『ブルーアーカイブ』の非公式二次創作SSです。会話中心の日常コメディです。
キャラクターの口調や関係性には注意していますが、独自解釈を含みます。【注意】
・デカグラマトン編および実装後のケイに関する設定を含みます
・シャーレ内の設備に独自設定があります
・下着にまつわる健全なコメディ描写があります

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第1話

 

 ゲーム開発部の部室で、ケイは鞄の中を見つめたまま固まっていた。

 

 教科書。端末。財布。ハンカチ。予備のバッテリー。アリスが勝手に入れたと思われる個包装のキャンディー。モモイから押しつけられた新作ゲームの企画書。ミドリが貸してくれたファッション誌。

 

 必要な物は、ほぼすべて揃っている。

 

 ただし、昨夜シャーレで使った白いランドリーポーチだけがなかった。

 

ケイ「ない、ない、ない……!」

 

アリス「ケイ。探索対象が見つかりませんか?」

 

 床に座って携帯ゲーム機を操作していたアリスが顔を上げる。

 

 ケイは即座に鞄を閉じた。

 

ケイ「何でもありません」

 

アリス「しかし、ケイは先ほどから同じ場所を三回探索しています。隠しアイテムは壁を調べると見つかる場合があります」

 

ケイ「これはゲームではありません。あと、勝手に人の鞄を壁抜け判定のように扱わないでください」

 

モモイ「えっ、何かなくしたの?」

 

 ソファで寝転んでいたモモイが、敏捷性だけは高い動きで跳ね起きた。

 

 その隣でタブレットに向かっていたミドリも、心配そうに眉を寄せる。

 

ミドリ「昨日はシャーレに行ってたんだよね。先生のお手伝いで」

 

ケイ「そうですが」

 

ユズ「だ、大事な物……?」

 

 ロッカーの中から、ユズがおそるおそる顔を出した。

 

 四方向から視線が集まる。

 

 ケイは一秒にも満たない時間で、複数の回答候補を演算した。

 

 忘れ物はシャーレの職員用休憩室、その奥にある簡易洗面所だ。

 

 昨夜、先生当番の最中に給湯室の配管が破裂した。修理自体は設備管理の職員が行ったものの、噴き出した水をまともに浴びたケイは、シャーレに常備されていた簡素な着替えを借りることになった。

 

 濡れた衣類は乾燥機に入れた。

 

 ただし、一部だけは素材の都合で乾燥機を使えなかった。

 

 ゆえに、洗ってから職員用休憩室の物干しに掛け、今朝回収する予定だった。

 

 そして今、ケイはゲーム開発部の部室にいる。

 

 つまり。

 

 下着、パンツをシャーレに忘れた。

 

 それも、先生が日常的に使用する建物に。

 

ケイ「……些細な物です」

 

モモイ「些細な物を探して『ない、ない、ない』って三回も言う?」

 

ケイ「言っていません」

 

アリス「言いました。アリスのログには残っています」

 

ケイ「ログを削除してください」

 

アリス「重要なイベントログかもしれません」

 

ケイ「重要ではありません!」

 

 ケイの声が部室に響いた。

 

 モモイが目を丸くし、ミドリが手を止め、ユズがロッカーの扉を半分閉じる。

 

 ケイは咳払いをした。

 

ケイ「ともかく、私の個人的な問題です。皆さんが気にする必要はありません」

 

モモイ「そう言われると、気になるんだけど」

 

ケイ「気にしないでください」

 

ミドリ「でも、本当に大事な物なら、早く探したほうがいいんじゃない?」

 

ケイ「後で私一人で回収します」

 

アリス「回収クエストですね。アリスも同行します!」

 

ケイ「同行しなくて結構です」

 

アリス「パーティーを組んだほうが、ランダムエンカウントへの対応力が向上します」

 

ケイ「シャーレへ行く途中に魔物は出ません」

 

モモイ「不良は出るかも」

 

ミドリ「お姉ちゃん、余計なことを言わないの」

 

 ケイは額に手を当てた。

 

 まずい。

 

 ただでさえ、ゲーム開発部の面々は妙な部分で行動力がある。一度興味を持たれた以上、単純に否定を続けるだけでは、むしろ追及を招く。

 

 ここは自然に話題を変えるべきだ。

 

ケイ「ところで、開発中のゲームはどうなったのですか。今日中に先生へテストプレイを依頼する予定だったでしょう」

 

モモイ「そう、それ! ちょうど今からみんなでシャーレに行こうと思ってたんだ!」

 

ケイ「は?」

 

 完璧に話題を変えたはずだった。

 

 変えた先が地雷原だった。

 

モモイ「昨日、先生から連絡が来たんだよ。午前中なら少し時間を作れるって」

 

ミドリ「だから、ビルドを確認したら出発しようって話してたの」

 

ユズ「先生の端末でも、動作確認したくて……」

 

アリス「シャーレには高性能な冷蔵庫もあります。攻略に必要なアイテムを入手できます」

 

ケイ「それは先生のおやつです。勝手に取得しないでください」

 

アリス「では、先生から正式なクエスト報酬として受け取ります」

 

 問題はそこではない。

 

 全員でシャーレへ行く。

 

 それはつまり、誰かが休憩室に入る可能性が生じるということだ。特にモモイは、一度ゲームを始めると飲み物をこぼす確率が跳ね上がる。着替えやタオルを探して休憩室へ向かう展開は、十分に予測できた。

 

 そして物干しには、白い布地が一枚。

 

 ケイの名が書かれたランドリーポーチとともに残されている。

 

 見つかる。

 

 知られる。

 

 何を忘れたのか、全員に。

 

ケイ「中止です」

 

モモイ「え?」

 

ケイ「本日のシャーレ訪問は中止してください」

 

ミドリ「どうして?」

 

ケイ「シャーレには行ってはいけません」

 

ユズ「な、何かあったの……?」

 

アリス「立ち入り禁止エリアになったのですか?」

 

ケイ「そうです」

 

 ケイは即答した。

 

 四人の顔が一斉に引き締まる。

 

ケイ「現在、シャーレは……危険な状態にあります」

 

モモイ「危険!?」

 

ミドリ「先生は大丈夫なの?」

 

ケイ「先生は……」

 

 元気だ。

 

 昨夜、着替えを借りたケイに温かい飲み物を用意し、濡れた床を一緒に拭き、終電を逃さないよう車まで手配した。その後も日付が変わる頃まで仕事をしていた可能性はあるが、少なくとも配管事故で怪我はしていない。

 

 今朝もケイの端末には、先生からメッセージが届いていた。

 

『昨日はありがとう。風邪を引いてない?』

 

 ケイは『問題ありません』と返信した。

 

 今思えば、その直後に忘れ物について尋ねておくべきだったのだ。

 

ケイ「先生は無事です。ですが、予断を許さない状況です」

 

モモイ「何が起きてるの?」

 

ケイ「それは……機密事項です」

 

アリス「先生に危険が迫っているなら、勇者アリスが助けに行きます!」

 

 アリスが立ち上がり、光の剣を持とうとする。

 

 ケイは両手でアリスの肩を押さえた。

 

ケイ「必要ありません! むしろ皆さんが行くことで事態が悪化します!」

 

アリス「アリスたちは足手まといなのですか……?」

 

ケイ「そういう意味ではなく……!」

 

 アリスの表情がわずかに沈む。

 

 罪悪感がケイの胸部を刺激した。

 

 これはよくない。

 

 自分の失態を隠すために、アリスたちの善意を否定するのは明確に間違っている。

 

ケイ「……すみません。今の表現は不適切でした」

 

アリス「ケイ」

 

ケイ「あなたたちの能力を疑っているわけではありません。ただ、これは私が一人で処理すべき問題なのです」

 

モモイ「やっぱり何かあるじゃん」

 

ケイ「何もありません」

 

ミドリ「今、自分で問題って言ったよ」

 

ケイ「言葉の綾です」

 

ユズ「ケイちゃん、顔が赤いけど……熱があるんじゃ……」

 

ケイ「ありません」

 

モモイ「じゃあ、何か隠してる?」

 

ケイ「隠していません」

 

アリス「嘘をついていますか?」

 

ケイ「ついていません」

 

 嘘である。

 

 完全に嘘である。

 

 以前のケイなら、表情や声の揺らぎなどという非効率な情報伝達に惑わされることはなかった。必要な情報だけを提示し、不要なものを排除できた。

 

 しかし、新たな身体は実に不便だった。

 

 焦れば鼓動が速くなる。追及されれば頬に熱が集まる。言いたくないことがあると、自然に視線が逸れる。

 

 人間の身体は、所有者の意思に反して情報を漏洩する。

 

モモイ「よし」

 

 モモイが腕を組んだ。

 

モモイ「これはイベントだね」

 

ケイ「違います」

 

モモイ「ケイが隠してる秘密を解き明かして、シャーレの危機を救うイベント!」

 

ケイ「人の羞恥を期間限定イベントのように扱わないでください!」

 

 言ってから、ケイは口を塞いだ。

 

 遅かった。

 

ミドリ「羞恥?」

 

ユズ「恥ずかしいこと、なの……?」

 

アリス「ケイはシャーレで、恥ずかしい秘密を作りましたか?」

 

ケイ「今の発言は取り消します」

 

モモイ「セーブ済みだから無理」

 

ケイ「現実にセーブ機能はありません!」

 

モモイ「じゃあ、やり直せないね」

 

ケイ「あなたは……!」

 

 モモイの口元に、楽しげな笑みが浮かんでいる。

 

 一方のミドリは考え込むように指を顎へ当てていた。

 

ミドリ「昨日、ケイは先生と二人でシャーレにいたんだよね」

 

ケイ「正確には、途中まで他の当番の生徒もいました」

 

ミドリ「でも、夜は二人だった」

 

ケイ「配管の修理業者もいました」

 

モモイ「業者さんが帰った後は?」

 

ケイ「……二人でしたが、それが何ですか」

 

 空気が変わった。

 

 モモイとミドリが顔を見合わせる。

 

 ユズはロッカーの奥へ引っ込みかけたが、興味に負けたのか目元だけを覗かせている。

 

アリス「先生とケイは、二人きりで夜のシャーレにいました」

 

ケイ「事実を並べただけなのに、なぜそのような意味深な表現になるのですか」

 

モモイ「まさか……」

 

ケイ「違います」

 

モモイ「まだ何も言ってないよ」

 

ケイ「あなたがこれから口にする推測は、確実に間違っています」

 

モモイ「告白したとか?」

 

ケイ「違います!」

 

ミドリ「先生に渡すプレゼントを隠したとか」

 

ケイ「違います」

 

ユズ「て、手紙……?」

 

ケイ「違います!」

 

アリス「先生と秘密の契約を結びましたか?」

 

ケイ「結んでいません!」

 

 次々と投げられる推測を否定しながら、ケイは端末を取り出した。

 

 これ以上ここにいては、状況が悪化する一方だ。

 

 先生に直接連絡し、例のランドリーポーチを見つからない場所へ移動してもらう。

 

 それが最も確実で、合理的だ。

 

 ただし、問題が一つある。

 

 先生に中身を知られる。

 

 いや、すでに気づかれている可能性もある。昨夜、ケイが洗面所に干したことを先生は知らないはずだが、朝の掃除で発見されていれば――。

 

 ケイの指が震える。

 

 それでも、ゲーム開発部全員に知られるよりは被害が少ない。

 

 おそらく。

 

 たぶん。

 

ケイ『先生。至急確認したいことがあります』

 

 送信。

 

 数秒後、既読がついた。

 

先生『おはよう、ケイ。どうしたの?』

 

ケイ『昨日、休憩室に白い物を残しませんでしたか』

 

 送った直後、ケイは自分の文章を読み返した。

 

 白い物。

 

 あまりにも曖昧だ。

 

先生『白い物?』

 

ケイ『洗面所付近です』

 

先生『タオルかな?』

 

ケイ『布ではあります』

 

先生『服?』

 

ケイ『それ以上の詮索は不要です』

 

先生『分かった。見つけても中は確認しないよ』

 

 中。

 

 先生はすでに、何か袋状の物だと理解しているらしい。

 

 ケイの背中を冷たいものが流れた。

 

ケイ『現在、休憩室には入らないでください』

 

先生『でも、探さなくていいの?』

 

ケイ『入らずに探してください』

 

先生『かなり難しい注文だね』

 

ケイ『先生なら可能です』

 

先生『私への信頼の使い方が間違ってないかな?』

 

 ケイは歯を食いしばった。

 

 背後から、モモイが端末を覗き込もうとしている。

 

 ケイは素早く画面を伏せた。

 

モモイ「先生に連絡してる?」

 

ケイ「していません」

 

モモイ「今、先生って表示されてたけど」

 

ケイ「視覚情報の誤認です」

 

ミドリ「お姉ちゃんの動体視力でも、名前くらいは読めると思う」

 

ケイ「では、端末側の表示不具合です」

 

モモイ「そこまで言う!?」

 

アリス「ケイ。先生から追加メッセージが届きました」

 

ケイ「読み上げないでください!」

 

 慌てて端末を見る。

 

先生『ところで、ゲーム開発部のみんなは何時頃来るのかな? 飲み物を用意しておこうと思って』

 

 ケイはゆっくり顔を上げた。

 

 四人がこちらを見ている。

 

 モモイは鞄を背負っていた。ミドリもタブレットを片づけ、ユズはロッカーから出ている。アリスは光の剣を持ち、遠足前のような顔で待機していた。

 

モモイ「そろそろ行こうか」

 

ケイ「……行かせません」

 

モモイ「どうやって?」

 

ケイ「必要なら、実力を行使します」

 

アリス「ケイとの戦闘イベントですか?」

 

ミドリ「部室で戦うのはやめようね」

 

ユズ「ゲーム機が壊れちゃう……」

 

ケイ「では、入口を封鎖します」

 

モモイ「窓から出るよ」

 

ケイ「ここは高層階ですよ!?」

 

モモイ「非常階段があるじゃん」

 

ケイ「不正なショートカットを使わないでください!」

 

 ケイが扉の前に立つ。

 

 モモイが右へ動く。

 

 ケイも右へ動く。

 

 モモイが左へ動く。

 

 ケイも左へ動く。

 

 数度繰り返した後、モモイはにやりと笑った。

 

モモイ「ミドリ、今!」

 

ケイ「なっ……!」

 

 背後で窓が開く音がした。

 

 ケイが振り返ると、ミドリが非常階段へ続く窓を開けている。

 

ミドリ「ごめんね、ケイ」

 

ユズ「ご、ごめんなさい……」

 

アリス「勇者一行、出発です!」

 

ケイ「待ちなさい!」

 

 四人が非常階段へ飛び出していく。

 

 ケイは数秒、その場で立ち尽くした。

 

 そして鞄を掴むと、全速力で後を追った。

 

ケイ「どうしてこんなことに……!」

 

 誰に尋ねるでもなく漏らした声が、階段に虚しく響いた。

 

 

 

 シャーレへ向かう道中、ケイは三度にわたって進路変更を試みた。

 

ケイ「待ってください。こちらの道は現在、工事中です」

 

モモイ「工事してないよ?」

 

ケイ「これから始まります」

 

ミドリ「どこにも告知がないけど」

 

ケイ「突発的な工事です」

 

アリス「工事車両も作業員もいません」

 

ケイ「不可視化されています」

 

モモイ「何のために!?」

 

ケイ「作業員のプライバシー保護です」

 

 四人はケイを無視して直進した。

 

 五分後。

 

ケイ「皆さん、そこのゲームショップで新作の体験版が配布されているようです」

 

モモイ「えっ、本当!?」

 

 モモイが足を止める。

 

 ケイは勝利を確信した。

 

ケイ「ええ。数量限定です。急がなければなくなるでしょう」

 

ミドリ「でも、あのお店、今日は定休日だよ」

 

ケイ「……特別営業です」

 

ユズ「シャッター、閉まってる……」

 

ケイ「秘密裏に営業しています」

 

アリス「隠しショップですね。合言葉が必要です」

 

モモイ「よし、行ってみよう!」

 

ケイ「そうしてください」

 

ミドリ「お姉ちゃん」

 

 ミドリがモモイの襟を掴んだ。

 

ミドリ「明らかに嘘だから」

 

モモイ「でも隠しショップだよ!?」

 

ミドリ「ケイが今作った設定だよ」

 

ケイ「設定ではありません」

 

ミドリ「じゃあ、合言葉は?」

 

ケイ「……『勇者よ、振り返ることなかれ』」

 

アリス「良い言葉です!」

 

ミドリ「ケイ、それ以上アリスを巻き込まないで」

 

 再び直進。

 

 さらに十分後。

 

ケイ「喉が渇きませんか?」

 

モモイ「ちょっと渇いた」

 

ケイ「でしたら、あちらのカフェへ行きましょう。私が奢ります」

 

モモイ「ケイが!?」

 

ユズ「め、珍しい……」

 

ケイ「何ですか、その反応は。私だって飲み物くらい奢ります」

 

ミドリ「でも、先生がシャーレに用意してくれてるんだよね」

 

ケイ「先生の飲み物は危険です」

 

アリス「毒が入っていますか?」

 

ケイ「入っていません」

 

モモイ「じゃあ何が危険なの?」

 

ケイ「飲むと休憩室へ行きたくなります」

 

 沈黙が落ちた。

 

 ケイは自分の発言を脳内で再生した。

 

 ひどい。

 

 何を言っているのか、自分でも分からない。

 

モモイ「それ、どんな飲み物?」

 

ケイ「……利尿作用があります」

 

ミドリ「普通のお茶やコーヒーでもある程度はそうじゃない?」

 

ケイ「極端に強いのです」

 

ユズ「先生、そんなのを毎日飲んでるの……?」

 

アリス「先生の健康が心配です」

 

ケイ「今の話は忘れてください」

 

モモイ「分かった!」

 

ケイ「素直ですね」

 

モモイ「先生に確認する!」

 

ケイ「忘れなさいと言ったでしょう!」

 

 モモイが端末を取り出す。

 

 ケイはその手首を掴んだ。

 

モモイ「ケイ、邪魔しないで!」

 

ケイ「先生を余計な混乱に巻き込むべきではありません!」

 

モモイ「もう巻き込まれてるんじゃないの!?」

 

 その指摘は正しい。

 

 だからこそ腹立たしかった。

 

 ケイがモモイの端末を押さえている間に、ミドリが自分の端末から先生へ連絡する。

 

ミドリ『先生、今から向かいます。あと十五分くらいで着くと思います』

 

ケイ「ミドリ!」

 

ミドリ「位置情報を共有しておいたよ」

 

ケイ「なぜ余計なことを!」

 

ミドリ「待ってもらってるのに、到着時間が分からないと困るでしょ?」

 

 先生からすぐに返信が来た。

 

先生『了解。気をつけておいで』

 

 続けて、ケイの端末も震える。

 

先生『白い物は私が預かっておこうか?』

 

 ケイは画面を見つめた。

 

 預かる。

 

 つまり先生が触れる。

 

 中身を見ないとしても、形状や感触から推測される可能性がある。ランドリーポーチ自体には透過性がない。しかし、絶対に分からないとは言い切れない。

 

 それでも、このまま物干しに残しておくよりはいい。

 

ケイ『絶対に中を見ないと約束できますか』

 

先生『約束するよ』

 

ケイ『触っても内容物を推測しないでください』

 

先生『努力するね』

 

ケイ『努力ではなく、実行してください』

 

先生『分かった。考えないようにする』

 

ケイ『今の時点で何か考えましたね?』

 

先生『何も考えてないよ』

 

ケイ『その回答には二秒の遅延がありました』

 

先生『入力に手間取っただけだよ』

 

ケイ『本当ですか』

 

先生『本当、本当』

 

ケイ『二回繰り返すと信頼性が低下します』

 

先生『ケイも今朝、似たような返事をしてなかったかな?』

 

 昨夜のことを指しているらしい。

 

 先生に「寒くない?」と聞かれたケイは、「平気です、平気です」と答えた。その直後にくしゃみをして、温かい上着を借りることになった。

 

 関係のない記憶まで蘇り、ケイの頬に熱が集まる。

 

モモイ「また顔赤くなってる」

 

ケイ「見ないでください」

 

ミドリ「先生と何を話してるの?」

 

ケイ「何も」

 

モモイ「さっきから『何も』ばっかりだよ」

 

アリス「何もない場所に、重要なアイテムが隠されていることはよくあります」

 

ユズ「ケイちゃんが、ここまで隠すなんて……」

 

 ユズが不安そうに指先を合わせる。

 

ユズ「もしかして、先生に迷惑をかけちゃった、とか……?」

 

ケイ「……」

 

 迷惑をかけた。

 

 そう言われると、否定しづらい。

 

 昨夜は着替えを借り、作業を手伝ってもらい、車まで手配された。そのうえ忘れ物の回収まで頼もうとしている。

 

 しかも、それを素直に説明できず、先生へ不可解な指示ばかり送っている。

 

 どう考えても迷惑だ。

 

ケイ「少しだけです」

 

ユズ「やっぱり……」

 

ケイ「ですが、皆さんには関係ありません。私が先生に謝れば済むことです」

 

ミドリ「ケイ」

 

ケイ「何ですか」

 

ミドリ「私たちに知られたくないなら、無理には聞かないよ」

 

 予想外の言葉に、ケイは目を瞬いた。

 

ミドリ「お姉ちゃんも。これ以上、面白がって追及するのは禁止」

 

モモイ「面白がってないよ! 心配してるんだって!」

 

ミドリ「半分くらいは面白がってるでしょ」

 

モモイ「三割」

 

ミドリ「同じようなものだよ」

 

 ミドリは小さく息をつき、ケイを見る。

 

ミドリ「でも、先生やケイが本当に困ってるなら、手伝わせてほしい。それだけ」

 

ユズ「私も……できることがあるなら」

 

アリス「仲間のクエストは、パーティー全員のクエストです」

 

 まっすぐな視線がケイへ向けられる。

 

 その善意が、今は痛い。

 

 説明してしまえば楽になる。

 

 ただ「下着を忘れました」と言えばいい。

 

 恐らく、一瞬は驚かれる。モモイは余計なことを言うかもしれない。アリスは何らかのゲーム用語へ変換し、ユズは自分のことのように赤くなり、ミドリが場を収める。

 

 それだけだ。

 

 世界が滅びるわけではない。

 

 ケイの存在が消失するわけでもない。

 

 理解している。

 

 理解しているが、口にできない。

 

ケイ「……必要ありません」

 

 ケイは視線を逸らした。

 

ケイ「これは私の問題です。私だけで解決できます」

 

ミドリ「そう」

 

 ミドリはそれ以上、追及しなかった。

 

 モモイも何か言いたそうにしたものの、妹の視線を受けて口を閉じる。

 

 助かった。

 

 そう思う一方で、ケイの胸に小さな重みが残った。

 

 自分を心配してくれる相手を欺いている。

 

 それは、ランドリーポーチを見つけられることとは別種の、居心地の悪さだった。

 

 やがてシャーレの建物が見えてくる。

 

 ケイは端末へ視線を落とした。

 

先生『見つけたよ。中は見てないから安心して。執務室の鍵がかかる引き出しに入れておくね』

 

 全身から力が抜けそうになった。

 

 見つかった。

 

 だが、保護された。

 

 しかも鍵付きの引き出しだ。

 

 これでゲーム開発部の誰かに発見される可能性はなくなった。

 

 後は先生と二人きりになった隙に受け取り、鞄へ入れればいい。

 

 完璧だ。

 

 ケイは深く息を吐いた。

 

モモイ「急に安心した顔してる」

 

ケイ「していません」

 

アリス「ケイの表情パラメータが『安堵』へ変化しました」

 

ケイ「観測しないでください」

 

ユズ「問題、解決したの……?」

 

ケイ「ええ。すべて予定どおりです」

 

ミドリ「さっきまで、あんなに必死だったのに?」

 

ケイ「あれも予定の一部です」

 

モモイ「工事中って嘘ついたのも?」

 

ケイ「戦術的な情報統制です」

 

アリス「隠しショップもですか?」

 

ケイ「……あれは忘れてください」

 

 シャーレの入口が近づく。

 

 先生がすでにランドリーポーチを確保した以上、恐れるものはない。

 

 そう考えていたケイは、まだ知らなかった。

 

 先生が言う「鍵がかかる引き出し」と、ケイが想像した「鍵がかかる引き出し」が、まったく別の物だったことを。

 

 

 

先生「みんな、いらっしゃい」

 

アリス「先生! 勇者一行が到着しました!」

 

 シャーレの執務室へ入ると、先生が机から顔を上げた。

 

 その周囲には書類の山がある。昨日より減ってはいるが、片づいたとは言い難い。

 

 ケイは条件反射で眉をひそめた。

 

ケイ「先生。昨夜、私が整理した書類はどうしたのですか」

 

先生「緊急の申請が追加されてね。朝からこんな感じなんだよね」

 

ケイ「なぜ一晩で元に戻っているのですか」

 

先生「不思議だね」

 

ケイ「不思議ではありません。処理能力を上回る量を引き受けているだけです」

 

先生「うん。耳が痛いな」

 

モモイ「ケイ、いつもどおりになったね」

 

ミドリ「シャーレに来るまでは、ずっと変だったもんね」

 

ケイ「私は常に正常です」

 

ユズ「そ、そうかな……」

 

ケイ「ユズ?」

 

ユズ「ごめんなさい」

 

 先生が苦笑しながら、人数分の飲み物を机へ並べる。

 

先生「来る途中で何かあったの?」

 

ケイ「何もありません」

 

モモイ「いろいろあったよ!」

 

ケイ「何もありません」

 

アリス「工事中の道を突破し、隠しショップを発見できず、危険な飲み物の情報を入手しました」

 

先生「危険な飲み物?」

 

ミドリ「ケイが変なことを言っただけだから、気にしないで」

 

先生「なるほど」

 

ケイ「なぜ私を見るのですか」

 

先生「いや、何となく事情が分かったような気がして」

 

ケイ「分からないでください」

 

 ケイと先生の視線がぶつかる。

 

 先生は何も言わなかった。

 

 ただ、執務机の横にある小型の金属製キャビネットへ視線を送った。

 

 ケイもそちらを見る。

 

 三段式のキャビネット。一番下の引き出しに、小さな鍵が挿さっている。

 

 あそこだ。

 

 ケイは胸を撫で下ろした。

 

モモイ「じゃあ、早速テストプレイしよう!」

 

先生「うん。準備はできてるよ」

 

ユズ「先生の端末に、データを入れますね……」

 

ミドリ「今回のバージョンは、前より安定してると思う」

 

アリス「アリスもデバッグに参加します!」

 

ケイ「私は見学します」

 

モモイ「えっ? ケイもやってよ」

 

ケイ「昨日、すでに三時間プレイしました。現時点で発見した不具合は報告書にまとめています」

 

先生「もう三時間も遊んだんだ」

 

ケイ「遊んだのではありません。品質確認です」

 

先生「楽しくなかった?」

 

ケイ「なぜ、そのような質問を」

 

先生「ケイがどう感じたのか、少し気になっただけだよ」

 

ケイ「……評価するには、あまりにも不合理な部分が多いゲームです」

 

モモイ「そこが面白いんじゃん!」

 

ケイ「主人公が装備をすべて失った状態で、最終ダンジョンへ送られるのですよ。面白い以前に調整不足です」

 

ミドリ「でも、途中で装備を拾い直せるようになってるよ」

 

ケイ「その装備がすべて呪われているでしょう!」

 

ユズ「あれは、お姉ちゃんの案で……」

 

モモイ「ピンチのほうが盛り上がるから!」

 

ケイ「しかも、呪いを解除するには村へ戻る必要がある。ところが最終ダンジョンへ入ると村への道が閉鎖されます」

 

モモイ「一度きりの覚悟を表現したんだよ」

 

ケイ「実質的な進行不能です!」

 

先生「ずいぶん詳しいね」

 

ケイ「三時間も検証させられれば、嫌でも覚えます」

 

先生「そっか。楽しんでくれたみたいでよかった」

 

ケイ「話を聞いていましたか!?」

 

 先生が笑う。

 

 ケイは抗議しようとしたが、モモイが先生の端末を起動したため、そちらへ意識を向けた。

 

 タイトル画面が表示される。

 

 主人公である勇者が、夕日を背に立っている。

 

 その頭上から巨大な落石が降ってきた。

 

 勇者が潰れ、画面が暗転する。

 

『勇者の冒険は、始まる前に終わった!』

 

先生「……タイトル画面でゲームオーバーになったけど」

 

モモイ「隠し演出だよ!」

 

ケイ「違います。開始処理の不具合です」

 

ユズ「やっぱり、直ってなかった……」

 

ミドリ「お姉ちゃん、昨日修正したって言ってなかった?」

 

モモイ「したよ! 落石のサイズを小さくした!」

 

ケイ「問題は大きさではなく、落ちてくることです!」

 

 全員の視線が画面へ向かう。

 

 ケイは静かに立ち上がった。

 

 今だ。

 

 ゲーム開始直後に発生する不具合は、修正方針の議論に最低でも数分を要する。その隙にキャビネットからポーチを回収し、鞄へ入れる。

 

 ケイは何気ない動作を装い、机の横へ回り込んだ。

 

アリス「ケイ。どこへ行くのですか?」

 

ケイ「飲み物を取るだけです」

 

アリス「ケイの飲み物は左手にあります」

 

 ケイは左手を見る。

 

 紙コップを持っていた。

 

ケイ「これは違います」

 

アリス「何が違うのですか?」

 

ケイ「温度が二度ほど低い」

 

アリス「アリスには同じに見えます」

 

ケイ「あなたの温度センサーの精度が不足しているのでしょう」

 

アリス「アリスのセンサーは高性能です!」

 

 アリスの注意を逸らすことには失敗した。

 

 しかし、目的地まで残り一歩。

 

 ケイはキャビネットの前に立った。

 

 鍵へ手を伸ばす。

 

 先生が軽く目を見開いた。

 

先生「ケイ、そこは――」

 

ケイ「分かっています」

 

 小声で答え、鍵を回した。

 

 カチリと音がする。

 

 引き出しを開ける。

 

 中には、確かに白い物が入っていた。

 

 ただし。

 

ケイ「……何ですか、これは」

 

 白い紙袋が、隙間なく詰め込まれていた。

 

 持ち手の付いた物。封筒型の物。中身の見えない箱。白いタオルに包まれた何か。白い布製のポーチ。白いビニール袋。

 

 総数、二十以上。

 

先生「忘れ物入れだよ」

 

ケイ「聞いていません」

 

先生「鍵のかかる引き出しに入れるって言ったよね」

 

ケイ「私の物だけを保管すると思うではありませんか!」

 

先生「そのつもりだったんだけど、ちょうど忘れ物の整理中でね。白い袋が多くて、どれがケイの物か分からなくなったんだ」

 

ケイ「なぜ確認しなかったのですか」

 

先生「中は見ないって約束したから」

 

 先生は困ったように笑った。

 

 反論できない。

 

 約束を守った結果である。

 

モモイ「ケイ、何してるの?」

 

 背後から声が飛んでくる。

 

 ケイは反射的に引き出しを閉めた。

 

ケイ「何もしていません」

 

 ガチャン。

 

 勢いよく閉めすぎたせいで、差したままだった鍵が床へ落ちた。

 

 金属音が執務室に響く。

 

 全員がこちらを見る。

 

ミドリ「忘れ物入れ?」

 

先生「うん。シャーレで見つかった物を一時的に保管してるんだ」

 

アリス「宝箱ですか?」

 

先生「持ち主不明のアイテムが入った宝箱かな」

 

アリス「開けたいです!」

 

ケイ「駄目です!」

 

 ケイは引き出しへ背中を押しつけた。

 

 あまりにも不自然な動きだった。

 

 モモイの目が細くなる。

 

モモイ「ケイの探し物って、その中にあるの?」

 

ケイ「ありません」

 

ユズ「でも、今、開けてたよね……?」

 

ケイ「構造を確認しただけです」

 

ミドリ「鍵を使って?」

 

ケイ「セキュリティ性能の検査です」

 

モモイ「中、すごい見てたけど」

 

ケイ「収納効率の確認です」

 

アリス「白い物がたくさん入っていました」

 

ケイ「忘れてください」

 

 追及が始まる。

 

 ケイは引き出しを守るように両腕を広げた。

 

 背後には、ケイのランドリーポーチがある。

 

 どれかは分からない。

 

 この場で探すには、一つずつ取り出して確認する必要がある。

 

 それは無理だ。

 

 少しでも特徴を説明すれば、探し物が布製のポーチであることを知られる。さらに深く追及されれば、中身についても推測される。

 

先生「ケイ」

 

ケイ「何ですか」

 

先生「二人で確認したほうがいいかな?」

 

 先生は声を落としている。

 

 配慮しているのだろう。

 

 しかし、その言葉をモモイは聞き逃さなかった。

 

モモイ「二人で!?」

 

ケイ「声が大きい!」

 

モモイ「やっぱり、先生とケイだけの秘密なんだ!」

 

ケイ「違います!」

 

ミドリ「お姉ちゃん、決めつけるのはよくないよ」

 

モモイ「でも、ケイがずっと隠してるし、先生は事情を知ってるみたいだし!」

 

アリス「先生とケイは、秘密のアイテムを共有しています」

 

ケイ「共有していません!」

 

ユズ「先生に渡す物……?」

 

ケイ「違います」

 

モモイ「先生からもらった物?」

 

ケイ「それも違います!」

 

ミドリ「昨日、服を借りたんだよね」

 

 ケイの動きが止まった。

 

 ミドリは先生の机の端に、見覚えのある上着が畳まれているのを見つけたらしい。

 

 昨夜、ケイが借りた物だ。

 

ミドリ「その上着、ケイが持ってたのと同じじゃない?」

 

先生「ああ。昨日、配管が壊れてね。ケイが水をかぶってしまったから貸したんだ」

 

モモイ「水をかぶった!?」

 

アリス「水属性の攻撃を受けたのですね」

 

ケイ「ただの事故です」

 

ユズ「だ、大丈夫だったの?」

 

ケイ「問題ありません」

 

先生「帰る頃には乾いていたし、風邪も引いていないみたいで安心したよ」

 

モモイ「じゃあ、着替えたんだ」

 

ケイ「……そうですが」

 

ミドリ「濡れた服は?」

 

先生「乾燥機に入れたよ」

 

モモイ「それを忘れたの?」

 

ケイ「違います」

 

ミドリ「でも、服に関係する物?」

 

ケイ「違うと言っています」

 

 ケイの声が鋭くなる。

 

 モモイたちが黙る。

 

 まただ。

 

 自分の都合で、心配している相手へ強く当たってしまった。

 

 胸の中に残っていた重みが、さらに増す。

 

先生「みんな」

 

 先生が間へ入った。

 

先生「ケイが言いたくないなら、無理に聞かないであげてくれるかな」

 

モモイ「でも……」

 

先生「心配する気持ちは分かるよ。ただ、困っているからこそ、今は知られたくないこともあると思う」

 

ミドリ「うん。そうだね」

 

 ミドリが頷き、モモイの腕を引く。

 

ミドリ「戻ろう、お姉ちゃん」

 

モモイ「……分かった」

 

アリス「ケイが助けを求めるまで、待機します」

 

ユズ「必要になったら、呼んでね……」

 

 四人が端末の前へ戻っていく。

 

 ケイは何も言えなかった。

 

 先生はケイを見ている。

 

 責める表情ではない。

 

 ただ、少し心配そうだった。

 

先生「ケイ。どうしたい?」

 

ケイ「……回収します」

 

先生「うん」

 

ケイ「全員がゲームに集中している間に、一つずつ確認します。先生は入口に立って、こちらを見ないでください」

 

先生「分かった」

 

ケイ「絶対に振り返らないでください」

 

先生「約束するよ」

 

ケイ「二秒の遅延も許容しません」

 

先生「それは何の遅延かな?」

 

ケイ「余計な思考です」

 

先生「考えないようにするのは、意外と難しいんだけどな」

 

ケイ「してください」

 

 先生は苦笑し、ゲーム開発部のほうへ向かう。

 

 ケイは床の鍵を拾い、再び引き出しを開けた。

 

 一つ目。

 

 白い紙袋。中身を確認するわけにはいかない。外側に小さく「ヴェリタス」と書かれている。違う。

 

 二つ目。

 

 白い封筒。「領収書」と書かれている。違う。

 

 三つ目。

 

 白い箱。軽く振ると金属音がした。違う。

 

 四つ目。

 

 布製のポーチ。

 

 形状は似ている。

 

 ケイは裏返した。

 

 端に「セミナー備品」と刺繍されている。

 

ケイ「違う……」

 

 小声で呟き、元へ戻す。

 

 五つ目。六つ目。七つ目。

 

 どれも違う。

 

 ケイの焦りが増していく。

 

 先生が見つけたと言った以上、この中にあるはずだ。

 

 もしかすると、ランドリーポーチではなく、白いタオルで包んだのだろうか。

 

 先生は中を見ていない。

 

 ならば、物干しにあった物をタオルごと回収した可能性もある。

 

 ケイは白いタオルの塊へ手を伸ばした。

 

 その瞬間。

 

モモイ「うわっ!」

 

 背後で大きな声がした。

 

 続けて、何かが机にぶつかる。

 

 ケイは振り返った。

 

 ゲーム画面から眩しい光があふれている。

 

ユズ「ま、待って! その選択肢は押しちゃ駄目!」

 

先生「もう押してしまったけど」

 

ミドリ「お姉ちゃん、どうして先生に教えなかったの!?」

 

モモイ「初見の反応が見たかったから!」

 

アリス「最終封印が解除されました!」

 

 端末から甲高い警告音が鳴る。

 

 画面の中で、最終ボスらしき巨大な怪物が目覚めた。

 

『勇者よ。ここまでよく来た。世界の終焉を始めよう』

 

先生「まだ最初の村にも着いてないけど」

 

ケイ「何を実装したのですか!?」

 

 ケイも思わずゲーム画面へ駆け寄った。

 

モモイ「最初の選択肢で『世界なんて滅びればいい』を選ぶと、最終ボスが出るんだよ!」

 

ケイ「なぜ、その選択肢があるのですか!」

 

ミドリ「普通は選ばないと思って……」

 

先生「気になったから」

 

ケイ「先生!」

 

先生「ごめんね。選べるなら、選んだときの展開も見たくなって」

 

アリス「先生は未知のルートを恐れない勇者です!」

 

ユズ「でも、まだ主人公のレベルは一で……」

 

 画面の中で最終ボスが腕を振り上げる。

 

 勇者の体力は十。

 

 ボスの攻撃力は九千九百九十九。

 

 次の瞬間、勇者は跡形もなく吹き飛ばされた。

 

『世界は終焉を迎えた!』

 

 同時に、端末から煙が上がった。

 

先生「端末も終焉を迎えたみたいだね」

 

ユズ「ご、ごめんなさい!」

 

モモイ「大丈夫! これは想定内!」

 

ケイ「端末が煙を上げる状況を想定内にしないでください!」

 

 全員が慌てて端末を囲む。

 

 ケイも電源を切り、接続されているケーブルを外した。

 

 数分かけて確認した結果、端末自体に深刻な損傷はなかった。演出用の小型スモーク装置が誤作動しただけらしい。

 

 なぜ業務用端末にそのような物を取りつけたのか。

 

 ケイが問い詰めると、モモイは「没入感」と答えた。

 

 没入感の意味を辞書で引き直すべきだろう。

 

 混乱が収まった後、ケイはキャビネットへ戻った。

 

 そして、開いたままの引き出しを見て固まった。

 

ケイ「……ない」

 

アリス「ケイ。また探索対象を見失いましたか?」

 

ケイ「先ほどの白いタオルがありません」

 

ミドリ「白いタオル?」

 

ケイ「そこにあった物です」

 

モモイ「知らないよ?」

 

ユズ「私たちは、ずっと端末を見てたから……」

 

 先生が執務室を見回す。

 

先生「あれ?」

 

ケイ「何ですか」

 

先生「清掃ロボットがいないね」

 

 全員の視線が床へ向く。

 

 普段、執務室の隅を走っている円盤型の清掃ロボットが消えていた。

 

 ケイはゆっくりと、開け放たれた扉を見る。

 

 廊下の向こうに、白いタオルの端がちらりと見えた。

 

 清掃ロボットが、そのタオルを上に載せたまま走っている。

 

ケイ「待ちなさい!」

 

 ケイは反射的に駆け出した。

 

モモイ「ケイ!?」

 

アリス「逃走する宝箱を発見しました!」

 

ミドリ「アリス、追いかけないで!」

 

アリス「追跡クエストです!」

 

ユズ「ま、待って……!」

 

 全員が廊下へ飛び出す。

 

 清掃ロボットは、ケイたちが追ってきたことを障害物接近と認識したのか、一気に速度を上げた。

 

ケイ「なぜ清掃機器にこのような機動力が必要なのですか!」

 

先生「前にゴミを拾おうとして、生徒の鞄を持っていったことがあってね。そのとき改造されたみたいなんだ」

 

ケイ「誰にですか!」

 

先生「エンジニア部かな」

 

ケイ「原因が明瞭すぎます!」

 

 清掃ロボットが角を曲がる。

 

 白いタオルが揺れ、その隙間から布製のポーチが見えた。

 

 ケイの物かもしれない。

 

 確認するには捕まえるしかない。

 

アリス「前方のルートを予測します!」

 

ミドリ「アリス、右から回って!」

 

モモイ「私は左!」

 

ユズ「わ、私は……」

 

先生「ユズは私と一緒に、逃げ道を塞ごうか」

 

ユズ「は、はい!」

 

 ゲーム開発部が自然に役割を分担する。

 

 ケイは止める暇もなかった。

 

 清掃ロボットは階段を下り、一階の広いロビーへ飛び出す。

 

 そこには複数の通路と出口がある。

 

 外へ出られたら終わりだ。

 

ケイ「対象の進路を限定します! アリスは正面、モモイは左、ミドリは右へ! ユズは操作端末から清掃ロボットの帰還命令を送ってください!」

 

モモイ「了解!」

 

ミドリ「分かった!」

 

アリス「勇者アリス、前衛を担当します!」

 

ユズ「や、やってみる!」

 

 指示を出した後、ケイは気づく。

 

 先ほどまで「自分一人で解決する」と言い張っていたはずなのに、今はためらいもなく全員を頼っていた。

 

 だが、考えている余裕はない。

 

 清掃ロボットがモモイを避け、ミドリの横を抜ける。

 

 アリスが両手を広げて立ち塞がった。

 

アリス「ここから先へは行かせません!」

 

 清掃ロボットはアリスの直前で急旋回した。

 

 白いタオルが宙へ舞う。

 

ケイ「あっ……!」

 

 タオルに包まれていた物が飛び出した。

 

 白い布製のポーチ。

 

 空中で回転し、全員の頭上を越えていく。

 

 向かう先は、ロビー中央に設置された噴水だった。

 

 水に落ちれば、再び洗い直しだ。

 

 それ以前に、衝撃で口が開いたら。

 

ケイ「駄目です!」

 

 ケイは床を蹴った。

 

 身体を伸ばし、落下するポーチへ手を伸ばす。

 

 指先が触れる。

 

 だが、掴めない。

 

 その横からアリスが飛び込んだ。

 

アリス「ケイ!」

 

 アリスがポーチを両手で受け止める。

 

 しかし勢いを止められず、噴水へ倒れ込みそうになる。

 

 先生がアリスの腰を支えた。

 

先生「危ない!」

 

 ケイは先生の腕を掴む。

 

 さらにモモイがケイを引き、ミドリがモモイを支える。

 

 最後尾でユズがミドリの鞄を掴んだ。

 

 六人が一本の鎖のようにつながる。

 

 アリスの顔が、水面すれすれで止まった。

 

 その両手には、白いポーチがある。

 

アリス「……アイテムを、確保しました」

 

先生「よくやったね、アリス」

 

アリス「はい!」

 

 全員が少しずつ後ろへ下がり、アリスを引き上げる。

 

 ロビーの床へ座り込んだアリスは、満面の笑みでポーチを掲げた。

 

アリス「ケイ! 探していた物です!」

 

ケイ「声を抑えてください!」

 

 周囲にいた職員や生徒が、何事かとこちらを見ている。

 

 ケイはアリスからポーチを受け取ると、胸元へ抱き寄せた。

 

 見覚えのある白い布。

 

 端に、小さく刺繍されたKの文字。

 

 間違いない。

 

 ケイのランドリーポーチだ。

 

ケイ「……回収完了です」

 

 長い息を吐く。

 

 これで終わった。

 

 後は鞄へ入れればいい。

 

 誰にも中身を知られず、問題を解決できた。

 

モモイ「それで、何が入ってるの?」

 

ケイ「……」

 

 終わっていなかった。

 

モモイ「そこまでして取り戻したかった物なんでしょ?」

 

ミドリ「お姉ちゃん。聞かない約束だったよ」

 

モモイ「でも、今はみんなで取り戻したじゃん!」

 

ユズ「ケイちゃんが大事にしてる物、なのかな……」

 

アリス「伝説のアイテムですか?」

 

 ケイはポーチを抱えたまま、立ち上がる。

 

 逃げることはできる。

 

 走れば、少なくともこの場では追及を回避できる。

 

 適当な言い訳を作ることもできる。

 

 衣類の一部。洗面用具。先生から借りた物。

 

 曖昧な表現はいくらでもある。

 

 だが。

 

 ミドリは、無理に聞かないと言ってくれた。

 

 ユズは必要なら呼んでほしいと言った。

 

 アリスは助けを求めるまで待つと言った。

 

 モモイは――かなり面白がっていたが、それでも全力で追いかけてくれた。

 

 先生も、約束どおり中を見なかった。

 

 自分だけが、最後まで嘘をつき続けるのか。

 

先生「ケイ」

 

 先生の声は穏やかだった。

 

先生「言いたくないなら、言わなくていいよ」

 

ケイ「……」

 

先生「みんなが手伝ったからって、秘密を話す義務ができるわけじゃない。何を伝えるかは、ケイが決めていいんだ」

 

 ケイは先生を見る。

 

 選ぶのは自分。

 

 そう言われると、不思議と逃げ道を塞がれたようには感じなかった。

 

 むしろ、立ち止まって考える余地を与えられた気がした。

 

 誰にも言わない。

 

 それも選択だ。

 

 正直に話す。

 

 それも選択だ。

 

 どちらを選んでも、先生は恐らく尊重する。

 

 ゲーム開発部のみんなも、必要以上には追及しないだろう。

 

 ならば。

 

ケイ「……戻りましょう」

 

モモイ「え?」

 

ケイ「ここでは人目があります。執務室へ戻ってから説明します」

 

 モモイが目を輝かせる。

 

 ミドリは驚いたように瞬きをした。

 

 アリスは大きく頷き、ユズはほっとしたように微笑む。

 

先生「分かった。ゆっくりでいいからね」

 

ケイ「先生」

 

先生「何かな?」

 

ケイ「その優しげな態度をやめてください。余計に言いづらくなります」

 

先生「難しい注文だなあ」

 

 先生は困ったように笑った。

 

 

 

 執務室へ戻ると、ケイはソファの中央へ座った。

 

 隣にはアリス。向かいにはモモイとミドリ。ユズは一人掛けの椅子へ浅く腰掛けている。

 

 先生は少し離れた机の前にいた。

 

 ポーチはケイの膝の上だ。

 

 口はしっかり閉じられている。

 

 誰も中を見ようとはしない。

 

 その配慮が、かえって緊張を増していた。

 

ケイ「最初に確認します」

 

モモイ「うん」

 

ケイ「笑わないでください」

 

モモイ「努力する」

 

ケイ「笑うつもりですね?」

 

モモイ「だって、まだ何か分からないし」

 

ミドリ「お姉ちゃん」

 

モモイ「分かった。笑わない」

 

ケイ「アリスもです」

 

アリス「アリスは仲間の大切なイベントで笑ったりしません」

 

ケイ「ユズ」

 

ユズ「わ、私は大丈夫……」

 

ケイ「先生は、できれば聞かないでください」

 

先生「じゃあ、少し離れていようか?」

 

ケイ「いえ」

 

 ケイは反射的に止めた。

 

 先生が目を瞬く。

 

 ケイ自身も、自分がなぜ引き止めたのか、すぐには説明できなかった。

 

 先生に知られたくない。

 

 それは今も変わらない。

 

 しかし、ここまで関わらせておいて、一人だけ外へ出すのも違う気がした。

 

ケイ「……すでに大半の事情を知っています。今さら退席しても意味はありません」

 

先生「分かった。ここにいるよ」

 

 ケイは膝の上で手を組んだ。

 

 指先に力が入る。

 

ケイ「昨日、シャーレの配管が破裂しました」

 

モモイ「うん」

 

ケイ「私は水をかぶりました」

 

ミドリ「うん」

 

ケイ「濡れた衣類は洗って、乾燥させました」

 

ユズ「うん……」

 

ケイ「ただし、一部は乾燥機が使用できない素材でした」

 

アリス「装備品ごとに、適切なメンテナンス方法が異なります」

 

ケイ「そうです」

 

 そこまで言ったところで、言葉が詰まった。

 

 全員が待っている。

 

 急かさない。

 

 口を挟まない。

 

 モモイでさえ、今は黙っていた。

 

 ケイは一度目を閉じる。

 

 この程度のことに、なぜこれほど大きな処理負荷がかかるのか。

 

 かつて世界の構造へ干渉し、名もなき神々の力に触れていた存在が、たった一つの単語を口にできない。

 

 あまりにも不合理だ。

 

 だからこそ、今の自分は人間なのかもしれない。

 

ケイ「……下着です」

 

 声が小さすぎた。

 

モモイ「え?」

 

ケイ「聞き返さないでください!」

 

モモイ「ご、ごめん!」

 

ケイ「この中に入っているのは……昨日、洗面所に干した、私の……」

 

 喉が固まる。

 

 ケイはポーチを抱きしめた。

 

ケイ「パンツです!」

 

 沈黙。

 

 執務室の空調音が、やけに大きく聞こえる。

 

 ケイは俯いた。

 

 顔が熱い。

 

 耳まで赤くなっているのが、自分でも分かる。

 

 数秒。

 

 十秒。

 

 誰も何も言わない。

 

 ケイは耐えきれず顔を上げた。

 

ケイ「何か言ってください!」

 

モモイ「笑わないって約束したから……」

 

 モモイは両手で口を塞いでいた。

 

 頬が膨らみ、肩が震えている。

 

ケイ「笑っているではありませんか!」

 

モモイ「笑ってない! まだ笑ってない!」

 

ケイ「『まだ』と言いましたね!?」

 

ミドリ「お姉ちゃん、ちゃんと我慢して!」

 

モモイ「だってケイが、世界が終わるみたいな顔で――」

 

ケイ「私にとっては、それに匹敵する問題だったんです!」

 

アリス「理解しました」

 

 アリスが真剣な顔で頷く。

 

アリス「ケイは防具をシャーレに忘れたのですね」

 

ケイ「その表現はやめてください」

 

アリス「しかし、装備欄が空いている状態は危険です」

 

ケイ「今身につけている物はあります!」

 

 再び沈黙。

 

 ケイは自分の口から出た言葉を理解した。

 

 モモイが机へ突っ伏す。

 

モモイ「もう無理!」

 

ケイ「モモイ!」

 

モモイ「あははははっ! ごめん! ごめんけど、今のは無理だって!」

 

ケイ「怒らせましたね!?」

 

ミドリ「ケイ、落ち着いて! お姉ちゃんも悪気は――たぶん、そんなにないから!」

 

ケイ「ほとんどあるという意味でしょう!」

 

ユズ「だ、大丈夫だよ、ケイちゃん」

 

 ユズが両手を胸元で振る。

 

 その顔も赤い。

 

ユズ「忘れ物くらい、誰にでもあるから……。私も前に、着替えを部室へ置いたまま帰っちゃって……」

 

ケイ「本当ですか」

 

ユズ「うん。次の日まで気づかなかった……」

 

アリス「アリスもあります」

 

ケイ「あなたも?」

 

アリス「はい。パジャマの上を忘れました」

 

モモイ「そのせいで、ケイのを借りてたよね」

 

ケイ「あれは私の予備です。返却されていませんが」

 

アリス「現在も大切に使用しています!」

 

ケイ「返してください」

 

ミドリ「私も靴下を片方なくしたことはあるよ」

 

モモイ「私は何度もある!」

 

ミドリ「お姉ちゃんは、なくしすぎ」

 

モモイ「この前、部室の冷蔵庫から見つかったんだよね」

 

先生「どうして靴下が冷蔵庫に?」

 

モモイ「冷やすと速く走れるかと思って」

 

ケイ「どのような思考回路を経れば、その結論に至るのですか」

 

 いつの間にか、いつもの調子で突っ込んでいた。

 

 胸の奥を圧迫していた重みが、少しだけ薄くなっている。

 

 誰もケイを責めない。

 

 モモイは笑ったが、ケイを見下しているわけではない。恐らく、朝からの必死な態度と、忘れ物の落差がおかしかっただけだ。

 

 ユズは自分の失敗を話してくれた。

 

 アリスも、ミドリも。

 

 先生は口元をわずかに緩めていたが、約束どおり露骨には笑っていない。

 

 ケイはポーチを鞄へしまった。

 

 今度こそ、しっかりと奥まで入れる。

 

ケイ「……呆れましたか」

 

 誰に向けたともつかない声だった。

 

 最初に答えたのは先生だった。

 

先生「どうして?」

 

ケイ「どうして、とは」

 

先生「忘れ物をしただけだよね。それで困って、恥ずかしくて、何とか自分で回収しようとした。少し言い訳は多かったけど、呆れるようなことじゃないと思う」

 

ケイ「少しではありません」

 

ミドリ「自覚はあるんだ」

 

ケイ「……工事の件などは、多少無理があったと認識しています」

 

モモイ「多少?」

 

ユズ「隠しショップも……」

 

アリス「合言葉は格好よかったです!」

 

ケイ「あれは忘れてください」

 

先生「ただね、ケイ」

 

 先生の声が少しだけ真面目になる。

 

 ケイは顔を上げた。

 

先生「恥ずかしいことを無理に話す必要はない。でも、そのために自分を追い詰めなくてもいいんじゃないかな」

 

ケイ「追い詰めてなど」

 

先生「朝からずっと、一人で何とかしようとしてたんだよね」

 

 否定しようとした。

 

 しかし、言葉は出なかった。

 

先生「困ったときに誰へ話すかも、どこまで話すかも、ケイが決めていい。ただ、助けを求めることまで失敗だと思わなくていいよ」

 

ケイ「私は、助けを求める必要がないと判断しただけです」

 

先生「うん。最初はそう思っていたんだね」

 

 先生は結論を押しつけない。

 

 ケイの判断を否定もしない。

 

 ただ、今ここにいる全員へ目を向ける。

 

先生「でも最後は、みんなに指示を出して一緒に取り戻した。あれもケイが選んだことだと思う」

 

 清掃ロボットを追っていたときの光景が蘇る。

 

 モモイが左へ走り、ミドリが右へ回り、アリスが前を塞いだ。

 

 ユズは帰還命令を送ろうとし、先生はアリスを支えた。

 

 ケイは、何の迷いもなく全員へ指示を出した。

 

 自分だけで解決するつもりなら、そうはしなかったはずだ。

 

ケイ「……緊急時だったからです」

 

先生「そうかもしれないね」

 

モモイ「でも、頼ってくれて嬉しかったよ」

 

ケイ「あなたは面白がっていただけでしょう」

 

モモイ「それは三割!」

 

ミドリ「まだ言うんだ」

 

モモイ「残り七割は、本当に心配だったんだって。ケイ、いつもと全然違ったし」

 

ユズ「私も……ケイちゃんが困ってるなら、力になりたかった」

 

アリス「アリスはいつでもケイのパーティーメンバーです!」

 

 アリスがケイの隣へ座り直す。

 

 肩が触れるほど近い。

 

 ケイは少しだけ横へずれようとしたが、やめた。

 

ケイ「皆さんは、羞恥という概念を軽視しすぎです」

 

ミドリ「そうかもしれない」

 

ケイ「特にモモイ」

 

モモイ「反省してるよ」

 

ケイ「本当ですか」

 

モモイ「だから、もう誰にも言わない」

 

ケイ「当然です」

 

モモイ「『ケイがシャーレにパンツを忘れた』なんて、絶対に言わない!」

 

ケイ「復唱しないでください!」

 

モモイ「ごめん!」

 

 再び笑いが起こる。

 

 今度はケイも、本気では怒れなかった。

 

 自分の失敗を笑われることが、これほど怖くない場合もある。

 

 傷つけるための笑いではないと分かるからだろうか。

 

 それとも、この場にいるのが彼女たちだからだろうか。

 

 ケイには、まだ正確な答えを出せなかった。

 

先生「それじゃあ、ゲームの続きに戻ろうか」

 

ユズ「そ、その前にスモーク装置を外します……」

 

ミドリ「最終ボスの分岐も修正しないと」

 

モモイ「えー。あれ、面白いと思うけど」

 

ケイ「せめて最初の村へ到着してから出してください」

 

モモイ「じゃあ、村の宿屋で『世界なんて滅びればいい』を選ぶと出るようにしよう」

 

ケイ「なぜ選択肢を残す前提なのですか」

 

アリス「真の勇者は、どのような選択肢にも責任を持たなければなりません」

 

ケイ「アリスまで擁護しないでください」

 

 ゲーム開発部が端末の周りへ戻る。

 

 ケイも今度は見学ではなく、空いていた椅子へ座った。

 

モモイ「ケイもやるの?」

 

ケイ「先ほどの不具合により、新たな検証が必要になりました」

 

先生「一緒に遊ぶってことだね」

 

ケイ「違います」

 

先生「じゃあ、楽しくない?」

 

ケイ「……」

 

 昨日と同じ質問だ。

 

 非効率なゲーム。

 

 進行不能になる呪われた装備。

 

 開始直後に落ちてくる岩。

 

 選択肢一つで出現する最終ボス。

 

 品質だけで判断すれば、問題だらけだ。

 

 しかし、画面を囲んで好き勝手に意見を交わす時間そのものは、悪くない。

 

ケイ「現時点では、評価を保留します」

 

モモイ「それ、結局遊ぶってことじゃん!」

 

ケイ「検証です」

 

アリス「ケイはゲームが大好きです!」

 

ケイ「否定します!」

 

ユズ「でも、昨日も三時間……」

 

ケイ「必要な作業時間です!」

 

ミドリ「今日は何時間やるの?」

 

ケイ「不具合がなくなるまでです」

 

モモイ「じゃあ、泊まりだね!」

 

ケイ「それは絶対に避けます!」

 

 ケイの声が、執務室に響く。

 

 先生が楽しそうに笑った。

 

 ゲームが再起動され、再びタイトル画面が表示される。

 

 勇者が夕日を背に立つ。

 

 数秒後、頭上から落石が降ってきた。

 

 昨日より小さくなってはいるが、勇者の頭に直撃した。

 

『勇者の冒険は、軽傷から始まった!』

 

ケイ「モモイ!」

 

モモイ「完全なゲームオーバーじゃなくなったよ!」

 

ケイ「そういう問題ではありません!」

 

 笑い声の中で、ケイの端末が震えた。

 

 先生からのメッセージだ。

 

 すぐ近くにいるのに、なぜわざわざ送ったのか。

 

先生『無事に見つかってよかったね』

 

 ケイは先生を見る。

 

 先生はゲーム画面へ視線を向けたまま、知らないふりをしていた。

 

 ケイは少し迷った後、返信する。

 

ケイ『今回だけです』

 

先生『何が?』

 

ケイ『皆さんに頼ったことです』

 

先生『そっか』

 

ケイ『次回は、一人で対処します』

 

先生『それを決めるのもケイだね』

 

 あっさりした返事だった。

 

 もっと「頼ってほしい」と言われるかと思っていたケイは、わずかに拍子抜けする。

 

 数秒後、追加のメッセージが届いた。

 

先生『でも、また困ったときに私たちを選んでくれたら、私は嬉しいよ』

 

 ケイの指が止まる。

 

 胸の奥が、少しくすぐったい。

 

 ケイは画面を伏せた。

 

先生「ケイ、どうしたの?」

 

ケイ「何でもありません」

 

先生「顔が赤いけど」

 

ケイ「室温が高いだけです」

 

先生「空調、下げようか?」

 

ケイ「必要ありません!」

 

モモイ「ケイ、また何か隠してる?」

 

ケイ「隠していません」

 

アリス「先生からのメッセージですか?」

 

ケイ「違います」

 

ミドリ「さっきも同じ流れを見たような……」

 

ユズ「今度は、どんな忘れ物……?」

 

ケイ「もう忘れ物はしていません!」

 

 全員の視線が、ケイの鞄へ集まる。

 

 ケイは不安になり、鞄を開いた。

 

 白いランドリーポーチは、確かに入っている。

 

 財布。教科書。端末。ハンカチ。バッテリー。キャンディー。企画書。ファッション誌。

 

 すべて揃っている。

 

 問題ない。

 

 ケイは鞄を閉じようとした。

 

 そこで、あることに気づく。

 

ケイ「……ない」

 

モモイ「えっ」

 

ミドリ「今度は何?」

 

アリス「新たな探索クエストです!」

 

ユズ「だ、大丈夫……?」

 

先生「落ち着いて。一つずつ確認しようか」

 

 五人が一斉にケイを囲む。

 

 朝ならば、ケイはまた「何でもない」と答えていただろう。

 

 一人で探し、必死にごまかし、全員を遠ざけようとしたはずだ。

 

 だが、今度は少しだけ考えた後、素直に口を開いた。

 

ケイ「昨日、先生から借りたハンカチがありません」

 

先生「ああ、それなら洗面所に干してあったよ」

 

ケイ「なぜ先ほど一緒に回収しなかったのですか」

 

先生「白い物じゃなかったから」

 

ケイ「色で判断しないでください!」

 

先生「取りに行こうか?」

 

 ケイは立ち上がりかける。

 

 しかし、その前にアリスが勢いよく手を挙げた。

 

アリス「今度はアリスも同行します!」

 

モモイ「私も!」

 

ミドリ「また清掃ロボットに持っていかれたら大変だしね」

 

ユズ「わ、私も行く……」

 

 四人が当然のように並ぶ。

 

 ケイは彼女たちを見回した。

 

 断る理由はいくらでも作れる。

 

 ハンカチ一枚に五人も必要ない。

 

 非効率だ。

 

 大げさだ。

 

 また余計な騒ぎになるかもしれない。

 

 それでも。

 

ケイ「……勝手にしてください」

 

モモイ「よし、決まり!」

 

アリス「パーティーを再編成します!」

 

ミドリ「今度は走らないでね」

 

ユズ「清掃ロボット、まだ廊下にいるかも……」

 

先生「じゃあ、みんなで行こうか」

 

 先生も立ち上がる。

 

 ケイは一歩先へ進み、執務室の扉を開けた。

 

 廊下の向こうに、先ほどの清掃ロボットが見える。

 

 上には青いハンカチが載っていた。

 

 清掃ロボットはケイたちを認識すると、警告音を鳴らす。

 

 そして猛烈な速度で逃げ出した。

 

ケイ「……先生」

 

先生「何かな?」

 

ケイ「あれは、私のハンカチですか」

 

先生「たぶん」

 

ケイ「モモイ、左。ミドリ、右。アリスは前へ。ユズは帰還命令を」

 

モモイ「了解!」

 

ミドリ「任せて」

 

アリス「勇者アリス、出撃します!」

 

ユズ「今度こそ止める……!」

 

先生「私は?」

 

 ケイは一瞬だけ先生を見る。

 

ケイ「先生は私と来てください」

 

先生「うん、分かった」

 

 六人が廊下を駆け出す。

 

 前方では、ハンカチを載せた清掃ロボットが角を曲がった。

 

ケイ「逃がしません!」

 

モモイ「ケイ、楽しそう!」

 

ケイ「どこを見ればそう判断できるのですか!」

 

アリス「ケイの表情パラメータは『高揚』です!」

 

ケイ「観測をやめなさい!」

 

先生「でも、私にも少し楽しそうに見えるかな」

 

ケイ「先生まで……!」

 

 抗議しながらも、ケイは足を止めなかった。

 

 今度は誰にも隠さず、誰も遠ざけず、自分から仲間を呼んだ。

 

 それが正しい選択だったのかは、まだ分からない。

 

 ただ、少なくとも一人で走るよりは速かった。

 

 そして、一人で抱えていたときよりも、ずっと騒がしく――悪くなかった。

 

ケイ「先回りします! 先生、ついてきてください!」

 

先生「大丈夫。ちゃんとついていくよ」

 

ケイ「遅れたら置いていきますからね!」

 

モモイ「それ、ゲームで先に行く仲間が言うやつ!」

 

ミドリ「お姉ちゃん、話してないで走って!」

 

ユズ「ロボット、階段を下りたよ!」

 

アリス「第二ラウンド開始です!」

 

 シャーレの廊下に、足音と笑い声が響く。

 

 世界の終焉にも匹敵した大問題は、すでに解決している。

 

 残っているのは、ただのハンカチだ。

 

 だからケイは、今度こそ誰にも聞こえる声で叫んだ。

 

ケイ「全員で取り戻しますよ! これは世界の終焉よりも優先度が高いんです!」


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