「今日、お前の案内をする。海軍本部中将のセンゴクだ。」
「案内よろしくな、センゴクさん。」
「……。」
ヒグマは、目の前に立つ男を一瞥した。ガープに連れられて海軍本部まで来たはいいものの、まさか案内役が中将直々に来るとは思っていなかった。
「しかし、ずいぶん偉い人が来たもんだな。」
「勘違いするな。」
センゴクは踵を返す。
「ガープがお前を連れてきた以上、海軍としても無下にはできん。だが──」
一歩、歩き出す。それに呼応するように、ヒグマも歩き出す。
「お前がどんな人間なのか、私自身の目で見ておきたい。」
「へぇ。」
ヒグマは酒瓶を肩に担いだ。
「つまり、監視ってわけか。」
「……好きに解釈しろ。」
「そりゃあ楽しい案内になりそうだ。」
「私は楽しくするつもりはない。」
「おれはするつもりだけどな。」
──海軍本部。白を基調とした壁、綺麗に磨きあげられた床。すれ違う海兵からの視線を浴びながら、ヒグマは、センゴクに連れられて海軍本部の中を歩いていた。
「ここが海軍本部の食堂だ。腹が減ったら好きに食え。」
「……へぇ。酒はあんのか?」
「ない。……そっちは訓練場。海兵どもが毎日そこで鍛えてる。」
「ふーん。」
「んで、こっちが宿舎だ。」
「……。」
ヒグマは酒瓶を片手に、興味なさそうに辺りを見回している。さっきの食堂の飯は美味そうだな、と少し気にはなっているヒグマ。センゴクはそんなヒグマを気にすることなく、どんどん先へ進んでいく。
「ここが資料室。勝手に入るなよ。」
「なぁ、海軍本部の案内だけなら部下とかにやらせていいんじゃねぇか?わざわざセンゴクさん直々とは、結構暇なんだな、中将様ってやつは。」
「お前なぁ……。」
センゴクが呆れた顔をする。
「ガープがお前を連れて来た、実力に関しちゃ信頼できるだろうが、信用はしていない。もしお前が暴れた時は部下では対応が出来ないからな。」
「そりゃそうだ。」
「まあ気にするな。最初のうちだけだ。お前がきちんと実績を積み重ねて、信用に足る人物だと判断したら快く受け入れてやる。」
「つまりは海軍の為に働けって事かよ。」
「そうだ。」
「じゃあ、その時は酒奢ってくれよ。」
「ダメだ。」
そんなやり取りをしながら廊下を歩いていると、ヒグマがふと足を止めた。
「……ん?」
大きく光が差し込んでいる。廊下の大きな窓。その向こうに、広い訓練場が見える。そこには、一人の男と数名の新人海兵がいた。紫色の髪。鍛え上げられた身体。
組手でもしているのだろう。拳を受け止める音が、窓越しにも聞こえてくる。ヒグマは酒瓶を口元から離した。
「……あいつは…、『黒腕のゼファー』か。」
センゴクがヒグマの視線を追う。そして、訓練場にいる男を見つける。
「あぁ。──あいつは今日休暇のはずなんだが、全く、また新人に稽古つけてやってるのか。」
後に海軍大将と呼ばれる男。そして、この世界で『海軍』を最も体現していると言ってもいい男。だが、今、窓の向こうにいる男は、まだ大将ではない。ヒグマはしばらくゼファーを眺めていた。ゼファーは一人一人の相手をし、どの動きが悪かった、など改善点をひたすらに伝えていた。まもなく昼食の時間になろうというのに、それでも止まらない。ヒグマは小さく息を吐いた。
「休む気ねぇじゃねぇか。」
「そういう奴なんだ。真面目だろ?」
センゴクが即座に返す。ヒグマは酒を一口飲む。
「で、あいつ強ぇのか?」
「そりゃあ強ぇぞ。」
センゴクは即答した。その声には、冗談も誇張もなかった。ヒグマは酒瓶を持ったまま、もう一度、窓の向こうへ視線を戻す。訓練場では、ゼファーが新人海兵と向かい合っていた。
「来い!」
新人海兵が歯を食いしばり、勢いよく踏み込む。右、左。続けざまに放たれる拳。ゼファーは、それらを最小限の動きで躱していく。頭を僅かに傾ける。肩を引く。半歩だけ後ろへ下がる。それだけだった。大きく動いているわけではない。だが、拳は一発もゼファーに届かない。
「遅い!」
ゼファーの声が訓練場に響いた。次の瞬間、ゼファーの拳が新人海兵の腹へ軽くめり込んだ。
「ぐっ……!」
その一撃に新人がお腹を抑え、その場で膝をつく。だが、ゼファーは手を差し伸べる。
「今の踏み込みは悪くない。ただ、拳を出す前に肩が動いてる。相手に次の動きを読ませるな。」
「は、はい!」
「よし少し休憩しろ。次はお前だ。かかってこい。」
「えっ……?──は、はい!」
新人が立ち上がる。その様子を、ヒグマは黙って見ていた。
「……なるほどな。ありゃあ、強ぇ。」
ヒグマの口元が僅かに歪む。センゴクが横目で見る。
「分かるのか?」
「いや、さっきより評価が上がった。」
「お前の評価なんぞ、本人は欲しがらんだろう。」
「そりゃあ残念だ。」
ヒグマは酒瓶を軽く傾けた。
「強ぇ奴ってのは、動きがうるさくねぇ。無駄な動きがねぇんだ。あいつ、相手の動きを見てから動いてるんじゃねぇ。動く前に、もう読んでやがる。…見る目はあると思うんだがな、おれ。」
「酒しか飲んでないやつにどうこう言われてもな…。」
「ひでえこと言うじゃねえか。」
センゴクが鼻で笑った。
「……それは、お前の日頃の行いが悪いだけだ。」
「おいおい。会ってまだ数時間だぞ?」
「十分だ。」
「早ぇな、判断が。」
「むしろ遅いくらいだ。」
「そうかい。」
ヒグマは楽しそうに笑った。その時、訓練場から、また一際大きな音が響く。新人海兵が地面を転がった。
「まだまだ!」
ゼファーの声が飛ぶ。
「立て!」
「……は、はい!」
「返事が小さい!」
「はいッ!!」
その訓練の様子を見て、思わず笑いが出る。
「ハハッ……!」
「何がおかしい?」
「いやぁ……。」
ヒグマは笑いながらゼファーを見る。
「休暇って言葉、あいつ知らねぇんじゃねぇか?」
「……まあ、否定はできん。」
「今日休みなんだろ?なのに新人をしごいてる。」
「そうだ。」
「一つ気になるのは──」
「何だ?」
ヒグマは酒瓶を傾ける。
「アイツ。」
「ゼファーが?」
「ああ。」
ヒグマの目は、窓の向こうのゼファーから離れない。
「自分より強ぇ奴と戦う時も、あんな顔してんのか?」
センゴクが黙る。
「……どういう意味だ?」
「もっと強ぇ奴を前にした時に、どうなるのかって話だ。笑うのか、怒るのか、それとも、嬉しくなるのか。」
センゴクは、ヒグマの横顔を見た。その表情からは、先ほどまでのふざけた雰囲気が消えている。
「……お前。ゼファーと戦いたいのか?」
ヒグマは少し考えた。そして
「まあな。強ぇ奴なら、殴ってみたくなるだろ?」
「ならない。」
「つまんねぇな。」
「お前がおかしいんだ。」
「そうか?じゃあ、覚えとく。」
「覚える気がない顔だな。」
「よく分かったな。」
センゴクが頭を抱える。その横で、ヒグマは楽しそうに笑った。だが、その目だけは笑っていなかった。窓の向こう。ゼファーもまた、こちらを見ている。互いの距離はまだ遠い。声も届かない。それでも、二人の視線だけは、まるで糸で結ばれたように絡み合っていた。先に視線を外したのはゼファーだった。新人海兵へ向き直る。
「休憩だ!昼飯を食ってこい!」
「教官は?」
「俺も行く。」
「本当ですか!?」
新人たちが笑う。ゼファーも笑った。その様子を見て、ヒグマがぽつりと言う。
「……悪くねぇな。」
「何がだ?」
「海軍。」
センゴクが横目でヒグマを見る。
「ほう。」
「思ってたより、退屈しなさそうだ。」
「それは何よりだ。」
「ただ──酒がねえ。致命的だ。酒貰いにさっきの食堂行かねえか?」
「帰れ。」
「まだ案内の途中だろ。」
「お前、本当に腹立つな。」
「褒め言葉として受け取っとく。」
「褒めていない。」
二人の声が、白い廊下に響く。その先では。昼食へ向かうゼファーたちの笑い声が聞こえていた。
--------------
――聖地マリージョア。
静寂に包まれた五老星の間。巨大な扉が閉じられる。その音は重く、まるで世界そのものが封じられたかのように響いた。誰も口を開かない。
椅子に座る五人の視線が、中央に置かれた一枚の報告書へと集まっている。紙はただの紙であるはずなのに、まるで罪そのもののように扱われていた。
「……報告は?」
低い声が響く。それは問いではない。確認でもない。“結果の宣告”に近い響きだった。しばしの沈黙、やがて、サターンが淡々と答える。
「……ない。あの戦い、そしてその報告書が全てだ。戦いというより、一方的な蹂躙だったか…。」
「…。」
「イム様の命令は明確だった。」
「ああ。」
その返事は、忠誠ではない。“当然”という前提の確認だった。
「それなのに、私は失敗した。あの男の覇気の影響でこの右腕と右目を失った。あの御方にこの身を回収して貰わなければ、死んでいた。」
「…その男は今どこにいる?」
「海軍本部だ。」
「海軍本部……?」
その言葉を聞いた一人が、わずかに目を細める。
「ガープが連れて行った。」
「なぜ海軍に?」
「さあな。」
無関心ではない。すでに答えを知っている者の、切り捨てだ。一人が報告書を指で叩く。乾いた音が一度だけ響く。
「ガープはあの男を買っているらしい。」
「よりによってガープか。」
「厄介だな。」
「海軍に置いておけば、こちらから手を出すのも難しくなる。」
「だが、放置するわけにもいかん。」
「当然だ。」
“当然”が重なるたびに、この場の意思が一つに収束していく。一人が顔を上げる。
「サターンを無傷で退けるほどの男だぞ。」
「……。」
「もし、あの男が世界政府そのものに牙を剥けば?」
「その時は──」
言葉が一度、途切れる。誰も続きを待たない。すでに結論は共有されている。
「あの御方以外では止められん。」
別の男が静かに続ける。
「ならば、海軍に監視させればいい。」
「センゴクか。」
「ああ。」
「信用できるのか?」
その問いに、わずかな間が生まれる。そして答えは、冷たく落ちる。
「少なくとも、ガープよりはな。」
誰かが、ほんの僅かに鼻で笑った。それは嘲笑ではない
「ガープが連れてきた男を、センゴクに見張らせるか。」
「皮肉だ。」
「だが、合理だ。」
「それしかない。」
再び沈黙。
やがて、一人がぽつりと言う。
「……殺すべきではないのか?」
その瞬間、全員の視線が一斉に向く。
「あの御方はそう命じられた。」
「だからこそだ。」
「何?」
「サターンが失敗した。」
「……。」
「次に誰を送る?」
誰も答えない。
「もう一度、同じことをするのか?」
その問いは、責任の所在を問うものではない。
「それとも──」
男は窓のない壁へ視線を向ける。そこには何もない。だが彼らにとっては一人の人間に固執して身を滅ぼすより、“世界”がある。
「こちらから手を出すのを止めるか。」
「しかし、あの御方の御命令だ。」
「ああ。」
その返事には従属ではなく、絶対の前提がある。
「ならば、しばらく泳がせる。」
「海軍に?監視するということか。」
「ああ。」
「そして、もし──」
一瞬の間。その“間”すら計算されたように整っている。
「海軍に馴染み、世界政府に敵意を示さないのなら?」
「その時は……利用すればいい。」
その言葉で、議題は終わる──かと思われた。
「…では、もし、敵意を示したなら?」
「その時は、話が変わる。海軍にいるからと言って、手が出せないわけではない。」
「だが、ガープもいる。センゴクもいる。奴が実績を上げ、海軍全体がやつを庇ったらどうする?」
「それでもだ。世界政府に牙を剥く者を、海軍の都合で生かしておく理由は無い。あの御方に報告するのは、その結果を見てからでも遅くはない。」
一人の声が低くなる。空気は更に重みを増す。誰も異論を挟まない。挟む必要がない。五人は同時に、報告書から視線を外す。まるで“存在しないもの”として処理したかのように。そして、誰も知らない。
当の本人は今──
海軍本部の廊下で、酒を片手にセンゴクへ絡みながら、食堂へ戻ろうと駄々をこねている。
「……酒がねぇ。」
「諦めろ。」
「いや、まだ食堂に戻れば何かあるかもしれねぇ。」
「ないと言っただろう。」
「確認してみようぜ。」
「子供か、お前は。」
そんなくだらない会話を交わしている男が。世界政府最高権力の五人によって、“処理対象”として静かに議題に上がっていることなど──ヒグマ本人は、知る由もなかった。
高評価、感想待ってるぜい!