一億七千万円の強盗   作:山門門山

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第十九話話 捜査

東央銀行の事件から、しばらくが経った。

 

 警察の捜査は、地道な作業を続けていた。

 

 派手な進展はない。

 

 むしろ、捜査資料だけが日を追うごとに増えていた。

 

 事件当日の銀行周辺。

 

 出入りした業者。

 

 過去の工事記録。

 

 建物の設計資料。

 

 設備点検の記録。

 

 警備会社の記録。

 

 監視カメラ。

 

 そして、建物の建築に関わった業者と、その下請け。

 

 警察は片っ端から関係者を呼び出していた。

 

「この工事には、どこの会社が入っていましたか?」

 

「こちらの工程では?」

 

「この図面について知っていますか?」

 

「施工時の担当者は?」

 

「当時の資料は残っていますか?」

 

 建築会社。

 

 設備会社。

 

 電気工事会社。

 

 水道工事会社。

 

 ガス設備会社。

 

 内装業者。

 

 警備設備の施工会社。

 

 さらに、その下請け。

 

 そして応援として現場に入った職人。

 

 数え始めればきりがない。

 

 一つの建物を建てるのに、どれだけ多くの人間が関わっていたのか。

 

 捜査員たちは改めて思い知らされていた。

 

「この人数、全員調べるんですか?」

 

 若い刑事が分厚い名簿を見ながら呟いた。

 

「調べる」

 

 上司は即答した。

 

「金庫室へ侵入するには、建物の構造を知っている必要がある可能性が高い。だったら、建築に関わった人間を外す理由がない」

 

「でも、これだけいると……」

 

「だから一人ずつ潰すんだ」

 

 刑事はため息をついた。

 

「はい……」

 

 そして、その作業が始まった。

 

    *

 

 最初に疑われたのは、当然ながら建築工事に深く関わった人間だった。

 

 図面を持っている。

 

 建物の構造を知っている。

 

 施工時に東央銀行へ出入りしている。

 

 条件だけなら、いくらでも怪しく見える。

 

 だが、事情聴取をしてみると、そう簡単にはいかなかった。

 

「この図面について説明してください」

 

「これは基本設計です」

 

「金庫室の位置は?」

 

「ここですね」

 

「では、侵入経路は?」

 

「いや、そこまでは分かりません」

 

「なぜ?」

 

「俺は建築全体の担当であって、金庫設備の施工担当じゃありませんから」

 

 別の業者に聞けば、別の答えが返ってくる。

 

「この壁を施工したのは?」

 

「うちです」

 

「中の構造は?」

 

「壁については分かりますけど、金庫室の内部までは知りません」

 

 さらに別の業者。

 

「ここに配管を通したのは?」

 

「うちです」

 

「施工当時、この場所には何がありました?」

 

「配管を通しただけなので、細かいことは覚えてません」

 

 また別の業者。

 

「この設備は?」

 

「うちの担当です」

 

「事件当日に銀行へ入っていませんか?」

 

「入ってません」

 

「施工当時の資料は?」

 

「会社に残ってます」

 

 捜査員は、その資料を取り寄せる。

 

 確認する。

 

 そしてまた別の業者へ向かう。

 

 その繰り返しだった。

 

 膨大な人数を調べている。

 

 だが、決定的なものが出ない。

 

    *

 

 そして、捜査員が特に気にしていたのが、窓だった。

 

 金庫室付近の窓。

 

 そこには、他の窓とは明らかに違う点があった。

 

 コーキングの状態。

 

 周囲の窓では経年劣化が進んでいる。

 

 しかし、その窓だけは妙に新しい。

 

「施工したのは、どちらですか?」

 

 捜査員が資料を見せる。

 

 呼ばれた業者は、写真と図面を確認した。

 

「うちの範囲ですね」

 

「この窓、他と比べてコーキングの状態が違います」

 

「そうでしょうね」

 

「なぜです?」

 

 業者は少し考えてから答えた。

 

「単純に、後から施工されたんじゃないですか?」

 

「後から?」

 

「改修か、補修か。そこは記録を見ないと何とも言えませんけど」

 

 捜査員は別の写真を出した。

 

「この施工、特殊なものではありませんか?」

 

「いや」

 

 業者は首を振った。

 

「丁寧な仕事ではありますけど、技術的に特殊というほどではないですね」

 

「誰でもできますか?」

 

「誰でも、って言い方をすると語弊がありますけど……」

 

 業者は苦笑した。

 

「建築関係の職人なら、普通にできる作業ですよ」

 

「専門的な知識が必要?」

 

「コーキングの施工自体なら、特別な技術じゃないです」

 

「つまり?」

 

「きれいに仕上げようと思えば、丁寧にやればいいだけです」

 

 捜査員は写真を見つめた。

 

「この状態から、施工した人間を特定することは?」

 

「無理でしょうね」

 

「なぜ?」

 

「同じ材料を使って、同じように施工したら似たような仕上がりになりますから」

 

 捜査員は黙った。

 

「ただ」

 

 業者が付け加えた。

 

「この窓だけコーキングが新しいなら、確かに後から何かしたんでしょうね」

 

「そこは重要です」

 

「でも、それだけじゃ誰がやったかまでは分からないですよ」

 

「……なるほど」

 

 捜査員はメモを取った。

 

 その結果は、捜査本部に戻ってからも同じだった。

 

「特殊な施工ではない?」

 

「はい」

 

「技術的には普通?」

 

「そうです」

 

「建築関係なら可能?」

 

「可能というより、普通の施工技術の範囲だそうです」

 

 捜査員は腕を組んだ。

 

「じゃあ、侵入経路としてはかなり有力だけど、犯人を絞る材料にはならないってことか」

 

「そうなります」

 

「指紋も?」

 

「ありません」

 

「DNA関係は?」

 

「決定的なものは出ていません」

 

 別の捜査員が資料をめくる。

 

「金庫室周辺の証拠も、例の漏水でかなり流されてます」

 

「……厄介だな」

 

 室内に沈黙が落ちた。

 

    *

 

 それでも捜査は続く。

 

 建築業者から元請。

 

 元請から下請。

 

 下請からさらに応援で入った職人。

 

 関係者を一人ずつ辿っていく。

 

 その中には、事件当日の行動を細かく説明する者もいた。

 

「その日は現場にいました」

 

「何時まで?」

 

「夕方です」

 

「その後は?」

 

「家に帰ってます」

 

「証明できますか?」

 

「家族がいます」

 

 また別の人間。

 

「その日は会社で仕事してました」

 

「工程表は?」

 

「あります」

 

 さらに別の人間。

 

「納期が厳しくてね。とても銀行なんかに行ってる暇ありませんでしたよ」

 

 怒ったように工程表を机へ叩きつける者もいた。

 

 捜査員は一つずつ確認する。

 

 会社の記録。

 

 作業員の証言。

 

 電話記録。

 

 移動経路。

 

 それぞれの事情を積み重ねる。

 

 すると、疑いの濃さが少しずつ変わっていく。

 

 最初は怪しく見えた人物が、調べれば調べるほど犯行とは結びつかなくなる。

 

 そして、また別の人物へ移る。

 

 捜査員の一人が資料を閉じた。

 

「建物について詳しい人間が犯人なのは間違いないんでしょうか?」

 

 上司は答えなかった。

 

「……まだ分からん」

 

「窓から入るなら、少なくともあの窓の位置を知っていたんじゃ?」

 

「そうだろうな」

 

「なら施工業者が一番怪しいんじゃないですか?」

 

「怪しいだけなら、何十人もいる」

 

 上司は資料を指で叩いた。

 

「建物の構造を知っている」

 

「はい」

 

「施工経験がある」

 

「はい」

 

「事件当日に動ける」

 

「はい」

 

「その全部が揃わないと意味がない」

 

「……なるほど」

 

「だから、今はまだ何も絞れていない」

 

 捜査員は黙った。

 

 確かにそうだった。

 

 窓のコーキング。

 

 建物の構造。

 

 施工業者。

 

 金庫室。

 

 停電。

 

 警備システム。

 

 どれも単体なら意味がありそうに見える。

 

 しかし、全部を一人の人間に結びつけようとすると、途端に証拠が足りなくなる。

 

 そして何より。

 

 金庫室の証拠は、漏水によって大きく失われていた。

 

 指紋。

 

 汗。

 

 体毛。

 

 その他の痕跡。

 

 本来なら残っていたかもしれないものが、流れてしまっている。

 

「犯人は……」

 

 若い刑事が呟く。

 

「相当運がいいですね」

 

「違う」

 

 上司が答えた。

 

「運がいいんじゃない」

 

 資料を閉じる。

 

「まだ、俺たちが見つけられていないだけだ」

 

 捜査室に、紙をめくる音だけが響いた。

 

 膨大な数の施工業者。

 

 無数の証言。

 

 大量の図面。

 

 そして、ほとんど進展のない捜査。

 

 東央銀行強盗事件は、静かに時間だけを消費しながら、次の段階へ進もうとしていた。

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