やはり俺の個性はまちがっている。   作:いろは杏

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「あの、なんで助けてくれたん? うち、ライバルやん」


第17話 歩いて抜ける

 ロボ・インフェルノの前で、数百人が詰まっていた。

 

 当然だ。二メートル級が数十体、五メートル級が十数体、十メートル級が数体、そして二十メートル級が一体。これが道幅いっぱいに並んで、生徒を弾き飛ばしている。

 

 個性で吹き飛ばせる人間は、既に抜けている。

 

 残ったのは、俺のような連中だ。

 

「どけ! 邪魔だ!」

 

「無理だって、あんなの倒せねえよ!」

 

「回り道は!?」

 

「ねえよ、両側崖だ!」

 

 俺はその集団の後方で、立ち止まっていた。

 

 走らない。押さない。まず、見る。

 

     * * *

 

 俺が見たのは、二十メートル級だった。

 

 あれは既に、半壊している。

 

 爆豪が突破したときに爆破したのだろう。左側の脚部が焼け焦げて、関節が歪んでいる。そのせいで、巨体がわずかに傾いだまま静止していた。

 

 傾いでいる。

 

 つまり、重心が中心にない。

 

 ――倒せるな。

 

 俺はそう判断した。

 

 いや、倒す必要すらない。

 

 あれは既に、倒れかけている。俺がやるべきなのは、倒すことではなく、どちらに倒すかを決めることだ。

 

 物理の話をする。

 

 質量二十トンだか三十トンだかの物体が、支持脚の片方を失った状態で立っている。その物体は、支えている側の脚が耐えている限り立ち続ける。

 

 その脚を、数秒ぶん弱らせたら、どうなるか。

 

 答えは単純だ。弱らせた方向に倒れる。

 

 俺の腐食は、二十トンを消し飛ばせない。

 

 だが、二十トンの倒れる方向を決めることはできる。

 

     * * *

 

 問題は、そこまで近づけるかだった。

 

 二十メートル級の足元は激戦区だ。二メートル級が周囲を巡回している。

 

 俺は集団の縁を回り込んだ。壁際、崖のすぐ横。

 

 その途中で、悲鳴が聞こえた。

 

「――きゃっ!」

 

 麗日お茶子だった。

 

 二メートル級に弾かれて、地面に転がっている。個性は使えるはずだが、あいつの個性は『触れた物を浮かせる』だ。二十トンの塊を触るには、まず近づかなければならない。そして近づけない。

 

 二メートル級が、彼女に向き直った。

 

 俺は舌打ちした。

 

 ――面倒だな。

 

 だが、ちょうどよかった。

 

 あのロボットは、俺の進路上にいる。

 

 俺は走った。

 

 三歩。あとは滑り込んだ。

 

 二メートル級のキャタピラの側面に、両手で掴みかかる。

 

「――なっ、比企谷くん!?」

 

「動くな」

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 三秒。

 

 俺は引きずられた。当然だ。ロボットは前進する。俺は掴んでいる。結果として、俺の身体がアスファルトの上を滑る。

 

 背中が焼けるように痛い。

 

 五秒。

 

 金属が黒ずんだ。

 

 八秒。

 

 指が沈んだ。

 

 ――今の俺なら、何秒だ。

 

 答えは。

 

「――十一秒」

 

 駆動軸が、折れた。

 

 入試のときは四十秒だった。

 

 今は十一秒。

 

 理由は簡単だ。狙う場所が分かっているからだ。あのときは闇雲に掴んだ。今は、構造上最も脆い接合部を、最初から狙える。

 

 三ヶ月で、俺が身につけたのはそれだけだ。

 

 だが、それだけでも二十九秒縮まる。

 

     * * *

 

 片側のキャタピラが空転して、ロボットが円を描き始めた。

 

 麗日が呆然とこっちを見ていた。

 

「……えっ、いま、なにしたん?」

 

「腐らせた」

 

「腐らせ……ええ!? 金属を!?」

 

「起きろ。次が来る」

 

 俺は立ち上がった。背中が擦り剥けている。

 

 麗日も立ち上がった。

 

 そして、二人で走りながら、あいつが言った。

 

「あの、なんで助けてくれたん? うち、ライバルやん」

 

「ライバルじゃない」

 

「え?」

 

「俺とお前じゃ順位が違いすぎる。競合しない」

 

 実際そうだ。あいつは上位を狙える。俺は通過ラインすら怪しい。

 

「それに、あのロボットは俺の進路上にいた。……ついでだ」

 

「ふーん」

 

 麗日はにやりと笑った。

 

「ええ人やなあ、比企谷くん」

 

「聞いてたか? ついでだと言った」

 

「聞いとったよ。でも、ついでで人助けする人って、それはもう、ええ人やと思うで」

 

 こういうことを、こいつは真顔で言う。

 

 俺は返答に困った。

 

 困ったので、話題を変えた。

 

「……さっきの話だが」

 

「え?」

 

「実家のために稼ぐってやつだ」

 

「うん」

 

「立派だと思う」

 

 言ってから、少し後悔した。

 

 俺はこういう台詞を口に出す人間ではない。だが、事実だったので出てしまった。

 

 麗日は目を丸くして、それから笑った。

 

「なんやそれ! 急に褒めんといて、照れるやろ」

 

「……褒めてない。分類しただけだ」

 

「分類?」

 

「動機の話だ。俺は夢のために戦う人間が苦手だ。あれは自分のためじゃないふりをしてるからだ。……お前は自分のためだと言い切ってる。だから信用できる」

 

 俺は言った。

 

「信用できる動機を持ってる奴は、たぶん折れない。それだけだ」

 

 麗日は数歩、黙って走った。

 

 それから、こう言った。

 

「比企谷くん、めっちゃ変な褒め方するな」

 

     * * *

 

 二十メートル級の足元に着いたのは、その一分後だった。

 

 俺は左脚の付け根に手を当てた。

 

 焦げた側ではない。無事なほうの脚。

 

 傾いだ巨体の重量を、一本で支えている柱。

 

 そして、待った。

 

 五秒。

 

 十秒。

 

 装甲の下の構造材が、軋み始めた。

 

 十五秒。

 

 ――来る。

 

「麗日、下がれ」

 

「え、なに、なにが」

 

「上だ」

 

 二十メートルの鉄塊が、傾いた。

 

 ゆっくりだった。最初は。

 

 だが角度が二十度を超えたあたりで、加速した。物理法則というのは容赦がない。

 

 巨体が、他のロボット群の上に倒れ込んだ。

 

 轟音。

 

 二メートル級が数体、押し潰された。五メートル級が二体、巻き込まれて倒れた。

 

 そして。

 

 道ができた。

 

 倒れた巨体の胴体が、そのまま橋になっていた。ロボット群の頭上を渡る、鋼鉄の道。

 

 俺はその上に足をかけた。

 

「――比企谷くん、これ!」

 

「歩けば抜けられる」

 

「うわ、うわあ! すご!」

 

 麗日が飛び乗ってきた。

 

 そして、その後ろから、数百人が来た。

 

「――道が空いたぞ!」

 

「行けるぞ!」

 

 詰まっていた集団が、一斉に流れ込んできた。

 

 俺は押し流されないように、端を歩いた。

 

『――おいおい、今の見たか!? 二十メートル級が自分から倒れたぞ!』

 

 実況の声が響いた。

 

『誰だ今の! カメラ回せ、誰かやったのか!?』

 

 俺は顔を伏せた。

 

 最悪だ。

 

 俺は自分が通る道を作っただけだ。数百人が抜けたのは副次的効果であって、意図ではない。

 

 だが、映像は意図を映さない。

 

 映るのは結果だけだ。

 

     * * *

 

 第二関門は、谷だった。

 

 深い谷に、細い綱が何本も渡してある。落ちればネットがあるが、落ちた時点で大幅なタイムロスだ。

 

 俺は綱の前で立ち止まった。

 

 ――無理だな。

 

 平均台すら苦手な人間が、揺れる綱の上を渡れるわけがない。

 

 だから俺は、四つん這いになった。

 

 両手両足で綱にしがみついて、少しずつ進む。

 

 みっともない。

 

 だが落ちるよりマシだ。

 

「比企谷くーん!」

 

 上から声がした。

 

 麗日が浮いていた。自分に個性をかけて、綱を引っ張りながら移動している。

 

「手ぇ貸そか? うち、比企谷くんも浮かせられるで!」

 

「無理だ」

 

「なんで?」

 

「触れないからだ」

 

 俺は綱にしがみついたまま答えた。

 

「お前の個性は接触が条件だろ。俺に触れたら、お前の指が腐る」

 

「あー、そうか!」

 

 麗日はあっさり納得した。

 

 それから。

 

「じゃあ気ぃつけてな! 先行くで!」

 

 そう言って、行ってしまった。

 

 俺は少し、呆けた。

 

 こういう場面で、人はだいたい二つの反応をする。

 

 一つ、遠慮する。「そっか、ごめんね」と気まずくなって、その場の空気が重くなる。

 

 二つ、無理に押す。「大丈夫だよ、ちょっとくらい」と言って、こちらが断り続ける羽目になる。

 

 どちらも面倒だ。

 

 だがあの女は、三つ目をやった。

 

 納得して、去った。

 

 俺の事情を了解して、同情も遠慮もせず、自分の勝負に戻った。

 

 ――楽だな。

 

 俺は綱の上で、そう思った。

 

 こういう人間が、たぶん一番一緒にいて疲れない。

 

     * * *

 

 谷を渡り終えたとき、俺の順位は目測で八十番台だった。

 

 ロボットで詰まった連中が、まだ後ろにいる。谷で落ちた人間も多い。

 

 だが、通過は四十二名だ。

 

 あと四十人。

 

 ――最後の関門次第だな。

 

 その最後の関門が見えたとき、俺は少し笑った。

 

『さあ最終関門! 地雷原だァ!』

 

 広い平地。地面に、無数の地雷が埋められている。

 

『安心しろ、殺傷力はねえ! だが派手にぶっ飛ぶぞ! 見た目より音がでけえからな!』

 

 選手たちが、慎重に足を踏み出していた。

 

 地面には、うっすらと不自然な盛り上がりがある。埋設した跡だ。それを目で探して、避けながら進む。

 

 だが焦っている人間は見落とす。

 

 あちこちで爆発が起きて、人間が吹き飛んでいた。

 

 俺はその手前で、しゃがみ込んだ。

 

 そして、靴を脱いだ。

 

 靴下も脱いだ。

 

「……えっ、なにしてんのあの人」

 

「裸足? なんで?」

 

 周囲の視線が集まった。

 

 構わない。

 

 俺は素足で、地面に立った。

 

 土の感触。冷たい。少し湿っている。

 

 そして、歩き出した。

 

     * * *

 

 説明しておく。

 

 俺の個性は、触れたものを腐らせる。接触時間に比例して。

 

 この地雷原は、土でできている。

 

 土は有機物と無機物の混合体で、腐食の対象になる。

 

 そして地雷は、地面の下、数センチのところに埋まっている。

 

 つまり。

 

 俺が地面に足を置くと、その足の下の土が腐る。

 

 腐った土は結合を失い、密度が落ちる。

 

 その侵食は、下へ、下へと進む。

 

 数センチ。

 

 地雷の外殻に、到達する。

 

 地雷の外殻は、プラスチックか金属だ。どちらも腐る。

 

 最初の一歩を踏み出した。

 

 足の下で、じゅくりと土が沈んだ。

 

 二歩目。

 

 三歩目。

 

 俺の背後で、小さな音がした。

 

 ぼす、という気の抜けた音。

 

 振り返ると、俺が歩いた場所の土が、薄く陥没していた。

 

 爆発は、しなかった。

 

 ――起爆機構が、腐ってるからだ。

 

 地雷は、圧力を感知して起爆する。感知するための機構がある。バネか、電気接点か、化学反応か。

 

 その機構が腐れば、地雷はただの箱になる。

 

 俺は歩いた。

 

 普通に。歩幅を変えず、速度も変えず。

 

 地雷原を、散歩するみたいに。

 

『――お、おい待て、あいつ、地雷の上歩いてないか!?』

 

『……歩いてるな』

 

『イレイザー、あれ何やってんだ!?』

 

『腐食だ』

 

 相澤先生の声が、スピーカー越しに聞こえた。

 

『あいつの個性は、触れたものを腐らせる。土も、地雷も、区別しない。……素足で歩けば、足の下は全部無効化される』

 

『いや待て、それ狡くねえか!?』

 

『狡くなどない。……正当な個性の使用だ』

 

     * * *

 

 周りでは、選手が吹き飛んでいた。

 

 地雷を避けようとして、避けきれずに踏む。爆発する。転ぶ。起き上がる。また踏む。

 

 急ぐほど、踏む。

 

 俺は急がなかった。

 

 急ぐ必要がなかったからだ。俺の足元は、既に無害だ。

 

 だから俺は、まっすぐ歩いた。

 

 地雷原の真ん中を。最短距離を。誰も通れない場所を。

 

 選手たちが左右に迂回する中で、俺だけが直進した。

 

 ――なんだ。

 

 俺はふと、そんなことを思った。

 

 ――こういうこともあるのか。

 

 俺の個性は、走るのに使えない。跳ぶのに使えない。人を助けるのにも使えない。

 

 だが今、この一区画においてだけは、俺の個性が最適解だった。

 

 人生で初めてかもしれない。

 

 自分の個性を、良かったと思ったのは。

 

     * * *

 

 ゴールした瞬間、実況が叫んだ。

 

『三十六位、雄英高校ヒーロー科、比企谷八幡!』

 

 俺は靴を持ったまま、裸足でゴールラインを越えた。

 

 絵面としては最悪だっただろう。

 

 だが、通過した。

 

 四十二名の枠に、三十六番目で滑り込んだ。

 

     * * *

 

 競技場に戻って、俺は靴を履き直した。

 

 足の裏が汚れている。土と、腐った何かで。

 

 スタンドを見上げた。

 

 数万人がいて、その向こうに四千万人がいる。

 

 俺は今日、一度も速く走らなかった。

 

 一度も強い攻撃をしなかった。

 

 誰も倒していない。ロボットは一体、駆動軸を折っただけ。二十メートル級は、勝手に倒れた。

 

 それでも、三十六位だ。

 

 ――そういうやり方も、あるらしい。

 

 俺はそう結論して、地面に座り込んだ。

 

 背中が痛い。足の裏が汚い。手のひらの傷がまた開いている。

 

 だが、まだ終わっていない。

 

 第二種目が、始まる。

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