第四話 ――花火の夜
午後九時を回っていた。
佐伯の会社の倉庫には、まだ明かりがついている。
昼間なら工具や資材が並ぶだけの場所だった。
しかし今夜、中央の大きな作業台には銀行の図面が広げられていた。
建築図。
構造図。
電気設備図。
給排水設備図。
ガス設備図。
そして敷地の図面。
五人は、それぞれ自分が分かる図面を手にしていた。
誰も酒を飲んでいない。
誰も笑っていない。
これまで何度も話してきた計画を、初めて一つの形にする夜だった。
「まず、前提を確認する」
佐伯が言った。
「俺たちは銀行の警備屋じゃない」
田村が頷く。
「警備設備は後から入ってる」
「だから詳細は知らない」
佐伯は警備設備の記載がほとんどない図面を指で叩いた。
「ここについては、俺たちの知識だけでどうこうしようとはしない」
「じゃあどうする?」
水田が聞いた。
「本番の前に、銀行側が設備の異常に慣れている状態を作る」
柴崎が顔を上げた。
「例の停電か」
「ああ」
田村が続ける。
「電気設備に異常が起きる」
「非常用のコージェネが働く」
「銀行としては業務を続けられる」
「そういう経験を何度かさせる」
木村が腕を組む。
「一回なら事故」
「二回なら故障」
「何度か続けば?」
佐伯が答える。
「設備の癖だと思うようになる」
その場に沈黙が落ちた。
それは、五人が現場で何度も経験してきたことだった。
機械は壊れる。
設備は不調になる。
原因が分からないトラブルもある。
最初は大騒ぎする。
しかし何度か同じことが起きれば、現場の人間は慣れてしまう。
「人間ってのは厄介だ」
佐伯が呟いた。
「同じ異常を何度も見せられると、それを異常だと思わなくなる」
⸻
柴崎がガス設備図を広げた。
「ただ、本番はそれだけじゃない」
「分かってる」
佐伯が答える。
「電気とガス」
柴崎が確認する。
「そう」
銀行には非常用電源としてコージェネレーションシステムがある。
電気側に問題が起きても、ガスを使って発電できる。
それがこの銀行の設備だった。
「だから電気だけじゃ、建物そのものが止まらない」
柴崎が言う。
「施工した俺たちが一番よく分かってる」
田村が電気設備図を見る。
「電気が落ちても、非常用の設備が生きていれば復旧する」
「だから本番では?」
「そこから先は、俺たちが知らない領域だ」
佐伯が言った。
「警備設備については、現場で状態を確認する。それ以上は決めつけない」
五人は頷いた。
⸻
「それで、いつやる?」
木村が聞いた。
佐伯は一枚の資料を取り出した。
「花火大会の日」
田村が眉を上げる。
「やっぱりそこか」
「ああ」
佐伯は銀行の資料を指差した。
「この銀行、地域との付き合いをかなり重視してる」
「そりゃ、あんな土地に移った理由が理由だからな」
木村が言った。
もともと銀行が計画していた土地。
そこに政治家が介入し、別の開発計画を優先させた。
銀行は別の土地を提示され、それを受け入れた。
その土地を紹介した地権者。
話をまとめた議員。
銀行にとっては、どちらも無視できない存在だった。
「だから銀行は地域に金を落としてる」
田村が言う。
「イベントへの協賛」
「地域の祭りへの参加」
「自治体との行事」
水田が続ける。
「花火大会も?」
「当然」
佐伯は頷いた。
「銀行の名前を出して協賛するだけじゃない」
資料をめくる。
「職員を出してる」
「若手だけじゃなく?」
「もちろん」
佐伯が答える。
「新人だけじゃない。支店長クラスも顔を出す。地域の有力者が集まるからな」
木村が納得したように頷いた。
「なるほど」
「銀行にとっては営業活動でもある」
佐伯は言った。
「顔を売る。地元企業と話す。自治体関係者と挨拶する。スポンサーとして存在感を出す」
田村が笑った。
「銀行も大変だな」
「商売だからな」
⸻
佐伯は花火大会の資料を机に置いた。
「だから、この日は普段と違う」
五人が資料を見る。
銀行が地域イベントに人を出す。
新入社員も参加する。
若手職員も動く。
そして、地域との関係を作るために、普段なら支店にいる役職者まで外へ出る。
「支店長クラスまで?」
水田が聞く。
「少なくとも顔は出すだろうな」
佐伯が答える。
「銀行がこの地域に根を張るために、わざわざここへ来たんだ。地権者や議員との関係を考えれば、参加しない方がおかしい」
木村が腕を組む。
「つまり銀行そのものが、イベントにかなり人を取られる」
「そういうこと」
「現場にいる人間が減る?」
「普段とは違う体制になる」
佐伯はそこまで言って、一度言葉を止めた。
「ただし、それを『警備の穴』として考えるな」
田村が見る。
「?」
「俺たちは銀行の内部事情を全部知ってるわけじゃない」
佐伯は言った。
「イベントだから人が減る。だから安全になる――なんて単純な話じゃない」
五人が黙る。
「重要なのは、その日に銀行全体が普段とは違う動きをしていることだ」
それなら筋が通る。
普段ならすぐ対応する人間が、地域イベントのために外へ出ている。
逆に、普段とは違う人間が支店に残っている可能性もある。
だからこそ佐伯は、
「その日に何が起きるかは当日にならなければ分からない」
という前提を崩さなかった。
⸻
「で、侵入は?」
木村が聞く。
佐伯は建築図を引き寄せる。
「窓」
「窓?」
「ここなら、俺が扱える」
木村が図面を覗く。
「外せるのか?」
佐伯が鼻で笑った。
「建築屋を誰だと思ってる」
指で窓の位置を叩く。
「任せろ。俺が綺麗に外してやる。」
「戻せる?」
「当然だ」
佐伯は即答した。
「新品同様に戻してやるよ。」
水田が吹き出す。
「強盗犯が言う台詞じゃねえな」
「壊して入るんじゃねえ」
佐伯は真顔だった。
「外すんだ」
「そこに職人魂出すのかよ」
「俺が作った建物だからな」
田村が笑った。
「変なところで真面目なんだよな、お前」
⸻
次に、金庫。
空気がまた変わった。
佐伯が一階の図面を見る。
「金庫は一階」
木村が頷く。
「地盤の問題もあるからな」
「地下に重いものを集めるより自然だ」
「貸金庫も?」
「その辺りだ」
建築担当の二人が図面を見る。
構造。
床。
柱。
壁。
建物を作った側だからこそ分かることがある。
水田も周囲の設備図を見る。
「配管の通りも、大きくは変わってない」
田村。
「電気も同じだ」
柴崎。
「ガスも」
佐伯は頷く。
「数年で建物そのものが変わってるとは考えにくい」
五人が持っている図面と、先日の下見。
その二つが重なっていく。
⸻
「金庫については?」
水田が聞いた。
「ウォーターカッターを使う」
佐伯が答える。
「水なら俺が扱える」
水田が笑う。
「水道屋だからな」
「建築屋が窓を外して、水道屋が水を出して、ガス屋がガスを止めて、電気屋が電気を見る」
田村が指折り数える。
「土木屋は?」
木村が聞く。
「床を見る」
「地味だな」
「地面と建物は大事なんだよ」
木村が笑った。
ほんの一瞬だけ、五人の間に昔の現場の空気が戻った。
仕事の話をしているときと同じだった。
ただ一つ違うのは、
今話している仕事が、普通の仕事ではないことだった。
⸻
佐伯は最後に、紙の中央へ日付を書いた。
花火大会。
その文字を五人が見る。
「その日は銀行も地域イベントに人を出す」
佐伯。
「普段と違う」
田村。
「役職者も外へ出る可能性がある」
水田。
「銀行側の人員構成も変わる」
木村。
「でも、当日の状況は決めつけない」
柴崎。
佐伯が頷いた。
「そういうことだ」
そして、計画を書き並べる。
設備異常。
銀行側がそれを経験する。
花火大会。
普段とは違う銀行の一日。
電気とガスの異常。
建物への侵入。
金庫。
そして――
「脱出」
田村が言った。
そこだけはまだ空白だった。
佐伯は苦笑した。
「そこが一番難しい」
「入るより?」
「ああ」
「建築屋なのに?」
「建物を作るのと、建物から逃げるのは別の仕事だ」
木村が笑った。
「それは確かにな」
佐伯は図面を見つめる。
そして、花火大会の日付を指でなぞった。
「まだ三週間ある」
誰も答えない。
「その間に全部決める」
五人は静かに頷いた。
倉庫の外では、夜の街が静かに眠っている。
しかし三週間後。
この街には、年に一度の花火が上がる。
銀行は地域のために人を出す。
職員たちは笑顔でイベントに参加する。
議員も。
地権者も。
地元企業も。
銀行の役職者も。
皆が一つの場所に集まる。
それは、この銀行がこの土地で生きていくために、自分たちで作った「地域との繋がり」だった。
佐伯はその事実を見ながら、ふと思う。
皮肉なものだ。
銀行がこの土地を選んだ理由そのものが――
その夜の舞台を作っていた。
だが五人には、まだ一つ大きな問題が残っていた。
どうやって、全員で帰るのか。
そこだけは、誰も答えを出せなかった。