事件から数週間。
東央銀行の支店長室では、重い空気が漂っていた。
「警察から新しい報告は?」
「ありません」
「資料は?」
「……まだ見つかっていません」
支店長は黙って書類を閉じた。
事件そのものについては、警察が継続して捜査している。
だが、持ち去られた資料だけは戻ってこない。
そのことが、支店上層部を苛立たせていた。
「引き続き、警察には協力してください」
「はい」
担当者が部屋を出ていく。
支店長は一人になり、机の上に残った書類へ目を落とした。
現金だけなら、まだいい。
問題は、金庫から一緒に消えた資料だった。
*
警察。
捜査員が資料を机に並べていた。
「監視カメラは?」
「事件前後を中心に再確認しています。ただ、決定的な映像はありません」
「警備会社は?」
「警備員への聞き取りを終えています。異常が起きた時間帯についても確認しましたが、犯人に繋がるものはなし」
「金庫は?」
「金庫屋から報告が来ています」
捜査員が報告書を開く。
外側の金庫を固定していた接合部。
そこには非常に綺麗な切断痕が残っている。
「熱による切断痕は?」
「確認されていません。バーナーなどを使った形跡は薄いです」
「工具は特定できそうか?」
「現状では難しいですね」
別の捜査員がため息をつく。
「窓枠も調べましたが、施工業者からは『丁寧な仕事だが、技術的には特殊ではない』という話です」
「つまり?」
「腕のある人間ならできる。ただ、それだけでは犯人を絞れません」
捜査員は椅子へ座った。
監視カメラ。
警備会社。
金庫。
窓枠。
施工関係者。
調べられるところは調べている。
それでも、犯人へ繋がる線は見えない。
「……地道に続けるしかないな」
そう言って、捜査員は次の資料を手に取った。
*
その頃。
五人は事務所に集まっていた。
机の上には、スキャンした資料を焼いたCDが五枚。
その中央には原本が置かれている。
全員がそれぞれ資料を読み込み、ようやく全体を照合できるところまで来ていた。
「まず、土地だな」
佐伯が資料を広げた。
「建設計画の初期段階では、こっちが予定地だった」
地図を指差す。
「駅にも近いし、道路も広い。地盤もこっちの方がいい」
田村が別の資料を見る。
「じゃあ、なんで変えた?」
「議員だ」
佐伯が答える。
「途中で地元議員から別の土地を紹介されてる」
その土地は地元の有力地権者が所有していた。
立地は良い。
しかし、地盤には問題がある。
「地権者は自分の土地を売りたい」
佐伯が続ける。
「議員には別の思惑がある。元々の予定地を別の開発案件へ回したい」
「で、銀行は?」
「議員との関係。行政との調整。地域開発。土地取得の便宜」
佐伯は資料をめくった。
「三者それぞれに都合がいい」
「銀行も地盤が悪いことは知ってたんだよな?」
木村が聞く。
「知ってる」
「なのに選んだ」
「そう」
佐伯が次の資料を出した。
「そして、これ」
二枚のボーリング資料が並んだ。
「日付が違う」
「数値も違う」
木村が資料を見比べる。
「こっちなら地盤はかなり悪い」
「もう一方は?」
「かなり良く見える」
建築担当が腕を組む。
「前提が変わるな」
「どのくらい?」
「基礎の深さ、大きさ。場合によっては工法そのもの」
木村も頷いた。
「建物の荷重計算だって変わる。建物の重量をどこへ逃がすか決めるんだから、地盤の数字が違えば設計そのものが変わる」
古いボーリング資料を見つめる。
「こっちが正しいなら、沈下してもおかしくない」
「水道も無関係じゃない」
水田が言った。
「地盤が沈めば配管には無理が掛かる。俺らができるのは、せいぜい耐震管を使うとか、配管側で逃げを作るくらいだ。地盤そのものをどうにかする仕事じゃない」
田村が頷く。
「つまり、建物側の問題も配管の問題も、地盤次第で説明がつく」
「そうなる」
佐伯はさらに資料を並べた。
「そして、その地盤資料を使って設計が進む」
建築担当が資料を見る。
「設計事務所は、施主から渡された資料を前提に設計する」
「設計事務所も知らなかった?」
「少なくとも、全員が共犯だったとは読めない」
佐伯が別の資料を出した。
「むしろ一部では疑問を持ってる」
「でも施主が出した正式資料なら、それを使うしかない」
「そういうこと」
次に出てきたのは、施工業者の選定資料だった。
「で、俺たちの会社」
田村が見る。
「地権者から推薦されてる」
「大型銀行の支店工事なのに?」
「他の会社も候補に入ってる」
佐伯が入札資料を広げた。
「でも最終的に受注したのはうち」
木村が資料を見比べる。
「他社も参加してるのに、妙だな」
「結果として、うちが選ばれる流れになってる」
五人は黙った。
彼らは何も知らず、会社から割り振られた仕事として施工した。
設計図に従い、それぞれの担当を施工した。
そして完成後。
銀行は建物の瑕疵を主張した。
工事代金は支払われなくなった。
修繕費や損害賠償まで請求され、会社の資金繰りは悪化した。
その影響で、五人への給料の支払いまで滞っている。
そして今も裁判は続いている。
「……これ」
水田が呟いた。
「全部繋がってないか?」
佐伯が答える。
「俺もそう思う」
土地を変える。
地盤の問題を知っている。
地権者側から資料が出る。
その資料を前提に設計する。
地権者から施工業者を推薦する。
そして完成後、施工側へ瑕疵責任を負わせる。
田村が資料を一枚ずつ見ていく。
「これ、単なる施工トラブルじゃねえぞ」
木村が続けた。
「最初から責任を被せる相手を決めてたんじゃないか?」
佐伯が静かに頷く。
「銀行、地権者、議員」
机の上に並んだ資料を見渡す。
「三者で最初から話ができてたと考えれば、全部説明できる」
しばらく誰も喋らなかった。
田村が一枚の資料を持ち上げる。
「……これが外に出たら、銀行は相当困るな」
「困るどころじゃないだろ」
木村が言った。
「今の裁判で銀行が言ってること、その前提が崩れる」
「地盤資料も」
「土地を変えた経緯も」
「俺たちの会社が選ばれた流れも」
「全部残ってる」
水田が資料を見つめる。
「銀行がこれを取り戻したがる理由、普通に分かるわ」
田村がCDをケースへ戻す。
「そりゃ必死になるだろ」
五人は互いの顔を見た。
強盗の目的は金だった。
この資料を狙ったわけではない。
だが、偶然手に入れた資料は、自分たちが今まさに争っている裁判の根幹に繋がっていた。
しかもそこに記されていたのは、単なる施工ミスではない。
自分たちを責任の受け皿にするために、最初から組まれていた可能性のある計画だった。
「……まだ全部読み切ってない」
佐伯が残った資料を見る。
「なら、続きだ」
五人は再び資料へ向き直った。