アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

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第62話「配牌」

グラウンドの隅で、リレーのバトンパスを何度も繰り返している連中がいた。

 

「今のタイミング、完璧! これなら本番も絶対いけるって!」

 

弾んだ声が聞こえる。何度も練習して、同じ手順を重ねて、自分たちだけの正しい答えを作った気になっている。

 

だが、本番で隣のコースの奴が派手に転んで足元に滑り込んできた瞬間、そんな手順は一瞬でゴミになる。

 

あらかじめ決まった答え合わせしか知らない奴は、他人が絡む勝負じゃ一番脆い。

 

 

 

 

 

放課後、寮へ戻る道で、後ろから声をかけられた。

 

「赤木くん」

 

振り返ると、堀北が立っていた。

 

三日ぶりに、こっちを真っ直ぐ見ていた。

 

「話があるの」

 

「そうかい」

 

「……場所を変えてもいいかしら」

 

「どこでもいい」

 

 

 

 

 

非常階段の踊り場だった。

 

寮の外側にくっついている鉄の階段で、風が通る。ここから見えるのは、駐輪場と、その向こうのケヤキ並木だけだ。

 

十月が近いのに、日はまだ長い。

 

堀北は手すりに手を置いて、しばらく黙っていた。

 

黙ったまま、二回、口を開いて閉じた。

 

俺は待った。

 

三度目に、声が出た。

 

 

 

 

 

「坂柳有栖に、勝負を申し込まれているわ」

 

「そうかい」

 

「……驚かないのね」

 

「驚く順番が来たら驚く」

 

堀北は一度だけ息を吸って、そこから先は止まらなかった。

 

「私のせいで兄さんは学園の最後に泥を塗るわ」

 

条件は五つあった。

 

一つ。勝てば、五月八日の夜の件は破棄される。坂柳の口からも、他の誰の口からも、二度と出ない。

 

二つ。負ければ、五月八日の夜の件が流れ、堀北学は立場を失う。

 

三つ。種目は後日通知。学力も体力も一切関係のない、読み合いの勝負。

 

四つ。期限は体育祭当日まで。

 

五つ――

 

そこで、また止まった。

 

「五つ目は」

 

「……赤木くんの身には、この勝負で何も懸からない、と」

 

「ほう」

 

「勝っても負けても、あなたが失うものは一つもない。そう言われたわ」

 

風が下から吹き上げてきて、堀北の髪が一度大きく動いた。

 

「相手は、あなたなの」

 

 

 

 

 

聞いて、最初に来たのは、不快感だった。

 

何も懸からねえ。

 

 

 

だが、同時に感心した。

 

……なるほど。

 

――フフ、あいつらしい置き方だな。

 

 

 

本気で俺を相手にするってのは、言葉通りらしい。

 

だから、あいつはこの形にした。

 

俺の予想通りなら、堀北も坂柳もとことんついてねえ。

 

学との約束は思ったより早く使う時が来たらしい。

 

 

 

 

 

口の端が上がった。

 

「フフ」

 

「……何がおかしいの」

 

「ずいぶんと回りくどいやり方をしやがる」

 

 

 

 

 

堀北は、俺が坂柳のことを言ったと思ったらしい。頷きかけて、途中で止まった。

 

「……今の」

 

「なんだ」

 

「坂柳さんに向けた言い方では、なかったわ」

 

そこまでは、よく見ている。

 

「あなたも気付いているの?」

 

「さあな」

 

この女は、まだそこまで届かない。届いたら、卓が一つ減る。

 

「ところで、なんであんたなんだ」

 

「訊いたわ。『私の都合です』としか」

 

「そうかい」

 

「赤木くん」

 

堀北が、手すりから手を離した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「負けて、ほしいの」

 

言った。

 

言ってから、俺の顔を見ていた。目を逸らさなかった。

 

逸らさずに言うために、三日かかったんだろう。

 

「あなたにとっては、何も懸かっていない勝負よ。負けても、あなたは何も失わない。でも、私は――」

 

「断る」

 

言葉を切った。

 

「……理由を」

 

「勝負じゃねえからだ」

 

俺は手すりに背中を預けた。

 

「あんたが勝つんじゃねえ。俺が譲るんだ。譲られて守った兄貴の顔を、この先あんたはどう見るんだ」

 

「見られればいいわ。顔が残っていれば」

 

「できるだろうな」

 

そこは認めた。

 

「できるが、その何かを決める時、あんたは毎回今日のことを思い出す。俺に頼んで、俺が譲った日のことをだ」

 

堀北は、何も言わなかった。

 

「つまんねぇことすんじゃねぇよ」

 

「……勝手なことを言わないで」

 

声が震えていた。

 

震えたまま、続けた。

 

「私が何を持って歩こうと、私が決めることでしょう。生きて持って歩ける方がいいに決まってる。あなたに何が分かるの」

 

「分からねえよ」

 

即座に返した。

 

「分からねえから断ってる」

 

 

 

 

 

堀北が俺を睨んだ。

 

本気で睨まれたのは、いつ以来か思い出せなかった。

 

「じゃあ、どうしろって言うの」

 

「勝てばいい」

 

「無理よ」

 

「無理か」

 

「無理だわ」

 

言い切った。

 

「読み合いの勝負ですって。私が今まで生きてきて、一度もやったことのない種類のものよ。私が勝ってきたのは、答えのあるものだけ。答えのあるものを、答えの通りに解いてきただけ」

 

「そうだろうな」

 

「あなたは、答えの無いところにしかいない人でしょう。勝てるわけがない」

 

 

 

「勝てねえよ」

 

俺は言った。

 

「勝てねえよ。あんたは負けるのが怖いんじゃねえ。間違えるのが怖いんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堀北の顔から、色が抜けた。

 

「……なら」

 

「だから、やる」

 

「え」

 

「勝負は受ける」

 

聞き違いだという顔をしていた。

 

「何を言って」

 

「勝負を受けると言ってる。譲らねえで、正面からやる」

 

「それは、兄さんが終わるということでしょう」

 

「クク、そうかもな」

 

俺は、手すりに肘を置いた。

 

「あんた、さっき何て言った」

 

「……何の話」

 

「勝てるわけがない、と言った」

 

風が下から吹き上げてきた。

 

「勝てるわけがねえと思ってる奴は、負ける。必ず負ける。だから俺は、あんたが勝つ方に賭ける気がねえ」

 

「……だったら」

 

「今はな」

 

堀北が黙った。

 

「今のあんたには賭けねえ。当日のあんたがどうなってるかは、今日の俺には分からねえ」

 

風が止まっていた。

 

「まだ日がある」

 

「三日よ。体育祭は三日後だわ」

 

「勝負の日取りは決まってんのか」

 

「……いいえ。後日通知だと」

 

「なら、三日じゃねえだろ」

 

手すりから手を離した。

 

「三日で人が変わるところを、俺は何度か見ている。それより長けりゃ、もっと変わるかもしれねぇ」

 

 

 

 

 

しばらく、堀北は動かなかった。

 

やがて、手すりをもう一度掴んだ。

 

掴んだ手に、力が入っていた。

 

「……教えて」

 

「何をだ」

 

「読み合いの勝負で勝つ方法を。あなたが知っていることを、全部」

 

「クク、教えたら、俺が負ける」

 

「構わないでしょう。あなたには何も懸かっていないんだから」

 

言ってから、自分の言葉に自分で気づいた顔をした。

 

俺は笑った。

 

「そいつは、いい返しだ」

 

 

 

 

 

「種目は分からねえんだろ」

 

「ええ」

 

「読み合いだとだけ言われてる」

 

「ええ」

 

「なら、一番きついのを教えとく」

 

「一番きついもの」

 

「それが出るとは限らねえ。ただ、一番きついのを知ってる奴は、それより下のものに困らねえ」

 

堀北が、少し考える顔をした。

 

「何のこと」

 

 

 

――――

――――――

――――――――――

 

 

 

その話は、日が落ちるまで続いた。

 

俺が喋ってばかりで、堀北は一度も筆記具を出さなかった。出さずに、全部聞いていた。

 

最後に一つだけ、口の中で繰り返していた。

 

その話はそこで終わった。

 

 

 

 

 

「一つ、訊いていい」

 

「なんだ」

 

「なぜ、私に教えるの」

 

「訊かれたからだ」

 

「それだけ」

 

「それだけだ」

 

堀北は納得しない顔をした。

 

「あなたは、私が勝つ方には賭けないと言ったわ」

 

「言った」

 

「賭けない相手に手札を渡すのは、損でしょう」

 

「フフ、損だな」

 

俺は認めた。

 

「素人が卓について、訳もわからないまま死ぬのはつまんねぇだろ」

 

「……何の話をしているの」

 

「あんたが何も知らねえまま座って、俺が全部知ってて勝ったとする。その卓で分かることは何もねえ。俺が今日ここで口を閉じたってだけだ」

 

堀北は、何か言おうとして、やめた。

 

「私、あなたのそういうところが」

 

「なんだ」

 

「……何でもないわ」

 

 

 

 

 

「もう一つ、言っておくことがあるの」

 

「まだあるのか」

 

「兄さんに、訊かれたわ。Dクラスは今度の行事で何位を取るつもりだ、と」

 

「なんて答えた」

 

「最下位は避けます、と」

 

堀北は、そこで少しだけ目を伏せた。

 

「言ってから、後悔したわ。何の根拠もない。ただ、あの人の前でだけは、言えないことがあるの」

 

「だろうな」

 

「四クラスのうち、組が負ければ全員が百引かれる。その上で、クラス別の順位でもう一度引かれる。最下位ならもう百。合わせて二百」

 

数字を並べている時の声だけは、落ち着いていた。

 

「五月に千を落として、夏で戻して、今それを二百落とすの。私が最下位は避けますと言ったのは、そういう意味だったはずなのに」

 

「今は、そっちどころじゃねえって顔だな」

 

「……ええ」

 

「両方やれよ」

 

「無茶を言わないで」

 

「無茶じゃねえ。片方を捨てた人間は、残った方も落とす。俺は何度か見ている」

 

堀北は、返事をしなかった。

 

返事の代わりに、手すりから手を離して、腕を組んだ。

 

考える時の形だった。

 

 

 

 

 

「今日教えてもらったこと、全部覚えるのは無理よ」

 

俺は笑った。

 

「クク、俺が覚えた時は一晩で足りたけどな」

 

「あなたと比べないで」

 

「学力なんて関係ねぇってことだ」

 

「そもそも、覚えたところで何に役立つのかもわからないわ。私とあなたの勝負で使うわけでもないのでしょう?」

 

「そうだな」

 

「……だったら」

 

「嫌ならやめればいい、どっちにしたって勝負は受けてやる」

 

「……覚えたらどうなるの」

 

「三日で座れるようにはなる」

 

夕方の風が、また下から吹いてきた。

 

「勝たなくていいの」

 

「勝ちたきゃ勝て」

 

俺は振り返らずに言った。

 

「ただし、勝ちに行く前に、まず座れ」

 

「……どうやって、覚えればいいの」

 

「好きにしろ。覚え方まで人に訊くなよ」

 

堀北が、少し呆れた顔をした。

 

「あなたが言うと、変な感じがするわ」

 

「そうかい」

 

 

 

俺は階段を降りながら言った。

 

「一つだけ約束しろ。降りるな」

 

「おりる」

 

「勝てねえと分かった勝負でも投げるな、ってことだ。投げ方は、最後に覚えればいい」

 

 

 

 

 

その夜、部屋の窓を開けた。

 

向かいの棟の、二つ下の階の窓に、遅くまで灯りが点いていた。

 

あの女は、俺に頼んで、断られた。

 

断られてから、教えてくれと言った。

 

順番としては、悪くねえ。

 

頼んで通る相手なら、頼み続けて生きていける。通らないと分かった時に何を言うかで、その人間の底が出る。

 

底は、まだ見えちゃいねえ。

 

灯りは、俺が窓を閉めるまで消えなかった。

決着をつけてほしいのはどれ?

  • 坂柳との再戦
  • 龍園との貸借
  • 綾小路との関係
  • 堀北との距離感
  • 櫛田との停戦
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