アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

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第60話「山越し」

その日、堀北は一度も口を開かなかった。

 

 

 

 

 

合同の練習は終わって、あとはクラスごとの仕上げになっている。校庭の割り当ては一クラス四十分。その中で並びを確認して、走る順を確認して、それで終わる。

 

仕切っているのは平田だ。名前を読み上げていくのも、紙を抱えて走り回るのも、全部あの男がやる。

 

「じゃあ綱引き、一回戦の並びで。須藤くん先頭、池くん二番」

 

呼ばれた順に列が出来ていく。紙は持っているが、ほとんど見ていない。四十人分を覚えているらしい。

 

こういうことを苦もなくやる人間が一人いると、クラスというのは回る。

 

終わった後で、いつもなら抜けている点を拾う役がいる。

 

誰の足が滑りやすいとか、二回戦で入れ替えた方がいいとか。訊かれてもいないことを言って、たいてい煙たがられて、それでも言う。言われた方は面倒くさがるが、半分は当たっている。

 

拾わなかった。

 

「堀北さん、何か足しておくことある?」

 

「……いいえ」

 

「そっか。じゃあ、今日はここまでで」

 

それで解散になった。

 

誰も何も言わなかった。言わない方が早く帰れる。

 

池も山内も、何か足りないとは思っていない。足りないものを足していた人間が黙った日は、何も起きなかった日に見える。

 

平田だけが、名簿を抱えたまま、しばらく動かなかった。

 

 

 

 

 

「なあ赤木」

 

須藤が横に来た。

 

「あいつ、なんも言わなくなったな」

 

「そうだな」

 

「前は池の位置がどうとか、山内が手抜いてるとか、いちいち言ってたじゃん。うるせえなって思ってたけど」

 

タオルで首を拭きながら、言葉を探している。

 

「言われねえと、なんか落ち着かねえんだよな」

 

その言い方で足りていた。

 

平田が名簿を抱えて寄ってきた。

 

「赤木くん、須藤くん。……ちょっといいかな」

 

「なんだ」

 

「当日の配置、堀北さんの分も僕が書いてるんだよね」

 

「あ? なんでだよ」

 

「頼まれたんだ。やっておいてって」

 

須藤が黙った。

 

「本当は半分ずつやってたんだ。彼女が自分から仕事を渡してきたの、初めてでさ」

 

「それとさ」

 

平田が一度、口を閉じた。

 

「昨日、堀北さんに『何かあったら言って』って言ったんだ。そしたら」

 

「なんて言われた」

 

「『あなたに言えることなら、もう言ってるわ』って」

 

須藤が眉を寄せた。

 

「それ、どういう意味だよ」

 

「分からない。でも……彼女がああいう言い方をするの、初めてでさ」

 

平田はそれ以上言わなかった。

 

言わなかったが、名簿を抱え直す手つきが、いつもより慎重だった。

 

 

 

あなたに言えることなら、もう言っている。

 

裏を返せば、言えないことがある、と自分から言っているのと同じだ。

 

あいつは、嘘をつくのが下手なんじゃねえ。嘘をつく気が最初からねえ。

 

 

 

 

 

Aクラスの列が、入れ替わりで校庭へ入ってきた。

 

先頭に葛城がいて、その後ろに三十人ばかり。列の最後に坂柳がついて歩いている。

 

すれ違いざま、こっちを見た。

 

前に会った時は、向こうから話しかけてきた。アンカーの意味がどうとか、堀北はどうかとか、長い雑談をしていった。

 

今日は何も言わなかった。

 

杖の音だけが、列と一緒に遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

校門の近くで、白組の列とすれ違った。

 

Bクラスが仕上げを終えて戻ってくるところらしい。列の先頭を歩いていたのが一之瀬だった。

 

こっちに気づいて、手を上げた。

 

「あ、赤木くん。お疲れさま」

 

「ああ」

 

「そっちも今終わったところ?」

 

「終わった」

 

一之瀬は列を先に行かせて、その場に残った。

 

残る理由が無いはずだが、残った。

 

「あのね。変なこと訊いていい?」

 

「言ってみろ」

 

「堀北さん、何かあった?」

 

「なんでそう思う」

 

「んー……測定の時に一回だけ話したんだけどね。あの時の彼女、意外にすごく喋る人だったから」

 

そう言って、少し笑った。

 

「今日、すれ違ったんだけど、こっちに気づかなかったの。前は絶対、向こうから会釈してくれる人だったのに」

 

Bクラスの人間が、Dクラスの一人の様子の違いを覚えている。

 

こういう女だ、というのは聞いていた。実際に見ると、思っていたのと少し違った。

 

「他所のクラスだろ」

 

「うん。だから訊くだけ。何かできるとは思ってないよ」

 

言い訳をしなかった。

 

「ただ、放っておいて後で『やっぱりね』って言うのが、一番嫌なだけ」

 

「当日、敵だぞ」

 

そう言ったら、一之瀬は目を丸くして、それから笑った。

 

「そうだね。綱引き、負けないから」

 

「そっちの組は強いらしいな」

 

「誰から聞いたの?」

 

「龍園だ」

 

名前を出した瞬間、笑い方が少しだけ変わった。

 

「……あの人、そういうこと言うんだ」

 

「言ってた。あんたのとこは誰も途中で抜けねえ、とよ」

 

一之瀬はしばらく黙って、それから小さく息を吐いた。

 

「抜けないんじゃないよ。抜けられないの」

 

言い直した。

 

「私が全員に声かけちゃうから。声かけられたら、抜けにくいでしょ」

 

そう言って、また笑った。

 

「……ずるいよね」

 

それだけ言って、列の方へ走っていった。

 

言っていることは分かる。

 

分かるが、あれを全員に対してやる人間がいるというのは、まだ腑に落ちない。

 

白組が勝つかもしれねえ、と龍園は言っていた。根拠は一之瀬だと。あの女のところは誰も途中で抜けない、とも。

 

抜けない理由が、今のでいくらか見えた。

 

損得じゃねえ。あれは、後で自分が嫌な思いをしないために先に動いている。自分のためにやっていて、しかも人のためになる。

 

そういう作りの人間は、卓では一番厄介だ。

 

降りる理由を持っていないからだ。

 

そして、堀北はもう覚悟を決めねえといけない段階にきた。

 

 

 

 

 

教室に戻ると、櫛田が女子の輪の中にいた。

 

こっちを見て、教室で作る方の顔で軽く会釈をした。それだけだ。

 

勉強会は今週いっぱい休みになっている。行事の週だから、と向こうが言った。

 

テストは体育祭の後だ。今週休めば、その分どこかで詰めることになる。

 

この女は損得を間違えたことがない。

 

その女が、間違える方を選んでいる。

 

理由は訊かなかった。訊いて出てくるものは、この女の場合、たいてい本当じゃねえ。

 

 

 

 

 

昇降口で、伊吹が待っていた。

 

Cクラスの人間が一年Dの昇降口にいる理由は無い。あるとすれば、待っていた場合だけだ。

 

「伝言」

 

前置きも無かった。

 

「龍園から。『先に言え』だってさ」

 

「それだけか」

 

「それだけ。意味は知らない」

 

言い方に嘘は無かった。この女は、知らないことを知らないと言う。

 

「返事は」

 

「ねえ」

 

「……はあ?」

 

「ねえって伝えろ。それでいい」

 

伊吹は露骨に嫌な顔をした。

 

「あんたら、ほんっとに面倒くさい」

 

「そうかい」

 

「こっちは伝えるだけだから。ちゃんと言ったからね」

 

念を押してから、それでも帰らなかった。

 

「……ねえ」

 

「なんだ」

 

「あんた、また何かやるの」

 

「さあな」

 

「別に止めないけど」

 

そう言って、鞄を持ち直した。

 

「うちに飛んできたら、私が怒られるの。あんたじゃなくて」

 

それだけ言って、今度こそ帰っていった。

 

言われてみれば、そうなんだろう。

 

上が勝手にやったことの尻拭いは、たいてい下がやる。この学校だけの話じゃねえ。

 

火の粉が来る形でやるなら先に言え、と言われている。値を訊く、とも。

 

先に言う気は無かった。言えば、あの男は必ず何かを寄越そうとする。寄越されたものは、いずれ返すことになる。

 

今は、どこにも借りを作りたくない。

 

 

 

 

 

その夜、寮の廊下で堀北とすれ違った。

 

目が合って、向こうが先に逸らした。

 

逸らしてから、思い直したように足を止めた。

 

「赤木くん」

 

「ああ」

 

「……当日、よろしく」

 

「分かってる」

 

それだけだった。

 

当日が何を指すのかは、言わなかった。

 

体育祭のことだと言えば、そう聞こえる。組が同じで、同じ縄を引く。よろしく、で通る。

 

だが、この女が用件を言う時は、必ず中身を言う。

 

中身が無いまま置いていったのは、これが初めてだった。

 

行きかけた背中に、声をかけようとした。

 

口を開く手前で、やめた。

 

呼び止めて出てくるものは、呼び止められて出したものだ。自分から出したものとは、重さが違う。

 

それに、この女はもう一度、自分で口を開こうとしていた。廊下で足を止めたのが、その証拠だ。

 

止めて、やめた。

 

やめたということは、まだ決まっていないということだ。決まっていないものを引っ張り出しても、半端なものしか出てこねえ。

 

待つのは、嫌いじゃねえ。

 

部屋の扉が閉まる音を、廊下で聞いた。

 

 

 

 

 

窓を開けて、煙草の箱を出した。一本抜いて、火はつけずに指の間で回した。

 

三日前、天幕の下で目が合った。

 

止まって、逸れた。

 

箱に戻した。

 

明日行く、と決めたわけじゃない。

 

決めたと言えるほど、考えちゃいねえ。

 

ただ、窓を閉めた時には、行く側に体が傾いていた。

 

 

 

 

 

「は?なにしに?」

 

翌日、須藤が本気で驚いた顔をした。

 

「お前みたいなのがフラフラ行ったら摘み出されんじゃねぇか?」

 

「知ってる」

 

「何されるか分かんねえぞ」

 

「何かされるなら、行く価値がある」

 

「は?」

 

須藤は口を開けたまま、何か言おうとしてやめた。

 

「……お前さ、たまにそういうこと言うよな」

 

「そうかい」

 

「普通は逆だろ。何されるか分かんねえから行かねえんだろ」

 

「分かってる場所に、行く用がねえだろ」

 

須藤が黙った。

 

「こえーんだよ、そういうとこ」

 

笑いながら言って、それから真面目な顔になった。

 

「堀北のことか」

 

こっちを見ていた。

 

この男は頭が回らないと自分で言う。言うくせに、こういう時だけ外さない。

 

「さあな」

 

「隠してもいいけどよ。俺、なんもできねえし」

 

そう言って、階段の方へ歩いていった。

 

数歩行ってから、振り返らずに付け足した。

 

「でも、なんかあったら言えよ。頭は使えねえけど、体は空いてる」

 

 

 

 

 

放課後、校舎を上へ上がった。

 

上がるにつれて、すれ違う人間が減っていく。

 

三階を過ぎたあたりで、誰ともすれ違わなくなった。

 

四階は空気が違った。廊下が静かで、足音がよく響く。扉の間隔も広い。

 

金をかけて静かにしてある場所だ。

 

こういう場所は知っている。金が動く部屋ほど静かだった。大きい話は、声を張らずにやる。

 

廊下の途中で、掲示板の前を通った。

 

体育祭の進行表が貼ってある。時刻と種目が縦に並んで、係の名前が横に並んでいる。

 

決める側と、並べられる側が、この一枚で分かれている。

 

うちのクラスの並びも、この階で決まった。

 

一番奥に、その部屋があった。

 

 

 

 

 

扉の前で、一度止まった。

 

中から人の声がしていた。何人かいる。数字と日付が、切れ切れに聞こえた。

 

この向こうで、うちのクラスの並びも決まっている。誰がどこに立つか、何時にどこへ集まるか。この学校の段取りを組んでいる。

 

面白い話だ。

 

ここまで来て、何を言うかは決めていない。

 

決めていないまま扉の前に立つのは、久しぶりだった。

 

昔は、いつもそうだった。何を握っているかも分からない相手の部屋に、手ぶらで入っていった。入ってから決める。決められなければ、それまでの話だ。

 

扉を二度叩いて、名前だけ告げた。

 

「一年Dクラス、赤木しげる」

 

中で、椅子が引かれる音がした。

 

「用件は」

 

「堀北学をだせ」

 

言ってから、少し待った。

 

しばらく、返事が無かった。

 

長い沈黙だった。何人か動く気配がして、それから小さく言い交わす声がした。

 

やがて、扉が内側から開いた。

 

開けたのは書記らしい二年の女子で、こっちの顔を見て、何か言いたそうにして、結局何も言わずに横へどいた。

 

部屋の奥、窓を背にして立っている男がいた。

 

こっちを見ていた。

 

顔は、五月の夜と何も変わっていなかった。

 

 

 

「きたか」





あの夜から4ヶ月の間、アカギと生徒会長の間で一体何が、、、!?

決着をつけてほしいのはどれ?

  • 坂柳との再戦
  • 龍園との貸借
  • 綾小路との関係
  • 堀北との距離感
  • 櫛田との停戦
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