最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う   作:催眠スキ

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第二十八話 私が決めた夜

 今日。

 

 透とどこまで近づくのか。

 

 最後に決めるのは。

 

 私だ。

 

 ◇

 

 朱音と別れてから。

 

 透と二人で、駅へ向かう。

 

 土曜日の朝。

 

 制服ではなく、私服で隣を歩く。

 

 それだけで、いつもの通学路が少し違って見えた。

 

「透」

 

「ん?」

 

「朱音の訓練、行かなくてよかったの?」

 

「今日は澪と約束してたから」

 

「それは分かってるけど」

 

「行ってほしかった?」

 

「どうしてそうなるのよ」

 

「気にしてたから」

 

「朱音が急に誘ったから、少し心配になっただけ」

 

「なら大丈夫」

 

「何が?」

 

「火神は天城と訓練する。俺は澪と出かける」

 

「……そうね」

 

 透は、迷わずそう言った。

 

 朱音の誘いを断って。

 

 私との約束を選んだ。

 

 それが少し嬉しかった。

 

「それで」

 

 透が聞く。

 

「今日はどこへ行くの?」

 

「昨日話したでしょう!」

 

「覚えてる」

 

「本当に?」

 

「水族館」

 

「そのあと」

 

「昼食」

 

「そのあと」

 

「澪が見たい店」

 

「覚えてるじゃない」

 

「たぶん」

 

「最後にそれをつけないで」

 

 透が小さく笑う。

 

 私も少しだけ笑った。

 

 ◇

 

 駅前の水族館。

 

 休日の館内は、思っていたより人が多かった。

 

 大きな水槽の前を、透と並んで歩く。

 

 青い光が床へ揺れている。

 

 魚の群れが、頭の上を流れていく。

 

「透」

 

「ん?」

 

「見てる?」

 

「見てる」

 

「どこを?」

 

「澪」

 

「魚を見なさいよ!」

 

「見てたから」

 

「いつから?」

 

「さっきから」

 

「どうして?」

 

「楽しそうだった」

 

 言われて、自分が笑っていたことに気づく。

 

「悪い?」

 

「悪くない」

 

「なら魚を見て」

 

「はい」

 

 透が水槽へ顔を向ける。

 

 その横顔を見る。

 

 今度は。

 

 私が透を見ていた。

 

「澪」

 

「何?」

 

「見てる?」

 

「見てないわよ」

 

「そう」

 

「何よ」

 

「同じだなと思って」

 

「違うわよ」

 

 透が笑う。

 

 私も笑ってしまった。

 

 人の流れに押され、腕が触れる。

 

 透が少し離れようとする。

 

 その前に。

 

 私から、透の腕へ自分の腕を絡めた。

 

 透がこちらを見る。

 

「何?」

 

「人が多いからよ」

 

「はぐれないように?」

 

「そう」

 

「分かった」

 

 それ以上は聞かなかった。

 

 腕を絡めたまま。

 

 二人で次の水槽へ向かった。

 

 ◇

 

 昼食のあと。

 

 本屋へ寄った。

 

 透は、自分で一冊選んだ。

 

「これにする」

 

「私に聞かなくていいの?」

 

「今日は自分で選ぶ」

 

「成長したわね」

 

「少し?」

 

「少しだけ」

 

 透が持っている本を見る。

 

 前に私が勧めたものと、同じ作者だった。

 

「気に入ったの?」

 

「読みやすかった」

 

「それだけ?」

 

「澪と感想を話せるから」

 

「……そう」

 

 嬉しくなる。

 

 でも。

 

 素直に顔へ出すのは悔しい。

 

「最後まで読んでから言いなさいよ」

 

「買う前だけど」

 

「だから、ちゃんと買って読んで」

 

「厳しいな」

 

「当然でしょう」

 

 透が本を持って会計へ向かう。

 

 その背中を追う。

 

 前のデートでも。

 

 一緒に本を選んだ。

 

 同じことをしているのに。

 

 今日は。

 

 このあとも、まだ一緒にいたいと思っていた。

 

 ◇

 

 夜。

 

 駅から少し離れた店で、夕食を取る。

 

 窓の外は、もう暗くなっていた。

 

 透の端末が短く鳴る。

 

「連絡?」

 

「火神」

 

「朱音?」

 

 透が画面を見る。

 

「天城に勝ったって」

 

「本当に? 一回で終わったの?」

 

「二回勝ったとは書いてない」

 

「でも、二回やったと思ってるでしょう」

 

「火神なら一回で終わらないから」

 

「……確かに」

 

「肩は大丈夫だったのかしら」

 

 少し考えてしまう。

 

「返事しないの?」

 

「今していい?」

 

「どうして私に聞くのよ」

 

「今日は澪といるから」

 

「それくらいで怒らないわよ」

 

「分かった」

 

 透が短く文字を打つ。

 

「何て送ったの?」

 

「おめでとう」

 

「それだけ?」

 

「他にいる?」

 

「もう少し何かあるでしょう」

 

「例えば?」

 

「よく頑張ったとか。今度話を聞くとか」

 

「澪が送る?」

 

「どうして私が送るのよ!」

 

 透が小さく笑う。

 

 端末を伏せ、こちらを見る。

 

「もう終わり?」

 

「うん」

 

「ならいいけど」

 

 朱音のことは、少し気になった。

 

 でも。

 

 今は。

 

 透が私との時間へ戻ったことが嬉しかった。

 

 ◇

 

 店を出る。

 

 夜の風は、昼間より冷たかった。

 

 駅へ向かって歩く。

 

 透の手が、私の手に触れる。

 

「つなぐ?」

 

「今さら聞くの?」

 

「外だから」

 

「誰も私たちのことなんて見てないわよ」

 

 私から手をつなぐ。

 

 指を絡める。

 

 透も握り返した。

 

 駅が近づく。

 

 ここから寮へ戻れば。

 

 今日のデートは終わる。

 

 十分楽しかった。

 

 水族館へ行って。

 

 一緒に本を選んで。

 

 夕食を食べた。

 

 次の約束をして。

 

 また明日会える。

 

 それでいいはずだった。

 

 でも。

 

 足が少しずつ遅くなる。

 

「澪」

 

「何?」

 

「疲れた?」

 

「違うわ」

 

「じゃあ、帰りたくない?」

 

 言い当てられて。

 

 返事ができなかった。

 

「……どうして分かるのよ」

 

「歩くの遅くなったから」

 

「それだけ?」

 

「手も強く握ってる」

 

 言われて、自分の手を見る。

 

 確かに。

 

 さっきより強く、透の指を握っていた。

 

「嫌なら帰る」

 

 透が言う。

 

「嫌じゃないわよ」

 

「なら、どうしたい?」

 

 透は決めなかった。

 

 私に聞いた。

 

 今日。

 

 どこまで一緒にいるのか。

 

 私が決められるように。

 

「まだ」

 

 一度、息を吸う。

 

「まだ、透と一緒にいたい」

 

「うん」

 

「寮へ戻りたくないって意味よ」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「分かってる」

 

 透が、私の手を握る。

 

「どこか、二人でいられる場所を探す?」

 

 顔が熱くなる。

 

 それが何を意味するのかは、分かっていた。

 

 怖くないわけではなかった。

 

 緊張もしている。

 

 でも。

 

 帰りたいとは思わなかった。

 

「ええ」

 

 透を見る。

 

「そうしましょう」

 

 ◇

 

 駅近くのホテル。

 

 部屋へ入る。

 

 扉が閉まる。

 

 急に静かになった。

 

 窓の向こうには、街の灯りが見える。

 

 透が買った本を、机の上へ置く。

 

 私は鞄を椅子へ置いた。

 

 それだけで、することがなくなった。

 

 透と二人きり。

 

 誰も入ってこない部屋。

 

 さっきまで自分で望んでいたのに。

 

 胸が速くなる。

 

「澪」

 

「何?」

 

「座る?」

 

「ええ」

 

 並んで腰を下ろす。

 

 肩が触れる。

 

 透は、それ以上近づかなかった。

 

「透」

 

「ん?」

 

「何か言って」

 

「何を?」

 

「何でもいいから」

 

 透が少し考える。

 

「今日は楽しかった」

 

「私も」

 

「水族館も」

 

「ええ」

 

「本屋も」

 

「それは、あなたが本を買っただけでしょう」

 

「澪と選んだ」

 

「ほとんど自分で選んでたじゃない」

 

「でも、澪が見てた」

 

「……そうね」

 

 いつもの会話。

 

 それだけで。

 

 少し呼吸が戻った。

 

「澪」

 

「何?」

 

「帰りたくなったら言って」

 

「今?」

 

「今でも。あとでも」

 

「……分かった」

 

「何もしないで話すだけでもいい」

 

「分かってるわよ」

 

「本当に?」

 

「それ、私の台詞でしょう」

 

 透が少し笑う。

 

 私も笑った。

 

 透の手が、近くにある。

 

 私から触れる。

 

 指を重ねる。

 

「透は?」

 

「何?」

 

「透は、どうしたいの?」

 

 聞くと、透はすぐには答えなかった。

 

「澪に触れたい」

 

 やがて。

 

 まっすぐに言った。

 

「もっと近くにいたい」

 

「……そう」

 

「でも、澪が望まないことはしたくない」

 

「私が決めればいい?」

 

「うん」

 

 透の指を握る。

 

 私は。

 

 今日一日。

 

 透の隣にいた。

 

 私から腕を絡めた。

 

 手をつないだ。

 

 帰りたくないと言った。

 

 ここへ来ることも選んだ。

 

 なら。

 

 この先も。

 

 自分で決めたい。

 

「私も」

 

 透を見る。

 

「私も、もっと透に近づきたい」

 

 透の目が、少しだけ大きくなる。

 

 私から身体を近づける。

 

 透の肩へ手を置く。

 

 透の腕が、ゆっくり背中へ回る。

 

 抱き寄せられる。

 

 私も透の背中へ腕を回した。

 

 前より近い。

 

 それでも。

 

 怖くはなかった。

 

 安心する。

 

 もっと触れていたいと思う。

 

 少し離れる。

 

 顔が近い。

 

「キスしてもいい?」

 

 透が聞く。

 

「ええ」

 

 唇が触れる。

 

 一度。

 

 離れる。

 

 今度は。

 

 私から、もう一度重ねた。

 

 前より長く。

 

 離れたあとも。

 

 透の肩から手を離さなかった。

 

「澪」

 

「何?」

 

「この先も、いい?」

 

 声が近い。

 

 でも。

 

 答えを急かす声ではなかった。

 

 私は。

 

 自分が何を望んでいるのか考える。

 

 緊張している。

 

 恥ずかしい。

 

 怖さも、少しだけある。

 

 それでも。

 

 透となら。

 

 もっと近くなりたい。

 

「ええ」

 

 透の目を見る。

 

「私も、この先へ進みたい」

 

「途中で嫌になったら言って」

 

「透もよ」

 

「俺も?」

 

「当たり前でしょう。二人で決めることなんだから」

 

「分かった」

 

 透が頷く。

 

 私も頷いた。

 

 もう一度。

 

 透の手を取る。

 

 今度は。

 

 迷わなかった。

 

 部屋の灯りを落とす。

 

 ◇

 

 朝。

 

 カーテンの隙間から、細い光が入っていた。

 

 目を開ける。

 

 すぐ隣に、透がいる。

 

 眠そうな顔。

 

 目を閉じていても、いつもとあまり変わらない。

 

 少し笑ってしまう。

 

「透」

 

「ん……」

 

「朝よ」

 

「もう少し」

 

「起きなさい」

 

「休み」

 

「そういう問題じゃないでしょう」

 

 透がゆっくり目を開ける。

 

「おはよう」

 

「……おはよう」

 

 目が合う。

 

 昨日のことを思い出して。

 

 急に顔が熱くなった。

 

 透がこちらを見る。

 

「何?」

 

「赤い」

 

「誰のせいだと思ってるのよ」

 

「俺?」

 

「他に誰がいるのよ!」

 

 声を上げてから。

 

 恥ずかしくなって顔を逸らす。

 

 透が小さく笑う。

 

「笑わないで」

 

「ごめん」

 

「絶対、悪いと思ってないでしょう」

 

「少し」

 

「少しなの?」

 

 いつものやり取り。

 

 でも。

 

 昨日までとは違う。

 

 透の手が、私の手へ触れる。

 

 指先だけ。

 

 それから。

 

 確かめるように、手を重ねた。

 

「澪」

 

「何?」

 

「後悔してない?」

 

 透が聞く。

 

 私は、すぐに答えた。

 

「してないわ」

 

「本当に?」

 

「本当よ。透は?」

 

「してない」

 

「ならいいわ」

 

 透の手を握る。

 

 昨日。

 

 ここへ来ると決めたのは、私だった。

 

 透ともっと近づきたいと伝えたのも。

 

 この先へ進みたいと答えたのも。

 

 全部。

 

 私が決めた。

 

 だから。

 

 恥ずかしくても。

 

 今さらなかったことにはしたくない。

 

「透」

 

「ん?」

 

「次も」

 

 口にしてから。

 

 言葉が止まる。

 

「次も?」

 

「……私が決めるから」

 

「何を?」

 

「分かってるでしょう!」

 

 透が少し笑う。

 

「分かった」

 

「本当に?」

 

「澪が決める」

 

「そうよ」

 

 透の手を。

 

 もう一度、強く握る。

 

 恋人になった日も。

 

 昨日の夜も。

 

 今日の朝も。

 

 透の隣にいることを。

 

 私は。

 

 自分で選んでいた。

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