澄まして言った。
「感謝なさい、城ヶ崎礫。お姉様の『慈悲』がなければ、今頃その首と胴体は別々の場所に転送されていましたわよ」
「……おっかないな。肝に銘じておく」
礫が苦笑交じりに返し、車内の空気は完全に弛緩した。
気まずい沈黙が消えたタイミングで、護送車が大きく揺れ、減速を始めた。
「……着きましたわ。第7学区、
黒子が静かに告げ、同時に手元の端末を操作した。
ガチリ、と硬質な金属音が車内に響く。 礫の両手首を締め付けていた特殊合金が、その拘束を解いて座席へと転がった。
「勘違いしないでいただけますこと? これはお姉様の顔を立ててのこと。……もし不審な動きをすれば、その瞬間に貴方の心臓をコンクリートの壁と置換して差し上げますわ」
黒子の言葉は相変わらず刺々しいが、そこには先ほどまでの、食いかからんとするような余裕のなさは消えていた。
「はっ、おっかないね。まあ、助かるよ」
礫は解放された手首を軽く回し、その感触を確かめる。
肌に赤く食い込んだ痕が、先ほどまでのヒリつくような均衡の証だった。
その視線の先には、すでに物々しい厳戒態勢の支部が見え始めている。
油圧音と共に、重厚なロックが解除された。
「さて」
分厚い扉が開き、外の冷たい夜気が車内へと流れ込んでくる。
「仕事の時間だ」
礫は低く呟くと、足元の闇へと静かに踏み出した。