「もう一度、北へ行ってきたまえ。君にこれ以上セントラルで好き勝手されると、私の胃がもたないのでね」
悪逆非道な上官からそう命じられた数日後、ヘレシアはアレックス・ルイ・アームストロング少佐に連れられ、ドラクマとの国境にそびえるブリッグズ要塞を訪れていた。ここへ来るのは初めてではない。以前にも一度派遣され、その際にいろいろとやらかしているので、要塞の面々とは多少なりとも面識がある。
吹き荒れる雪の向こうに、黒々とした城壁がそびえている。軍事施設というより、山脈そのものが巨大な刃物へ姿を変え、国境に突き立っているような威圧感があった。
ところが、正門を抜けたヘレシアを迎えた兵士たちの反応は、その景観とは正反対だった。
「おい、先生だ!」
「先生が来てくださったぞ!」
誰かが声を上げると、作業中だった兵士たちが次々に振り返った。手を振る者まで現れ、瞬く間にちょっとした人だかりができる。
ヘレシアはアームストロング少佐の隣で胸を張り、鷹揚に片手を上げた。
「うむ。皆の者、苦しゅうない」
「相変わらず人気者のようですな、禁則の錬金術師殿!」
「いやあ、それほどでもありますよ」
満更でもなさそうに答えた直後、人垣が左右へ割れた。その先から現れたのは、ブリッグズの最高責任者、オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将だった。
歓迎とは程遠い眼差しを向けられても、ヘレシアは気にした様子もなく手を振った。
「お久しぶりです、少将。なんだか前より目つきが鋭くなりました?」
「貴様を見ると自然にこうなる」
オリヴィエは弟との挨拶もそこそこに、ヘレシアへ一枚の書類を突き出した。要塞外壁の損傷箇所と、補強を必要とする区画が事細かに記されている。
「今回、貴様が派遣されてきたのは砦の補修と強化のためだ。余計なことは何一つするな。書類に示した箇所以外へ手を加えることも許さん」
「私を呼んでおいて、そんなに警戒しなくてもいいじゃないですか。今回は普通に働きますよ。最近は煉獄じゃなくて紅蓮さんのせいで、まともに研究もできなかったんですから」
少し離れた場所にいたマイルズが、その呼び間違いに眉を寄せた。
「紅蓮の錬金術師、キンブリーのことか?」
「そう、その人です。ちょっとしたイタズラをしてから、私の顔を見るたびに爆殺しようとしてくるんですよ。マイルズさんなら分かりますよね。あれ、自由に歩かせるより、どこかへ閉じ込めておいた方がいいと思いません?」
「少なくとも、お前との間に何があったのかを聞かずに同意することはできんな」
「別に大したことはしてませんよ。頭を増やして左右の腕を別々の頭で動く様にしても、爆発物を錬成できるかを確かめただけです。私のほうが圧倒的に被害者です。この前なんて、身体を一度気体に変えて、あの人の背後で再構成して驚かせようとしただけなのに、気体になった瞬間を狙って爆風で全部吹き飛ばしたんですよ。おかげでその私は身体を集め直すのに半日もかかりました。酷いと思いません?」
マイルズはしばらく黙っていた。隣ではアームストロング少佐が腕を組み、何やら深刻そうな顔で考え込んでいる。
「……今の話を聞く限り、キンブリーが何もしていないところへ、お前が奇襲を仕掛けたように聞こえるが」
「それでも、いきなり爆破するのはよくないですよ。ほんとに危ない人ですよね、あの人」
ヘレシアが同意を求めるように周囲を見回したが、誰一人として頷かなかった。オリヴィエはこめかみを押さえ、話を打ち切るように補修箇所を示した図面を叩いた。
「キンブリーの処遇は中央が決める。貴様は黙って砦を直せ。今度こそ、だ」
「今度こそって、前回もちゃんと直したじゃないですか。ここの規則は弱肉強食なんでしょう? 強い者が好きなようにしていいって」
「すまんが、貴様はその規則の適用外になった」
あまりに即答だったため、ヘレシアは目を丸くした。
「どうしてです?」
「決まっている。腕を錬成で強化し、腕相撲で兵どもを片端から負かした挙げ句、砦の至る所へクソの印を刻み込んだことを、私が忘れたとでも思ったか」
「腕相撲で勝った数だけ、好きな印を付けていいって約束したじゃないですか。私、一勝につき一個という決まりはちゃんと守りましたよ。何を描くかまでは指定されてなかったんですから、後になって条件を付け足すのは潔くないと思います」
悪びれる様子もなく胸を張るヘレシアに、オリヴィエのこめかみが引きつった。
「あれは撃破数を示す星印か、せいぜい自分の署名を想定した話だ。誰が排泄物の印を要塞中へ刻めと言った。そればかりか貴様は、ブリッグズの背後にある山の頂へ、巨大な黄金の巻き糞まで錬成して帰っただろう」
オリヴィエが指差した先には、要塞の背後に連なる険しい山々があった。その中でもひときわ高い峰の頂に、吹雪の切れ間から異様なほど眩しい黄金色の物体が顔を覗かせている。
ヘレシアは久しぶりに会った旧友でも見るように目を細めた。
「まだ残ってたんですね。砦を見下ろすように、角度まできちんと調整した自信作なんですよ。螺旋は錬金術では成長を表すんです。あれだけ大きければ国境の目印にもなりますし、遠くから来た人にもブリッグズの場所がすぐ分かるでしょう?」
「その角度のせいでドラクマ側からも見えている。敵国に向けて、我が軍が巨大な糞を掲げているようにしか見えん。それ以前に、黄金の錬成は禁忌だぞ」
いよいよ、オリヴィエの手が剣に伸びる。
「それなら問題ありませんよ。あれは金じゃありませんから。表面を金色に見えるよう調整しただけで、簡単な検査をすればすぐに別の物質だと分かります。今度誰かに登って調べてもらえば――」
「誰がその確認だけのために、冬のブリッグズ山脈を頂上まで登ると思っている?」
オリヴィエの声が一段低くなったが、ヘレシアは叱責ではなく質問だと受け取ったらしい。顎へ指を添え、山頂の物体を見上げながら真剣に考え始めた。
「無理に検査しなくても、そのうち観光名所にすればいいんじゃないですか。『黄金の山』とか適当な名前を付けて登山道を整備すれば、物好きな観光客が勝手に見に行ってくれますよ。麓で小さい模型や焼き菓子を売れば、要塞の運営費にも…………」
「貴様、兵どもから『ウンコの先生』と呼ばれているが、それでいいのか?」
話を遮られたヘレシアは、初めて聞いたという顔で周囲を見回した。集まっていた兵士たちは一斉に目を逸らしたものの、何人かは笑いを堪えきれず、肩を震わせている。
その様子から呼び名が事実だと判断したヘレシアは、しばらく考えた末、満足そうに頷いた。
「前半はともかく、先生と呼ばれて慕われているなら、まあいいんじゃないですか? それに、このままあれがブリッグズの象徴として定着すれば、少将だってそのうち、国内どころかドラクマからも『黄金の巻き糞』って呼ばれるようになりますよ。おそろいですね」
オリヴィエが無言で腰の剣へ手をかけた。それを見た兵士たちは、誰に命じられるまでもなく、一斉に数歩後ろへ退いた。
「誰のものか分からないと困ると思って、台座にはちゃんと『オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将記念像』って刻んでおきましたから。遠くからでもブリッグズの正式な建造物だと――」
最後まで言い終えるより早く、オリヴィエの剣が首を飛ばした。
「痛い痛い痛い痛い! 酷いですよ、少将!」
「うーん、なんか違和感が」
先ほど確かに切り刻み、砦の外へ放り出したはずのヘレシアが、何事もなかったかのように戻ってきた。
それも、一人ではない。
腕を落とせば腕から一人、脚を落とせば脚から一人。ばらばらにされた肉片の一つ一つが欠けた部分を再生した結果、切り刻んだ数だけヘレシアが増え、オリヴィエの前に整然と並んでいた。
同じ顔がそれぞれ違う箇所を押さえながら、一斉に非難の目を向けてくる。
「どこまで化け物なんだ、貴様は」
剣を握ったまま吐き捨てるオリヴィエに、先頭のヘレシアは切断されたはずの首をさすりながら、不服そうに口を尖らせた。
「化け物とは失礼ですね。これは人体錬成じゃなくて治療ですよ。身体の欠損を補う医療目的の錬成なら認められてるでしょう? それに、切り分けられたそれぞれが自分の欠けた部分を治療した結果、こうなっただけです。最初の私が新しい人間を作ったわけじゃありません」
「貴様と同じ人間が、切り刻む前より明らかに増えている。どのような理屈を付けようと人体錬成だ。何度も言っているが、人体錬成は死罪だぞ」
オリヴィエが剣先を向けると、並んだヘレシアたちは一斉に黙った。どうやら死罪そのものより、誰がその対象になるのかを考えているらしい。
しばらく相談した後、円陣を組んで一斉に拳を突き出す。
「最初はグー、じゃんけん――ぽん!」
勝負は数度のあいこの末、ようやく決着した。
一人だけ負けたヘレシアが、残念そうに肩を落とす。他のヘレシアたちはその肩を叩いて労うと、敗者を床へ寝かせ、手早く分解した。
人体を構成していた物質が床へ吸い込まれ、最後には衣服も含めて跡形もなく消える。
それを見届けた残りのヘレシアたちは、何事もなかったようにオリヴィエへ向き直った。
「あ、今のが犯人です。もう死にました」
「私たちはあの女に作られた被害者なので、保護をお願いします」
「事情聴取には協力しますが、犯人とは別人です」
口々に訴え始めた同じ顔の集団を前に、オリヴィエは無言で剣を握り直した。
「あー、修理はだいたい終わりましたよ」
報告に来たヘレシアは、仕事を終えた者らしく満足そうに手を払った。
実際、補修作業そのものは驚くほど速かった。増えたヘレシアたちは砦の各所へ散らばり、外壁の亀裂を塞ぎ、歪んだ支柱を戻し、損傷した通路を次々と修復していった。通常なら数週間を要する工事が、わずか一日でほぼ完了している。
そこまでなら、オリヴィエも純粋にほめたかもしれない。
問題は、修理を終えたヘレシアたちが、誰一人としてそこで作業をやめなかったことだった。
「うーん、ちょっと壁が薄いかな」
「ここに砲台ほしいなぁ」
「こっち、はちょっと地形を弄って増築すれば便利そう」
外壁を担当した者は、元の壁より厚くした方が安全だと考え、補修箇所の周囲に新たな装甲層を追加した。見張り台を直した者は、せっかく高い場所にあるのだからと固定砲台を据え付けた。通路を修復した者は兵士の移動を効率化するために分岐を増やし、倉庫を直した者は今後の備蓄量まで勝手に見積もって建物そのものを拡張した。
それぞれが、自分の担当箇所を少しでも便利に、少しでも頑丈にしようと考えた結果、砦の至る所で頼まれてもいない増築が同時に始まった。
中でも一人は、要塞下層の開発区画へ入り込んでいた。そこでは技師たちが、新型戦車の試作を進めている。最初は装甲板の強度について意見を求められただけだったらしいが、ヘレシアは相談を受けた以上、戦車については最後まで面倒を見るべきだと考えた。
ヘレシアは車体の前にしゃがみ込み、装甲板を指先で軽く叩いた。返ってきた音を確かめると、図面の正面部分を指でなぞる。
「ここは、もう少し装甲厚が必要だよね。正面から砲撃を受けたら、この継ぎ目に応力が集中するし、一枚板をただ厚くするより、材質と角度を変えた装甲を重ねた方がいいと思う」
「さすが先生だ。話が分かるな」
設計を担当していた技師が、嬉しそうに大きく頷いた。以前から同じことを主張していたものの、重量が増えすぎるという理由で却下されていたらしい。
「そうなんだよ。俺たちも正面装甲をもっと厚くしたかったんだが、上は重量がどうとか、動力がどうとか、細かいことばかり言いやがる」
「重量が増えるなら動力を強くすればいいし、履帯が耐えられないなら履帯も作り直せばいいでしょう? ついでに車体を少し広げれば、内部にも余裕ができますよ」
「やはり先生を呼んで正解だった。そういう話の早い相手を待ってたんだ」
技師たちが次々に図面を持ち寄り、ヘレシアの周囲へ集まってくる。誰も彼女を止めようとはせず、むしろこれまで却下されてきた要望を実現する好機と考えているようだった。
「だったら側面も頼めるか? ここが薄くてな。履帯を狙われると動けなくなる」
「もちろん。側面装甲を追加するなら、そのまま履帯の上まで覆うのは?整備するときだけ開けられるようにすれば問題ないかな」
「主砲も、もう一回り大きくしたいんだが」
「それなら反動を受ける構造も変えないと。どうせ車体を広げるなら、弾薬庫も増やしちゃおう」
既存の装甲をより硬い構造へ作り替え、内部に衝撃を分散する層を追加し、砲撃を受けても破断しにくいよう車体全体を再設計する。装甲が重くなれば、それを動かすために履帯と動力部も強化する必要がある。さらに重量配分を調整し、燃料庫と弾薬庫の配置を変え、気づけば試作戦車は元の設計をほとんど残していなかった。
「戦車の方は、頼まれた装甲の強化しか…………。装甲を厚くした結果、足回りと動力が耐えられなくなったから、必要な範囲で直しただけです」
ヘレシアはそう説明したが、完成した車体は当初の倍近い質量になっていた。
一方、砦の地上では、他のヘレシアたちが固定砲台を増設し、外壁を厚くし、見張り台を大型化し、兵舎や倉庫を勝手に拡張していた。どのヘレシアも、自分は担当箇所を少し改善しただけだと考えているため、全体でどれほどの資材を消費しているのかを把握していなかった。
当然、それだけの建造物と兵器を作るには、大量の材料が必要になる。ヘレシアたちは資材庫を空にする代わりに、それぞれが砦の地下から岩石と鉱物を吸い上げ、必要な金属や炭素を分離して使用していた。
同じ場所から、同じ発想で、同時に。
その結果、ブリッグズ要塞の真下には、誰も全容を把握していない巨大な空洞が形成されつつあった。
最初に異変へ気づいたのは、地下通路を巡回していた兵士だった。床がわずかに沈み、壁に細い亀裂が走った。報告を受けて調査した頃には、砦全体が目に見えないほどゆっくりと傾き始めていた。
倒壊の危険を察したヘレシアは、すぐに対策へ動いた。
砦の地下が空いたのなら、周囲の山から材料を運んで埋めればいい。それに、地下の空洞に崩落しないよう、もっと強化をしようと壁を厚くした。
いくつもの錬成陣が連続して起動し、山腹を構成していた岩盤が地中を通って要塞の真下へ集められ、金属に錬成された。地下の空洞は塞がり、砦の傾きも止まったが、今度は材料を抜かれた周辺の山々が崩れ始めた。なにしろ、密度の高い金属に錬成した結果、体積では数倍の岩をかき集めることになったからだ。
それを支えるため、ヘレシアはさらに遠くの地層を引き寄せた。足りなくなった場所には別の場所から岩盤を移し、その穴を埋めるために、また別の場所から土砂を集める。
補修が補修を呼び、山脈の形は見る間に変わっていった。
尾根が沈み、谷が持ち上がり、昨日までなかった崖が生まれる。国境線付近の地形は、地図を作り直しても追いつかないほどの速度で組み替えられていった。
そして、とうとうドラクマ側の地面に巨大な亀裂が走った。
地下深くまで達した裂け目から、赤い光と黒煙が噴き上がる。やがて溶岩が地表へあふれ出し、周囲の雪を一瞬で蒸気へ変えた。
それを見たヘレシアたちは、さすがに顔を見合わせた。
「少将に見つかったら怒られる。えい、これでいいか」
相談の末、ヘレシアたちは流れ出す溶岩へ向かって一斉に錬成を行った。
噴き上がったマグマは空中で形を変え、冷え固まりながら幾重にも積み重なっていく。火口を塞ぐためには、上から十分な質量を載せる必要がある。その点だけを考えれば、処置は合理的だった。
ただし、完成した形状を除けば、である。
噴火が収まった後、国境の向こうには、山一つに匹敵する巨大な黄金色の巻き糞がそびえ立っていた。
かつて山頂へ作ったものとは比較にならない。ブリッグズ要塞を見下ろすどころか、周辺のどの峰よりも高く、夕日を反射して神々しいほどに輝いている。
報告を受けたオリヴィエが現場へ到着したとき、ヘレシアたちは既に退却の準備を終えていた。
「待て、あれを説明しろ!」
地の底から響くような声に、全員の動きが止まる。
ヘレシアたちは顔を見合わせると、そのうち一人の肩を揃って叩いた。
「後はお願いします」
「時間を稼いでください」
「あなたの犠牲は忘れません」
「えっ、ちょっと待って。今決めるんですか?」
抗議する一人をその場に残し、他のヘレシアたちは別々の通路へ散っていった。囮として残されたヘレシアは、迫ってくるオリヴィエを見上げ、引きつった笑みを浮かべた。
「一応ご説明しますと、噴火自体はきちんと止まりました。あの形も構造力学的には非常に安定していて――」
その先は、砦中に響き渡った轟音にかき消された。
感想・ここすき よろしくお願いいたします。