第八話 後始末
銀行の裏手。
夜の闇に紛れるように、一台のワゴン車が停まっていた。
後部ドアは開いたままになっている。
「こっち!」
木村が荷物を抱えて走ってくる。
「重いぞ!」
「早く寄越せ!」
田村が受け取る。
「……重っ。何入ってんだよ」
「書類だよ」
「書類でこんな重くなるか?」
「銀行の保険だ。何年分あると思ってんだ」
田村が呆れながら荷物を積み込む。
その横では、柴崎も別の荷物を抱えていた。
大量の現金。
貸金庫から持ち出した品。
そして、あの大きな貸金庫に隠されていた大量の書類。
銀行自身が、議員や地権者との関係が壊れたときのために残していた「保険」。
五人が最初に計画したときには、こんなものを持ち帰ることになるなど誰も想像していなかった。
「これで全部か?」
柴崎が尋ねる。
「たぶん」
「たぶんじゃ困るぞ」
「じゃあ数えろ」
「嫌だよ!」
「だったら文句言うな」
小声で言い合いながら、四人が次々と荷物を積み込んでいく。
その間。
銀行から最後に出てきた佐伯だけが、少し離れた場所で足を止めていた。
「……」
佐伯は振り返った。
視線の先には、侵入に使った窓がある。
しばらく眺める。
建築屋としての目が、自然と細部を拾っていく。
佐伯は小さく息を吐いた。
「……ここまでやったならな」
工具を取り出す。
木村が車のところから気づいた。
「佐伯?」
佐伯は答えない。
「おい、何してんだ?」
「先に積んどけ!」
「まだ何かあんのかよ!」
「ちょっと確認だ!」
木村が呆れた顔をする。
佐伯は窓の周囲を確認し、最後まで自分の仕事として仕上げていく。
そしてコーキングまで丁寧に整えた。
木村が小声で言う。
「……丁寧にやりすぎだろ」
佐伯が振り返る。
「うるせえ」
「強盗の後始末だぞ?」
「分かってる」
「だったら――」
「いつものやり方通りやりゃ、違いは出ねぇんだよ」
佐伯は小声で怒鳴った。
「職人の仕事を舐めんな」
「いや、そこだけ妙に真面目なんだよな……」
「うるせえ!」
佐伯は最後に仕上がりを確認した。
「……よし」
工具をしまう。
「行くぞ」
ようやく車へ戻る。
五人が全員乗り込んだ。
ドアが閉まる。
佐伯がエンジンをかけた。
ワゴン車がゆっくりと動き出す。
銀行は暗闇の中に残された。
窓も、一見しただけなら何も変わっていない。
ただ――。
周囲の窓に残っている長年のコーキングの経年変化に対し、その窓だけは新しい。
それが後に、彼らを追う手掛かりになることを、このときの五人は知らない。
⸻
しばらくして。
ワゴン車は夜の道路を走っていた。
運転席の佐伯は前だけを見ている。
助手席では田村が何度も後部座席を振り返っていた。
「……お前ら、まだやってんのか?」
「終わってねえよ」
木村が答える。
後部座席では、水田と柴崎が作業を続けている。
車内には、コンクリートを練る音が響いていた。
「まさか車の中でコンクリート練る日が来るとはな」
木村が苦笑する。
「俺だって初めてだよ」
水田が答える。
現金と書類を長期間そのままにしておくわけにはいかない。
五人は移動中に準備を進めることにしていた。
佐伯がバックミラーを見る。
「おい、水田」
「何だ?」
「車揺らすなってのは無理だからな」
「分かってる」
「なら文句言うなよ」
「別に言ってねえ」
田村が笑う。
「お前ら、本当に今強盗してんのか?」
「うるせえ」
木村が笑いながら返した。
緊張が続いていた五人にとって、こんなくだらない会話だけが妙にありがたかった。
やがて、水田が時計を見る。
「そろそろだ」
「終わったか?」
佐伯が聞く。
「ああ」
水田が息を吐いた。
「準備は終わった」
後部座席には、完成したコンクリートのブロックが載っている。
佐伯は前を向いた。
「じゃあ、学校だ」
⸻
やがて、目的の学校が見えてきた。
夜の校舎は静かだった。
昼間なら子供たちの声が響いている場所も、今は街灯に照らされているだけだ。
佐伯が車を止める。
「降りるぞ」
五人が車を降りた。
「暑いな……」
木村が呟く。
水田がマスクを取り出した。
「これ」
「何だ?」
「着けろ」
「何で?」
「浄化槽だからだよ」
「ああ……」
木村の顔が露骨に嫌そうになる。
「そうだった」
水田は全員にマスクを渡した。
「言っとくけど、夏場だからな」
「何が?」
「かなり臭うぞ」
「……先に言うなよ」
「今言った」
「そういう問題じゃねえ!」
五人はマスクを着ける。
図面を確認しながら、水田が先頭を歩く。
「こっちだ」
校舎から少し離れた場所。
地面にマンホールがある。
水田が足を止めた。
「ここ」
木村がマンホールを見る。
「本当にこれか?」
「ああ」
水田が答える。
「俺が施工した」
「お前の施工物件、多すぎねえか?」
「仕事だからな」
「便利な男だな、お前」
水田が苦笑する。
そしてマンホールを開ける。
――ゴン。
蓋が動いた。
次の瞬間。
むわっ、と熱気が上がってきた。
「……うっ」
木村が顔をしかめる。
「うわぁ……」
田村も思わず顔を背ける。
「水田!」
「だから言っただろ!」
「想像より酷い!」
「夏だからな!」
「それ理由になってねえよ!」
柴崎がマスク越しに呟く。
「これ、マスクしてても分かるぞ……」
「だから言っただろ」
水田は平然としていた。
「浄化槽を舐めるな」
「二度と聞きたくねえ言葉だな」
五人はブルーシートを広げる。
図面を確認しながら、水田が位置を確認する。
「ここでいい」
車から持ってきたものを運ぶ。
重い。
木村が息を切らす。
「……これ、現金入ってるんだよな?」
「そうだ」
「じゃあ頑張れる」
田村が笑った。
「現金じゃなくても頑張れよ」
「無理」
五人で運ぶ。
最後に佐伯が周囲を見る。
「……誰もいないな」
「ああ」
「じゃあ終わらせるぞ」
水田が頷いた。
作業が進む。
大量の現金。
銀行から持ち出した書類。
そして、自分たちの人生を狂わせた事件の記録。
それらは五人の目の前から、少しずつ見えなくなっていった。
木村が黙り込む。
田村も何も言わない。
佐伯だけが、最後までその場所を見つめていた。
「……これで一年か」
田村が呟く。
「一年だ」
水田が答える。
「一年、何も起きなければ」
柴崎が聞く。
「その後は?」
佐伯が答えた。
「そのとき考える」
五人の間に沈黙が落ちる。
やがて佐伯が言った。
「帰るぞ」
全員が頷いた。
道具を片付ける。
マンホールの周囲を確認する。
そして学校を後にする。
木村が最後に振り返った。
「……本当に終わったんだな」
佐伯は答えなかった。
ただ、暗い校舎を見つめていた。
銀行から持ち出した大量の金。
そして、銀行自身が隠していた「保険」。
五人の人生を狂わせた秘密は、今は誰の目にも触れない場所にある。
そう思っていた。
五人はまだ知らない。
銀行に残してきた窓のコーキングが、周囲の窓と違って新しいまま残っていることを。
そして、それを見た誰かが――
「この窓を直した人間は、建築を知っている」
そう考える日が来ることを。
ワゴン車のエンジンがかかる。
五人を乗せた車は、静かな夜道へ消えていった。