翌朝。
田村は、東央銀行へ向かう準備をしていた。
昨夜は激しい雷雨だった。
台風の影響で風雨が強まり、夜半には雷が何度も近くへ落ちた。東央銀行のある地域だけではなく、周辺一帯で停電が発生している。
今回ばかりは、誰かが意図的に起こした停電ではない。
本物の停電だった。
田村にとって、それはむしろ都合がよかった。
事件後の設備不良を装うなら、これ以上ないきっかけだった。
田村は携帯電話を取り出し、東央銀行の設備担当者へ電話をかけた。
「お世話になってます。田村です」
『はい。お世話になってます』
「昨日、そちら停電しましたよね」
『ええ。かなり大きな雷でしたからね。周辺も一帯落ちたみたいです』
「設備の方は大丈夫でした?」
『今のところ、通常通りです。ただ、昨日の雷が雷ですから……』
「そうですよね」
田村は少し間を置いた。
「一応、点検に伺いましょうか?」
『お願いできます?』
「もちろんです。雷の後ですし、配電関係も一通り見ておいた方がいいでしょう」
『助かります。お願いします』
「では、少ししたら伺います」
『よろしくお願いします』
電話を切る。
田村は携帯電話をポケットへ戻した。
自然な流れだった。
昨日、本物の雷による停電が起きた。
その翌朝、設備業者が点検に来る。
誰が見ても不自然ではない。
むしろ設備担当としては、点検を申し出るのが当然だった。
田村は工具をまとめ、東央銀行へ向かった。
*
東央銀行へ到着すると、受付で名前を告げた。
「設備点検の田村さんですね」
「はい。昨日の停電の件で」
「担当者を呼びますので少々お待ちください」
しばらくすると、銀行側の設備担当者が現れた。
「田村さん、すみません。朝から」
「いえいえ」
「昨日は本当に酷かったですね」
「この辺り一帯だったんですよね」
「そうみたいです。電力会社からも連絡が来てました」
田村は頷いた。
「それなら外部側の停電が原因でしょう。ただ、雷があった後は設備側も一応確認しておいた方がいいです」
「お願いします」
二人は設備区画へ向かった。
東央銀行の内部には、事件以来どこか重苦しい空気が漂っていた。
警察の捜査が続いている。
職員たちも、普段通りに仕事をしているように見えて、その実、誰もが事件のことを意識している。
田村はそんな雰囲気を気にする様子もなく、設備担当者と話を続けた。
「昨日の停電はどれくらい続きました?」
「それほど長くはなかったと思います。ただ、切り替えの方が少し気になって」
「非常側ですか?」
「はい」
「確認しておきましょう」
田村は設備を順番に確認していった。
計器を見る。
表示を確認する。
周囲の状態を見る。
銀行側の担当者が横から覗いている。
「今のところ、目立った異常はなさそうですね」
「よかった」
「ただ、雷が強かったですから、内部の電気系統まで影響がないとは言い切れません」
「そこまで分かるんですか?」
「雷の後は、見た目では分からない不具合が出ることがあります」
田村はそう説明した。
それ自体は設備業者として不自然な言葉ではない。
そして、しばらくして配電盤の確認に入った。
「ここも見ます」
「お願いします」
田村は配電盤を確認する。
その内部には複数の機器が並んでいる。
田村は一つ一つ状態を確認していった。
そして、ある部分で手を止める。
「……」
「何かありました?」
「いや」
田村は一度首を振った。
「少し気になるところがあります」
「故障ですか?」
「まだ何とも言えません」
田村は慎重に確認を続ける。
表向きには、雷による影響がないかを調べているだけだ。
だが、田村には別の目的があった。
事件前。
田村と柴崎は、東央銀行の設備に何度か不具合が発生したように見せていた。
その結果、東央銀行には実際に停電記録が残っている。
警察も、その記録をすでに把握している。
そして事件当日。
田村が建物全体の電源を落とした。
しかし、それだけでは建物全体を長時間停電させることはできない。
コージェネレーションによる非常発電があるからだ。
そこで柴崎が、コージェネレーションへガスを供給する系統を止めた。
バルク貯槽そのものを止めただけでは建物全体の電気は落ちない。
だからこそ、田村の電源操作と柴崎のガス側の操作が組み合わさった。
建物の電源が落ちても非常発電が動かない。
それによって、事件当日の停電を成立させた。
そして事件後。
二人は気づいた。
事件前には停電が何度も発生している。
事件当日にも停電した。
なのに、その後まったく起きなくなれば、
「事件前だけ、なぜこんなに停電していた?」
という疑問を持たれる。
設備の不具合を装うなら、事件後にも何度か続いていた方が自然だ。
だから二人は、事件後にも設備不良によるものに見える停電を何度か発生させていた。
そして昨夜。
本当に雷が落ち、周辺一帯が停電した。
これ以上ない偶然だった。
田村は、配電盤の前で作業を続ける。
「やっぱり、少し影響が出ているかもしれません」
「雷ですか?」
「可能性はあります」
「昨日の雷、そんなに酷かったですからね」
「ええ」
田村は頷いた。
そして、銀行担当者が見ている前で、点検作業を続けた。
その一方で、田村は内部に残す異常の状態を慎重に整えていく。
実際の設備を壊すわけではない。
後から確認した人間が、
「雷による電気的な影響が出た可能性がある」
と考える程度の状態。
その程度で十分だった。
田村は必要な作業を終える。
そして配電盤を元の状態に戻した。
「一応、ここは記録しておきます」
「修理が必要ですか?」
「すぐに危険というわけではありません。ただ、部品については一度交換を検討した方がいいでしょう」
「分かりました」
銀行担当者は頷いた。
「昨日の停電が原因なんでしょうか?」
「断定はできません」
田村は答えた。
「ただ、雷がかなり強かったようですから。その影響が残っている可能性はあります」
「なるほど」
「こういうものは、停電そのものが復旧しても、後から不具合が出ることがあります」
「そうなんですか」
「あります」
田村は落ち着いた口調で答えた。
「なので、昨日の件は一応、設備側にも記録を残しておいた方がいいです」
「そうですね」
銀行担当者は頷いた。
「お願いします」
「はい」
田村は点検表に記録を残した。
そこにも、昨夜の停電について記載される。
雷。
周辺一帯の停電。
その後の設備確認。
そして、一部設備について経過観察が必要。
それだけを見れば、ごく普通の点検記録だった。
「ほかに見ておくところはありますか?」
「非常発電関係もお願いします」
「分かりました」
田村は次の設備へ向かった。
そこでも、昨日の停電による影響がないかを確認していく。
銀行側の担当者にとっては、頼りになる設備業者だった。
事件が起きて以来、何かと設備関係の問題が続いている。
そんな中で、昨日は本物の雷による停電まで発生した。
だからこそ、設備に何らかの異常が見つかっても不思議ではない。
「事件の後も、設備関係はいろいろありますね」
銀行担当者が苦笑した。
「そうですね」
田村も笑った。
「建物って、一つ調子が悪くなると次々出てくることがありますから」
「本当に勘弁してほしいですよ」
「まあ、今回の件は雷ですから」
「そうですよね」
二人は設備区画を後にした。
*
点検を終えると、田村は工具を片付けた。
「今日はこれで大丈夫です」
「ありがとうございました」
「部品の件は、こちらで確認しておきます」
「お願いします」
「何かまた停電したり、設備に異常が出たりしたら連絡ください」
「分かりました」
田村は銀行を出た。
外へ出ると、昨夜の雨が嘘のように空が晴れていた。
田村は車へ乗り込む。
ドアを閉める。
エンジンをかける。
そして、しばらく黙ってハンドルを握った。
「……これでいい」
小さく呟く。
事件前から停電は何度も起きていた。
事件当日にも停電した。
事件後にも、設備不良を装った停電が何度か起きている。
そして昨夜は、台風と雷による本物の停電。
さらに、その翌日に設備業者が点検に入り、雷の影響と考えられる設備上の異常まで確認した。
記録だけを見れば。
東央銀行の電気設備は、しばらく不安定な状態だった。
そういう筋書きになる。
田村は車を発進させた。
*
その頃。
東央銀行では、設備担当者が田村の残した点検記録を確認していた。
「雷の影響か……」
昨日の停電を思い出す。
確かに、昨夜の雷は凄かった。
周辺一帯が停電したのだから、設備に何らかの影響が出ても不思議ではない。
担当者は記録を閉じた。
その時点では、それ以上のことを考えなかった。
だが、これから先。
事件前から残っている停電記録。
事件当日の停電。
事件後に追加された停電。
そして昨夜の台風による本物の停電。
それらはすべて、一本の時系列として並ぶことになる。
田村たちが望んだ通り、
「事件当日だけ、突然設備を操作して停電させた」
という単純な形には見えなくなる。
少なくとも今のところは。
そして田村はまだ知らなかった。
事件の捜査では、停電そのものだけではなく、誰が、いつ、どんな理由で設備に触れていたのかまで、少しずつ確認され始めていることを。