第七話 金庫の中身
――シュゥゥゥゥ……。
水田がウォーターカッターを止めた。
途端に、銀行の中が静まり返った。
残ったのは、持ち込んだ可搬式発電機の低い唸りだけだった。
ブルルルル……。
五人とも、目の前の金庫を見つめている。
佐伯が一歩近づいた。
「……終わったか?」
水田は息を吐いた。
「たぶんな」
「たぶん?」
「実際に開けてみるまで分からん」
水田が金庫を確認する。
佐伯も横から覗き込んだ。
木村、田村、柴崎も後ろから顔を出す。
誰も口を開かない。
長い。
あまりにも長い時間だった。
やがて、水田が金庫に手を掛けた。
「……いくぞ」
力を込める。
最初は動かなかった。
「……」
水田がもう一度力を込める。
金属が軋む。
ギッ。
木村が息を呑んだ。
「動いた」
「静かにしろ」
佐伯が言う。
水田が慎重に力を加える。
そして――。
カチッ。
軽い音がした。
五人が固まった。
次の瞬間。
金庫の扉がゆっくりと開いた。
ギィィ……。
「……」
誰も声を出さない。
佐伯が中を覗き込んだ。
「……ある」
その一言で、全員が動き始めた。
金。
銀行が保管していた現金。
まとまった紙幣の束。
木村が思わず息を漏らす。
「本当に入ってやがった……」
田村も呟いた。
「当たり前だろ。銀行なんだから」
「そういう意味じゃねえよ」
田村の声は震えていた。
佐伯が振り返る。
「時間がない」
その一言で全員が我に返る。
「入れるぞ」
五人は現金を荷物へ移していく。
紙幣の擦れる音。
袋が次第に重くなる。
それだけで、胸の奥が妙にざわついた。
これで終わり。
これを持って帰れば、目的は達成できる。
そう思った。
そのときだった。
「……貸金庫」
水田が呟いた。
佐伯が振り返る。
「あるのか?」
「ああ」
金庫区画の奥。
小型の貸金庫が並んでいる。
水田は以前から用意していたドリルを取り出した。
木村が苦笑する。
「お前、ほんと現場道具好きだな」
「仕事道具だからな」
水田は淡々と答える。
「こういうのは慣れてる」
ドリルの音が響いた。
銀行の中に、甲高い機械音が広がる。
ひとつ。
またひとつ。
五人は時間を気にしながら中身を確認していった。
現金。
貴金属。
証書。
封筒。
個人の思い出と思われる写真。
何に使うのか分からない書類。
様々なものが出てくる。
木村が封筒を手に取る。
「……これ、金じゃないぞ」
「戻せ」
佐伯が言う。
「持っていくのは換金できそうなものだけだ」
「了解」
五人は作業を続ける。
時間が過ぎる。
発電機の音だけが響いている。
ブルルルル……。
外からは花火の音。
ドンッ。
銀行の窓が一瞬だけ明るくなる。
そしてまた暗闇。
水田が次の貸金庫を見た。
「……ん?」
「どうした?」
「これだけ大きくないか?」
そこには、周囲のものとは明らかにサイズの違う貸金庫があった。
木村が近づく。
「何だこれ」
「企業用か?」
田村が言った。
「かもしれん」
佐伯は時計を見る。
「時間は?」
「……かなり厳しい」
柴崎が答える。
佐伯は大きな貸金庫を見る。
そして、
「開けてみろ」
と言った。
⸻
しばらくして。
大きな貸金庫が開いた。
しかし。
「……何だ?」
中に入っていたのは、金ではなかった。
書類。
大量の書類だった。
ファイル。
封筒。
契約書。
議事録。
銀行内部の資料。
何十冊もある。
木村が呆れた。
「……何だよ、これ」
水田が一冊取り出す。
表紙を見る。
「土地関係だ」
佐伯が近づいた。
「土地?」
「ああ」
水田がページをめくる。
数字。
地名。
会社名。
人名。
日付。
最初は何が書いてあるのか分からなかった。
しかし数ページ進んだところで、水田の手が止まった。
「……待て」
「何だ?」
「この名前」
水田が指を差した。
そこには地権者の名前が記載されていた。
佐伯が覗き込む。
「……間違いない」
木村が顔を近づける。
「何が書いてある?」
「この土地の交渉記録だ」
田村が別のファイルを開いた。
「こっちにもある」
ページをめくる。
「議員の名前」
柴崎が眉をひそめる。
「……本当に?」
「ああ」
さらに別の資料。
別の名前。
別の会社。
そして金額。
水田の顔から笑いが消えた。
「これ……」
佐伯が見る。
「地盤調査の資料だ」
佐伯が資料を奪うように受け取った。
目を走らせる。
何度も確認する。
そして呟いた。
「……俺たちが受け取った資料と違う」
「何?」
「本来の調査結果が残ってる」
五人が黙る。
佐伯はページをめくった。
「最初から分かってたんだ」
「何を?」
木村が聞く。
「この土地が問題になることを」
その言葉に、水田が別の資料を取った。
銀行内部の記録。
設計。
土地の選定。
行政との交渉。
地権者とのやり取り。
そして施工会社へ責任を転嫁するための記録。
田村が震える声で言う。
「……これ、全部残ってるぞ」
佐伯は書類を見つめた。
「なんでだ?」
水田が答える。
「保険だ」
「保険?」
「議員や地権者が銀行を裏切ったときに使うための」
水田は一枚の資料を持ち上げる。
「銀行も連中を信用してなかったんだ」
木村が乾いた笑いを漏らした。
「じゃあ最初から全員で互いに首輪をつけてたのか」
「ああ」
佐伯は黙っていた。
目の前にあるのは、自分たちが何年も探し続けていた答えだった。
なぜ自分たちの会社が責任を負わされたのか。
なぜ工事代金が払われなかったのか。
なぜ銀行が突然態度を変えたのか。
その答えが、ここにある。
しかも――。
銀行自身が知っていた。
最初から。
佐伯が一枚の紙をめくる。
そこには、施工会社へ責任を負わせることで銀行側の損失を抑える、という趣旨の記録まで残されていた。
佐伯の顔が強張る。
「……俺たちは」
木村を見る。
「最初から嵌められてたんだ」
誰も否定しなかった。
しばらく沈黙が続いた。
やがて柴崎が言う。
「どうする?」
佐伯は書類の山を見る。
「持っていく」
木村が顔を上げた。
「全部?」
「持てるだけじゃない」
佐伯は言った。
「重要なものは全部だ」
田村が驚く。
「金だけじゃなく?」
「ああ」
佐伯は銀行の内部資料を見つめた。
「これは銀行が自分たちを守るために残してた保険だ」
そして笑った。
「だったら、その保険を俺たちが貰っていく」
木村が吹き出した。
「銀行から保険を盗むってか」
「そういうことだ」
五人は急いで書類をまとめ始めた。
予定外の荷物だった。
しかし、誰一人として置いていこうとは言わなかった。
金だけなら、これはただの強盗だった。
だが、この書類を持ち出せば違う。
銀行自身が隠していた秘密。
議員。
地権者。
そして銀行。
全員を繋ぐ証拠になる。
それを、今夜。
銀行自身の手から奪う。
⸻
佐伯が最後の荷物をまとめた。
「もう行くぞ」
全員が頷く。
水田だけが残った。
「先に行け」
「水田?」
「ちょっとだけ確認する」
佐伯が水田を見る。
「何する?」
「設備屋の仕事だよ」
水田はそれだけ言った。
佐伯は少し考えた。
そして、
「……分かった」
五人は出口へ向かう。
水田は金庫区画に残った。
周囲を見回す。
そして、金庫付近の設備へ目を向ける。
自分が施工した場所。
自分が何度も見た場所。
水田は無言で設備に手を加えた。
しばらくして、遠くで佐伯の声がした。
「水田!」
「今行く!」
水田は最後に金庫を振り返った。
「……じゃあな」
五人が銀行を出る。
その直後。
金庫区画の床に、ぽつりと水滴が落ちた。
ぽた。
また一滴。
ぽた。
やがて水は少しずつ広がっていった。
金庫の周囲を濡らしていく。
書類や金庫を荒らした痕跡。
そして設備周辺の異常。
何が起きたのかを、一見して分かりにくくするように。
水田が最後に残した「仕事」だった。
⸻
外。
五人がワゴン車へ乗り込む。
佐伯が振り返る。
「全員いるな?」
「ああ」
「荷物は?」
「ある」
田村が答える。
「金もある」
木村が続ける。
「それと……」
水田が書類の入った荷物を見る。
「銀行の保険もある」
柴崎が笑った。
「とんでもない夜になったな」
佐伯は何も言わなかった。
遠くで花火が上がる。
ドンッ――。
五人は車へ乗り込んだ。
その夜、銀行が失ったものは金だけではなかった。
自分たちを守るために隠していた記録。
議員との関係。
地権者との関係。
そして、自分たちが施工会社を切り捨てるために用意していた証拠。
それらすべてが消えた。
銀行に残ったのは、荒らされた金庫と、静かに広がっていく水だけだった。
そして五人はまだ知らない。
今夜持ち出した「銀行の保険」が、これから彼ら自身の運命まで変えることを。