一億七千万円の強盗   作:山門門山

1 / 29
第一話俺たちが建てた銀行

第一話 俺たちが建てた銀行

 

 その銀行は、街のどこからでも見えた。

 

 駅前の再開発地区。その中心に建てられた、十二階建ての巨大な建物。

 

 黒い石材とガラスで覆われた外壁は、地方都市には少々立派すぎるほどだった。

 

 昼間は青空を映し、夜になると内部の照明が街を照らす。

 

 東央銀行、新本店兼旗艦店。

 

 総工費、およそ二十五億円。

 

 その建築、設備、土木工事に関わった会社だけでも十数億円規模の仕事だった。

 

 そして、その建物を実際に手で作った人間の中に、五人の男がいた。

 

 建築。

 

 電気。

 

 給排水。

 

 ガス。

 

 土木。

 

 五人とも東央銀行の社員ではない。

 

 大手ゼネコンの社員でもない。

 

 それぞれ別々の小さな会社に雇われた、現場の職人だった。

 

 ただ、自分たちの仕事についてだけは、誰にも負けないという自負があった。

 

 だから完成した日のことは、今でも覚えている。

 

 

「……でけえな」

 

 建物を見上げながら、佐伯建が呟いた。

 

 四十代前半。

 

 建築工事を担当し、五人の中では最年長だった。

 

「お前、半年も毎日見てただろ」

 

 笑ったのは電気工事担当の田村電司。

 

 三十代後半。

 

「毎日見てても、完成すると違うんだよ」

 

「まあ、それは分かる」

 

 給排水工事担当の水田浩が煙草を咥えた。

 

「俺らが作ったんだもんな」

 

「俺ら“も”だ」

 

 ガス工事担当の柴崎が訂正する。

 

 三十代後半。

 

「俺らだけで作ったみたいに言うな」

 

「細けえなあ」

 

 土木と重機を担当した木村土志が笑った。

 

 四十代前半。

 

 五人は缶コーヒーを片手に、完成した建物を眺めていた。

 

 誰かに表彰されたわけじゃない。

 

 銀行の役員から感謝されたわけでもない。

 

 ただ、

 

 自分たちが作った。

 

 その実感だけがあった。

 

 職人にとっては、それで十分だった。

 

 

 始まりがおかしかったことに気付いたのは、ずっと後だった。

 

 本来、東央銀行が建設を予定していた土地は、駅の反対側だった。

 

 交通の便がよく、再開発にも適した土地。

 

 何より地盤に大きな問題がなかった。

 

 ところが、計画は突然変更された。

 

 理由は、

 

 「地域再開発計画との調整」

 

 それだけだった。

 

 新しい土地を銀行に紹介したのは、地元選出の議員。

 

 土地を所有していたのは、その議員と昔から付き合いのある地元の有力者だった。

 

 新しい土地は駅から近く、立地だけなら申し分ない。

 

 ただし、一つ問題があった。

 

 地盤だった。

 

 そこは昔から地盤の弱さを指摘されていた土地だった。

 

 しかし、銀行側に提出された地盤調査資料には、深刻な問題を示す記録はなかった。

 

 設計事務所はその資料を前提として設計した。

 

 そして入札が行われた。

 

 五人の所属する会社も参加した。

 

 大手。

 

 地場の有力業者。

 

 中堅業者。

 

 いくつもの会社が参加する中で、五人の会社が落札した。

 

 彼らは知らなかった。

 

 他社がなぜ、妙に高い金額を提示したのか。

 

 なぜ、自分たちの会社に大型案件が転がり込んできたのか。

 

 知る必要もなかった。

 

 提示された設計図を見て、積算する。

 

 必要な材料を発注する。

 

 職人を集める。

 

 図面通りに施工する。

 

 それが彼らの仕事だった。

 

 

「この建物、よくこの工期で終わったよな」

 

 完成後、田村が言った。

 

「お前んとこが遅れたら終わってたけどな」

 

「そっちの配管が先に入らねえからだろ」

 

「はいはい」

 

 水田が二人を止めた。

 

「完成した日に喧嘩すんなよ」

 

 笑い声が起きた。

 

 何も疑わなかった。

 

 疑う理由がなかった。

 

 五人は図面通りに仕事をした。

 

 検査も受けた。

 

 必要な記録も残した。

 

 そして建物は完成した。

 

 これで仕事は終わった。

 

 少なくとも、五人はそう思っていた。

 

 

 最初に銀行から文句が来たのは、完成から数か月後だった。

 

 施工会社に一通の通知が届いた。

 

 そこには、

 

 「建物に重大な瑕疵が確認された」

 

 と書かれていた。

 

 佐伯の会社の社長は、最初は笑っていた。

 

「何かの間違いだろ」

 

 だが、笑っていられたのは最初だけだった。

 

 銀行側の主張は明確だった。

 

 施工会社が必要な施工を行わなかった。

 

 工事費を削減するため、必要な措置を勝手に省略した。

 

 その結果、建物に問題が生じた。

 

 したがって、

 

 残っている工事代金は支払わない。

 

 さらに、

 

 損害賠償を請求する。

 

「馬鹿言ってんじゃねえ!」

 

 社長は電話口で怒鳴った。

 

「うちは図面通りやってる! 検査も通ってるだろうが!」

 

 しかし銀行側は引かなかった。

 

 専門家による調査報告書まで用意していた。

 

 施工会社は弁護士を雇った。

 

 そして戦った。

 

 だが相手は巨大銀行だった。

 

 一か月。

 

 三か月。

 

 半年。

 

 一年。

 

 裁判は終わらない。

 

 銀行からの支払いも止まったままだった。

 

 会社はすぐに倒産したわけではない。

 

 だが、確実に弱っていった。

 

 賞与がなくなった。

 

 残業代の支払いが遅れた。

 

 手当が削られた。

 

 給料の支給日がずれた。

 

 社長は何度も頭を下げた。

 

「すまん。銀行との話が片付けば、全部払う」

 

 誰も社長を責められなかった。

 

 社長もまた、銀行に潰されかけている一人だったからだ。

 

 

「今月も遅れるってよ」

 

 駅前の小さな居酒屋。

 

 五人はいつもの席に座っていた。

 

 田村がビールを飲みながら言った。

 

「何が?」

 

「給料」

 

「またかよ」

 

 木村が顔をしかめる。

 

「二週間」

 

「二週間ならまだいい」

 

 柴崎が言った。

 

「俺んとこ、先月一か月遅れたぞ」

 

「笑えねえよ」

 

「笑ってねえ」

 

 柴崎の顔に笑みはなかった。

 

 水田が黙って焼酎を飲んでいる。

 

「お前んとこは?」

 

 田村が聞いた。

 

「……今月は出た」

 

「よかったじゃん」

 

「手取りが八割だった」

 

「……」

 

 誰も何も言わなかった。

 

 佐伯がメニューを閉じた。

 

「銀行、いくら払ってねえんだっけ」

 

「会社に?」

 

「ああ」

 

「俺が聞いた限りじゃ、未払いだけで一億二千万くらいだ」

 

 水田が答えた。

 

「一億二千万……」

 

「それ払えば終わるのか?」

 

「分からん」

 

 水田が首を振る。

 

「銀行は損害賠償まで言ってるからな」

 

 テレビでは野球中継が流れていた。

 

 客が笑っている。

 

 店員が皿を運んでいる。

 

 いつもと変わらない夜。

 

 なのに五人の中だけ、何かが終わりかけていた。

 

「……俺、車売った」

 

 木村が突然言った。

 

「は?」

 

「ローン払えなくなった」

 

「お前、あの車気に入ってたじゃん」

 

「気に入ってたよ」

 

 木村はビールを飲んだ。

 

「だから売った」

 

 誰も笑わなかった。

 

 

 最初に「強盗」という言葉を口にしたのは、誰だったのか。

 

 五人とも、後になって思い出せなかった。

 

 おそらく酒が回った頃だった。

 

「なあ」

 

 柴崎が言った。

 

「銀行から金取ってこようぜ」

 

「……は?」

 

「東央銀行」

 

「何言ってんだ、お前」

 

「だからよ」

 

 柴崎は笑っていた。

 

「俺らが建てたんだろ?」

 

 佐伯が眉をひそめる。

 

「建てたけど」

 

「だったら中も分かるだろ」

 

「分かるのは建物だ」

 

 田村が言った。

 

「銀行のことは知らねえよ」

 

「金庫とか?」

 

「知らん」

 

「警備は?」

 

「知らん」

 

「じゃあ何が分かるんだよ」

 

「電気」

 

「俺は配管」

 

「俺は建築」

 

「俺はガス」

 

「俺は土木」

 

 木村が指を折っていく。

 

「……強盗に向いてねえな、俺ら」

 

 五人とも笑った。

 

 その夜は、それで終わった。

 

 ただの冗談だった。

 

 そのはずだった。

 

 

 数日後。

 

 田村が会社の倉庫で古い資料を整理していた。

 

 銀行の施工図だった。

 

 もう使わない資料だ。

 

 捨てる前に確認していた。

 

 田村は一枚の図面を手に取った。

 

 電気設備。

 

 自分が担当した範囲。

 

 何年経っても、職人は自分の仕事を忘れない。

 

 田村は図面を閉じた。

 

 そしてまた開いた。

 

「……あの銀行」

 

 その日の夜。

 

 田村は五人を呼び出した。

 

 

「警備のことじゃない」

 

 田村は言った。

 

「建物のことだ」

 

「何だよ」

 

「俺たち、あの銀行の竣工図は持ってる」

 

 佐伯が顔を上げる。

 

「全部?」

 

「俺たちが施工した範囲ならな」

 

「だから?」

 

「別に警備を破るとか、そういう話じゃねえ」

 

 田村は言った。

 

「ただ……あの建物を作った人間じゃなきゃ分からないことはある」

 

 佐伯が黙った。

 

 水田も黙った。

 

 柴崎が煙草に火をつける。

 

 木村だけが笑った。

 

「おいおい」

 

 笑いながら言う。

 

「本気でやるのか?」

 

 誰も答えなかった。

 

 木村の笑顔が消えた。

 

「……冗談だろ?」

 

「俺は冗談じゃない」

 

 佐伯が言った。

 

「俺は、もう二年待ってる」

 

「……」

 

「銀行から金を取る」

 

 佐伯はテーブルの上に紙を置いた。

 

 そこには数字が並んでいた。

 

 一人ずつが失った金。

 

 遅れた給料。

 

 消えた手当。

 

 払えなかったもの。

 

 増えた借金。

 

 家族に迷惑をかけた金。

 

 仕事を失うかもしれない不安。

 

 この先何年も働かなければならない年齢。

 

 それらを全部、五人で計算した。

 

 そして最後に、

 

 大きく数字を書いた。

 

170,000,000円

 

「一億七千万」

 

 水田が呟いた。

 

「……馬鹿だろ」

 

「そうだな」

 

 佐伯が答えた。

 

「でも、これが俺たち一人分だ」

 

「一億二千万じゃなかったのか?」

 

 柴崎が聞いた。

 

「一億二千万は、会社が本来受け取るはずだった金だ」

 

 佐伯は紙を指で叩いた。

 

「俺たち個人の金じゃねえ」

 

 誰も口を挟まない。

 

「俺たちが失った給料、賞与、手当。これから仕事を失うリスク。家族に負担させた金。借金。これから先の生活」

 

 佐伯は五人を見回した。

 

「全部合わせたら、俺はこれくらい必要だと思ってる」

 

「一億七千万……」

 

 木村が呟く。

 

「五人なら?」

 

 田村が計算する。

 

「八億五千万」

 

 沈黙。

 

 八億五千万円。

 

 五人が人生を立て直すために必要だと、自分たちで決めた金額。

 

 銀行が払わなかった一億二千万円とは別のもの。

 

 会社の損失とも違う。

 

 これは、

 

 五人が自分たちの人生につけた値段だった。

 

「……八億五千万も、本当に必要か?」

 

 水田が聞いた。

 

 佐伯は少しだけ考えた。

 

「必要かどうかじゃねえ」

 

 そして銀行の名前が書かれた紙を見る。

 

「俺たちは、それだけのものを失ったんだ」

 

 木村が紙から目を離す。

 

「銀行から取ったら、俺らも犯罪者だぞ」

 

「もう銀行は俺らを悪者にしてる」

 

 田村が言った。

 

「だったら、せめて自分たちで決めようぜ」

 

「何を?」

 

「俺たちが何者なのか」

 

 誰も答えなかった。

 

 やがて佐伯が立ち上がる。

 

「明日、最後に決めよう」

 

「何を?」

 

「やるか、やらないか」

 

「もう決めたんじゃねえのか?」

 

「最後に一回だけ確認する」

 

 佐伯は五人を見回した。

 

「ここから先は、戻れない」

 

 誰も笑わなかった。

 

 誰も冗談を言わなかった。

 

 やがて田村が立ち上がった。

 

「……やる」

 

 水田。

 

「やる」

 

 柴崎。

 

「やる」

 

 木村はしばらく黙っていた。

 

 そして、

 

「……畜生」

 

 椅子から立ち上がった。

 

「やるよ」

 

 最後に佐伯が頷いた。

 

「じゃあ――」

 

 佐伯は紙を折り畳んだ。

 

「八億五千万だ」

 

 

 五人は店を出た。

 

 夜の街の向こうに、東央銀行の旗艦店が見える。

 

 巨大なガラス張りの建物。

 

 五人が自分たちの手で建てた建物。

 

 そして今度は、

 

 そこから金を奪うために戻る。

 

 誰も知らない。

 

 彼らをここまで追い込んだ「瑕疵」が、最初から仕組まれていたことを。

 

 誰も知らない。

 

 あの建物の土地が、別の人間の利益のために選ばれたことを。

 

 誰も知らない。

 

 五人が落札できた入札そのものが、最初から仕組まれていたことを。

 

 そして誰も知らない。

 

 この強盗が始まった瞬間から――

 

 五人だけではなく、銀行、議員、地権者、設計事務所、そしてこの街そのものが巻き込まれていくことを。

 

 その夜。

 

 五人は初めて、自分たちを「強盗」と呼んだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。