深夜。
五人は、机の上に資料を広げたまま、黙々と読み込んでいた。
銀行から持ち出した資料は、すでに全てスキャンされている。
PDFにしたデータは五人それぞれが持ち、さらにCDにも焼いてある。
紙の原本も別に保管してある。
つまり、同じ資料が五人の手元にそれぞれ残っている。
それだけ慎重になる価値が、この資料にはあった。
何しろ中身は、ただの銀行内部資料ではない。
議員や地権者との裏取引に関する記録。
会議の議事録。
金銭のやり取りを示す資料。
そして、それらを裏付けるような記録まで残されている。
五人はすでに、それが銀行にとって相当に危険なものだということだけは理解していた。
「……こっちは建築関係」
佐伯が資料をめくった。
「元請から来てた資料と照らしてるけど、俺の会社が持ってたものと大きくは違わない」
「後施工のところは?」
水田が聞く。
「そこまでは分からん。俺たちが持ってるのは自分たちの担当範囲と、元請から渡された建物全体の資料が中心だ」
佐伯は一度画面を閉じた。
「最終的な金庫の設置位置まで俺が知ってるわけじゃない。そこは金庫屋とか警備会社の仕事だろ」
「だよな」
水田が頷く。
その横で、木村は一枚の資料を何度も見返していた。
「……やっぱり、これだ」
木村が呟く。
「またボーリングか?」
柴崎が顔を上げる。
「そう」
木村は二枚の資料を並べた。
「前に言っただろ。これ、設計の前提が変わるかもしれないって」
「言ってたな」
「読み込んだ」
木村は一枚目を指差した。
「こっちの古いボーリングデータと、こっちの資料じゃ地盤条件の前提が違う」
「数字が違うって話だったよな」
佐伯が言う。
「数字だけじゃない」
木村は首を振った。
「こっちの古いデータが正しいなら、必要になる基礎の深さや工法まで変わってくる」
佐伯の表情が変わった。
「……建物の設計が変わる」
「そういうこと」
木村は資料を指で追う。
「建物って、地盤の上にただ置いてるわけじゃないだろ。建物重量をどう支えるかを考えて、基礎を決める。その前提になる地盤条件が違えば、当然その辺りも変わる」
佐伯は腕を組んだ。
「つまり、こっちの地盤データを使うなら、今の設計条件じゃ駄目になる可能性がある」
「少なくとも見直しは必要になる」
木村は頷いた。
「で、もっと気になるのがこっち」
古いボーリング資料を指で叩く。
「このデータが正しいなら、今起きてる地盤沈下も説明できる」
水田が顔を上げた。
「……俺のところの配管か」
「ああ」
「配管が原因じゃないってことだな」
「そもそも地盤が沈んでるなら、地中の配管に影響が出るのは当然だろ」
水田は苦笑した。
「そりゃそうだ」
「配管そのものが勝手に折れたわけじゃない」
木村が続ける。
「地盤が動けば、埋設されてる配管にも変位がかかる。引っ張られたり、押されたりする。そこで耐えられなければ折れる」
「水道屋ができるのは?」
佐伯が聞く。
「地盤そのものを直すことじゃない」
水田が答えた。
「こっちでやれるのは、地盤変位を考えて耐震管にするとか、伸縮できる継手を使うとか、その辺だ」
「つまり今回の配管破裂は?」
「沈下した結果だ」
水田は古いボーリング資料を見る。
「俺が銀行に呼ばれた時は、計算上は問題ないと思ってた。だから緊急修理をして、銀行にもそう説明した」
「でも、その計算の前提が違ってたかもしれない」
木村が言った。
「そういうことだ」
水田はため息をついた。
完成後から続いていた各社への瑕疵問題。
そこへ今回の地盤沈下による給水管破裂が加わった。
銀行からすれば、新しい責任問題が一つ増えた。
水田の会社からすれば、ただでさえ揉めている銀行との間に、さらに一件追加された形だった。
「……もし古いデータが正しいなら」
木村が呟く。
「水田のところだけ責任を追及する話じゃなくなるな」
佐伯が頷いた。
「建物側の設計条件そのものを見直さないといけない」
「だから、この資料がここにあるのが気になるんだよ」
木村は資料を見た。
それは、銀行が議員や地権者との裏取引に備えて残していた大量の資料の中に入っていた。
「銀行は、これを持ってた」
「しかも一番大きい貸金庫にな」
水田が答える。
五人はしばらく黙っていた。
その時だった。
「……なあ」
田村が口を開いた。
「俺たち、設備の方も一回整理した方がいいんじゃないか」
「停電?」
柴崎が反応する。
「ああ」
田村が頷く。
田村と柴崎は顔を見合わせた。
二人だけが、そこにある記録の意味を他の三人とは違う角度から理解している。
事件前。
建物では何度か停電が起きていた。
銀行も警察も、その記録をすでに確認している。
警察は事件当日の停電だけではなく、過去の停電についても調べている。
その事実を五人は事情聴取を通して知っていた。
問題は、その後だった。
田村が記録を思い返す。
「事件前には、何度も停電がある」
「そうだ」
柴崎が答える。
「でも事件後は?」
田村が黙った。
柴崎も黙る。
「……ない」
「だよな」
田村が低く呟いた。
佐伯が二人を見る。
「それがどうした?」
田村は少し迷った。
「このままだと……事件前の停電まで怪しまれる」
佐伯が眉を寄せる。
「どういう意味だ?」
柴崎が説明した。
「事件前から設備の調子が悪かったように見せるために、停電が何度も起きてた」
「それは警察も知ってるんだろ?」
「知ってる」
「じゃあいいじゃないか」
「よくない」
柴崎が即答した。
「事件前だけだ」
佐伯が黙る。
「設備の不具合なら、事件が終わった途端に全部直るなんて変だろ」
田村が続ける。
「事件前は何度も停電してる。事件当日も停電した。なのに、その後だけ何も起きない」
「……確かに」
水田が呟いた。
「だったら」
田村が言った。
「事件前の停電まで、意図的に電源を落としてたんじゃないかって疑われる」
五人の間に沈黙が落ちた。
「だから、事件後にも何度か起こさないといけない」
柴崎が小さく言った。
「設備がまだ調子悪いって見えるように」
田村が頷いた。
「事件前から続いてた不具合が、事件後もしばらく続いてた。それなら自然だ」
佐伯は二人の顔を見た。
「……やるのか?」
「やるしかないだろ」
田村が答えた。
「事件前にあれだけ記録を作ったんだ。最後だけ急に止まったら、逆に不自然になる」
柴崎も頷く。
「建物側の設備不良として処理されるように、何度か停電を起こす」
「その後は?」
水田が聞く。
「そこで終わりだ」
田村が答えた。
「長期間続けたら、それはそれでおかしくなる」
五人は顔を見合わせた。
事件前の停電は、すでに銀行にも警察にも記録されている。
だからこそ、最後の帳尻を合わせなければならない。
田村と柴崎は、後日、設備の不具合に見せかけた停電を何度か発生させることにした。
事件前から続いていた「調子の悪い設備」という印象を、事件後まで繋げるためだった。
そして、それからしばらくしたある日。
天候が崩れた。
強い風。
激しい雨。
そして雷。
夜になると、雷鳴が何度も響いた。
突然。
周囲一帯の明かりが消えた。
「停電だ」
誰かが呟いた。
今度の停電は、本物だった。
台風によるものだった。
銀行だけではない。
付近一帯が停電している。
警備会社にも記録が残る。
電力会社にも記録が残る。
誰かが意図的に起こしたものではない。
その事実を、五人は知る由もなかった。
ただ、その停電によって、事件前から続いていた停電記録には、また一つ新しい記録が加わることになる。
そして五人の手元では、別の資料がまだ開かれていた。
古いボーリングデータ。
新しいボーリングデータ。
銀行と議員。
銀行と地権者。
そして、完成後から続いていた各社への瑕疵問題。
水田の緊急修理によって追加された給水管破裂。
それらが、少しずつ一つの問題として繋がり始めていた。
木村はもう一度、古いボーリング資料を見た。
「……これが正しいなら」
誰に言うでもなく呟く。
「この建物、最初から地盤条件を間違えてた可能性があるぞ」
佐伯が画面を見る。
「だったら、基礎の設計から話が変わる」
「そういうことだ」
五人は、再び資料に目を落とした。
まだ、銀行が何を隠していたのか。
なぜそれを、あの貸金庫に残していたのか。
その全貌までは見えていない。
だが少なくとも。
水田の配管破裂は、単なる水道工事の失敗ではない。
そう考えるだけの材料が、五人の前には揃い始めていた。