とある無頼漢のアウトロー   作:リーチャー

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2話「引導」

 

 

重厚な装甲板に覆われた特殊護送車の車内、防弾ガラスの向こうを流れる学園都市の風景は、夕暮れの赤に毒々しく染まり始めている。

 

タイヤがアスファルトを噛む低い走行音が、三人の鼓膜を揺らしていた。

 

車内に、指先が端末を叩く乾いた音だけが響く。

白井黒子が、手元のタブレットに表示されたデータを、冷ややかな声で読み上げ始めた。

 

「……城ヶ崎礫。19歳。第7学区内の公立高校所属。成績は平均的、素行評価はDマイナス。ですが、出席日数はゼロ。二年連続で留年中。……よくこれで退学になりませんわね」

 

「籍がないとこの街にいられないからな。授業料だけは払ってやってるんだ、感謝してほしいね」

 

 黒子は呆れたように画面をスクロールさせた。

 

「その間の始末書提出回数、四十八回。器物損壊、過剰防衛、容疑者への暴行……。

 ……ですが、検挙率だけは支部の歴代トップ。解決困難な『迷宮入り案件(コールドケース)』を十四件も処理している」

 

 黒子はそこで顔を上げ、皮肉げな視線を礫に向けた。

 

「これだけの実績がなければ、即座に資格剥奪、良くて除名処分でしたでしょうね」

 

「剥奪される前に、こっちから捨ててやったんだよ」

 

 礫は悪びれもせず鼻を鳴らす。

 

「それに、始末書の半分は警備員(アンチスキル)の尻拭いだ。現場を知らねえ連中が押し付けた紙屑だろうが」

 

 礫はそこで言葉を切り、鬱陶しそうに手首を持ち上げた。

 ジャラリ、と鎖が重たい音を立てる。

 

「……それより。参考人相手に手錠《これ》は過剰警備じゃないか、白井黒子」

 

後部座席で身じろぎもせず、城ヶ崎礫が低い声で返した。

その両手首には、能力者拘束用の特殊合金製手錠が容赦なく食い込んでいる。

 

「口答えをしないでいただけますこと? 貴方がただの一般生徒なら、このような無礼はいたしませんわ。ですが相手は、あの『第73支部の狂犬』ですもの。……わたくしの個人的な判断として、念には念を入れさせていただきましたわ」

 

 黒子は興味なさげに視線を戻し、端末の『所持品リスト』に目を落とした。

 

「それに、所持品も不審極まりないですわね。学生証なし、定期券なし、生徒手帳もなし。ポケットに入っていたのは小銭と、安物の使い捨てライターだけ。……貴方、本当に文明社会で生きる気がありますの?」

 

「身軽なのが好きなんでな。それに、俺の顔と名前は、裏通りの悪党どもの間じゃ学生証よりも通りが良い」

 

 礫は、拘束されたままの手で頭をかこうとして、ガチャリと鎖の音を立てた。

 そして、隣の少女へ横目を向ける。

 

 その瞳には、先ほど黒子に向けたような鋭い光はない。

 あるのは、無茶をする妹を案じるような、呆れと優しさが入り混じった色だけだ。

 

「……なあ、御坂。お前みたいな『表』の人間が、わざわざこんな泥船に付き合う必要はないんだぞ」

 

 それは、拒絶ではない。

 穢れ役は自分一人で十分だという、彼なりの不器用な配慮だった。

 

 だが、美琴はフンと鼻を鳴らし、窓の外へと顔を背けた。

 

「うるさいわね。監視役よ、監視役。……アンタがまた一人で暴走して、取り返しのつかないことになる前にぶん殴って止める。それが私の仕事」

 

 投げやりな言葉。だが、窓ガラスに映るその表情は真剣そのものだ。

 彼女は知っているのだ。この男が、乱暴な言葉の裏にどれだけ繊細な責任感を隠しているかを。だからこそ、放っておけない。

 

「…………」

 

 礫は眩しそうに目を細めた。

 彼女のこの「真っ直ぐさ」には敵わないと、彼は心の底から認めていた。

 

「……はは。違いない」

 

 礫は短く笑うと、ふっと肩の力を抜いた。

 意地悪なからかいも、冷たい拒絶もしない。

 ただ、彼女が隣にいてくれるという事実を、素直に受け入れた。

 

「……悪いな。あと、ありがとう」

 

 ボソリと、聞き取れるかどうかの声量で呟く。

 美琴の体が、ピクリと反応し、耳がほんの微かに赤くなる。

 彼女は何も言わず、ただ組んだ腕にギュッと力を込めた。

 

 車内に、タイヤがアスファルトを噛む低い走行音だけが戻る。

 短い安らぎの時間は終わりだ。

 礫は視線を正面に戻し、表情を引き締めて目の前の監視者――黒子を見据えた。

 

「……それで? どこへ連れて行く気だ」

 

 礫が話題を戻す。

 黒子は小さく息を吐き、タブレットの画面を礫に見せた。そこには、逮捕時の阿形勇のデータが表示されている。

 

「第7学区の警備員詰め所ですわ。……正直、不可解な点が多い事件ですの」

 

「不可解?」

 

「ええ。現場に残された証拠は完璧でしたわ。指紋、硝煙反応、薬莢の位置……全てが阿形勇を犯人だと指し示していました。ですが……」

 

 黒子は眉をひそめ、言葉を濁した。

 

「確保された時の阿形は、重度の薬物依存で箸すらまともに持てない状態でしたのよ? そんな男が、短時間の間に一発を除き五発もの精密狙撃を行う……常識的に考えて不可能ですわ」

 

 冤罪の可能性。黒子はその疑念を捨てきれていないようだった。

 だが、礫は鼻を鳴らし、その疑念を一蹴した。

 

「……常識? 甘いぞ風紀委員(ジャッジメント)

 

「なんですって?」

 

「ここは学園都市だぞ。脳の配線(シナプス)を無理やり繋ぎ直すドーピングなんざ、裏通りに行けばいくらでも転がってる」

 

 礫の瞳が、冷酷な光を帯びる。

 

「『能力体結晶』の粗悪品か、未認可の知覚増幅剤(ブースター)か……寿命を削ってでも数時間だけ全盛期の感覚を取り戻すクスリなら心当たりがある。……あいつなら使いかねない」

 

「そ、そんな物を使ってまで……」

 

「使うさ。あいつはそういう男だ」

 

 礫は断言した。

 そこには一ミリの迷いもなく、阿形という男への絶対的な「不信」があった。

 

「そもそも、その犯人、元エリートのテストシューターが、なんでアンタを指名したのよ。さっきから聞いていると知り合いみたいな感じだし」

 

「……一年前、俺がアイツを挙げて自白させたんだ」

 

 礫は、手錠をかけられた両手を組んだまま、淡々と語り始めた。

 

「いいか、兵器会社のテストシューターになる奴の動機は、大きく分けて三つある」

 

 礫が指を一本立てる。

 

「一つ目は、金と名誉だ。最新鋭の兵器開発に携わるエリートとしての地位と、桁外れの報酬目当て」

 

 二本目の指を立てる。

 

「二つ目は、純粋な技術屋(オタク)。誰よりも早く最新のガジェットに触れていたい、メカニックへの好奇心だ」

 

「……まあ、どっちも理解できる動機ですわね」

 

 黒子が頷く。だが、礫はそこで言葉を切り、ゆっくりと三本目の指を立てた。

 その瞳は、暗い井戸の底のように光を失っていた。

 

「……そして三つ目。一番シンプルで、一番厄介な理由だ」

 

 礫は、阿形の写真を見据えたまま言った。

 

「――――『生きた的』を撃ちたいと思っている奴だ」

 

 美琴と黒子が息を呑む。

 

「阿形は、最後のタイプだ」

 

 礫の語り口は、まるでその場を見てきたかのように克明だった。

 

「あいつは努力した。血の滲むような訓練を積んで、ついにテストシューターの座を勝ち取った。……仕事は過酷だ。週に二千発以上の精密射撃をこなす。だが、初めは『撃てるだけ』で満足だった」

 

 礫が自分のこめかみを指差す。

 

「それも長くは続かない。やがて……あいつは一日中スコープを覗きながら、的の向こう側に、本物をイメージするようになる。人が撃たれ、血飛沫が噴き出すのを想像し始める」

 

車内の空気が、重油のように粘つく不快感を帯び始める。

 

「来る日も来る日も撃ち続ける。捕まるまでの一年間、それを毎日こなす。週に二千発。合計、十万四千発だ。……想像つくか? 終わりのない渇きだ」

 

 礫が、美琴の方を向く。

 

「……そして一年前、奴はついに一線を越えた。第10学区の廃倉庫で、たむろしていたスキルアウトを四人、頭部への精密射撃で処刑したんだ」

 

「四人も……!?」

 

「だが、奴の公的な経歴に『殺人』の文字はない。あるのは『薬物乱用による懲戒解雇』。それだけだ」

 

 礫は、汚いものを吐き出すように低く言った。

 

「開発元のベル・システム社にとって、最新兵器のテスト中に起きた不祥事は、株価を揺るがす致命傷になりかねない。だから奴らは、殺人を『薬物の副作用による錯乱事故』というシナリオに書き換え隠蔽した」

 

「な……っ」

 

「アンチスキルが現場に踏み込むより早く、企業の『掃除屋』が到着していたのさ。血痕は洗い流され、遺族の頬は端金と秘密保持契約書で叩かれた。……スキルアウトの命なんざ、企業にとっちゃ消耗品以下でしかないからな」

 

 礫の手が、ギリリと手錠を軋ませる。

 

「俺が奴を追い詰め、銃口を突きつけた時には……もう、全てが終わっていた。奴は法的には『人殺し』ではなく、過酷な任務で心を病んだ『可哀想な被害者』として、精神療養所の白い個室で保護されていたんだよ」

 

美琴が息を呑み、言葉を失う。

隣の黒子でさえ、そのあまりに周到で冷徹な「大人のやり口」に、表情を凍りつかせていた。  

 

礫の言葉からは、かつて彼が対峙した阿形という男の闇だけでなく、それを生み出し、守り抜いたこの都市のシステムそのものへの、底知れない嫌悪感が滲み出ている。

 

「……じゃあ、アンタは」

 

 重苦しい沈黙を破るように、美琴が恐る恐る尋ねる。

 

「阿形が無実だと思って、助けに行くんじゃないの?」

 

「それは違う美琴」

 

 礫は氷のように冷たく言い放った。

 

「俺はあいつを救いに来たんじゃない。引導を渡しに来たんだ」

 

空気が凍りついた。

それは冷たく乾いた殺意だった。

 

「……聞き捨てなりませんわね、城ヶ崎礫」

 

 キィン、と硬質な音が響く。

 黒子の手の中で、金属矢が切っ先を礫に向けていた。

 

「『引導を渡す』……それは、私的制裁(リンチ)を加えるという意味で宜しいのかしら? もしそうなら、この車を貴方の独房に変えなくてはなりませんわ」

 

 一触即発。

 黒子の親指が矢のグリップに力を込め、礫の筋肉が爆発寸前の緊張感で収縮した。

 

 その時だ。

 

「礫、少し冷静になりなさいよ」

 

 静かな声と共に、柔らかい感触が礫の右手を覆った。

 

「……」

 

 礫が殺気を削がれて視線を落とす。

 そこには、美琴の小さな掌が、手錠をかけられた礫の無骨な拳の上に、そっと重ねられていた。

 

 ギリ……と、金属が軋む音が止む。

 怒りで強く握りしめすぎていた礫の拳を、美琴の手が優しく、だが強い意志で包み込んでいたのだ。

 

「……アンタがジャッジメント辞めたのって、ルールに縛られるのが嫌だったからでしょ? なのに今度は『過去の怒り』なんて鎖に、自分から縛られに行くわけ?」

 

 美琴は礫の拳を包み込んだまま、真っ直ぐにその瞳を覗き込んだ。

 そこにあるのは同情ではない。

 確固たる信頼だ。

 

 普段は乱暴で、適当で、どうしようもない『無法者(アウトロー)』ぶっているけれど。

 本当のアンタは、怒りに身を任せる獣なんかじゃない――と。

 

 言葉には出さないが、その瞳は雄弁にそう語っていた。

 拳の上に重なる、彼女の体温。

 それが、冷たい金属と殺気で麻痺しかけていた礫の理性を、現実に引き戻していく。

 

「……悪い。白井も、騒がせたな」

 

 数秒の沈黙の後、礫はふっと短く息を吐き、全身の力を抜いた。

 握りしめられていた拳が解かれ、美琴の手の中でだらりと開かれる。

 

「伊達に一年、アンタの愚痴聞いてないわよ」

 

 美琴は満足げに鼻を鳴らすと、パッと手を離し、何事もなかったかのように座席へ背中を預けた。

 だが、その耳は僅かに赤らんでいる。

 美琴は「慣れないことはするもんじゃないわね」と小さく呟き、窓の外へ顔を背けた。

 

 黒子はそんな二人の様子を見て、構えていた矢を静かに下ろした。

 そして呆れたような、それでいて熱っぽい溜息を一つ吐いた。

 

(……ああ、本当に)

 

 黒子の瞳に映るのは、不貞腐れたように窓の外を見る美琴の横顔。

 

 学園都市第三位、『超電磁砲(レールガン)

 白井黒子という人間が彼女に心酔し、その背中を追い続ける理由が今まさにここにあった。

 

 それは、どんな演算装置でも算出できない、御坂美琴という人間だけが持つ引力だ。

 レベル5という冠なんて関係ない。

 ただそこにいるだけで周囲を惹きつけ、変えてしまう、あまりにも眩しく尊い輝き。

 

 黒子は矢を収納すると、どこか誇らしげに目を細めた。

 

「……今回だけは、お姉様に免じて見逃して差し上げますわ」

 

 黒子はツンと澄まして言った。

 

「感謝なさい、城ヶ崎礫。お姉様の『慈悲』がなければ、今頃その首と胴体は別々の場所に転送されていましたわよ」

 

「……おっかないな。肝に銘じておく」

 

 礫が苦笑交じりに返し、車内の空気は完全に弛緩した。

 

 気まずい沈黙が消えたタイミングで、護送車が大きく揺れ、減速を始めた。

 

 

 

 

 

「……着きましたわ。第7学区、警備員(アンチスキル)第7支部ですわ」

 

黒子が静かに告げ、同時に手元の端末を操作した。

 

ガチリ、と硬質な金属音が車内に響く。  礫の両手首を締め付けていた特殊合金が、その拘束を解いて座席へと転がった。

 

「勘違いしないでいただけますこと? これはお姉様の顔を立ててのこと。……もし不審な動きをすれば、その瞬間に貴方の心臓をコンクリートの壁と置換して差し上げますわ」

 

黒子の言葉は相変わらず刺々しいが、そこには先ほどまでの、食いかからんとするような余裕のなさは消えていた。

 

「はっ、おっかないね。まあ、助かるよ」

 

礫は解放された手首を軽く回し、その感触を確かめる。  

肌に赤く食い込んだ痕が、先ほどまでのヒリつくような均衡の証だった。

 

その視線の先には、すでに物々しい厳戒態勢の支部が見え始めている。

 

油圧音と共に、重厚なロックが解除された。  

 

「さて」

 

分厚い扉が開き、外の冷たい夜気が車内へと流れ込んでくる。

 

「仕事の時間だ」

 

礫は低く呟くと、足元の闇へと静かに踏み出した。

 

 

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