休日の朝。
五人は、いつも仕事へ向かう時とは少し違う顔で車に乗っていた。
目的地は、ホームセンターだった。
高級車の販売店でもなければ、宝石店でもない。
工具売り場である。
「……なんか妙な感じだな」
佐伯が店の駐車場を見ながら言った。
「何が?」
木村が聞く。
「一億七千万持ってる奴が、朝一番からホームセンターだぞ」
「いいだろ」
木村が笑う。
「今日は買うんだよ」
「何を?」
「前から欲しかったもの」
五人は車を降りた。
店内へ入ると、入口付近から工具や作業用品が並んでいる。
見慣れた光景だった。
普段なら会社の仕事として必要なものを買う場所。
あるいは、自分の道具が壊れた時に仕方なく買い替える場所。
だが今日は違った。
財布の中身を気にする必要がない。
もちろん、だからといって何でも買うつもりはない。
五人とも、金を持ったからといって急に生活そのものを変える気にはなっていなかった。
「じゃあ、俺はこっち」
田村が電気工具の棚へ向かった。
「俺も」
佐伯が建築工具の方へ歩いていく。
「俺は給排水」
水田も別の棚へ向かう。
「ガスはこっちだな」
柴崎が続く。
最後に木村が土木用品の並ぶ一角へ向かった。
五人はそれぞれ、自分の仕事で使うものを見て回った。
最初に立ち止まったのは田村だった。
「……あった」
棚から工具を取り出す。
「これ、前に言ってたやつ?」
佐伯が横から覗き込む。
「そう」
「いくら?」
「……十一万ちょっと」
田村は値札を見る。
そして工具を手にしたまま黙った。
「買わないのか?」
「いや……」
「一億七千万」
「分かってる」
「十一万だぞ」
「分かってるって」
田村は苦笑した。
「でも十一万って普通に高いだろ」
佐伯も笑う。
「まあ、それはそうだな」
田村は工具を棚へ戻しかけた。
そして、もう一度手に取る。
「……買う」
「決めたか」
「前から欲しかったんだよ」
田村はそのまま買い物籠へ入れた。
それだけでは終わらなかった。
以前から使っていた工具の中で、少し古くなっていたものも買い替える。
ただし、まだ十分使えるものは買わない。
「これも欲しかったけど……まだ使えるな」
田村は別の工具を見て、棚へ戻した。
「こっちは?」
「それもまだいい」
「金あるのに?」
「だからって無駄に買う理由にはならんだろ」
田村はそう言った。
結局、田村がホームセンターで選んだものは十数万円だった。
次は水田だった。
水田は給排水関係の工具を見て回り、いくつか手に取っては戻していく。
「これは?」
木村が聞く。
「便利だけど、今のでも足りる」
「じゃあこれは?」
「……それは欲しい」
「いくら?」
「八万くらい」
「買えばいいじゃん」
「これは買う」
水田は即答した。
さらに別の工具を一つ。
そして作業用の道具をいくつか選ぶ。
「結局、いくらになった?」
「三十万ちょっと」
「結構買ったな」
「ずっと欲しかったやつだからな」
水田は満足そうに袋を見る。
「こういうの、今までは給料と相談してたからな」
「分かる」
柴崎が頷いた。
「俺もそうだ」
柴崎もガス関係の工具を見ていた。
ただ、柴崎は慎重だった。
棚から工具を取り出しては、値札を見る。
八万円。
六万円。
十二万円。
「……これ全部欲しいのか?」
木村が聞く。
「欲しい」
「じゃあ買えばいいだろ」
「でも、今使ってるのがある」
「またそれかよ」
「いや、そこは考えるだろ」
柴崎は真剣だった。
結局、以前から欲しかった工具を中心に選び、消耗品なども含めて三十万円台後半になった。
「三十七万か」
柴崎が会計前で確認する。
「……まあ、いいか」
「まだ悩んでるぞ」
田村が笑う。
「三十七万だぞ?」
「分かってる」
「一億七千万あるぞ」
「それも分かってる」
「じゃあいいだろ」
「だから金額の問題じゃないんだよ」
柴崎は苦笑した。
「自分で買うとなると、三十七万は三十七万だ」
誰もそれには反論しなかった。
佐伯も同じだった。
建築関係の工具を見て回る。
測定器具。
電動工具。
細かな作業工具。
以前から欲しかったものをいくつか見つける。
「これ、会社のやつより良いやつだな」
木村が言う。
「だから欲しかったんだよ」
佐伯が工具を手に取る。
値札を見る。
「……十五万」
「買えよ」
「これは悩む」
「またか」
佐伯は工具を置く。
「今のでも仕事はできるからな」
少し考える。
もう一度手に取る。
「でも、前から欲しかったんだよな……」
結局、買った。
それ以外にもいくつか買い、佐伯は四十万円を少し超えた。
「四十万超えたか」
「まあ、これくらいなら」
「珍しく迷わなかったな」
「前から欲しかったものだからな」
佐伯は袋を持ち上げる。
「こういうのは買っていいだろ」
最後は木村だった。
木村は土木関係の道具を見て回っていた。
そして、他の四人より少し買うものが多かった。
「お前、結構いってるぞ」
田村がレシートを見て言った。
「いくら?」
「五十万近い」
「……まあ、こんなもんだろ」
「お前だけ多いな」
「欲しかったんだから仕方ねえだろ」
木村は土木関係の道具をいくつか買っていた。
特に以前から欲しかった工具は、かなり気に入っているらしい。
「でもミニユンボは買わないぞ」
木村が先に言った。
「まだその話してたのか」
「前に言っただろ。独立するなら欲しいって」
「新車で買ったら金が飛ぶぞ」
「分かってる」
木村は笑った。
「今日は道具だけ」
五人は会計を済ませた。
それぞれの袋を見る。
誰も百万円単位で買い物をしたわけではない。
だが、全員合わせればかなりの金額になった。
工具だけで、おおむね三十万から五十万円程度。
それぞれの買い物はばらけていたが、全員が自分の仕事で使うものだった。
「結構使ったな」
田村が言う。
「でも、全部欲しかったものだ」
水田が答える。
「そうだな」
佐伯も頷く。
店を出る。
五人は車へ荷物を積み込んだ。
そこで木村がふと思い出したように言った。
「なあ」
「何?」
「車も見に行かないか?」
田村が振り返る。
「車?」
「前に言ってただろ」
木村が言う。
「ハイエース」
「ああ」
佐伯が頷いた。
「欲しいって言ってたな」
「俺だけじゃないだろ」
木村が笑う。
「仕事で使うならハイエース便利だし」
五人の間に、妙な沈黙が生まれた。
「……行くか」
田村が言った。
向かったのは自動車販売店だった。
そこで五人は、仕事で使うことを考えながら車を見て回った。
ハイエース。
荷物が積める。
工具も載せられる。
現場へ行くにも使える。
五人にとって、単なる乗用車とは少し意味が違った。
「これいいな」
水田が荷室を見る。
「配管道具も積める」
「俺もこれ欲しい」
柴崎が言う。
「仕事用に一台あると便利だよな」
田村も頷く。
木村は運転席に座っていた。
「……いいな」
「お前、完全に気に入ってるじゃねえか」
「だって前から欲しかったんだよ」
「またそれか」
五人は笑った。
価格を聞く。
さすがに工具とは桁が違う。
木村は少し黙った。
「どうする?」
田村が聞く。
「……買う」
「早いな」
「前から欲しかった」
木村はそれだけ言った。
結局、木村は仕事でも使いやすい仕様のハイエースを選んだ。
他の四人もそれぞれ車を見た。
ただし、全員が新車を買うわけではなかった。
「俺はこれじゃない」
佐伯が言う。
「じゃあ何探してる?」
「前に乗ってた車」
「まだ買えるのか?」
「中古で探せばあると思う」
佐伯は、以前生活が苦しくなった時に手放した車があった。
その車は決して高級車ではなかった。
仕事に使えて、普段の生活にも使える。
長く乗っていた分、愛着もあった。
だが、生活費が足りなくなり、どうしても金が必要になった時に手放した。
「まだ乗れたんだけどな」
佐伯が言った。
「でも、あの頃は仕方なかった」
その車を、今度は買い戻す。
同じ車種。
同じ型。
以前の車そのものが残っているかは分からない。
それでも、同じ車を探した。
「……あった」
後日、佐伯はその車を見つけた。
状態を確認する。
少し年式は古い。
傷もある。
だが、それでいい。
「これにする」
佐伯はそう決めた。
田村にも、以前手放した車があった。
水田にもあった。
柴崎は今まで乗っていた車をそのまま使うつもりだったが、仕事用にハイエースを一台持つことを考え始めた。
五人それぞれ事情は違った。
新しいものを買う者。
以前から欲しかった車を買う者。
昔手放した車を買い戻す者。
共通していたのは、派手な車を買いたいという話ではなかったことだった。
「なんか変だな」
田村が言った。
「何が?」
「一億七千万も持ってるのに、結局俺らが欲しいのって仕事道具と車なんだな」
「いいじゃねえか」
木村が答える。
「俺らはそれしか知らねえんだから」
「それもそうか」
五人は笑った。
車を買う時も、工具を買う時と同じだった。
金額を見る。
必要性を考える。
以前なら諦めていたものを、本当に欲しいなら買う。
ただし、何でも買うわけではない。
数十万円の買い物でも、普通に悩む。
そして、買った後には少しだけ嬉しくなる。
それは一億七千万を手にした今でも変わらなかった。
数日後。
五人はそれぞれ、自分の新しい道具と車を手にしていた。
仕事へ向かう朝。
新しいハイエースの荷室には、買ったばかりの工具が積まれている。
買い戻した車の中にも、新しく買った工具がある。
「……やっぱいいな」
木村がハイエースの荷室を眺める。
「何が?」
「自分の車に、自分で買った道具が積んである」
「仕事するだけだろ」
「それがいいんだよ」
木村は笑った。
以前なら、会社から借りた道具を使い、会社の車で現場へ向かっていた。
それが当たり前だった。
今は違う。
自分の金で買った工具。
自分で選んだ車。
それだけのことなのに、少しだけ気分が違う。
「傷つけんなよ」
田村が言う。
「現場行ったら傷くらいつくだろ」
「新車だぞ」
「仕事で使うんだから仕方ねえだろ」
五人が笑う。
金を持ったからといって、仕事を辞めるわけではない。
五人とも、今の仕事を続けるつもりだった。
それぞれの所属会社も、銀行との裁判を抱えたままだ。
給料だって、以前と同じように遅れることがある。
それでも五人は現場へ行く。
工具を持って。
自分で選んだ車に乗って。
そして、今まで通り仕事をする。
ただ、少しだけ違う。
以前なら買えなかったものを、買えるようになった。
それだけだった。
その日の朝。
木村がエンジンをかける。
「行くぞ」
「おう」
五人はそれぞれの車で、仕事へ向かった。
新しい工具は、まだ袋から出したばかりだった。
その工具が、これから何年使われるのか。
五人には分からない。
ただ一つ分かっていたのは――
金を手にした後でも、自分たちが欲しかったものは、結局これまで仕事をしてきた中で「いつか買いたい」と思っていたものだった。
工具。
車。
そして、いつか独立した時に使いたいと思っていた重機。
派手な買い物ではない。
けれど五人にとっては、それで十分だった。