勢いだけ。白面の者として無双するタイプの話ではありませんでの、ご注意を。
おぎゃあと生まれてみれば、そこはコズミック・イラと暦を号する未来であった。
如何なる因果か、それとも自分の最後の願いを誰かが聞き届けたのか、世界の陰の気の化身であったはずのソレは、東アジア共和国の片隅で平凡だが善良な夫婦の娘として産まれた。
赤子らしくおぎゃあ、おぎゃあ、と鳴く彼女は優しく彼女を抱きしめた母親に、その名を呼ばれた時、泣く事を忘れた。それはソレが数千年、あるいはそれ以上の長きに渡って求め続けた願い、欲してきた祈りが叶えられた瞬間であったから。
ソレがコハク・ココノオの名前で生れ落ちてから、二十数年、母国東アジア共和国を含む地球上の全国家と、地球の外に広がった世界は決して平和ではなかった。
高度な遺伝子操作技術により、生まれながら才能を与えられたコーディネイターと呼ばれる人々と、自然のままに生まれたナチュラルとの間に生じた不和と緊張は、ついに地球圏全域を巻き込む戦争となったからである。
「ふふふ、我々のヒヨウがあれば大西洋連邦のメビウスなど、採用する必要はなかったな。流石だ、ココノオ特務少佐。貴官の開発したモビルアーマーは、ザフトの巨人共と渡り合えている」
コハクの傍らで、数日前に宇宙で発生したザフトと東アジア共和国の艦隊の小競り合いを見て、恰幅の良い将官は機嫌よく称賛の声を惜しまなかった。
「恐縮です、閣下。我が軍のヒヨウは特別に培養した有機細胞による生体神経を操縦系統に組むこむことで、操縦の簡便性と追従性、反応速度の向上に成功いたしました。モビルスーツの開発にも応用が叶いましょう」
開発・運用を担当したコハクは嫣然と笑む。二回りも年下の部下の見せる笑みは見惚れるほどの美しさよりも、こちらの心臓を掴むような悍ましさがあった。既にモニターに視線を戻していた将官は、幸いにもその笑みを見ずに済んだ。
モビルアーマーはモビルスーツ登場以前に、宇宙に於いて戦場の華だった非人型機動兵器だ。作業ポッドと戦闘機の流れを汲む機体であり、地球連合軍の主力を担うメビウスを標的として開発されたモビルスーツの前に、1:5という絶望的なキルスコアを記録している。
その中にあって東アジア共和国が独自に運用するヒヨウは、ザフトのモビルスーツ・ジンを相手に、パイロット次第では互角に近い戦いが可能という破格の機体だった。
機体中央から前面を担うボール状のセンサーアイ兼コックピットブロック、その左右にジンの装甲を貫く超振動ホーン、機体上部に大口径リニアガン二門を備え、重心移動による迅速な機動変化を可能とするフレキシブル・テールやフレキシブル・アームを備えた外見は、異形の怪物と呼ぶのが相応しい。
ところで、コハクもとい白面の者に未来の技術を理解する知性があるのか?
前世に於いてとある僧侶が、白面の者を討つ為に西洋魔導の知識を交えた武具を創り出そうと試みた時、白面の者の化身が言葉巧みに取り入り、当時最新の機材、研究環境に知識さえも与えた例がある。
人間を苦しめ、その絶望と恐怖する様を至上の喜びとした白面の者は、であるが故にあらゆる知識を収め、人間を凌駕する知性でそれらを駆使してきた。
肉体的には人間の器に収まったコハクも、その魂の知性、演算能力、思考速度に陰りはなくコーディネイターどころか人間の範疇を越えた鬼才を発揮していた。
そうして作られたヒヨウは、先にコハクの述べた特異性に加え、ブロック構造の採用による生産性の高さ、ジンの装甲を想定した火器の搭載により、地球連合構成国の中にあって、東アジア共和国ばかりは勝利の報せが舞い込んでいる。
「君という生まれながらの天才が居たことは、我が国にとってなによりの天恵だった。君の主導する我が国初の、いや、地球連合初のモビルスーツの開発にも、私だけでなく軍と政府の多くの人々が期待するところだ」
個人の名前こそ出なかったものの、将校の言葉は迂闊と言っていいくらいに、野心と期待と欲望を含んでいる。
今でこそ対プラント、対ザフト、対コーディネイターで手を組んでいる地球連合構成国も、プラントとの戦いが終われば、かつてのようにお互いを仮想敵国としてにらみ合いを再開させる間柄だ。
その時の為に、プラントを相手に東アジア共和国が戦争の趨勢を担っておけば、戦後のアドバンテージにも繋がる。
地球連合全体では敗北の続く中で、自陣営の勝利に酔いしれる将校の欲深さと身勝手さを前に、コハクの笑みは変わらない。
陽の気から生まれたはずの人間が持つ、悪性はこの世界でも変わらないのだと、ある種の安心すら憶えている。
生まれは平凡、肉体は健康的で比較的優秀だが、それ止まり。
良く鍛えられた軍人ではあるが、身体能力を生まれつき高く調整されたコーディネイターや、天才型のナチュラルには及ばない。
月の光のように白く透けた肌と腰まで届く絹糸のように艶めく黒髪、冷徹と合理と美を一つまみの闇を凝縮したような人間離れした美貌ばかりは、天与の賜物。
それがコハク・ココノオ特務少佐という東アジア共和国軍人の、ざっくりとしたパーソナリティーである。
彼女の魂が“白面の者”と呼ばれた世界最強最悪の
ナチュラルの平均値をはるか凌駕するコーディネイターの操る人型機動兵器モビルスーツと、強力な電波障害と核分裂反応の抑止を行うニュートロン・ジャマーにより、電子機器が悉く無効化され、現代の戦争では有視界戦闘を余儀なくされている。
この為、地球連合軍──東アジア共和国、ユーラシア連邦、大西洋連邦その他──は、開戦前の予想を覆して、ことごとく負け続けている。
前世とはあまりにも変わった世界に、前世とは別の生物として生まれ変わったコハクが、軍人の道を選んだのは、古代とはいえ多くの宮廷に入り込み、人間の性質を知悉していた経験と邪知奸計に優れたるその頭脳により、地球全土を巻き込む戦争を確信した為である。
より厳密に言えば今生における、どこにでもいるような平凡で素朴で、そして善良な良心を守る手段として、軍人の道を選んだわけだ。
前世の自分とまるで異なる目的意識で動く自分を、コハクとしては自分の最後の願いが叶ったかと皮肉気に笑い、白面の者としては……
将校のおべっかを聞き終えて、その場を辞する事を許されたコハクは、東アジア共和国内にある自分の為の研究施設へと戻った。
士官学校を首席で卒業して以来、これまでのあらゆる記録を塗り替える成績と実績を上げ続けて現在の立場を築くまでの道のりは、愛娘の栄達を喜ぶ両親の姿がなによりのモチベーション向上につながったものだ。
最低限の人員のみを置く研究室の中にあって、地球連合軍の軍服の上にウェアラブルコンピューターを兼ねる白衣を重ね着したコハクは、ヒヨウに用いる人工生体神経の培養ブロックに足を運ぶ。
高さ五メートルほどのシリンダーの内部を緑色の培養液が満たし、それらが縦に三基繋げられて、広大なブロックを埋め尽くしている。
剥き出しの神経を思わるグロテスクな人工生体神経は、コハクが足を踏み入れた途端、その様子を変化させる。筋繊維や神経の塊と見えた人工生体神経の表面に、大小の目玉がボコボコと浮かび上がり、一斉にコハクを見たのだ。
『御方様、御方様が御出でになられた』
『おお、このような場所に御方様が自ら足を運ばれるとは、なんと光栄な』
『白面の、いえ、ココノオの御方様、次の出荷ロットは我らでありましょうや』
白面の者として使役していた小妖怪『婢妖』。これがヒヨウの中枢を司る人工生体神経の正体だった。
婢妖はかつて人間、妖、無機物を問わず寄生して操る能力を持っていた。
白面の者がコハクとして生まれ変わった以上、婢妖も能力の低下は否めず、今はこうして機体とパイロットを繋ぐ役割を新たに与えられている。
見た目はいかにもグロテスクなクリーチャーであるが、コハクが用途を限定してコーディネイトした新種である為、非常に高度なAIとしてパイロットを秘かにサポートしていた。
東アジア共和国の軍人も、ヒヨウに撃墜されたザフトのパイロット達も機体の中身が、まさかこんな異世界の存在によって作り出されたゲテモノだとは、夢にも思うまい。
「者共、静まれ。先に戦場へと赴いたお前達のともがらは、我の目論んだとおりの働きを示している。次に戦場へと赴くお前達もまた、我の期待を裏切らぬよう励め」
かつてあらゆる妖と人間を恐怖の底へと突き落とした白面の者時代と比べ、それらしく振舞っても幾分か言葉と声色が柔らかい。
『ははあ!』
『御方様の御心のままに』
『我らは征く、星海の彼方まで』
『御方様は今日もお美しくあられる。明日もお美しいぞ』
『我はやるぞ、我はやるぞ、我はやる、やった!』
少し様子がおかしいのが混じっているのは、やはり白面の者からコハク・ココノオへと生まれ変わった影響が、配下の妖にも影響を与えてしまったに違いない。
いずれにせよ士気旺盛なのは間違いない。あの婢妖達はモビルアーマーの中枢部で、パイロット達の生存を優先しつつ、自身の犠牲を省みない献身を果たすだろう。
婢妖達に問題がないのを確かめて、コハクは量子コンピューターが唸りを上げる研究室へと戻った。
東アジア共和国の現在と未来の軍事の要を握る存在となった彼女は、ヒヨウばかりでなく大型の水中用モビルアーマー・アヤカシ、光学迷彩とビーム反射機能、飛行機能を搭載した大型モビルアーマー・クラギといった、新たな機動兵器の開発も担っていた。
自らの生み出すこれらの機動兵器が齎す戦争のパワーバランスの変化、戦後に起きうる地球連合構成国間での危機的状況、敗北したプラントが追いやられる状況、コーディネイター憎しで動くブルーコスモスの動向……
膨大な数の思考と予測を並行して行いながら、コハクの指は淀みなく動き続けて量子コンピューターに新たな設計図と完成予想図を浮かび上がらせる。
これまでの世界大戦を上回る規模の戦争を繰り広げ、それがなによりも怨恨に根差して行われる今の世界の有様は、白面の者としては人間の醜さと愚かさをこの上なく堪能できる喜劇だ。
だがコハク・ココノオとしては、両親に理不尽な戦禍が降りかかる可能性の高い惨事以外の何者でもない。
そしてこのコズミック・イラに生まれ変わってから、早々に発覚した事実がある。この世界には妖は存在しておらず、法力の類も存在していない。かつて日本列島を蹂躙した白面の者とそれを打倒した蒼月潮、とら、獣の槍の名前も存在した痕跡すらなかった。
「このコズミック・イラがあの世界の続きでないのは……」
かつての自分を滅ぼした二体で一体の妖たるアレらの未来が、こんな世界でない事は、どうだとコハクは言おうとしたのか。その続きはついぞ口にされることはなかった。
その代わりに東アジア共和国の主力モビルスーツとして、開発の進む機体コクエンに視線を映す。
「ふ、ヒヨウといいコクエンといい、これらと今の我をお前達が見たなら、我の暗躍を疑うだろうな」
かつての宿敵が人間に生まれ変わった自分を見たら、どんな反応をするのか? そんな実現するはずのない空想に浸る無駄な時間が、コハクは存外、気に入っていた。
コハク・ココノオ → 漢字表記で琥珀・九尾、設定的には琥珀→狐白。
九尾の白い狐、という意味の名前です。