ロボ・インフェルノの前で、数百人が詰まっていた。
当然だ。二メートル級が数十体、五メートル級が十数体、十メートル級が数体、そして二十メートル級が一体。これが道幅いっぱいに並んで、生徒を弾き飛ばしている。
個性で吹き飛ばせる人間は、既に抜けている。
残ったのは、俺のような連中だ。
「どけ! 邪魔だ!」
「無理だって、あんなの倒せねえよ!」
「回り道は!?」
「ねえよ、両側崖だ!」
俺はその集団の後方で、立ち止まっていた。
走らない。押さない。まず、見る。
* * *
俺が見たのは、二十メートル級だった。
あれは既に、半壊している。
爆豪が突破したときに爆破したのだろう。左側の脚部が焼け焦げて、関節が歪んでいる。そのせいで、巨体がわずかに傾いだまま静止していた。
傾いでいる。
つまり、重心が中心にない。
――倒せるな。
俺はそう判断した。
いや、倒す必要すらない。
あれは既に、倒れかけている。俺がやるべきなのは、倒すことではなく、どちらに倒すかを決めることだ。
物理の話をする。
質量二十トンだか三十トンだかの物体が、支持脚の片方を失った状態で立っている。その物体は、支えている側の脚が耐えている限り立ち続ける。
その脚を、数秒ぶん弱らせたら、どうなるか。
答えは単純だ。弱らせた方向に倒れる。
俺の腐食は、二十トンを消し飛ばせない。
だが、二十トンの倒れる方向を決めることはできる。
* * *
問題は、そこまで近づけるかだった。
二十メートル級の足元は激戦区だ。二メートル級が周囲を巡回している。
俺は集団の縁を回り込んだ。壁際、崖のすぐ横。
その途中で、悲鳴が聞こえた。
「――きゃっ!」
麗日お茶子だった。
二メートル級に弾かれて、地面に転がっている。個性は使えるはずだが、あいつの個性は『触れた物を浮かせる』だ。二十トンの塊を触るには、まず近づかなければならない。そして近づけない。
二メートル級が、彼女に向き直った。
俺は舌打ちした。
――面倒だな。
だが、ちょうどよかった。
あのロボットは、俺の進路上にいる。
俺は走った。
三歩。あとは滑り込んだ。
二メートル級のキャタピラの側面に、両手で掴みかかる。
「――なっ、比企谷くん!?」
「動くな」
一秒。
二秒。
三秒。
俺は引きずられた。当然だ。ロボットは前進する。俺は掴んでいる。結果として、俺の身体がアスファルトの上を滑る。
背中が焼けるように痛い。
五秒。
金属が黒ずんだ。
八秒。
指が沈んだ。
――今の俺なら、何秒だ。
答えは。
「――十一秒」
駆動軸が、折れた。
入試のときは四十秒だった。
今は十一秒。
理由は簡単だ。狙う場所が分かっているからだ。あのときは闇雲に掴んだ。今は、構造上最も脆い接合部を、最初から狙える。
三ヶ月で、俺が身につけたのはそれだけだ。
だが、それだけでも二十九秒縮まる。
* * *
片側のキャタピラが空転して、ロボットが円を描き始めた。
麗日が呆然とこっちを見ていた。
「……えっ、いま、なにしたん?」
「腐らせた」
「腐らせ……ええ!? 金属を!?」
「起きろ。次が来る」
俺は立ち上がった。背中が擦り剥けている。
麗日も立ち上がった。
そして、二人で走りながら、あいつが言った。
「あの、なんで助けてくれたん? うち、ライバルやん」
「ライバルじゃない」
「え?」
「俺とお前じゃ順位が違いすぎる。競合しない」
実際そうだ。あいつは上位を狙える。俺は通過ラインすら怪しい。
「それに、あのロボットは俺の進路上にいた。……ついでだ」
「ふーん」
麗日はにやりと笑った。
「ええ人やなあ、比企谷くん」
「聞いてたか? ついでだと言った」
「聞いとったよ。でも、ついでで人助けする人って、それはもう、ええ人やと思うで」
こういうことを、こいつは真顔で言う。
俺は返答に困った。
困ったので、話題を変えた。
「……さっきの話だが」
「え?」
「実家のために稼ぐってやつだ」
「うん」
「立派だと思う」
言ってから、少し後悔した。
俺はこういう台詞を口に出す人間ではない。だが、事実だったので出てしまった。
麗日は目を丸くして、それから笑った。
「なんやそれ! 急に褒めんといて、照れるやろ」
「……褒めてない。分類しただけだ」
「分類?」
「動機の話だ。俺は夢のために戦う人間が苦手だ。あれは自分のためじゃないふりをしてるからだ。……お前は自分のためだと言い切ってる。だから信用できる」
俺は言った。
「信用できる動機を持ってる奴は、たぶん折れない。それだけだ」
麗日は数歩、黙って走った。
それから、こう言った。
「比企谷くん、めっちゃ変な褒め方するな」
* * *
二十メートル級の足元に着いたのは、その一分後だった。
俺は左脚の付け根に手を当てた。
焦げた側ではない。無事なほうの脚。
傾いだ巨体の重量を、一本で支えている柱。
そして、待った。
五秒。
十秒。
装甲の下の構造材が、軋み始めた。
十五秒。
――来る。
「麗日、下がれ」
「え、なに、なにが」
「上だ」
二十メートルの鉄塊が、傾いた。
ゆっくりだった。最初は。
だが角度が二十度を超えたあたりで、加速した。物理法則というのは容赦がない。
巨体が、他のロボット群の上に倒れ込んだ。
轟音。
二メートル級が数体、押し潰された。五メートル級が二体、巻き込まれて倒れた。
そして。
道ができた。
倒れた巨体の胴体が、そのまま橋になっていた。ロボット群の頭上を渡る、鋼鉄の道。
俺はその上に足をかけた。
「――比企谷くん、これ!」
「歩けば抜けられる」
「うわ、うわあ! すご!」
麗日が飛び乗ってきた。
そして、その後ろから、数百人が来た。
「――道が空いたぞ!」
「行けるぞ!」
詰まっていた集団が、一斉に流れ込んできた。
俺は押し流されないように、端を歩いた。
『――おいおい、今の見たか!? 二十メートル級が自分から倒れたぞ!』
実況の声が響いた。
『誰だ今の! カメラ回せ、誰かやったのか!?』
俺は顔を伏せた。
最悪だ。
俺は自分が通る道を作っただけだ。数百人が抜けたのは副次的効果であって、意図ではない。
だが、映像は意図を映さない。
映るのは結果だけだ。
* * *
第二関門は、谷だった。
深い谷に、細い綱が何本も渡してある。落ちればネットがあるが、落ちた時点で大幅なタイムロスだ。
俺は綱の前で立ち止まった。
――無理だな。
平均台すら苦手な人間が、揺れる綱の上を渡れるわけがない。
だから俺は、四つん這いになった。
両手両足で綱にしがみついて、少しずつ進む。
みっともない。
だが落ちるよりマシだ。
「比企谷くーん!」
上から声がした。
麗日が浮いていた。自分に個性をかけて、綱を引っ張りながら移動している。
「手ぇ貸そか? うち、比企谷くんも浮かせられるで!」
「無理だ」
「なんで?」
「触れないからだ」
俺は綱にしがみついたまま答えた。
「お前の個性は接触が条件だろ。俺に触れたら、お前の指が腐る」
「あー、そうか!」
麗日はあっさり納得した。
それから。
「じゃあ気ぃつけてな! 先行くで!」
そう言って、行ってしまった。
俺は少し、呆けた。
こういう場面で、人はだいたい二つの反応をする。
一つ、遠慮する。「そっか、ごめんね」と気まずくなって、その場の空気が重くなる。
二つ、無理に押す。「大丈夫だよ、ちょっとくらい」と言って、こちらが断り続ける羽目になる。
どちらも面倒だ。
だがあの女は、三つ目をやった。
納得して、去った。
俺の事情を了解して、同情も遠慮もせず、自分の勝負に戻った。
――楽だな。
俺は綱の上で、そう思った。
こういう人間が、たぶん一番一緒にいて疲れない。
* * *
谷を渡り終えたとき、俺の順位は目測で八十番台だった。
ロボットで詰まった連中が、まだ後ろにいる。谷で落ちた人間も多い。
だが、通過は四十二名だ。
あと四十人。
――最後の関門次第だな。
その最後の関門が見えたとき、俺は少し笑った。
『さあ最終関門! 地雷原だァ!』
広い平地。地面に、無数の地雷が埋められている。
『安心しろ、殺傷力はねえ! だが派手にぶっ飛ぶぞ! 見た目より音がでけえからな!』
選手たちが、慎重に足を踏み出していた。
地面には、うっすらと不自然な盛り上がりがある。埋設した跡だ。それを目で探して、避けながら進む。
だが焦っている人間は見落とす。
あちこちで爆発が起きて、人間が吹き飛んでいた。
俺はその手前で、しゃがみ込んだ。
そして、靴を脱いだ。
靴下も脱いだ。
「……えっ、なにしてんのあの人」
「裸足? なんで?」
周囲の視線が集まった。
構わない。
俺は素足で、地面に立った。
土の感触。冷たい。少し湿っている。
そして、歩き出した。
* * *
説明しておく。
俺の個性は、触れたものを腐らせる。接触時間に比例して。
この地雷原は、土でできている。
土は有機物と無機物の混合体で、腐食の対象になる。
そして地雷は、地面の下、数センチのところに埋まっている。
つまり。
俺が地面に足を置くと、その足の下の土が腐る。
腐った土は結合を失い、密度が落ちる。
その侵食は、下へ、下へと進む。
数センチ。
地雷の外殻に、到達する。
地雷の外殻は、プラスチックか金属だ。どちらも腐る。
最初の一歩を踏み出した。
足の下で、じゅくりと土が沈んだ。
二歩目。
三歩目。
俺の背後で、小さな音がした。
ぼす、という気の抜けた音。
振り返ると、俺が歩いた場所の土が、薄く陥没していた。
爆発は、しなかった。
――起爆機構が、腐ってるからだ。
地雷は、圧力を感知して起爆する。感知するための機構がある。バネか、電気接点か、化学反応か。
その機構が腐れば、地雷はただの箱になる。
俺は歩いた。
普通に。歩幅を変えず、速度も変えず。
地雷原を、散歩するみたいに。
『――お、おい待て、あいつ、地雷の上歩いてないか!?』
『……歩いてるな』
『イレイザー、あれ何やってんだ!?』
『腐食だ』
相澤先生の声が、スピーカー越しに聞こえた。
『あいつの個性は、触れたものを腐らせる。土も、地雷も、区別しない。……素足で歩けば、足の下は全部無効化される』
『いや待て、それ狡くねえか!?』
『狡くなどない。……正当な個性の使用だ』
* * *
周りでは、選手が吹き飛んでいた。
地雷を避けようとして、避けきれずに踏む。爆発する。転ぶ。起き上がる。また踏む。
急ぐほど、踏む。
俺は急がなかった。
急ぐ必要がなかったからだ。俺の足元は、既に無害だ。
だから俺は、まっすぐ歩いた。
地雷原の真ん中を。最短距離を。誰も通れない場所を。
選手たちが左右に迂回する中で、俺だけが直進した。
――なんだ。
俺はふと、そんなことを思った。
――こういうこともあるのか。
俺の個性は、走るのに使えない。跳ぶのに使えない。人を助けるのにも使えない。
だが今、この一区画においてだけは、俺の個性が最適解だった。
人生で初めてかもしれない。
自分の個性を、良かったと思ったのは。
* * *
ゴールした瞬間、実況が叫んだ。
『三十六位、雄英高校ヒーロー科、比企谷八幡!』
俺は靴を持ったまま、裸足でゴールラインを越えた。
絵面としては最悪だっただろう。
だが、通過した。
四十二名の枠に、三十六番目で滑り込んだ。
* * *
競技場に戻って、俺は靴を履き直した。
足の裏が汚れている。土と、腐った何かで。
スタンドを見上げた。
数万人がいて、その向こうに四千万人がいる。
俺は今日、一度も速く走らなかった。
一度も強い攻撃をしなかった。
誰も倒していない。ロボットは一体、駆動軸を折っただけ。二十メートル級は、勝手に倒れた。
それでも、三十六位だ。
――そういうやり方も、あるらしい。
俺はそう結論して、地面に座り込んだ。
背中が痛い。足の裏が汚い。手のひらの傷がまた開いている。
だが、まだ終わっていない。
第二種目が、始まる。