一億七千万円の強盗   作:山門門山

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第三話ガス会社

 

第三話 ガス会社

 

 朝。

 

 佐伯の会社の資材倉庫に、五人の男が集まっていた。

 

 普段なら、朝から工具の音やトラックのエンジン音が響いている時間だった。

 

 しかし、その日は少し違った。

 

 五人の前に、見慣れない作業服が五着並んでいる。

 

 ガス会社の作業服だった。

 

「……本当にこれ着るのか?」

 

 田村が一着を持ち上げる。

 

「そのために借りたんだろ」

 

 柴崎が答えた。

 

「分かってるけどよ」

 

 田村は作業服を広げる。

 

「なんか新鮮だな」

 

「俺もだ」

 

 水田が手に取る。

 

「他社の作業服なんて着る機会ないからな」

 

 木村も笑う。

 

「ちょっと楽しいな、これ」

 

「お前ら、遠足じゃねえぞ」

 

 佐伯が呆れた。

 

「分かってるって」

 

 四人は笑いながら袖を通す。

 

 ところが。

 

「待て」

 

 柴崎が言った。

 

「袖、捲るな」

 

 田村が止まる。

 

「え?」

 

「袖はそのまま」

 

「暑いぞ」

 

「駄目だ」

 

「何でだよ」

 

「作業服の着方があるんだよ」

 

 柴崎は真顔だった。

 

「ガスの仕事で袖捲って作業する奴なんか信用されねえぞ」

 

「そこまで?」

 

「そこまでだ」

 

 柴崎は四人を順番に見る。

 

「襟」

 

「はい」

 

「袖」

 

「はい」

 

「裾」

 

「はい」

 

「靴」

 

「はいはい」

 

「返事が軽い」

 

「うるせえな!」

 

 倉庫に笑い声が響いた。

 

 普段は別々の会社で働く五人。

 

 他社の作業服を着るだけで、妙に新鮮だった。

 

 だが柴崎だけはいつも通りだった。

 

 ガス会社の作業員として現場に入る以上、服装を崩すことは許さない。

 

「それでいい」

 

 最後に柴崎が全員を見渡した。

 

「ちゃんとした作業員に見える」

 

「最初からそう言えよ」

 

 田村が笑った。

 

 

 今回の訪問には、表向きの理由がある。

 

 銀行側には事前に連絡してある。

 

 ガス設備について、自主的な確認を行いたい。

 

 建物の完成から数年。

 

 定期的な保守とは別に、設備の状態を確認しておく。

 

 特に東央銀行には、通常のガス設備だけではなく、非常時の電源確保を目的としたコージェネレーションシステムが設置されている。

 

 柴崎にとっては、自分が施工に関わった設備だった。

 

「話は通ってる」

 

 柴崎が確認する。

 

「銀行側の担当にも連絡済みだ」

 

「なら大丈夫だな」

 

 佐伯が答えた。

 

「行くぞ」

 

 五人は車に乗り込んだ。

 

 

 東央銀行。

 

 数日前まで図面の上でしか見ていなかった建物が、目の前にある。

 

 五人は入口の前で一度だけ立ち止まった。

 

「……行くぞ」

 

 柴崎を先頭に、銀行へ入る。

 

「おはようございます」

 

 柴崎が受付に声を掛ける。

 

「ガス設備の確認で伺った者です」

 

「ああ、お待ちしていました」

 

 受付の担当者が応じる。

 

 事前に話が通っている。

 

 必要な確認を済ませ、担当者と簡単なやり取りを交わす。

 

 少し離れたところにいた警備担当とも顔を合わせた。

 

「お世話になります」

 

「今日は設備関係ですか?」

 

「はい。ガス設備と発電設備の確認です」

 

「分かりました」

 

 そこで軽い雑談が始まった。

 

 最近の気温。

 

 設備の調子。

 

 建物が完成してから何年になるか。

 

 そんな、ごく普通の業者と銀行側の会話。

 

 田村は横で聞いていた。

 

 妙な感じだった。

 

 自分たちは今、これから強盗を計画している銀行の中にいる。

 

 それなのに、周囲から見ればただの設備業者だ。

 

「では、お願いします」

 

「ありがとうございます」

 

 柴崎が頭を下げる。

 

 五人は銀行内部へ進んだ。

 

 

 中に入った瞬間。

 

 佐伯の目が変わった。

 

 建物を見る職人の目だった。

 

 柱。

 

 壁。

 

 床。

 

 天井。

 

 階段。

 

 何年経っても、そう簡単には変わらない部分。

 

「……懐かしいな」

 

 佐伯が呟く。

 

「何が?」

 

 田村が聞く。

 

「ここ」

 

 佐伯が壁を見る。

 

「俺が施工した」

 

「俺も」

 

 田村が天井を見る。

 

「照明は変わってるな」

 

「照明くらいはな」

 

 佐伯が頷く。

 

「器具の交換は普通にある」

 

 田村は天井を見上げた。

 

「でも配線は変わってない」

 

「だろうな」

 

 数年程度で、建物全体の電気配線をやり直す理由などない。

 

 水田も天井を見る。

 

「給排水もほとんど当時のままだ」

 

「配管なんか数年で全部やり直す方がおかしい」

 

 木村が言う。

 

「基礎も外構も当然そのまま」

 

 佐伯は苦笑した。

 

「当たり前だ」

 

 五人にとっては、それがむしろ重要だった。

 

 図面と現実が一致している。

 

 自分たちが施工した建物なのだから当然だった。

 

 

 設備区画へ向かう。

 

 柴崎の表情が少しずつ変わっていった。

 

 そして、コージェネレーションシステムが見えた瞬間。

 

「……あった」

 

 柴崎が足を止める。

 

 田村も見る。

 

「これか」

 

「そう」

 

 柴崎は設備をじっと眺めた。

 

「俺たちが入れたやつだ」

 

 数年前の施工時と、ほとんど変わっていない。

 

 定期的な保守や部品交換はされている。

 

 しかし、設備そのものは当時のものだった。

 

「まだ現役なんだな」

 

 田村が言う。

 

「そりゃそうだろ」

 

 柴崎が笑う。

 

「これ、いくらすると思ってんだ」

 

「だよな」

 

「数年で丸ごと交換なんて、そうそうやるかよ」

 

 柴崎は少し誇らしそうだった。

 

「俺らが入れた設備が、今も銀行の非常用電源を支えてる」

 

 田村が電気側を見る。

 

「こっちも当時のままだ」

 

「だろ?」

 

「懐かしいな」

 

 佐伯は二人の会話を聞いていた。

 

 あの頃。

 

 五人はただ仕事をしていた。

 

 銀行が何のために建つのか。

 

 誰が使うのか。

 

 そんなことはどうでもよかった。

 

 自分たちの担当した仕事を、予定通り終わらせる。

 

 それだけだった。

 

 しかし今は違う。

 

 この建物を建てた経験そのものが、彼らの計画の根幹になっている。

 

 

 柴崎が設備を確認している間、他の四人も周囲を見る。

 

 田村は電気設備。

 

 水田は配管。

 

 木村は建物と床。

 

 佐伯は全体。

 

 それぞれが、自分の専門分野を見る。

 

「ここは?」

 

 木村が小声で聞く。

 

「図面通りだ」

 

 佐伯が答える。

 

「こっちも」

 

 水田。

 

「問題ない」

 

 田村。

 

「電気も大きくは変わってない」

 

 五人は顔を見合わせた。

 

 図面と現実。

 

 ほとんど一致している。

 

 それは当然のことだった。

 

 自分たちが施工したのだから。

 

 むしろ、違っている方がおかしい。

 

 変わっているのは、照明や備品などの細かな部分。

 

 建物の骨格や設備そのものは、数年前の完成時からほぼ変わっていない。

 

 ただ一つ。

 

 五人が図面を持っていないものがある。

 

 警備設備だった。

 

 それだけは後から入った。

 

 佐伯は天井の一部を見る。

 

「……あれは知らんな」

 

 田村が頷く。

 

「俺も」

 

「警備屋の仕事だ」

 

「そういうこと」

 

 五人の間で、それ以上の話はしなかった。

 

 

 しばらくして、銀行側の担当者が戻ってきた。

 

「確認は終わりそうですか?」

 

「はい」

 

 柴崎が答える。

 

「問題ありません」

 

「それはよかったです」

 

「コージェネの方も問題なさそうです」

 

「ありがとうございます」

 

 担当者が笑う。

 

「何かあれば、またお願いします」

 

「もちろんです」

 

 五人はそのまま受付へ戻った。

 

 警備担当に挨拶する。

 

「ありがとうございました」

 

「こちらこそ」

 

 ほんの短いやり取り。

 

 そして銀行を出た。

 

 

 外に出る。

 

 田村が大きく息を吐いた。

 

「……疲れた」

 

「何もしてねえだろ」

 

 木村が笑う。

 

「それでも疲れるんだよ」

 

「分かる」

 

 水田も笑う。

 

 田村は自分の作業服を見る。

 

「でも、これ着て銀行歩くの、ちょっと面白かったな」

 

「お前まだ言ってるのか」

 

 柴崎が呆れる。

 

「だって普段着ないし」

 

「返すまで汚すなよ」

 

「分かってるって」

 

 佐伯はそんな四人を見ながら、銀行を振り返った。

 

 建物そのものは、ほとんど変わっていなかった。

 

 図面通り。

 

 自分たちが作った通り。

 

 だからこそ、佐伯には確信が持てた。

 

「……やっぱりだ」

 

「何が?」

 

 田村が聞く。

 

「図面は使える」

 

 佐伯は銀行を見つめた。

 

「建物は、俺たちが作った時のままだ」

 

 木村が頷く。

 

「当然だな」

 

「だから、図面と現物の差を考える必要はない」

 

 佐伯は言った。

 

「少なくとも、建物については」

 

 田村が少し黙る。

 

「じゃあ、問題は?」

 

 佐伯は答えなかった。

 

 代わりに、銀行の中を思い出す。

 

 数年前、自分たちが施工した建物。

 

 その後に追加されたもの。

 

 そして、自分たちの手元には存在しないもの。

 

「……警備だ」

 

 柴崎が呟いた。

 

 佐伯が頷く。

 

「そうだ」

 

 五人は歩き始めた。

 

 今日の下見で分かったことは多かった。

 

 だが同時に、はっきりしたことが一つある。

 

 自分たちが知っている銀行と、知らない銀行がある。

 

 建物は知っている。

 

 設備も知っている。

 

 コージェネも、電気も、水道も、土木も。

 

 しかし、その上に後から組み込まれた「銀行としての仕組み」だけは知らない。

 

 佐伯は作業服姿の仲間たちを見る。

 

「帰ったら、もう一度図面を全部並べるぞ」

 

「またか?」

 

 田村が笑う。

 

「今度は今日見たものと照らし合わせる」

 

 佐伯が答える。

 

「俺たちが知ってる建物と、今の銀行を一つにする」

 

 五人は黙って頷いた。

 

 まだ、誰も知らなかった。

 

 この日、自分たちの手で作った建物がほとんど変わっていないと確認できたことが、後の計画を大きく左右することになるとは。

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