識別番号027(旧題:ナンバリング・ガール) 作:管理局事案編纂室
倉庫街から離れ、休息をとれる場所を探した。人の気配がなく、遮蔽物があり、複数の逃走経路を確保できる場所。河川敷に架かる橋の下は、その条件に合致していた。
橋脚のコンクリートは夜の冷気に浸っていた。背を預けると、湿気を帯びた川の匂いが鼻腔をくすぐった。27番は左腕の包帯に指を触れた。
包帯を解くと、血を吸って暗褐色に凝固したガーゼが現れた。傷口を傷つけないよう、慎重にガーゼを剥がしていく。滲み出る血の湿りと、消毒液の刺激臭が混じり合う。
傷口の大部分は乾いていたが、先ほどの戦闘で開いた箇所からはまだ血が滲んでいた。
「……ねぇ」
応急キットから消毒液を取り出したところで、ユーノが声を上げた。彼は27番の右隣にいた。視線を僅かに動かし、続きを促した。
「どうしましたか」
「ボク、少しだけど魔力が回復したんだ。だから、キミの怪我を……」
「自身の回復を優先してください」
即座に返した。彼はなおも口を動かしていたが、結局声にはならなかった。
処置を再開する。消毒し、ガーゼを当て、包帯を巻き直す。最後に端を結び、緩みがないことを確認した。
「処置完了」
次いで、魔力残量を確認する。およそ七割。発見した回収対象は三個。単純に考えて一個につき一割消費の計算。ただし、戦闘が激化すれば消費量も増大する。
「ジュエルシード、三個目回収失敗。競合相手による回収。残存個数、十八」
(競合の魔導師は近距離突撃型。回避・防御行動の精度は高い。連続攻撃への対処は不慣れ。中距離戦闘への適応は未熟。実戦経験は低いと推察。デバイスは高性能品。次回遭遇時は前回の戦闘をもとに対策されている可能性大)
対処方針を検討する。
(距離の維持を最優先。近接戦闘は回避する。デバイス性能差から魔力運用効率で劣ると推定。消耗戦は不利。火力を集中し、短時間で制圧する)
「……キミは、あの子のことどう思う?」
問いが来た。どう思う、という問いの意味を解析する。感情を問うているのか、戦術的評価を問うているのか。文脈から判断すれば後者だろう。
「戦闘能力自体は高く、高性能なデバイスも所持しています。ただし、実戦経験は不足しているように見受けられました。次回遭遇時の撃墜は可能と判断します」
「そうじゃなくて」
彼の声が少し強くなった。顔を上げる。翡翠の瞳がこちらを見ていた。その目に宿る感情の種類は、特定できなかった。
「あの子が、どうしてジュエルシードを集めてるのか、とか」
「不要な情報です」
「……キミは、知らないままでいいの?」
「その情報に意味はありません。回収対象が競合している。それで十分です」
彼は黙った。尻尾が地面を叩いていた。苛立ちか、焦燥か。区別がつかなかった。
「あの子、キミと同じくらいの歳に見えた」
「年齢は戦闘の評価項目として適切ではありません」
「キミは、痛くないの?」
「痛覚は機能しています」
「そういうことじゃなくて」
また、その言葉が返ってきた。27番は沈黙した。問いに対する回答が、彼の求めるものと一致しない。彼との対話において、繰り返し発生している。
(質問の意図を正確に把握できていない可能性)
自分自身の解析能力に問題があるのか、彼の質問能力に問題があるのか、判断は保留する。
「私からも質問をしていいですか」
「なに?」
「あの魔導師について、何を知っていますか」
彼は少し驚いたように瞬きをした。尻尾の動きが止まる。
「……何も、知らない」
「先ほどの質問と矛盾します。あなたは『どう思う』と問いましたが、何も知らない相手についてどう思うかを問うのは論理的に不整合です」
「そう、だけど……」
彼は言葉を探しているようだった。前足が地面を掻く。小さな爪がコンクリートを削る音が、夜の静けさに混じった。
「分からないんだ。ボクも、あの子のことは何も。ただ……」
「ただ?」
「ただ、悲しそうだったから」
悲しそう、という評価がどこから導かれたのか理解できなかった。
表情の変化は確認していた。しかし、そこから悲しみを推定することはできなかった。
「あの魔導師の表情から、悲しみは検出されませんでした」
「キミには、そう見えたんだね」
「はい」
「ボクには、悲しそうに見えたんだ」
彼の声は静かだった。主張するでもなく、ただ事実を述べるように。
「それはあなたの主観です」
「うん。そうだね。でも、主観って無意味じゃないと思うんだ」
任務遂行に主観は不要だ。時には判断を誤らせる要因にもなる。
それでも、彼の言葉を棄却することはできなかった。
「なんであの子がジュエルシードを集めてるのか、ボクは知りたい。戦わなくていいかもしれないのに」
「無意味な思考です。回収対象が同一である以上、交渉の余地は存在しません」
「そうかもしれない。でも、戦う以外の方法があるんじゃないかって、ボクは思うんだ」
「非効率です」
「効率って……! キミは、いつもそうやって」
声が大きくなった。彼自身も驚いたように口を閉じる。
「……ごめん。怒るつもりじゃなかった」
「謝罪は不要です。感情の高ぶりは生物として正常な反応です」
「キミは、怒らないの?」
「怒るという反応は、任務遂行に不要です」
彼は何も言わなかった。その沈黙が、先ほどよりも重く感じられた。その認識自体が不要だった。だが、消えなかった。
「キミは、どうしてジュエルシードを集めてるの?」
「任務だからです」
「それだけ?」
「はい」
「そっか……」
彼はそれ以上口を開かなかった。ただ俯いたまま耳を伏せ、尻尾を力なく揺らしていた。
会話は終了したと判断し、瞼を閉じた。消耗した魔力を回復させ、低下した演算機能を正常値に戻す。
意識を落とす前に、一度だけ枷に触れた。冷たい。
それだけだった。
アースラの艦長室で、リンディ・ハラオウンは指令とともに送られてきた観測データを眺めていた。
「第97管理外世界で観測された異常な魔力値の原因調査、ね」
数時間前、グラフの線が前触れなく跳ね上がっていた。ほぼ垂直に上昇した値は、数分後には下降している。同じ変動が複数回、記録されていた。
(できれば、機器の故障や単なる自然現象であってほしいけれど……)
その可能性が極めて低いことを理解していても、そう思わずにはいられなかった。管理外世界で、異常な魔力反応が複数回にわたって記録されている。単なる自然現象として片づけることはできない。
横から湯呑が差し出された。中には、湯気の立つお茶が入っている。
礼を言って湯呑を受け取ると、角砂糖を二つ落とし、口をつけた。甘さが広がり、思考が少しだけ落ち着いた。
「エイミィ、あなたはどう思う?」
「そうですね……」
問いかけられたエイミィは横から投影されたグラフを覗き込み、考え込む仕草をする。
「魔力値が急激に上昇した後、すぐに降下しています。自然現象の可能性は低いかと」
エイミィが指摘した通り、グラフの立ち上がりは不自然なほど急峻だった。何かが魔力を解放し、そして止めた。そんな波形に見える。
「大規模な魔法が短時間だけ発動した可能性も考えられます。ただ、これだけでは断定できません」
リンディは湯呑を机に置き、溜息をついた。
「そうね……。今の段階では断定できないけれど、事件性がないことを祈るばかりだわ」
橋の下、何かが触れた感覚に27番は目を開き、素早く周囲を確認した。接触したものの正体はすぐに見つかった。
未だにフェレットの姿をとっている彼が密着するように眠っていた。寒いのか、小刻みに震えている。
周囲は未だ闇に覆われており、夜明けの気配は遠く、風はなくとも夜の冷気は厳しい。
彼を抱え上げて膝の上に乗せると、再び目を閉じた。
橋の下の寝息二つ、誰に気づかれることもなく夜は更けていった。
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『雷鳴に刻まれし運命を背負う少女の深い闇―The Black Lightning Destiny―』
https://syosetu.org/novel/429002/
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