一億七千万円の強盗   作:山門門山

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第二十二話 突き合わせ

事件から、数週間が経過した。

 

 東央銀行の営業は、すでに通常の状態へ戻っていた。

 

 事件後しばらく続いていた電力制限もなくなり、窓口業務も通常通り行われている。

 

 空調も戻り、職員たちはようやく普段通りの業務に戻っていた。

 

 一般の客が知っているのは、その程度だった。

 

 事件そのものは公になっていない。

 

 だから、銀行へ来る客たちにとっては、以前しばらく不便だった設備が復旧した。それだけの話だった。

 

 だが、東央銀行の内部では。

 

 事件は、まったく終わっていなかった。

 

    *

 

「……まだなのか?」

 

 東央銀行の会議室。

 

 支店長が、目の前の報告書を睨んでいた。

 

「はい」

 

 担当者が答える。

 

「警察からは、現時点で逮捕に繋がるような報告はありません」

 

「数週間だぞ」

 

「承知しています」

 

「監視カメラは?」

 

「事件当初から確認しています。現在も必要な映像については再確認しています」

 

「警備会社は?」

 

「担当者への事情聴取は終わっています」

 

「施工業者は?」

 

「かなりの数を聴取しています」

 

 支店長は眉間を押さえた。

 

「それで?」

 

 返事がない。

 

「……決定的なものは?」

 

「ありません」

 

 支店長は椅子へ深く座った。

 

 盗まれた現金や証券については、銀行として致命的な損害になるわけではない。

 

 当然、盗難に備えた保険もある。

 

 手続きや損失が発生する以上、面倒な問題ではある。

 

 だが。

 

 銀行そのものを揺るがすほどの話ではない。

 

 支店長が恐れているのは、別のものだった。

 

 あの大型金庫に入っていた資料。

 

 議員。

 

 地権者。

 

 土地。

 

 建設計画。

 

 金銭。

 

 そして、それらに関する記録。

 

 銀行にとっての「保険」。

 

 正確には、銀行内部でそういう役割を持たせて保管していた資料だ。

 

 もし外へ流れれば。

 

 支店長一人の問題では済まない。

 

 支店の責任者として首を切られるだけなら、まだいい。

 

 議員との関係。

 

 地権者との取引。

 

 過去の建設計画。

 

 そこに関わった人間が多すぎる。

 

 資料が公になれば、銀行そのものが大きな打撃を受ける。

 

 場合によっては、母体企業の経営陣まで責任を問われる。

 

「……あれだけは出てこないでくれ」

 

 支店長が小さく呟いた。

 

「何か?」

 

「いや」

 

 支店長は顔を上げた。

 

「警察への協力は続けろ」

 

「はい」

 

「それから内部資料については、必要以上に話すな」

 

「承知しています」

 

「聞かれたことには答える。だが、自分から余計な情報を出す必要はない」

 

「はい」

 

 担当者が退室する。

 

 支店長は一人になった。

 

 机の上には、事件関連の報告書。

 

 盗難品の一覧。

 

 警察への提出資料。

 

 そして、失われた資料の一覧。

 

 支店長は最後の紙から目を逸らした。

 

 警察には、強盗事件として捜査してもらうしかない。

 

 だが。

 

 犯人が何を盗んだのか。

 

 それを銀行自身が一番よく知っている。

 

    *

 

 同じ頃。

 

 警察の捜査本部。

 

 こちらも、空気は重かった。

 

「この施工業者は?」

 

「事件当日の行動に問題ありません」

 

「こっちは?」

 

「アリバイがあります」

 

「警備会社は?」

 

「担当者から事情聴取済み。不審な点はありません」

 

「監視カメラは?」

 

「再確認しましたが、犯人の特定には至っていません」

 

 捜査員の机には大量の資料が積まれている。

 

 施工業者。

 

 設備業者。

 

 警備会社。

 

 銀行職員。

 

 関係会社。

 

 事件当日に現場へ出入りした人間。

 

 一人ずつ調べている。

 

 しかし、決定的なものが出ない。

 

「金庫の固定部の切断については?」

 

「非常に綺麗な切断面です」

 

「ウォーターカッターの可能性は?」

 

「あります。ただ、現時点ではそれ以上絞り込めません」

 

「使用できる業者は?」

 

「かなりあります」

 

「……そうか」

 

 捜査員が資料を閉じる。

 

 監視カメラ。

 

 警備会社。

 

 施工関係者。

 

 金庫。

 

 侵入経路。

 

 どこを調べても、犯人へ繋がる一本の線にならない。

 

「これだけ調べても、まだ何も出ないのか」

 

 若い捜査員が呟いた。

 

「犯人が準備してたんだろうな」

 

「でしょうね」

 

「それでも普通なら、どこかに綻びが出る」

 

「その綻びが見つからない」

 

 上司が資料をまとめる。

 

「焦るな」

 

 そう言った本人も、焦っている。

 

 捜査は止まってはいない。

 

 だが、進展しているとも言い難い。

 

 大量の証言。

 

 大量の資料。

 

 大量の候補者。

 

 その中から、一つずつ可能性を潰していく。

 

 それでも犯人の姿は見えない。

 

    *

 

 そして。

 

 同じ夜。

 

 主人公たちの事務所。

 

 こちらには、警察とは違う種類の静けさがあった。

 

 机の上には、五枚のCD。

 

 その横には原本。

 

 だが、誰も資料を読んではいない。

 

 もう読み終わっている。

 

 何度も照合した。

 

 日付を確認した。

 

 数字を突き合わせた。

 

 関係者の名前を繋いだ。

 

 その結果だけを、今夜は整理していた。

 

 田村が口を開く。

 

「まず、銀行の建設計画」

 

 木村が答える。

 

「具体的に動き始めたのは、完成の約七年前」

 

「それ以前の資料は?」

 

「今回持ち出した資料には、建設計画に直接繋がるものはほとんどない」

 

「つまり」

 

 佐伯が続けた。

 

「銀行がここへ建てると決めたところから、今回の資料が始まってる」

 

 用地候補。

 

 工事費の概算。

 

 社内承認。

 

 行政への建設計画。

 

 そして、その後。

 

「議員が出てくる」

 

 柴崎が言った。

 

「行政に建設計画を出した時期と重なる」

 

「そこから地権者との話も変わってくる」

 

 水田が言う。

 

「土地の条件が途中で変わってる」

 

「理由は?」

 

「表向きの説明はある。ただ、資料を突き合わせると、それだけじゃ説明がつかない」

 

 木村が頷いた。

 

「それと金の流れ」

 

 田村が見る。

 

「議員側と銀行側の間で、表には出せない金が動いている」

 

「議事録もある」

 

「正式な議事録だけじゃない」

 

 佐伯が言う。

 

「表向きの議事録と、実際に話された内容を記録したものがある」

 

 田村が短く息を吐いた。

 

「……銀行、随分と用心深いな」

 

「相手を信用してなかったんだろ」

 

 柴崎が答える。

 

「だから、何かあった時のために残してた」

 

 それが、五人の呼ぶ「保険」だった。

 

 資料そのものに保険と書いてあるわけではない。

 

 だが、その役割は明確だった。

 

 議員や地権者が銀行を裏切った時。

 

 銀行側も相手に対抗できる。

 

 そのための証拠を残していた。

 

「で、それだけじゃない」

 

 木村が言う。

 

「地盤資料」

 

 全員が木村を見る。

 

「古いボーリングデータと、設計に使われたデータで前提が違う」

 

「だから設計が変わる」

 

「基礎の深さも工法も変わる」

 

 木村は淡々と続ける。

 

「古いデータが正しいなら、今の建物は重量だけで沈下してもおかしくない」

 

「その沈下で配管にも無理が掛かる」

 

 水田が続ける。

 

「給水管が破裂するのも不思議じゃない」

 

「なのに施工業者が瑕疵で訴えられてる」

 

「元々あった瑕疵の問題に、今回の給水管破裂による緊急修理まで追加された」

 

 田村が頷く。

 

「全部、建物を建てた後の問題に見える」

 

「でも、その原因が建設計画の段階まで遡る可能性がある」

 

 木村が言った。

 

 誰も返事をしなかった。

 

 田村が資料を一枚だけ見る。

 

 そこにあるのは、建設計画が始まった頃の記録。

 

 まだ銀行の建物すら存在しなかった時期。

 

 その後に現れる議員。

 

 変わる土地の条件。

 

 違う地盤資料。

 

 そして現在の瑕疵問題。

 

 一本の線になりつつある。

 

「……これが、あの金庫に入ってた」

 

 柴崎が呟いた。

 

「そう」

 

 佐伯が答える。

 

「だから銀行は焦ってる」

 

「盗まれた金じゃなくて?」

 

「金も困るだろうけど、あっちは保険がある」

 

 田村が言った。

 

「こっちは違う」

 

 五人の間に沈黙が落ちる。

 

 警察は強盗犯を追っている。

 

 銀行は失われた資料を恐れている。

 

 そして五人は。

 

 その資料が何を意味するのかを、すでに理解してしまっていた。

 

 田村が五枚のCDを見る。

 

「原本は俺が持つ」

 

「CDは?」

 

「それぞれ持っとけ」

 

 木村が頷いた。

 

 もう誰も、これをただの盗品とは思っていなかった。

 

 金なら使い道を考えればいい。

 

 だが、この資料は違う。

 

 誰かに渡せば、何が起こるか分からない。

 

 銀行へ返しても、警察へ持ち込んでも、同じだ。

 

 何より。

 

 これを手に入れたこと自体が、五人を事件の中心へ引き寄せている。

 

 田村は資料を閉じた。

 

「明日からは、銀行を調べるんじゃない」

 

「じゃあ何を?」

 

 柴崎が聞く。

 

「この土地が、銀行になるまでの七年間だ」

 

 田村は立ち上がった。

 

「そこに何があったのかを見る」

 

 警察が追っているのは、数週間前に起きた強盗事件。

 

 銀行が恐れているのは、失われた資料。

 

 そして五人が見始めたのは。

 

 そのさらに前。

 

 東央銀行という建物が、まだ存在すらしていなかった頃の話だった。

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