一億七千万円の強盗   作:山門門山

10 / 29
第十話消えた痕跡

第十話 消えた痕跡

 

 銀行を出た水田は、車に乗り込むとすぐにエンジンをかけた。

 

 しかし、すぐには発進しなかった。

 

 ハンドルに両手を置いたまま、深く息を吐く。

 

「……まずいな」

 

 さっきまでとは空気が違う。

 

 銀行の中で感じた警察の視線。

 

 金庫室の異様な状態。

 

 そして、自分たちが昨夜そこにいたという事実。

 

 水田は頭を振った。

 

「考えるな」

 

 今は仕事だ。

 

 自分は水道業者。

 

 銀行から呼ばれて、施工写真と修理部材を取りに戻った。

 

 それだけ。

 

 水田は車を発進させた。

 

⸻

 

 会社へ戻る途中、水田は携帯電話を取り出した。

 

 運転中に直接電話するわけにはいかない。

 

 信号で車を止めたところで、まず佐伯へ短い連絡を入れる。

 

 呼び出し音が数回鳴った。

 

「俺だ」

 

『どうした?』

 

 佐伯の声は落ち着いていた。

 

「銀行、警察が入ってる」

 

『……やっぱりか』

 

「金庫の中身がなくなってるのが分かったらしい」

 

 電話の向こうが一瞬静かになる。

 

『それで?』

 

「まだ俺が犯人だとは思われてない」

 

『そうか』

 

「ただ……」

 

 水田は言葉を選んだ。

 

「窓のところを警察が調べてる」

 

『……』

 

「それと、施工について聞かれた」

 

『お前は?』

 

「普通に答えた。水道の竣工図しか持ってないって話して、工事写真も持ってくるって言った」

 

『それでいい』

 

「修理の部材も必要だから、一回会社に戻ってる」

 

『分かった。ほかの連中にも伝える』

 

「頼む」

 

 電話を切る。

 

 水田はバックミラーを見る。

 

 誰かが追ってくるわけでもない。

 

 ただ、妙に落ち着かない。

 

 自分の車。

 

 自分の会社。

 

 いつもの道路。

 

 何も変わっていない。

 

 なのに、世界そのものが別物になったような気がした。

 

⸻

 

 その頃、銀行では警察による現場確認が続いていた。

 

「こっちです」

 

 警察官が窓の前に立つ。

 

 そこには、外から侵入した形跡が残っていた。

 

「窓枠自体は大きく破壊されていない」

 

「ええ」

 

「それなのに侵入できている」

 

 別の警察官が周囲を確認する。

 

 そして視線が、窓枠の縁に止まった。

 

「……これ、変じゃないですか?」

 

「何が?」

 

「コーキングです」

 

 警察官が近づく。

 

「他の窓と比べてみてください」

 

 周囲の窓を見る。

 

 確かに、同じ建物なのに状態が違う。

 

 古い窓ではコーキングに汚れが入り、ところどころ変色している。

 

 ところが、その窓だけは妙に綺麗だった。

 

「後からやり直してる?」

 

「その可能性があります」

 

「つまり、窓を一度外した可能性がある」

 

「でしょうね」

 

 警察官が腕を組む。

 

「しかも、雑に戻したわけじゃない」

 

「ええ」

 

「建物を傷つけずに復旧できる程度の知識がある」

 

 別の警察官が呟いた。

 

「建築関係者か……」

 

「少なくとも、建物の構造をまったく知らない素人とは考えにくいですね」

 

 窓。

 

 金庫室。

 

 設備。

 

 建物内部の状況。

 

 それらを順番に見ていく。

 

「侵入した連中、かなり建物に詳しいんじゃないか?」

 

「その可能性は高い」

 

 警察官は窓から金庫室へ視線を移した。

 

「問題は、どうやって金庫まで辿り着いたかだ」

 

⸻

 

 その頃、水田は会社に到着していた。

 

「お疲れさん」

 

 事務所にいた社員が声を掛ける。

 

「ああ」

 

 水田は短く返す。

 

「急ぎの修理だ」

 

「銀行の?」

 

「そう」

 

「朝から大変だな」

 

 水田は苦笑した。

 

「まったくだ」

 

 棚から施工写真のファイルを取り出す。

 

 水道工事の記録。

 

 配管の施工状況。

 

 検査の記録。

 

 必要な資料を確認する。

 

 続いて修理に必要な部材を揃える。

 

「これと……これもいるな」

 

 水田は一つずつ確認していく。

 

 普段なら何でもない作業だった。

 

 しかし今日は、一つ一つの動作が妙に重い。

 

 ファイルを抱え、部材を車へ積み込む。

 

 そこで携帯電話が鳴った。

 

「……佐伯か」

 

『今、全員に話した』

 

「何て?」

 

『警察が侵入経路を調べてる』

 

「そうか」

 

『窓から入ったってところまでは、ほぼ掴まれてる』

 

 水田は黙る。

 

『ただ、俺たちだとは分かってない』

 

「……分かった」

 

『戻るんだろ?』

 

「ああ。銀行から頼まれてる」

 

『じゃあ余計なことはするな』

 

「分かってる」

 

 電話を切った。

 

 水田は車に乗り込む。

 

「……余計なことはしない」

 

 自分に言い聞かせるように呟いた。

 

⸻

 

 再び銀行へ戻る。

 

 さっきと同じ建物。

 

 しかし、雰囲気は明らかに変わっていた。

 

 入口に立っている警察官の数が増えている。

 

 銀行員たちも不安そうな顔をしている。

 

「水田さん!」

 

 先ほどの銀行員が駆け寄ってきた。

 

「施工写真、持ってきました」

 

「ありがとうございます!」

 

「それと修理に必要な部材も」

 

「助かります」

 

 水田は荷物を下ろす。

 

 そのとき、奥から怒鳴り声が聞こえた。

 

「だから、ここまで水が回ってるんですよ!」

 

「落ち着いてください!」

 

「落ち着いていられるか!」

 

 水田が振り返る。

 

 金庫室の方だった。

 

 警察官が何人も集まっている。

 

「何かあったんですか?」

 

 水田が聞く。

 

 銀行員が顔をしかめる。

 

「金庫室の調査が難航してるみたいで……」

 

 水田は黙って奥を見る。

 

 そして、聞こえてきた言葉に背筋が冷えた。

 

「指紋も何も残ってないじゃないか!」

 

 警察官が怒鳴っている。

 

「水で全部流された可能性があるんですよ!」

 

 別の警察官が答える。

 

「床も金庫周辺も水浸しだったんです。採取できるものがかなり限られます」

 

「くそっ……!」

 

 警察官が苛立たしげに壁を叩く。

 

「せっかく侵入経路が分かってきたのに、金庫室の方がこれじゃ――」

 

 水田は思わず視線を落とした。

 

 胸の奥がざわつく。

 

 昨夜、自分たちがいた場所。

 

 今、その場所では警察が証拠を探している。

 

 そして大量の水が、その現場を覆っている。

 

「水田さん?」

 

「……はい?」

 

 銀行員に声を掛けられ、水田は顔を上げた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ああ……ちょっと緊張してるだけです」

 

 水田は笑った。

 

「警察の方があれだけいると、こっちまで緊張しますね」

 

「そうですよね……」

 

 銀行員も苦笑する。

 

 水田は施工写真のファイルを抱え直した。

 

「じゃあ、配管を確認しましょう」

 

「お願いします」

 

 二人が歩き出す。

 

 水田は一度だけ、金庫室の方を見た。

 

 そこではまだ警察官たちが怒鳴り合っている。

 

 そして窓の外では、別の警察官が侵入経路を調べていた。

 

 ――建築に詳しい人間。

 

 ――窓を綺麗に戻せる人間。

 

 ――建物の内部構造を把握していた人間。

 

 警察は少しずつ、犯人像を絞り始めていた。

 

 だが。

 

 その捜査線上に、水田たちの名前はまだなかった。

 

 水田は施工業者として、何食わぬ顔で工具を取り出した。

 

「さて……原因を見ましょうか」

 

 その声だけは、いつもの現場と何も変わらなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。