入学式当日。国立魔法大学付属第一高校の講堂には、真新しい制服に身を包んだ新入生たちがずらりと着席していた。
会場の座席は、前方と後方とではっきり分かれている。前方には、胸元に八弁の花のエンブレムをつけた一科生たち。後方には、そのエンブレムを持たない二科生たち。
そんな区別があることなど知る由もない芽田紋は、なんとなく空いていた前方の席に腰を下ろしていた。
(せいふく、きゅうくつ、もん……)
制服の窮屈さに気を取られていると、案内係らしき上級生が、怪訝な顔でこちらに近づいてきた。
「……君、二科生だよね? 後ろの列に案内するよ」
「もん?」
よく分からないまま、芽田紋は言われるがままに席を移動させられた。周囲からいくつか視線が集まったが、当の本人はなぜ移動させられたのかも理解しないまま、大人しく最後列近くに座り直した。
昨日渡された制服に、まだ慣れていない。スカートの丈も、ブレザーの襟も、なんだかむずむずする。私服のパーカーの方がよっぽど落ち着くのに、と思いながらも、周りが皆同じ格好をしているので、それに倣うことにした。
小さく身じろぎしていると、前方の壇上で、司会の教師が声を張り上げた。
「新入生総代、挨拶」
壇上に上がったのは、艶やかな黒髪をロングの姫カットにまとめた少女だった。凛とした立ち姿、澄んだ声。非の打ち所のない美貌に、会場の空気が一瞬でその一人に吸い寄せられるのが分かった。
「新入生代表、司波深雪」
少女――深雪は、深々と一礼してから話し始めた。よどみのない、美しい挨拶だった。芽田紋には内容の半分も理解できなかったが、なんとなく「すごい人なんだろうな」ということだけは伝わってきた。
(きれいな、ひと、もん……)
周りをぼんやりと見回していると、少し離れた席に座る一人の少年が目に入った。切れ長の鋭い目元、大柄で筋肉質、それでいて着痩せする引き締まった体格が印象的な少年だった。壇上の深雪を静かに見つめるその横顔から、芽田紋はふと目が離せなくなった。
理由は、自分でもよく分からない。ただ、なんとなく――近づいてはいけない気がする、ような。あるいは、逆に、妙に気になる、ような。
少年は表情を変えることなく、妹の晴れ舞台をじっと見守っていた。それだけの、何の変哲もない光景のはずだった。
だが、芽田紋は、その少年の視線がふと自分の方に流れた――ような、そんな錯覚を覚えた。
(き、気のせい、もん……)
慌てて視線を逸らす。少年――司波達也は、その後すぐにまた深雪の方へと視線を戻し、それきり何事もなかったかのように壇上を見つめ続けていた。
この時、二人が言葉を交わすことはなかった。
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* * *(達也視点)
司波達也は、妹の晴れやかな挨拶を見届けながら、ふと視界の端に映ったある光景が気にかかっていた。
式が始まる直前、前方の一科生の席に、二科生らしき女子生徒が一人紛れ込んでいた。案内係に指摘され、後方へ移動させられていたが――その一連のやり取りの間、彼女には気後れした様子も、恥じ入る素振りも、まるで見られなかった。
普通なら、あの状況で顔を赤くするなり、慌てて頭を下げるなりするものだ。だが彼女は、まるで何が起きたのかも理解していないかのような、あっけらかんとした顔のままだった。
(――図太いのか、それとも、単に何も考えていないだけか)
達也は内心でそう分析しながらも、判断がつかずにいた。少なくとも、只者ではないという直感だけが、微かに引っかかっていた。
視線をふと感じて振り向くと、その女子生徒とちょうど目が合った。彼女は慌てたように顔を逸らす。
達也はすぐに興味を失ったふりをして、再び深雪の方へと向き直った。だが、意識の片隅には、小さな違和感がしこりのように残り続けていた。
* * *
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式が終わり、新入生たちはそれぞれのクラスに割り振られていった。掲示板の前に人だかりができる。
「E組……E組……」
芽田紋は、掲示板に貼られた紙を、指でなぞりながら自分の名前を探していた。
この学校には「一科生」と「二科生」という区分があるらしい。詳しい仕組みは分からないが、なんとなく、AからDまでが一科生で、EからHまでが二科生らしい、ということだけは周りの会話から聞きかじっていた。
「あった、もん」
自分の名前――「芽田紋」の三文字を見つけた。E組。
その少し上に、「司波達也」という名前も並んでいた。もちろん芽田紋には、それが誰なのか分かるはずもない。
「へえ」と特に深い感想もなく呟いて、芽田紋はその場を離れた。
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E組の教室に足を踏み入れると、既に何人かの生徒が席についていた。芽田紋は指定された席――窓際、後ろから二番目――に腰を下ろす。
斜め前の席に、見覚えのある顔があった。式典の時に目が合った、あの少年だ。
(あ……さっきの、ひと、もん)
芽田紋は、彼が「司波達也」という名前だったことに、今更ながら気づいた。彼は特に周囲と会話するでもなく、静かに前を向いている。
(となりの、クラスの、ひと……じゃなくて、おなじクラス、もん)
どう声をかけたらいいのか分からず、芽田紋はとりあえず様子を見ることにした。
やがて、教室の前方の扉が開き、白衣を羽織った、若い女性教師が入ってきた。
「はい、席についてください。E組の担任を務めます」
教師は淡々とした様子で出席簿を開き、名前を順番に読み上げていく。芽田紋も自分の名前が呼ばれたときだけ「はい、もん!」と元気よく返事をしたが、それ以外は特に何も起こらず、点呼は粛々と進んでいった。
点呼が終わりかけた頃、教室の扉がもう一度開いた。今度は、神経質そうな中年の男性教師だった。手には分厚い書類の束を抱えている。
「すまない、少しいいかな」
担任教師に断りを入れてから、彼は教室を見回した。
「……芽田紋くん、というのは、君かな」
「はい、もん!」
芽田紋が元気よく手を挙げると、教室内が一瞬ざわついた。名前の響きが、いかにも普通ではなかったからだ。
「私は教頭の八百坂だ。君の入学に関して、その、いくつか特殊な事情があってね」
八百坂は、手元の書類と芽田紋の顔を、何度も交互に見比べた。
「君の書類だが……いくつか、記載に不備があってね。戸籍の記録が……」
「……もん?」
「いや、いい。校長からの通達で、特例扱いということになっている。詳しい事情は聞かされていないが……」
八百坂は、深いため息をついた。その顔には、なぜか疲れが色濃く滲んでいる。それはもう、何度も同じため息をついてきたような、そんな疲れきったため息だった。
「ともかく。君は今日から、この学校の生徒だ。何か問題があれば、私のところに来なさい」
「はい、もん! よろしくお願いします、もん!」
芽田紋は勢いよく頭を下げた。教室内で、くすくすと小さな笑いが漏れる。八百坂は何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わず、一礼して教室を後にした。
(このひと、なんか、たいへんそう、もん……)
芽田紋は、そんなことをぼんやりと思いながら、八百坂の後ろ姿を見送っていた。
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ホームルームが終わり、最初の授業――基礎魔法学、というものが始まった。教壇に立った教師が、淡々とした口調で話し始める。
教科書を開いても、書いてある文字はまるで理解できない。演算領域、起動式、魔法式――聞いたこともない言葉が、黒板いっぱいに並んでいく。
(ぜんぜん、わからない、もん……)
周りの生徒たちは、慣れた様子で黒板の内容をノートに書き写している。芽田紋も見よう見まねでシャープペンシルを握り、教科書の文字をそのまま書き写してみるが、何が重要で何がそうでないのか、まるで判断がつかない。ノートは、意味の分からない単語の羅列で埋まっていくばかりだった。
(もじ、いっぱい、もん……)
途中、教師が誰かを指名して質問をぶつける場面があった。指された生徒がすらすらと答えると、教師は満足げに頷き、また説明を続ける。芽田紋はその一連のやり取りの意味すらほとんど理解できないまま、ただ音として聞き流していた。
斜め前の席で、達也が黒板とノートに交互に視線を送りながら、迷いのない手つきでペンを走らせているのが見えた。
(すごい、はやい、もん……)
授業時間の大半を、芽田紋はただ茫然と黒板を見つめて過ごした。
(このがっこう、ちゃんとやっていける、かな、もん……)
窓の外では、桜のつぼみが、まだ固いままだった。
(つづく)