棒倒しは、男しか出ない。
俺は守る側に回された。丸太の根元に張りつく係だ。攻める連中が来るのを、その場で待っていればいい。
「赤木くんは動かないでね。位置を守ってくれるのが一番助かるから」
平田はそう言って、手元の紙に何か書き込んだ。種目と位置は坂柳の案で決まっているが、その中の攻守はクラスで割る。
縄でも、丸太でも、俺は同じ場所に置かれるらしい。
不満は無い。動かない役は、動かない分だけ周りが見える。
棒倒しは男子だけなので、女子が綱引きに回っている間に場所を使う。本番で登ってくるのはBとCだが、練習では味方同士で攻守を分けるしかない。
Aとは向こう半分で別に組んでいた。その列の端で、葛城が紙を持って立っている。
日陰に坂柳の姿は無かった。昨日はあそこに座って、名前の並びだけを見ていた。
攻める側が走ってくる。誰が先頭で、どこが薄いかは、走り出す前から見えていた。
見えていても、動けない。動けば根元が空く。
一度目は、来た連中を押し返した。二度目は半分まで入られて、須藤が横から潰した。三度目で崩された。
三度目に崩したのは、右から回り込んできた三人だ。そっちが薄いことは、二度目の途中から分かっていた。
分かっていて、そこへ行けない役を割り振られている。
坂柳が組んだ紙の上では、俺はそういう駒だった。
「赤木、お前突っ立ってるだけじゃねえか!」
「そういう役だ」
「もうちょいちゃんとやれよ!」
池が笑いながら砂を払っている。膝から血が出ていたが、拭こうともしなかった。
「なあ赤木、明日は俺も守りやらせてくんね?」
「平田に言え」
「言ったけど、お前は攻めの方が向いてるってさ。あれ絶対、遠回しに使えねえって言われてんだろ」
「守りは、動かねえのが仕事だ。あんたには向かねえ」
「なんでだよ」
「動くからだ」
「動くだろ普通!」
動く人間は、動く場所に置けばいい。
そこだけは、坂柳の組んだ案と食い違っていなかった。
列が捌ける途中で、綾小路とすれ違った。
真ん中あたりに組んでいた男だ。手を抜きもせず、前にも出ず、誰の記憶にも残らない位置に一日いた。
向こうが先に口を開いた。
「よく保ったな。三度目まで」
「崩れてんだよ、三度目で」
「そうだな」
見ていたなら、分かっているはずだった。
「見極めてえんじゃなかったのか」
俺は訊いた。
「今も見ている」
「丸太の根元で突っ立ってるだけの男を、一日眺めてか。ご苦労なこった」
「立っているだけの男が、一日で三度、崩れ方を変えた。お前がそれを選んでいるのか、周りが勝手にそうなっているのかは、まだ分からない。分からないから、見ている」
長え。
こいつは、黙っているか、こういう喋り方をするかのどっちかだ。
「買いかぶりだ」
「そうかもしれない」
綾小路は、それ以上は言わずに列の方へ歩いていった。
見られていた、ということではない。数えられていた、ということだ。
本部の天幕の下に、腕章をつけた上級生が三人いた。生徒会だ。
進行の紙を持って、時計を見ながら何か書き込んでいる。その一番端に、堀北の兄がいた。
椅子には座らず、立ったまま紙を見ている。話しかけてきた下級生に、顔も上げずに二言だけ返して終わりにしていた。
一度だけ、こっちを見た。
見て、止まった。
一秒あったかどうかだ。それから紙に目を戻して、隣の二年に次の進行を指示した。
四か月前の夜を思い出す。
寮の裏だった。妹の手首を掴んでいた手が止まって、それが離れて、次にこっちの襟を掴んだ。片手だった。軽々と持ち上げられて、爪先が浮いた。
しばらくそうしていた。
離す時に、一言だけ寄越した。
つまらん男だ。
それから妹の名を呼んで、上のクラスに上がりたかったら死に物狂いで足掻け、と言い残して行った。
一年の校庭に、三年の生徒会長が立っている。自分の学年の練習もあるはずだった。それを外してまで、ここで紙を見ている。
行事の運営に生徒会が噛んでいるとは、平田から聞いていた。割り振りも段取りも、全部あの部屋で決まるらしい。
だとしても、最上段に名前を置いた人間が、下の学年の練習に自分で立つ必要はねえ。
天幕の下で、誰かがあの男に紙を差し出した。受け取って、目を通して、一言だけ返した。
その一言の間に、もう一度だけ、こっちの方に目が動いた。
つまらないなら、忘れる。
忘れていない人間の、目の止め方だった。
二学期に入ってから一度だけ、向こうから声をかけてきた、あのつまらない会話を。
練習の終わりに、平田がクラスを集めた。
「今週の合同練習は明日で終わりだよ。来週は各クラスで仕上げだね」
紙を読み上げていく。時間、場所、持ち物。
「堀北さん、他に何かある?」
振られて、堀北が前に出た。
「……特には。遅れる人が出ないようにして」
それだけ言って、下がった。
前なら、ここでもう二言か三言あった。誰がどこで手を抜けば全部が崩れるか、訊かれてもいないことまで並べて、半分は煙たがられて、それでも言う女だった。
言わなかった。
池も山内も、何も起きていない顔で解散していく。
平田だけが、少し長く堀北の方を見ていた。
解散した後、その平田が紙を抱えたまま寄ってきた。
「赤木くん、ちょっといい? 棒倒しのことなんだけど」
「なんだ」
「守りって、何人で組むのが正解なんだろう。多くすれば固くなるけど、その分、攻めが減るよね」
「固くしても崩れる時は崩れる」
「うん……」
「どこを先に捨てるか決めとけ。そっちの方が要る」
平田が顔を上げた。
「捨てる?」
「全部を同じ厚さで守ろうとすりゃ、全部薄くなる。端はくれてやって、根元に寄せた方が保つ。当日に決めようとしても、誰も捨てられねえ」
「……そうか」
紙に何か書き込んでいた。書きながら、少し笑った。
「赤木くん、そういうの詳しいんだね」
「詳しかねえよ」
崩れるのを前提に置くのは、詳しいかどうかの話じゃない。
崩れない前提で組む人間が多すぎるだけだ。
寮へ戻る道で、龍園に会った。
前と同じフェンスのところだった。制服のままで、練習に出た様子はどこにも無い。
「よう、赤木」
「またあんたか」
「伊吹が妙なことを言ってたんでな」
龍園は、フェンスに背中を預けたまま動かない。
「あいつに俺のことを訊いたそうじゃねえか」
「訊いた」
「何でだ」
「練習で見なかった。それだけだ」
「それだけで、わざわざ訊くか」
蓋を開けずに、水のボトルを指で回した。
龍園は、片方の口の端を上げた。
「まあいい。出てねえのは本当だ。俺が出たところで縄が一本増えるわけでもねえ」
「点は引かれねえのか」
「本番に出りゃそれで済む。練習の頭数を数えてる暇な奴が、どこにいる」
「で、何の用だ」
「その伊吹がな、もう一つ言ってた」
龍園が、フェンスから背中を離した。
「堀北が坂柳の方角だけ見ねえ、とよ」
足の裏で、砂の粒が鳴った。
伊吹が言ったのは、堀北がこっちを向かないというところまでだ。
坂柳の方角だけ、と切ったのは俺だ。
あの場で、あの女に向かって、自分の口から言っている。
それが昨日の今日で、この男の手の中にある。
「ククッ。どうした」
「いや」
「顔が変わったぜ、今」
変わったんだろう。
自分で切って、自分で渡した牌が、一巡して戻ってきた。渡した時には何とも思っていない牌だった。
「伊吹は、そこまで見ちゃいねえだろ」
「見てねえよ。あいつは見たままを喋っただけだ」
龍園は、それ以上そこを追わなかった。
「Aは静かだ」
「そうかい」
「葛城のとこに人をやった。何も出ねえ。……もっとも、あの男は島の一件から蚊帳の外だ。今更聞くだけ無駄だったがな」
そう言って、鼻を鳴らした。
「何も掴めちゃいねえ。だから来た」
「Aが静かなだけで、あんたはここまで来るのか」
「静かな時に毟られんのが一番腹が立つんでな」
そこは分かる理屈だった。
「一つ訊くぜ。当日、体育祭の場で何か起きると思うか」
「知らねえよ」
「思うか、と訊いてる」
しばらく考えて、答えた。
「起きるなら、体育祭の場じゃねえ」
龍園の目が、ほんの少しだけ動いた。
「ほう」
「勝った負けたで点が動く場所だ。そこで動かしても、誰にでも見える。見えるもんで人は縛れねえ」
「……なるほどな」
それきり、この男はその筋を追わなかった。
「俺が知ってると思ったか」
「思っちゃいねえ。ただ、お前は何か抱えてる顔をしてる」
「顔で分かるのか」
「分かるさ。抱えてる奴は、訊かれた時に間が空く。今お前は二回空けた」
数えていたらしい。
「一つ提案だ」
龍園が、指を一本立てた。
「今は、俺もお前も持ってねえ。だが、先に何か掴んだ方が、もう片方に渡す。値は後で決める」
「後で決める、ってのはどういう意味だ」
「欲しくなった時に、こっちが吹っかけるって意味だ」
正直な男だった。
「断る」
「あ?」
「いらねえ」
龍園の眉が、わずかに動いた。
「タダで先渡ししてやろうってんだぜ」
「タダのもんに、値はつかねえ」
龍園の目が、一度だけ細くなった。
それきり、何も言わずにこっちを見ていた。
やがて、喉の奥で笑い出した。
「クハハ。……お前、それ六月に自分がやったことだぞ」
言われて、思い出した。
値打ちの消えた札を、この男に言い値で買わせたのは俺だ。同じ手を、同じ場所で、向きだけ変えて出してきている。
「だから断ってんだろうが」
「なるほどな」
龍園はフェンスを離れた。
二歩ばかり歩いて、それから振り返らずに言った。
「白組が勝つかもしれねえぜ」
「根拠は」
「一之瀬だ。あの女のところは、誰も途中で抜けねえ。速えも遅えも関係なく、最後まで全員が引いてる」
「あんたは、それを見てるのか」
「見るだけだ。口は出さねえ」
そこで一度、肩越しにこっちを見た。
「お前んとこは、どうだ」
答えなかった。
龍園は、それだけで足りたらしい。歩いていった。
五歩ほど行ったところで、足を止めずに言った。
「言っとくが、俺はお前が何をやらかそうが構わねえ」
「そうかよ」
「ただ、うちに火の粉が来る形でやるなら、先に言え。その時は値を訊く」
返事はしなかった。
この男は、返事が要る時には立ち止まる。立ち止まらなかったということは、要らなかったということだ。
昇降口で、堀北と一緒になった。
「明日、雨みたいね」
「そうか」
「練習が流れたら、当日ぶっつけになるわ。棒倒しの形だけでも決めておいた方がいいと思うのだけれど」
「平田に言え」
「言ったわ。あなたにも言っておこうと思っただけ」
事務の話だった。
最後まで、事務の話だった。言いかけて止まりもしなかったし、こっちの顔を確かめもしなかった。
「じゃあ」
「ああ」
そのまま、先に出ていった。
昨日は、寮への道で足を止めて、口を開いて、閉じた。
今日も開かない。
寮の前で、須藤に会った。
「おう赤木。合同の練習、明日で終わりだってよ」
「聞いてる」
「池のやつ、さっきお前に突っ立ってるだけとか言ってたけど、あれ半分嫉妬だからな。あいつ、守り任されてえんだよ」
「やらせりゃいい」
「無理だろ。あいつ動いちまうもん」
須藤は笑って、それから思い出したように言った。
「そういやお前、堀北と喧嘩でもしてんの」
足が止まった。
「なんでだ」
「いや、なんか最近、二人とも変だしよ。飯の時も全然喋んねえじゃん」
「してねえよ」
「ならいいけどよ。……お前ら、たまにそういう感じになるよな」
そう言って、階段を上がっていった。
たまにそういう感じになる、というのは、この男なりの言い方だった。
その夜、櫛田の部屋は三十分で終わった。
「今日はここまで。明日、朝早いから」
当日の役割がどうとか、女子の集合がどうとか、この女は行事のたびに一番忙しくなる。
問題集を閉じる手が早かった。閉じてから、こっちを見ずに言った。
「体育祭、どこに入ってるんだっけ」
「出るのは全部だ。どこに入ってるかは、向こうが決めてる」
「……そうだったね」
知っていて訊いた、という間があった。
「堀北のことは、今日は訊かねえのか」
こっちから言った。
櫛田の手が、問題集の角で止まった。
「訊いたって、答えないでしょ」
「昨日は何度も訊いた」
「昨日はね」
それきり、この女は問題集を鞄に入れた。入れる音だけが、やけに丁寧だった。
昨日はあれだけ訊いて、今日は一度も訊かない。
一晩で、何かが変わったらしい。
何が変わったのかは言わないし、こっちも訊かない。
「もう行って。片付かないから」
背中を押されて、部屋を出た。
部屋の電気をつけずに、鞄を床に置いた。
昨日、自分の口から切った札が、もう戻ってきている。
切った時には、何とも思っていない牌だった。
意味は、拾った奴が後からつける。
こっちが何を賭けているかは、こっちが決める。だが、こっちが何を漏らしたかは、こっちには決められねえ。
――上等だ。
そういう卓の方が、よほど面白い。
決着をつけてほしいのはどれ?
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坂柳との再戦
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龍園との貸借
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綾小路との関係
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堀北との距離感
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櫛田との停戦