一億七千万円の強盗   作:山門門山

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第三十話 ニアミス

夕方。

 

 その日の仕事を終えた佐伯建が、会社の車へ道具を積み込んでいたところで、携帯電話が鳴った。

 

「はい」

 

『佐伯さん?』

 

 聞き慣れた声だった。

 

 行きつけのキャバクラの女からだった。

 

「どうした?」

 

『今日ね、警察が来たの』

 

「……警察?」

 

 佐伯の手が止まった。

 

『うん。二人。聞き込みだって』

 

「何を聞かれた?」

 

『佐伯さんたちのこと』

 

 佐伯は黙った。

 

 ほんの数秒だったが、電話の向こうにもその沈黙が伝わったらしい。

 

『あの……大丈夫?』

 

「いや。続けて」

 

『五人くらいの工事関係の人が来ないかって聞かれたの』

 

「それで?」

 

『いつも来てくれる人たちですって答えたよ』

 

「他には?」

 

『それだけ』

 

 佐伯は小さく息を吐いた。

 

 警察が来た。

 

 自分たちのような五人組の工事関係者について聞いていった。

 

 分かっているのはそれだけだった。

 

『ねえ、佐伯さん』

 

「ん?」

 

『何か悪いことしたの?』

 

「してねえよ」

 

『本当に?』

 

「本当だって」

 

『ならいいけど……』

 

 声が心配そうになる。

 

『だって警察が来たって聞いたら、何かあったのかなって』

 

「心配すんな。俺たちは何もしてねえよ」

 

『うん……』

 

「それより、警察には余計なこと言ってないよな?」

 

『言ってないよ。聞かれたことに答えただけ』

 

「そうか。ありがとな」

 

『うん。また来てね』

 

「ああ」

 

 電話を切った。

 

 佐伯はしばらく携帯を手にしたまま立っていた。

 

 一年前の銀行強盗事件。

 

 それについて警察が捜査していること自体は、何も不思議ではない。

 

 だが、一年経った今になって、自分たちが普段行く店にまで聞き込みに来た。

 

 それだけは気になった。

 

 とはいえ、警察が自分たちを犯人だと知っていると考える材料はない。

 

 そもそも、電話の話だけなら、周辺の聞き込みの一環として工事関係者を探しているだけとも考えられる。

 

「……みんなにも連絡しとくか」

 

 佐伯はそう呟いた。

 

     *

 

 ほぼ同じ頃。

 

 木村土志のところにも電話が入っていた。

 

「もしもし」

 

『木村さん?』

 

「おう」

 

『今日、お店に警察来たよ』

 

「警察?」

 

『うん。二人来て、いろいろ聞いてった』

 

「何を聞かれた?」

 

『五人くらいで来る工事関係の人はいないかって』

 

 木村の顔から笑みが消えた。

 

「それで?」

 

『いつも来てくれるお客さんですって言った』

 

「それ以外は?」

 

『何も言ってないよ』

 

「そうか」

 

 木村は煙草を取り出した。

 

『ねえ、木村さん』

 

「ん?」

 

『ほんとに何もしてない?』

 

「してねえよ」

 

『ならいいけど』

 

「何だよ」

 

『だって警察が聞きに来たんだもん』

 

「大丈夫だって」

 

『本当に?』

 

「本当だ」

 

 木村は笑った。

 

「心配しすぎだ」

 

『ならいいけど』

 

「また顔出すから」

 

『待ってる』

 

 電話が切れた。

 

 木村は煙草に火をつけた。

 

 警察。

 

 自分たちのことを聞かれた。

 

 それだけなら、今の段階では何も分からない。

 

 ただ、佐伯にも同じ話が来ているなら、五人で共有しておいた方がいい。

 

 木村は佐伯に電話を掛けた。

 

「俺のところにも来た」

 

『やっぱりか』

 

「お前んとこにも?」

 

『ああ』

 

「今夜集まるか」

 

『そうしよう』

 

「いつものところで」

 

『分かった』

 

     *

 

 水田浩にも連絡がついた。

 

 柴崎にも連絡した。

 

 田村電司にも連絡した。

 

 五人とも、警察が自分たちの行きつけの店へ来ていたことを知った。

 

 そして、その日の仕事を終えてから、いつもの場所に集まった。

 

「全員来たな」

 

 佐伯が言った。

 

「俺から話すぞ」

 

 木村が椅子に座る。

 

「俺のところには、店の女から電話が来た。警察が二人来て、俺たちみたいな五人組の工事関係者が来ないか聞いたらしい」

 

「俺も同じだ」

 

 水田が言った。

 

「うちも」

 

 柴崎が続く。

 

「俺のところもだ」

 

 田村も答えた。

 

 五人が顔を見合わせる。

 

「聞かれた内容は?」

 

 佐伯が尋ねた。

 

「五人組の工事関係者」

 

「常連かどうか」

 

「何か事件について話してないか、だったって」

 

「俺も似たようなもん」

 

 全員が頷いた。

 

 佐伯は腕を組んだ。

 

「店は?」

 

「余計なことは言ってない」

 

 木村が答える。

 

「俺のところも」

 

「俺も」

 

「同じ」

 

「うちもだ」

 

 佐伯は頷いた。

 

「なら、それでいい」

 

 それ以上、話すことはなかった。

 

 警察が何を考えているのか。

 

 どこまで捜査しているのか。

 

 何を根拠に工事関係者を探しているのか。

 

 五人には分からない。

 

 分からない以上、勝手な想像を膨らませても意味がない。

 

「今のところ、俺たちが何か掴まれたって話じゃない」

 

 水田が言った。

 

「そうだな」

 

 佐伯が答える。

 

「店から聞いた話だけだ」

 

「なら、今まで通りでいいだろ」

 

 柴崎が言った。

 

「ただ、何かあったらすぐ連絡する」

 

 田村が続ける。

 

「一人で判断しない」

 

「それでいい」

 

 五人はそれだけを確認した。

 

 警察に追われていると決めつけることもしない。

 

 逆に、何もないと決めつけて気を抜くこともしない。

 

 普段通りにする。

 

 何かあれば共有する。

 

 それだけだった。

 

 しばらくして木村が時計を見た。

 

「……せっかく集まったんだし、飲みに行くか?」

 

「お前、さっきまで真面目な顔してたのに」

 

 水田が笑う。

 

「だからだよ。こんな話だけして解散したら気分悪いだろ」

 

「それもそうだな」

 

 佐伯も笑った。

 

「この前の店に顔出すか」

 

「ああ」

 

 木村が立ち上がる。

 

「心配してくれてたみたいだしな」

 

「じゃあ行くか」

 

 五人は店を出た。

 

 いつもと同じように。

 

     *

 

 店の扉を開けると、すぐに声が飛んできた。

 

「来た!」

 

「ほんとに来た!」

 

「警察来たから心配してたんだよ!」

 

 五人は思わず笑った。

 

「大げさだな」

 

 木村が席へ向かう。

 

「何もしてねえって」

 

「ほんと?」

 

「ほんとだよ」

 

 女が佐伯の顔を覗き込む。

 

「ならいいけど」

 

「心配してくれてたのか?」

 

「そりゃするよ」

 

 別の女が言った。

 

「いつも来てくれるんだから」

 

 その言葉に、五人は少し照れたように笑った。

 

「今日は飲むぞ」

 

 木村が言った。

 

「また始まった」

 

「いいだろ」

 

「まあな」

 

 酒が運ばれてくる。

 

 五人はいつものように飲み始めた。

 

 警察の話は、最初に少し出ただけだった。

 

 それ以上、誰も話さなかった。

 

 店側も聞かなかった。

 

 五人も、自分たちから何かを話すことはなかった。

 

 ただ、いつもの客として過ごす。

 

 いつものように女たちと話し、くだらないことで笑い、酒を飲む。

 

 それだけだった。

 

「しかし、本当に何もしてないんだよね?」

 

 女がもう一度聞いた。

 

「してねえって」

 

 木村が笑う。

 

「だったらいいけど」

 

「お前ら、俺らを何だと思ってんだ」

 

「工事のおじさん」

 

「おじさんは余計だ」

 

 店内に笑い声が広がった。

 

 五人にとっては、いつもの夜だった。

 

     *

 

 その頃。

 

 店の奥の席にも、二人の男が座っていた。

 

「ここ、結構いいな」

 

 一人が言った。

 

「でしょう?」

 

 もう一人が笑う。

 

 二人とも私服だった。

 

 昼間、周辺の聞き込みをしていた刑事だった。

 

 仕事を終えたあと、たまたま入ったこの店が気に入り、そのまま飲んでいる。

 

「今日は結構歩きましたね」

 

「歩いたな」

 

「もう足が痛いですよ」

 

「運動不足だろ」

 

「先輩に言われたくないですよ」

 

 二人が笑った。

 

 昼間の仕事の疲れもあって、酒が進んでいた。

 

「しかし、ここは落ち着くな」

 

「高い店より、こういうところの方がいいですね」

 

「分かる」

 

「また来ます?」

 

「来ようかな」

 

 二人は店内を見回した。

 

 特に変わったところはない。

 

 常連客がいて、女たちがいて、酒があって、店員が忙しそうに動いている。

 

 ただの夜の店。

 

 それ以上のものではない。

 

 そして、刑事たちの視線の先には、五人の男たちがいた。

 

 だが、まだ気づいていない。

 

 昼間、聞き込みをした店で話題に出た客たちが、まさか自分たちのいる店に来ているとは思っていなかった。

 

 五人の側も同じだった。

 

 自分たちの店に来た刑事が、同じ店で酒を飲んでいる。

 

 そんなことは知る由もない。

 

「おい、佐伯」

 

「ん?」

 

「これうまいぞ」

 

「お前さっきから食ってばっかだな」

 

「仕事終わりだからいいんだよ」

 

「まあいいけどな」

 

 五人が笑う。

 

 少し離れた席でも、刑事たちが笑っている。

 

 同じ店。

 

 同じ夜。

 

 けれど、両者の間に会話はない。

 

 刑事たちにとって、五人はただの客だった。

 

 五人にとって、刑事たちはただ酒を飲みに来た客だった。

 

 今日聞き込みを受けたことも。

 

 今日警察が周辺を回っていたことも。

 

 今ここで、昼間の刑事と同じ時間を過ごしていることも。

 

 五人には分からない。

 

 刑事たちにも、五人が何者なのかを知る材料はない。

 

 だから、その夜は何も起こらなかった。

 

 五人はいつも通り酒を飲み、笑った。

 

 刑事たちも、気に入った店で酒を飲み続けた。

 

 そして、夜は静かに過ぎていった。

 

     *

 

 店を出る頃には、五人ともすっかり普段の調子を取り戻していた。

 

「今日は楽しかったな」

 

 水田が言う。

 

「まあな」

 

 柴崎が答える。

 

「警察の話なんかしてたのが馬鹿らしくなった」

 

 木村が笑う。

 

「だからって油断すんなよ」

 

 佐伯が釘を刺す。

 

「分かってる」

 

 田村が答えた。

 

「何かあれば連絡する。それだけだ」

 

「そうだ」

 

 五人はそれぞれの帰路についた。

 

 特別なことは何もない。

 

 少なくとも、五人にはそう思えた。

 

 そして店の中では、二人の刑事がもう少しだけ酒を飲んでいた。

 

「また来ましょうよ」

 

「そうだな」

 

 二人は笑った。

 

 まさかその店が、今日聞き込みをした客たちの行きつけだとは知らない。

 

 そして五人も、まさか自分たちのすぐ近くで、その聞き込みをした刑事が酒を飲んでいたとは知らない。

 

 偶然は、何も起こさないまま過ぎていった。

 

 ただその夜を境に、五人は少しだけ周囲を見るようになった。

 

 そして警察の側でも、捜査は静かに続いていた。

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