比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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チビ星人編、最後の戦いです。


こうして、日常を侵略した非日常の戦争は終わる。

 

 総武高校の屋上。

 昨今の学校事情に漏れず基本的には立ち入り禁止のこの場所に、今、一人の女生徒と、一人の宇宙人が立っている。

 いや、女生徒の方は、ここに辿り着いた時点で乱雑に放り出されぐったりと横たわっているので、屹立しているのは宇宙人――チビ星人のみだが。

 

《……やはり分からない。感じない。……予定通り、この個体を使って奴を誘き寄せるか》

 

 屋上の中央で佇んでいたチビ星人は、そう心中で呟いて、壁際に放り投げていた女生徒――雪ノ下雪乃に向かって歩を進める。

 

 

 その時、ダァン!! と、荒々しく屋上の扉が開け放たれ――いや、蹴破られる。

 

 

《!!》

 

 チビ星人は雪ノ下に伸ばしかけた手を止めて、扉の方に勢いよく首を向ける。

 

 

 だが、そこには壊れた扉があるだけで、誰もいなかった。

 

 

《――な

 

 ドガッッ!!!

 

 そして次の瞬間、チビ星人の顔面が強烈な衝撃によって潰れた。

 

 小柄なチビ星人の体は吹き飛ばされ、屋上の地面に叩きつけられる。

 

 その轟音によって、気絶していた雪ノ下が微かに目を開く。

 だが、度重なる莫大なストレスにより彼女の体はすでに限界で、今も目を薄く開けるので精一杯だった。

 

 ぼやける視界には、何も映らない。

 

 だが、微かに、声が聞こえた。

 

 

――……大丈夫だ。

 

 

 よく聞こえない。だが、確かに、そう聞こえた。

 

 聞き慣れた、安心する声が、そう言葉を紡いだ気がした。

 

 

《……そんなに、大切か》

 

 

 脳内に直接響く音声。

 それは、今の雪ノ下の限界な精神ですら恐怖を感じてしまう程に、彼女の心に深く刻まれた絶望の象徴だった。

 

 だが、その時。再び幻聴が聞こえる。

 

 薄く開いた眼に映る、誰も存在しない視界。

 

 そこに居る誰かからの言葉が、雪ノ下の耳に、幻聴として届く。

 

 

――必ず、助ける。

 

 

 その言葉が、その言葉だけで、雪ノ下の心から恐怖が消え失せる。

 

 再び微睡みの世界に引き込まれる彼女は、心中でこう呟き、意識を完全に手放した。

 

 

 

 

 

――ありがとう。比企谷くん。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「……大丈夫だ」

 

 雪ノ下雪乃を背に守るように、首だけで振り向いてそう呟きながら、透明化を自身に施している比企谷八幡は、チビ星人と対峙する。

 

 今度こそ、完全に決着をつける為に。

 

 今度こそ、目の前の宇宙人を殺す為に。

 

 目の前の敵には透明化が有効なのは前回の戦いで証明済みだが、彼は真っ直ぐこちらを見据えていた。おそらく殴られた時におおよその八幡の居場所に当たりを付けているのだろう。

 

《……そんなに、大切か》

 

 口を拭う仕草をしながら、チビ星人は忌々しげに言う。

 

 対して八幡は、チビ星人の言葉を受けて、自身に言い聞かせるような言葉を返す。

 

「必ず、助ける」

 

 

――今度こそ、絶対に。

 

 

『八幡。……雪乃ちゃんのこと、お願いね』

 

 

 ギリッ。

 八幡が歯を喰いしばったのを合図とするように、チビ星人が八幡に向かって突撃する。

 己の直感のみを頼りにしているにも関わらず、チビ星人は一切の躊躇なく、見えない八幡に向かって真っすぐ突っ込んできた。

 

 その丸太のような拳を、先程の意趣返しのごとく八幡の顔面目がけて振るう。

 

 それを八幡は右手一本で受け止めた。

 

 ズザザザッと左足を後ろに引くことで八幡は受けきり、そして――

 

《――ぬぁ!!》

 

 右手でチビ星人の腕を掴んだまま思い切り左肘を振り下ろし、チビ星人の右肘を粉砕する。

 

《……くっ!》

 

 チビ星人は右腕を垂直方向に振り下ろす形で振りほどき、そのまま後方に跳んで距離を取る。

 

 そして、そのまま顔を上げる。

 

《――――ッ!?》

 

 だが、八幡の影も形もなかった。

 

 いや、元々八幡は透明化していてその姿は見えなかった。さっきのも言ってしまえばまぐれ当たりに近かった。

 

 しかし、今はもう当たりすらつけられない。声どころか、気配すら――殺気すら感じない。

 いくら姿を見えなくなるように出来るからと言って、ここまで完璧に“消える”ことなど出来るのか?

 奴は本当にまだここにいるのか――とまで考えて、チビ星人は奴が何度も躍起になって助けようとした女は、まだそこにいる。……なら奴はまだここにいるはずだと思い直す。

 

 そうしてチビ星人は、じりじりと頻りに体の向きを変え、腰を落とし、周囲に細かく視線を動かし、注意を払う。少しでも奴の気配を見逃さないと、感覚を限界まで鋭敏に高める。

 

 

 その時、チビ星人の視界の右端に、光線が走った。

 

 

《!!》

 

 すぐに首を向けると、それは、昨夜の戦いの最後に自身を襲い、敗北一歩手前まで追い込んだ光の網――Yガンの捕獲ネットだった。

 

《何度も同じ手にかかるか馬鹿め!!》

 

 チビ星人はそのネットに向かって駆け出し、激突の瞬間、身を屈むように腰を折り、小さな体を更に小さくして、ネットと屋上の地面の間を潜り抜ける。

 

 そして、勢いを全く殺さず、更にその勢いを増して、そのままネットの射出源に向かって突攻する。

 

 あのネットには追尾機能がある。ならば、それに捕まる前に射手の懐に潜り込む。

 そう考えて、ネットの軌跡を一直線上を駆け抜け、その道中のどこに八幡がいてもいいように自身の体を弾丸にみたてて全力で駆け抜ける。奇しくもそれは、八幡が昨夜の戦いで自身に食らわせた捨て身の体当たりのようだった。

 

――が

 

《――な》

 

 その道中、突如自身の腕を掴まれる感覚。

 

 

 そして、そのまま引っ張られるように前方に勢いを後押しされ、グイッと――――屋上の外、空中に投げ出される。

 

 

 困惑に目を見開くチビ星人の目線の先に、自分が先程まで駆け抜けていた屋上に、バチバチバチバチという火花のような音と共に、一人の男が出現する。

 

 彼は――比企谷八幡は、重力に負け、為す術なく落下するチビ星人のボスを、その腐った双眸で、氷のような冷たい眼差しを向けながら、冷酷に見下ろしていた。

 

 

――右手に持った、Xガンを向けながら。

 

 

「……じゃあな」

 

《貴様ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!》

 

 ギュイーン と乾いた冬空にXガンの射撃音が無慈悲に響く。

 

 チビ星人の、怨念の篭った断末魔をかき消しながら。

 

 数秒後。

 総武高校の、警察官が密集する中庭に、汚い花火が炸裂した。

 

 ボトボトとチビ星人の肉片が(ひょう)のように降り注ぎ、一挙に大パニックとなる。

 一斉に彼らの目は上空に向くが、すでに八幡はその時には透明化を再構築していて、チビ星人の絶命を確認し次第下を見下ろすのを止めて、壁際で意識を失っている雪ノ下の元に向かった。

 

 すぐにこのまま警官達が屋上に殺到するだろう。このままにしておくわけにはいかない。

 

 八幡は雪ノ下を抱きかかえ、透明化を解除しながら屋上を後にする。

 

 

 

 こうして、八幡とチビ星人の戦争は、八幡がチビ星人を殺し尽くしたことで、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 俺は雪ノ下を抱えて、奉仕部の部室に来ていた。

 当然ながら、誰もいない。鍵はガンツスーツの力で強引にぶっ壊した。……後で、平塚先生に対する言い訳を考えておかないと。

 

 そのまま外に出ることも考えたけれど、万が一にもガンツスーツを着ていることに気づかれたくなかったし、雪ノ下はあのJ組の唯一の生き残りだ。しばらく警察に事情聴取とかで拘束されることになるだろう。俺も、事件が起こった後に校舎に突っ込んで行ったところをなんとか先生に見られてるし、同じように事情聴取か最低でも説教等は確実に待っているだろう。念のために、スーツを着替える時間が欲しかった。

 

 俺は眠っている雪ノ下を長机の上に寝かせて、高く積み上がった机の山の後ろでスーツを脱ぐ。……意識を失っている超絶美人の同級生と、密室で二人きりで全裸になる目の腐った男。……まずい。完全に110番な画だ。すぐそこに警察官のみなさんがウロウロしているという状況が恐怖に拍車をかける。一刻も早く着替えねば。

 

 そんな焦りが功を奏したのか、数分もかからず着替え終えた俺は、雪ノ下の元に戻る。

 雪ノ下はまだ目が覚めてはいないが、涙の跡以外は変わった様子はない。おそらくは無事だ。

 ……肉体面は、だが。

 

 ……とにかく、雪ノ下を外に運ぼう。いずれここにも警察官が見回りにくる。見つかると言い訳が面倒くさい。

 

 さっきと同じように膝と背中に手を回し、抱きかかえる。スーツを脱いだので、先程までのように軽々とはいかないが、それでも雪ノ下は軽かった。

 

 軽かった。そして、小さかった。俺なんかの腕の中に収まるくらい、華奢な少女だった。

 

 俺は、こんな儚い少女に、いったいどれほど酷な虚像と、身勝手な幻想を押し付けてきたのだろう。

 

 雪ノ下は、雪ノ下雪乃は、こんなにも――

 

「……ん」

「――ッ!! 雪ノ下? 雪ノ下、気が付いたか!?」

 

 俺は覗き込むようにして、腕の中の雪ノ下に呼びかける。

 

「――ひ、きがや、くん?」

「ああ、俺だ。雪ノ下、もうだいじょ――」

「比企谷くん!!」

「おわっ」

 

 徐々に覚醒した雪ノ下は、突然俺の首に腕を回し、その体を押し付けてきた。

 初めはテンパったが、その体からおそらくはJ組の事件の時に染み込んだであろう血の匂いが漂い、俺の頭は急速に冷える。

 

「比企谷くん……比企谷くん! 比企谷くん!! 比企谷くん!!!」

 

 雪ノ下の腕の力がどんどん強くなってくる。

 それと反比例するように、雪ノ下の俺の名を呼ぶ声が、どんどん嗚咽交じりの涙声になっていく。

 

 ……雪ノ下が体験した恐怖が、どれほど雪ノ下の心を追い込んだかが、文字通り痛いほど伝わってきた。

 俺は思わず、雪ノ下を抱きかかえる力を強く――

 

 

「――ああ、比企谷くん。比企谷くん比企谷くん比企谷くん。あなたはいつでも私を守ってくれる。私を救ってくれる。私を助けてくれる。……ありがとう。ありがとうありがとうありがとう」

 

 

 ピクっ と俺の腕の動きが止まった。

 ……なんだ、今のは。今のは、雪ノ下が発した言葉なのか?

 

 背筋に、ひやりとしたものが垂れる。

 

 俺の嫌な予感を余所に、雪ノ下の言葉は止まらなかった。

 震える声で、涙声で、弱弱しく、けれど必死に。必死に。必死に。必死に。

 

「比企谷くん。お願い。ずっと私の傍にいて。私を見てくれなくていい。私を求めてくれなくていい。それでもお願い。あなたの傍にいさせて。それでいいから。それだけでいいから。……私はもう、一人では生きていけない。あなた無しでは生きていけない」

 

 やめろ。やめてくれ。

 ダメだ。ふざけるな。

 こんなことはあってはならない。そんなことがあってはならない。

 

 雪ノ下は。雪ノ下が。雪ノ下――

 

 

「――こわいの」

 

 

 雪ノ下の爪が、俺の首筋に食い込む。

 絶対に、逃がさないというように。

 お願いだから、離さないでというように。

 

 そんな行為とは裏腹に、雪ノ下の体と声はガタガタと震え、その瞳を潤わせていた。

 

「こわいのこわいの! あっちもこっちも血だらけで!! みんなみんな殺されて! いなくなって!! それでも私は……何も出来ない……っ。こわくて何も出来ない。私は、一人じゃ、何も出来ないッ!! もうあんな思いは嫌!! お願い比企谷くん!! 私を守って!! 私を見捨てないで!! 私を救って!!」

 

 

「私を――助けてよぉ!!」

 

 

 雪ノ下は、涙を流しながら、子供のように、俺に縋った。

 

 あの雪ノ下雪乃が、比企谷八幡に。

 

 俺のような、暗く、昏い、腐りきった瞳で。

 

 悪夢のような、冗談だった。

 

 けれど、間違いなく現実だった。

 

 雪ノ下雪乃は、壊れてしまった。

 

 もう雪ノ下は、本人の言う通り、一人では立っていることも出来ないだろう。

 

 あの孤高で、正しく、どんな場面でも決して屈さず、堂々と立ち向かっていた、あの美しい雪ノ下雪乃を。

 

 他でもない、この俺が、ぶち壊した。ぶち殺した。

 

 

 比企谷八幡が、雪ノ下雪乃を壊したんだ。

 

 

「………………すまない。雪ノ下。…………ごめん。ごめん。陽乃さん」

 

 頼まれたのに。託されたのに。俺は、あの人の、あの女性(ひと)の、今わの際の、最期の願いすら、叶えてみせることが出来なかった……ッ!

 

 俺はこれ以上、こんな雪ノ下を見ていられなくて、顔を俯かせる。

 

 だが、雪ノ下は俺の腕の中にいる。どんなに直視したくなくても、顔を俯かせても、雪ノ下の顔はそこにあった。

 

 雪ノ下は、戸惑ったような顔で、その残酷な一言を口にした。

 

 

「――――陽乃って、誰?」

 

 

 その瞬間、俺の中の何かも、壊れてしまった気がした。

 

 

 何かの破砕音が耳の奥に響き、胸の中にどうしようもなく苦しい空虚感が広がる。

 

 ……なんでだ。なんでこうなる。

 

 どうして、こうなっちまうんだ。

 

「――比企――!?」

 

 俺は、雪ノ下の顔を自分の胸に押し付けるように、強く、強く抱きしめた。

 

「――っ――ぁぁ――」

 

 限界だった。

 涙が溢れるのを、堪えきれなかった。

 

 戸惑う雪ノ下に構わず、俺は声を押し殺して、泣き続けた。

 

 奉仕部の部室。

 かつて俺が何が何でも守りたかった、かけがえのない大切なものだったはずの空間には、もうあの紅茶の香りはしない。

 

 ただ、雪ノ下の体に纏わりついた血の匂いと、俺の見苦しい醜態のみが、その空間を満たしていた。

 

 それが、俺が求め続けた、『本物』になれるかもしれなかった、かけがえのないものの有り様だった。

 

 

 一人の男がぶち壊した、自業自得の末路だった。

 

 

 




 次回、第一部のエピローグです。

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