最初の連絡は、三日前に届いた。
話がある、とだけ書かれていた。それ以外には何も無い。差出人の名前を二度確かめてから、返信を打った。用件を先に伺えますか、と。
返事は来なかった。
翌日、同じ問いをもう一度送った。これにも返事は無い。
そこで理解した。彼は、聞かれたことに嘘をつかない代わりに、答えないという形で通してくる。押せば押すほど、こちらが何を知りたがっているかだけが向こうへ渡っていく。
三度目の連絡で、私は質問をやめて、場所と時間だけを指定した。
返信は、一分で来た。
承知した、の五文字だけだった。
赤木しげるという名前を、私が初めて意識したのは、無人島の試験の後だった。
私はあの試験に参加していない。体の都合で欠席し、Aクラスは葛城くんが率いる形になった。30点の減点から始まり、洞窟に籠り、消耗を避け、結果だけは上位で終えた。
ただ、あの試験の間に、葛城くんは龍園くんと取引をしていた。物資とリーダーの情報を島の外まで含めた条件で売った。私の留守に、私の知らないところで、私のクラスを。
私が参加できていれば、もっとうまくやっただろう。
船の上で赤木くんが私の前に座った時、彼は、その話の周辺だけを、まるで天気の話でもするように並べていった。断定はしない。指摘もしない。ただ、私が既に知っているはずの事実と、私がまだ知らないはずの事実を、区別せずに同じ調子で置いていく。
どこまでが探りで、どこからが善意なのかが分からない。
分からないまま、私は葛城くんの件を処理した。あの一件でAクラスの形は変わり、今の並びになっている。
後になって考えた。あれは、私に葛城くんを切らせるための誘導だったのではないか。
違うかもしれない。赤木くんには、そんなことをして得る利益が何も無い。クラスポイントにも、順位にも、賞金にも、赤木しげるが興味を示したところを、私は一度も見ていない。
利益にならないことを、理由も言わずにやる。それが赤木くんについて、私が最初に手に入れた確かな情報だった。
船の上で、二人だけで話をした。
夕食の後、甲板から外れた小部屋に呼び出した。赤木くんは断らなかった。
「掴んだのは、あんたの隙だと言ったはずだ」
そう言われた時のことを、今でもよく覚えている。
私はあの日、自分が二日間姿を消していた理由を差し出した。等価ではない、と前置きをした上で。赤木くんはそれを受け取って、こちらには何も渡さなかった。
普通、そういう真似をすれば、次から相手は口を閉ざす。分かっていてやるなら、目先の一回を取りに行った下手な打ち方ということになる。
そうではなかった。
赤木くんは、私が次も話しかけてくることを知っていた。知った上で、支払いを断った。取引としては最悪の作法で、駆け引きとしては完璧に近い。
連絡先を交換した時のことも覚えている。端末に鍵をかけていないと言われた。中を見ようと思えば見られる、そちらで適当に入れておけ、と。
あれは挑発だったのだと思う。
いいえ、挑発ですらなかったのかもしれない。赤木くんはおそらく、端末の中を見られて困ることが、本当に一つも無かった。
無防備に喉元を差し出す人間の相手は、難しい。刃物を握っていることが、こちらの弱みになる。
翌朝、私は一通だけ送った。
返信は、今日まで一度も来ていない。
始業日に一度、廊下ですれ違った。同じ組になりましたね、と声をかけた。忘れていない、とだけ返ってきた。それ以上は、どちらも踏み込まなかった。
返事の代わりに置いていかれたのが、あの一言だったのだと思う。
あれから一か月以上が経つ。無視をされたわけではないのだと思う。返す必要が無いと判断しただけだ。返さないという行為に、何の重みも置いていない。
私はこれまで、何人もの人間を測ってきた。測るというのは、相手が何を惜しむかを見つけることだ。順位を惜しむ人、点を惜しむ人、時間を惜しむ人、体面を惜しむ人。惜しむものが分かれば、どこを押せばいいかも分かる。
赤木しげるには、それが見当たらない。
惜しまないのではない。惜しむという発想の場所に、最初から何も置いていない。
そして、綾小路清隆。
彼について、私は7つの頃から知っている。父に連れられて行った先で、一度だけ見た。何を見せられ、何を見たのかは、ここで並べる話ではない。ただ一つだけ確かなのは、あの頃の彼には、欲しがるという機能が付いていなかったということだ。
それから今日まで、私は彼と一度も言葉を交わしていない。
同じ学校に入り、同じ学年になり、同じ試験を何度も受けた。廊下ですれ違ったことも、同じ部屋にいたことも数え切れないほどある。それでも、会話は一度も無い。
最初は同じ学年にいることに気付かなかった。
ただ、Dクラスでの赤木くんの活躍を聞き、その周辺の人物のことを調査したなかで、どこか妙な違和感を覚えた。
あの手のパーティにいるはずの、諜報役が赤木くんの周りにはいなかったのだ。
彼の周りの生徒の成績を確認する中で、異様に身を隠すような点数の取り方をしている生徒に辿り着いた。
早く本人に確認しにいきたい、とは思ったが、それよりも赤木くんの対応を優先した。
結果、赤木くんの反応から本人だと確信した。
私が避けたのではない。話しかける機会なら、いくらでも作れた。
作らなかったのは、最初の一言を無駄にしたくなかったからだ。こちらから声をかければ、それは私が待ち切れなかったという情報になる。8年ぶりの再会の意味が、その一言で半分に落ちる。
だから機を窺っていた。
成績は中の上で止まり、目立つ場面には一度も出てこない。表向き、誰かと組むこともなければ、誰かを使うこともない。
そんな彼が、この学校でいつ、何を欲しがるのか。欲しがれば、必ず手を伸ばす。伸ばした先を見れば、底が測れる。
いずれ私から盤の前に引きずり出してやろうと考えていたが——想定よりも早く、事は動いた。
つい三日前。他でもない彼の方から、私に連絡をよこしたのだ。
特別棟の三階、西の端の空き教室。
以前から使わせていただいている部屋で、机を一つ廊下側に寄せ、椅子を向かい合わせに二脚だけ置いてある。邪魔をされず、なおかつ相手が逃げ道を確認しやすい配置。話をするには、この形が一番いい。
約束の時刻の五分前に、扉が開いた。
入ってくるまでの歩幅も、扉を閉める音の大きさも、まったく変わらなかった。緊張も、気負いも、こちらを窺う素振りも無い。来ると決めた場所に来た、という以上の情報が、一つも乗っていない。
「お久しぶりです、綾小路くん」
喉から出た声が、自分でも少し硬いのが分かった。
「8年と、210日ぶりですね」
彼は立ち止まらなかった。驚きもしなかった。
訂正も否定もなかったが、それは数字が合っていたからではない。彼の目には、心当たりを探した気配すら無かった。
「すまない、お前とまともに話すのは初めてのはずなんだが」
当然だが、覚えているわけがない。
ガラス越しに私が一方的に知っていただけなのだから。
「ホワイトルーム」
「......」
それでも、彼は顔には出さなかった。
沈黙。いや、完全な凪だった。
この言葉を口にすれば、いかに彼でも微かな動揺や警戒の色を見せるはずだと踏んでいた。だが、目の前の彼は瞬き一つ、呼吸の乱れ一つ見せない。まるで自分とは何の関係もない、無意味な単語を聞かされたかのような無反応。
想定外の事態。底知れない不気味さに、一瞬だけ背筋が冷えた。
私も顔には出さなかった。出す理由が無かった。彼の前で崩れて見せることに、何の得も無い。
これ以上この単語で探りを入れても無意味だ。そう判断した。
呼吸を一つ整えてから、続けた。
「……とぼけるおつもりなら、それで結構です。ですが、私を呼び出したのは、綾小路くんですよね」
「そうだ」
昔話に付き合う気は無い、という顔で、彼は向かいの椅子に腰を下ろした。
座るまでの間、私は目を離さなかった。人は椅子に座る時に、必ず一度は隙を作る。重心が動く一瞬、視線が外れる一瞬。そこで何を優先しているかが分かる。
彼には、それが無かった。
ただ一つ確かなのは、絶対に自ら表舞台に出ようとしないはずの彼が、今こうして私を呼び出したという事実。
私に正体を悟られるリスクを冒してまで、彼を動かしたもの。それは間違いなく赤木くんだろう。
あの綾小路清隆の興味を惹き、盤の前に座らせるだけの何かが赤木くんにはあるのだ。
「先に一つ、確認させてください」
「なんだ」
「今日が、私たちが言葉を交わす最初の日です。ご記憶にあるかどうかは存じませんが」
「それで」
「それだけです。事実の確認ですので」
嘘だった。事実の確認ではない。
8年ぶりに見つけた相手が、わざわざ自分の方から会いに来た。その事実を、一度声に出して床に置いておきたかっただけだ。置いておかないと、この後の会話が全部それに引きずられる。
支払った経験の無い人間が、初めて何かを買いに来た。その時点で、取引の形は半分決まっている。
「時間を取らせるつもりはない。用件を言う」
「ええ、どうぞ」
「一つ、渡したいものがある」
「渡す、ですか。売る、ではなく」
「言い方はどちらでもいい。オレが持っていて、そっちが欲しがるものだ」
「私が欲しがるかどうかを、あなたが決めるのですね」
「決めてない。判断は、聞いてからすればいい」
なるほど、と思った。
先に条件を出させれば、こちらが何を欲しがっているかが漏れる。先に中身を出せば、値切られる。この方はそのどちらも選ばず、判断ごとこちらに預けてきた。
預けられた側は、受け取った時点で借りを作る。
「ふふ。面白いですね。私は今、あなたに主導権を渡すか、こちらから条件を出すかの二択を迫られています。どちらを選んでも、あなたにとっては損になりません」
「考えすぎだ」
「いいえ。あなたは考えすぎるくらいでちょうどいい相手です」
杖から手を離し、机の上で指を組んだ。
「――一つ、伺ってもよろしいですか」
「なんだ」
「なぜ、私に持ちかけるのですか」
「お前もわかっているだろう」
「......赤木くん、ですか?」
「そうだ」
自分を見られていないことに、少し腹が立ったのを覚えている。
「お前なら、赤木を降りられない場所に置ける。それだけだ」
「私のクラス内での立場を、買われたということですね」
「そうだ」
短い返しだったが、それで十分だった。買う理由が明確な相手には、こちらも値段をつけやすい。
彼が話し始めた。
――――
――――――
――――――――――
聞き終えるまで、口は挟まなかった。挟む必要が無かった。
「――失礼。少し、整理させてください」
「好きにしてくれ」
彼は訂正しなかった。
「確認を、いくつか」
「ああ」
「その場にいたのは、四人ですか」
「堀北兄妹と、赤木、オレの四人だ」
「記録は」
「無い。誰も届け出ていない。校内の記録にも残っていないはずだ」
「教員は」
「知っていれば、生徒会長の座はとうに空いている」
「ええ、そうでしょうね」
指先で机を一度だけ叩いた。
「では、堀北さんご本人は。あの夜のことを、どなたかに話していると思われますか」
「知らん」
「お答えにならない」
「確かめていないことは言わない」
「……なるほど」
「赤木くんが、そこにいたのですね」
「いた」
思わず、指が止まった。
「では、彼も同じものを持っているのですね」
「持っている。使った形跡が無いだけだ」
「使っていない、ですか」
「四か月、あの件で動いた者が一人もいない。堀北先輩の座も、そのままだ」
四か月。
生徒会長の首を取れる材料を、四か月の間、誰も使っていない。売れば相当な値がつく。脅しに使えば、三年生の頂点が言うことを聞く。
赤木くんは、そのどちらもしていない。
私が測れなかった理由が、ここにもう一つ増えた。惜しまないだけではない。使わないのだ。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「ああ」
「あなたは今、ご自分が何を渡したか、正確に理解していますか」
「している」
「では言い換えます。これは事実ですが、事実のままでは何の値打ちもありません」
私は、その先を口に出した。
事実をどう扱えば、どの方向に、どれだけの重さで効くのか。何を足す必要があり、何を足してはいけないのか。誰の耳に、どういう順番で入れるのが最も効率的か。
――――
――――――
――――――――――
「――こういう使い方になります。よろしいですか」
「構わない」
「随分と、あっさりお答えになりますね」
「そっちがどう使うかは、渡した時点でオレの管轄じゃない」
管轄。便利な言葉を使う方だと思った。自分の手の届く範囲に線を引いて、その外で起きたことは自分の責任ではないことにする。
もっとも、責任という言葉を彼が気にした形跡は、今日ここまで一度も無い。
「では、こちらからも確認させてください。あなたの目的は何ですか」
「言う必要があるか」
「あります。値段を決めるのは買う側ですので」
彼は、一度だけ窓の外を見た。
「赤木しげるが、本気を出すところが見たい」
「……それだけ、ですか」
「それだけだ」
聞き間違えたのかと思った。
聞き間違いではなかった。
「クラスポイントでも、あなた自身の立場でもなく」
「関係ない」
「一人の生徒が、本気を出すところを見るため。そのために、生徒会長の名前を差し出した」
「そうだ」
「割に合っていません」
「オレはそう思っていない」
はぐらかすでもなく、彼はきっぱりと断言した。
割に合わない取引をする人間には、大抵、言えない事情がある。損得の計算を間違えているか、別の場所で回収する算段がついているか、そのどちらかだ。
しかし、彼はそのどちらにも見えなかった。
見たいものがあり、それに見合う価値があると判断したから、相応の対価を払う。ただそれだけの構造をしていた。一切の迷いがない分、単純すぎてかえって底が読めない。
そして私は、ようやく気がついた。
決して自分から表舞台に出ようとしなかった彼が、リスクを冒してまで自らこの盤の前に座った理由。
彼は今、明確に欲しがっているのだ。
「一つ、間違いを指摘してもよろしいですか」
「ああ」
「あなたは今、私に弱みを渡しました。あの夜の話を持ち込んだのがあなたである、という事実そのものが、です。これは私にとって、渡された情報そのものより価値があります」
「分かっている」
「分かっていて、渡したのですか」
「値段のうちだ」
思わず、声が出た。
笑ったのは、おかしかったからではない。彼に対して私が積み上げてきた見立てのうち、一枚が音を立てて外れたからだ。
私はずっと、彼を「自分の側を絶対に晒さない人間」だと考えていた。7つの頃から、そう見てきた。
そうではないらしい。晒さないのではなく、晒す価値のあるものが、これまで一度も無かっただけだ。
「あなたは、欲しいもののためなら、自分の首の手前までは平気で差し出すのですね」
否定は返ってこなかった。
「では、伺います」
身を乗り出した。
「なぜ、赤木くんなのですか」
彼は答えなかった。
三十秒ほど待った。もう少し長かったかもしれない。沈黙を苦にしない人間との根競べに勝てたことは、私は一度も無い。
「答えませんか」
「ああ」
「残念です。そこが一番、聞きたいところでしたのに」
「それは知っている」
椅子の背に体を預けた。今日はここまでだ。ここから先を欲しがれば、こちらの手札の方が減る。
「いいでしょう。今日のところは、いただいたものだけで十分です」
「こっちの取り分は」
「あら。先ほどは、管轄の外だとおっしゃっていませんでしたか」
「使い道の話はしていない。対価の話だ」
「ええ、そうですね。では、こうしましょう」
指を一本立てた。
「私は、赤木くんが降りられない場所を用意します。あなたが見たいものが出てくるかどうかは保証しませんが、出てくるとすれば、そこ以外に無いという場所までは用意します」
「それだけか」
「それだけです。結果まで売る商人は、詐欺師だけですので」
言い終えてから、もう一つ思い出した。
「付け加えても、よろしいですか」
「なんだ」
「当日、あなたには必ず見える場所にいていただきます。見たいとおっしゃったのはあなたですから、見ていなかった、という逃げ道は塞がせていただきます」
「構わない」
「即答ですね」
「逃げるために払ったわけじゃない」
「時期を伺っても」
「そちらが決めることだ」
「では、決めましょう。体育祭の準備期間を使います」
「理由は」
「この一か月、全校の目が校庭を向きます。誰が誰と組むか、どの種目に出るか、下位10名に入るかどうか。皆さん、そちらで手一杯になります」
「その隙にやると」
「隠れてやるのではありません。堂々とやっても、誰も見ていないというだけです」
行事というものは、本当に便利にできている。人を一箇所に集めておいて、それ以外の場所を全部、留守にしてくれる。
「一つ、条件がある」
「どうぞ」
「オレの名前は出すな」
「――ふふ」
今度は、笑いを堪えるのに少し苦労した。
「無理ですよ、そんなもの。あなたもわかっているでしょうに」
「まあ、そうだな」
「あの夜のことを知っている人間は、ごく限られています。私がそれを知っていると分かった瞬間、堀北さんが真っ先に考えるのは『誰が喋ったのか』でしょう。候補は多くありません」
「だろうな」
「赤木くんも、同じ結論に辿り着きます。おそらく、私が動くより早く」
「そうだろう」
「それでも構わないと」
「構わないとは言っていない。ただ、避けられないと分かっているだけだ」
目を細めた。
「……あなたは、隠れるのがお上手な方だと聞いていました」
「今までは、隠れる理由があった」
「今は違うと」
「見たいものがある時に、隠れていては見えない」
彼が立ち上がった。
椅子を引く音の途中で、呼び止めた。
「もう一つだけ、よろしいですか」
「なんだ」
「私はこの件を、赤木くんのためにやるわけではありません。あなたのためでもありません。私には私の目的があり、それはあなたが見たいものとは全く別の場所にあります」
「知っている」
「ご存じの上で、私をお使いになると」
「使うんじゃない。同じ盤に、たまたま欲しいものが二つ乗っているだけだ」
言い返せなかった。
正確には、言い返す言葉はいくつも浮かんだが、どれを選んでも、綾小路くんには届かないことが分かっていた。
「最後に、一つだけ」
「まだあるのか」
「赤木くんが、あなたのところへ来た時。何と答えるおつもりですか」
「本当のことを言う」
「全部、ですか」
「訊かれたことには答える。訊かれないことは言わない」
「……それは、正直と言うのでしょうか」
「嘘をつかない、とは言える」
「ずるい方ですね」
否定は無かった。
「殴られるかもしれませんよ」
「ありえるだろうな」
「避けないのですか」
「避ける理由が無い」
扉が閉まって、足音が遠ざかっていった。
一人になった教室で、しばらく座っていた。
今日、手に入れたものを数え直す。生徒会長の弱み。それを持ち込んだのが誰かという事実。そして、彼が初めて自分から動いたという記録。
どれも申し分のない収穫だった。
それでも、椅子の座り心地が少し悪い。
彼は今日、一度も嘘をつかなかった。訊いたことには全て答え、訊かなかったことだけを黙って持ち帰った。私が引き出せたものは、全て彼が渡すと決めていたものだ。
一枚も、こちらから奪えなかった。
廊下に足音がした。葛城くんだろう。この時間に書類を持ってくるよう言ってある。
窓の外を見た。校庭には体育祭の資材が積まれ、引き直されたばかりの白線が、暗がりの中で薄く光っている。
赤木しげる。
平凡な測定値を並べた、痩せた男。数字の上では、この学年に四十人はいる程度の生徒でしかない。
無人島には行かなかった私が、船の上で初めて向かい合い、一枚も取れずに帰された相手。送った一通に、今も返事を寄越さない相手。
そして、彼が7つの頃から誰にも見せなかった手を切ってまで、見たいと言った相手。
杖を掴んで、立ち上がった。
明日から動く。準備期間は一か月ある。
宣戦布告は、言葉で伝える必要が無い。
8年越しの手が、ようやく盤に触れた。ならば、こちらの一手も、もう始まっている。誰に向けたものかは、この際どちらでもいい。
その間に、彼が何を見たがっているのかも、ついでに見せていただくとしましょう。
決着をつけてほしいのはどれ?
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坂柳との再戦
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龍園との貸借
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綾小路との関係
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堀北との距離感
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櫛田との停戦