一億七千万円の強盗   作:山門門山

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第二十四話 武器

事務所の時計が、深夜を回っていた。

 

 窓の外では、街灯の明かりが静かに道路を照らしている。

 

 机の上には、五枚のCDと大量の資料。

 

 そして、その隣には、銀行の金庫から持ち出された原本が置かれていた。

 

 五人は、しばらく誰も口を開かなかった。

 

 これまで何日もかけて資料を読み続けてきた。

 

 銀行の建設計画。

 

 当初予定されていた土地。

 

 そこから別の土地へ変更された経緯。

 

 地元議員。

 

 土地を所有していた地権者。

 

 地盤調査。

 

 設計。

 

 施工業者の選定。

 

 そして、完成後に銀行が施工側へ瑕疵を主張した記録。

 

 それらを一本の線として繋げていくと、五人が今まで巻き込まれていた裁判の形が、まるで違って見えてくる。

 

 田村が椅子に深く腰掛けた。

 

「……なあ」

 

 誰も返事をしない。

 

「これってよ」

 

 田村は机の上の資料を指で叩いた。

 

「俺らにとって、かなり使えるんじゃねえか?」

 

 木村が顔を上げた。

 

「使えるって?」

 

「保険だよ」

 

 その言葉に、四人の視線が集まった。

 

 田村は資料を一枚持ち上げた。

 

「俺らは銀行に訴えられてる。工事代金も払われてない。会社の金もなくなって、給料まで遅れてる」

 

「ああ」

 

「しかも、裁判はまだ終わってない」

 

「そうだな」

 

「だったら、これを銀行に突きつければいい」

 

 水田が腕を組んだ。

 

「どうやって?」

 

「知らねえよ」

 

 田村はあっさり答えた。

 

「だから今から考えるんだろ」

 

 木村が苦笑する。

 

「そこまで言っておいてノープランかよ」

 

「俺は思いついたことを言っただけだ」

 

「いつものことだな」

 

 佐伯が資料から目を離した。

 

「でも、田村の言ってることは分かる」

 

「だろ?」

 

「これは俺たちにとって、ただの証拠じゃない」

 

 佐伯は資料を机の中央へ戻した。

 

「銀行が俺たちを潰そうとしていたことを示せる可能性がある」

 

「可能性じゃねえだろ」

 

 木村が言った。

 

「少なくとも、そう疑うには十分すぎる」

 

 建築担当が古いボーリング資料を見た。

 

「この地盤資料だけでも大きい。もし古い方が正しいなら、設計の前提が違ってくる」

 

「建物の荷重計算も、基礎も変わる」

 

「それを銀行側が把握した上で別の資料を使ってたなら、俺らが施工不良を起こしたって話そのものがおかしくなる」

 

 水田が続ける。

 

「配管だってそうだ。地盤が沈んだなら、配管に負担が掛かるのは当然だ。俺らが勝手に変な施工をしたって話じゃない」

 

「それだけじゃねえ」

 

 佐伯が別の資料を指した。

 

「土地の変更だ」

 

 議員から話が来たこと。

 

 地権者が土地を持っていたこと。

 

 その土地に問題があることを銀行側が把握していたこと。

 

 そして、地権者から主人公たちの会社が推薦されていたこと。

 

「ここまで揃ってる」

 

 佐伯が言う。

 

「偶然でした、で全部片付けるのは難しい」

 

「だよな」

 

 田村が頷いた。

 

「俺らが知りたかったのは、銀行がなんであんなに強気だったのかってことだ」

 

「今なら分かる」

 

 木村が言った。

 

「最初から、こっちに責任を被せられると思ってたんだろ」

 

 その言葉が部屋に落ちた。

 

 誰もすぐには返さなかった。

 

 それは、五人が今までずっと抱えてきた疑問だった。

 

 なぜ銀行は、あれほど強硬だったのか。

 

 なぜ、施工側の説明を聞こうともせず、工事代金の支払いまで止めたのか。

 

 なぜ会社が資金繰りに困っていることを知りながら、修繕費や損害賠償まで求めてきたのか。

 

 そして、なぜ自分たちの会社がこの仕事を受注したのか。

 

 資料を読む前は、ただ運が悪かったとしか思えなかった。

 

 今は違う。

 

「……そう考えると腹立つな」

 

 水田が呟いた。

 

「こっちは普通に仕事しただけなのによ」

 

「だからこそだ」

 

 佐伯が言った。

 

「これを失うわけにはいかない」

 

 田村がCDを手に取る。

 

「五枚ある」

 

「原本もある」

 

「うん」

 

「なら、少なくとも俺たちの手元から全部消えることはない」

 

 木村がCDを見つめた。

 

「でも、これをどうする?」

 

「そこだ」

 

 田村はCDを机に戻した。

 

「銀行に持っていくか?」

 

「今?」

 

「今じゃねえ。使い道を考える」

 

 五人は顔を見合わせた。

 

 警察へ持っていく。

 

 それも一つの手だった。

 

 だが、それをやれば、五人自身の立場も問題になる。

 

 資料は銀行の金庫から持ち出したものだ。

 

 強盗事件そのものについて、五人が無関係ということにはならない。

 

 そもそも、彼らは銀行に忍び込んでいる。

 

 金庫を開け、現金を奪い、資料を持ち出した。

 

 資料の内容がどれほど重要でも、それだけで自分たちの行為が消えるわけではない。

 

「警察に出したら、俺らも終わりだろ」

 

 水田が言った。

 

「そうなるな」

 

「じゃあ、銀行に返す?」

 

 田村が首を横に振った。

 

「それも違う」

 

「なんで?」

 

「返したら終わりだからだ」

 

 田村は資料を見た。

 

「銀行がこれを受け取って、俺らに都合のいい証拠を残すと思うか?」

 

 誰も答えなかった。

 

「たぶん消す」

 

 木村が言った。

 

「証拠になるものを?」

 

「そりゃそうだろ」

 

「俺もそう思う」

 

 佐伯が頷く。

 

「少なくとも、俺たちが持っている間は、銀行にはどうにもできない」

 

 田村が笑った。

 

「だから保険なんだよ」

 

「でも、保険って言っても……」

 

 建築担当が言葉を濁す。

 

「俺らが捕まったら意味ないだろ」

 

「いや」

 

 佐伯が答えた。

 

「むしろ、捕まった時に意味がある」

 

 全員が佐伯を見る。

 

「逮捕された時の交渉材料にする」

 

 田村が一瞬黙った。

 

「……それだ」

 

 木村も考え込む。

 

「つまり、俺たちが資料を持っていることを利用する」

 

「そう」

 

 佐伯は慎重に言葉を選んだ。

 

「警察に対して、事件そのものをなかったことにしてもらうって話じゃない」

 

「当然だ」

 

「俺たちがやったことは、俺たちが責任を取るしかない」

 

「敷地への不法侵入」

 

「器物損壊」

 

「金を盗んだこと」

 

 水田が指を折る。

 

「そこは逃げられない」

 

 田村が頷いた。

 

「でも、銀行側だって困る」

 

「この資料が出ればな」

 

「そう」

 

 佐伯はCDを見る。

 

「銀行がこの資料の存在を認めたくないなら、少なくとも事件を大きくしたくない理由がある」

 

「盗難保険もか」

 

 木村が言った。

 

「そうなる」

 

 銀行が正式な被害届を維持し、盗難事件として処理を進めれば、保険の問題も出てくる。

 

 しかし、その裏には銀行自身が表に出したくない資料がある。

 

 五人がそれを持っている。

 

 そして、その資料が現在進行形で争われている裁判に繋がっている。

 

「銀行にとっては、金だけ盗まれた事件じゃない」

 

 田村が言った。

 

「この資料まで表に出たら、今まで俺らに言ってきたことを説明しなきゃならなくなる」

 

「だから、こっちにも交渉の余地がある」

 

 木村が呟く。

 

「……運が良ければ、銀行と話ができる」

 

「そういうこと」

 

 佐伯は頷いた。

 

「俺たちが捕まった時、銀行側が事件をこれ以上大きくしたくないなら、その時にこの資料が意味を持つ」

 

「被害届を取り下げる、とか?」

 

 水田が聞いた。

 

「銀行側がそう判断する可能性はある」

 

「そうなれば?」

 

「少なくとも、強盗事件として大きく争うよりは軽くなる可能性がある」

 

 田村が腕を組んだ。

 

「不法侵入と器物損壊が中心になれば?」

 

「それでも犯罪は犯罪だ」

 

 佐伯は釘を刺すように言った。

 

「数年の懲役になる可能性だってある」

 

「数年、か」

 

「ただ、事件の経緯や被害届の扱い、銀行側の対応次第では、情状酌量が考慮される余地はある」

 

 田村が黙った。

 

「つまり、完全に無傷では済まない」

 

「当たり前だ」

 

「でも」

 

 木村が資料を見る。

 

「人生全部終わるのと、数年で済む可能性があるのとじゃ、全然違う」

 

「そういうことだ」

 

 田村がCDをケースへ戻した。

 

「それに、うまくいけば銀行と交渉できる」

 

「何を?」

 

「まずは今の裁判だろ」

 

 その言葉で、部屋の空気が変わった。

 

 工事代金。

 

 会社の資金繰り。

 

 遅れている給料。

 

 銀行から突き付けられた瑕疵責任。

 

 五人にとっては、今の生活そのものに関わる問題だった。

 

「俺らがこの資料を持ってる限り、銀行は無視できない」

 

 田村が言った。

 

「だったら、交渉する価値はある」

 

 佐伯も頷く。

 

「ただし、俺たちから銀行に持ちかける必要はない」

 

「どういうこと?」

 

「今は何もしない」

 

 佐伯がCDを見る。

 

「俺たちが捕まった時に初めて、この資料が交渉材料になる」

 

「……切り札として残すってことか」

 

「そう」

 

 五人は黙った。

 

 それが、一番現実的だった。

 

 今すぐ銀行へ行けば、自分たちから切り札を差し出すことになる。

 

 警察へ渡しても同じだ。

 

 ならば、最後まで手元に残しておく。

 

 必要になった時だけ使う。

 

「ただな」

 

 田村が言った。

 

「これ、銀行が俺らの資料を欲しがってるってことは間違いないよな」

 

「そこは間違いないだろ」

 

 木村が答える。

 

「これが出たら、今の裁判にも影響する」

 

「地盤資料だけじゃねえ」

 

 佐伯が言った。

 

「土地変更の経緯。議員。地権者。施工業者の選定。銀行が最初から何を知っていたか」

 

 資料を一枚ずつ重ねる。

 

「全部が繋がってる」

 

「銀行にとっては、ただの盗難品じゃない」

 

 水田が言った。

 

「自分たちが表に出したくない過去そのものだ」

 

 田村はしばらく黙っていた。

 

 そして、静かに言った。

 

「だったら、俺たちにも武器はある」

 

 誰も笑わなかった。

 

 それは金でも銃でもない。

 

 紙とデータ。

 

 ただの資料だった。

 

 だが、その中身は五人の人生を壊した裁判の根本に繋がっている。

 

 そして同時に、銀行が今後も表に出したくないであろう事実を記録している。

 

「保管場所、もう一回確認しよう」

 

 佐伯が言った。

 

「CDは五枚。それぞれ別にする」

 

「原本は?」

 

「原本も別」

 

「誰か一人が全部持つのはやめよう」

 

 五人はそれぞれ頷いた。

 

 資料を守ること。

 

 それだけは、今までの仕事以上に慎重でなければならなかった。

 

 田村が最後に机の上を見渡す。

 

「これが俺らの保険だ」

 

 誰も否定しなかった。

 

 彼らはまだ知らない。

 

 この資料が、銀行にとってどれほど深刻な意味を持つのか。

 

 そして、銀行がこの資料を失ったことによって、どれほど追い詰められているのか。

 

 ただ一つ分かっていることがある。

 

 自分たちがこれまで背負わされてきたものが、すべて施工不良だったわけではない。

 

 その可能性を証明する材料が、今、自分たちの手元にある。

 

 五人は資料を片付けた。

 

 裁判はまだ終わっていない。

 

 会社の金も戻っていない。

 

 給料の問題も解決していない。

 

 そして、自分たち自身が強盗事件の容疑者になる可能性も消えてはいない。

 

 それでも。

 

 初めて五人は、自分たちが一方的に追い詰められているわけではないと感じていた。

 

 田村が部屋の明かりを消す。

 

「帰るぞ」

 

「資料は?」

 

「持ってく」

 

 五人はそれぞれ別々にCDを手に取った。

 

 その中には、銀行が絶対に失いたくなかった過去が記録されていた。

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