白い少女はただ善く生きたい ――人々の瞳に映る少女は、ひとつではない―― 作:不明さん
正式に修道女として認められてから三週間ほどが過ぎていた。
アドリアンの教会で朝食を終えたあと、ミアは椅子の背に掛けていた小さな鞄を取り、中を確かめながら、いつもより少し早く出かける支度をしていた。
「今日は早いんですね」
リヴィアが声をかけると、ミアが振り返った。
「うん。今日は受け取る品物が多いから少し早めに来てって言われてるの」
「そうなんですか」
「帰りに何か見てくるものある?」
「……私は大丈夫です」
「じゃあ神父さまにも聞いてから行くね」
「お願いします」
ミアはそのままアドリアンの方へ向かった。店では届いた品物を受け取ったり、数を確かめたり、近い場所への配達を手伝ったりしているらしい。仕事を覚えるために出かけることも、今では日常の一つになっていた。
「俺も行く」
「今日は荷物を運ぶ日でしたか?」
「うん。荷車が来る」
「大きい物もありますか?」
「あると思う」
そこでアドリアンが顔を上げた。
「テオ。持てるか分からない物は一人で運ばないようにしてください」
「分かってるよ」
「先に聞く。重かったら二人で持つ」
「それならいいでしょう」
テオは運送や荷役の仕事を学び、荷物の運搬や積み下ろし、倉庫の整理、荷車を使う仕事の補助などを経験している。
「行ってきます」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
二人が続けて声を上げ、リヴィアが返すと、アドリアンも二人を見送った。扉が閉まり、朝の食堂が少し静かになる。
以前ならもう一人いた。ロランは今、正式な見習いとして木工工房へ住み込んでいる。休みや用事があれば顔を出すが、毎朝同じ食卓を囲み、夜になれば同じ教会へ帰ってくる生活ではなくなった。
ノエラも、ミアも、テオも、そしてロランも。いつの間にかそれぞれが自分の行く先へ進んでいた。
「リヴィア」
呼ばれて顔を上げると、アドリアンがこちらを見ていた。
「午前中は礼拝堂側の来客対応をお願いできますか」
「はい」
「判断に迷った場合は私かノエラへ確認してください」
「分かりました」
これまでにも教会を訪ねてきた人へ声をかけたことは何度もある。必要ならアドリアンを呼び、簡単な用事なら手伝った。だから、やることそのものが急に変わったわけではない。
けれど今は、教会で暮らしている子供として手伝うのではなく、修道女として任されている仕事だった。その違いにも、ここ数週間で少しずつ慣れてきた。
礼拝堂へ向かうと、奥からノエラが畳んだ布を何枚か手に載せて出てきた。
「リヴィア、午前はこっち?」
「はい。神父さまから来客対応を頼まれました」
「分かった。私は奥の物を見てくるね。何かあったら呼んで」
「はい」
ノエラはそのまま奥へ戻っていった。
今では同じ修道女なのだが、仕事をしている姿を見ると、ノエラはやはりずっと先輩に見える。何をどこへ置くのか、誰へ確認すればよいのか、どういう用件なら自分たちで対応してよいのか。先に経験している分だけ、ノエラには迷いがない。
同じ立場になったからといって、同じだけ何でもできるようになったわけではない。分からなければ聞けばいい。そう考えると、特に困ることでもなかった。
しばらくして入口の方から声がした。
「すみません」
「はい」
リヴィアは入口へ向かった。そこには布の包みを両腕で抱えた女性が立っていた。
「どうされましたか?」
「あの、子供の服が少し余っていて」
女性が腕の中の包みを見る。
「うちではもう使わないんです。でもまだ着られそうな物もあるので、こちらで使えるならと思って」
「子供の服ですか」
「はい。あと小さめの毛布も一枚あります」
女性は包みを少し持ち上げた。
「いきなり持ってきてしまって。困りますか?」
「少し見せてもらってもいいですか?」
「もちろんです」
包みを開いてもらうと、中には畳まれた服が何枚かあり、その下に毛布が入っていた。
目立つ汚れはなく、服も大きく破れてはいないように見える。ただ、それだけで全部受け取ってよいとは限らない。保管場所の都合もあれば、似た大きさの物がすでに足りているかもしれない。
「少し確認してきてもいいですか?」
「ええ」
「こちらでお待ちください」
リヴィアは奥へ向かった。ノエラは棚の中を確認しているところだった。
「ノエラ」
「どうしたの?」
「子供の服と毛布を譲りたいという方が来ています。服が何枚かと毛布が一枚です」
「状態は?」
「見たところ大きく破れてはいませんでした」
「……服は一度見ようか。毛布まで受け取って大丈夫かは神父さまにも確認した方がいいと思う」
「はい」
二人でアドリアンのところへ向かい、事情と量を伝えると、アドリアンは短く考えてから頷いた。
「その程度であれば受け取って構いません。状態を確認して、使える物と補修が必要な物を分けましょう」
「分かりました」
リヴィアは女性のところへ戻った。
「お待たせしました。こちらでお預かりできます」
「よかった」
女性の表情が緩む。
「捨てるのももったいないと思っていたんです。でも使わない物を押しつけても困るでしょう?」
「先に確認していただけて助かります」
リヴィアは包みを受け取ると、思っていたより少し重く、両腕で抱え直した。
「状態を見て、使わせていただきます」
「ええ。お願いします」
「ありがとうございます」
女性が帰っていくのを扉が閉じるまで見送ったあと、リヴィアは包みを抱えて奥へ戻った。そこへノエラがやって来た。
「持つ?」
「このくらいなら大丈夫です」
「じゃあ服から見ようか」
「はい」
二人で包みを開くと、ノエラが一番上の服を広げた。
「これはそのまま使えそう」
「こちらは少しほつれています」
「分けておこう。あとで直せるか見てみるね」
「分かりました」
一枚ずつ確かめ、置く場所を分けていく。
修道女になったからといって、何か特別な力を得たわけではない。昨日まで分からなかったことが突然分かるようになったわけでもない。
できることはする。分からないことは聞く。自分だけで決めてよいか迷うなら、分かる人へ確認する。それだけだった。
けれど、水の大司教から正式に認められた時よりも、こうしてノエラの隣で服を分けている今の方が、修道女になったという実感があった。
そう思ってから、少し不敬だろうかと考える。認定やアマリヴィア教の教えを軽く見ているわけではない。幼い頃から学んできた、人を助け、互いを尊重し、命を大切にするという教えには、自分も納得している。
ただ、前世では特定の宗教を信仰していなかった。そのためか、肩書きや儀式より、その立場で実際に何をしているかの方が自分には分かりやすいのかもしれない。
誰かへもう一歩手を伸ばせる人間になりたいと思ったのも、前世で手を引いたことへの後悔と、今世でアドリアンが自分へ手を伸ばし続けてくれたことが大きかった。同じようにはできなくても、自分にできることをする。
それをこれからは修道女として続けていく。そう考えると、正式な認定を受けた時より今の方が実感しやすいことも、それほどおかしくないように思えた。
「リヴィア?」
ノエラに呼ばれた。
「はい?」
「それ、どうしたの?」
手に持ったままになっていた服を見る。
「あ……すみません。少し考え事をしていました」
「疲れた?」
「いえ、大丈夫です」
リヴィアは服を広げ直した。
「これは袖のところだけ直せば使えそうです」
「うん。じゃあこっちね」
ノエラが示した場所へ置く。
考え事はそこで切り上げ、目の前の仕事へ戻った。
その後も何人かの来客があり、昼を過ぎる頃には朝から続いていた仕事も一段落した。
午後の作業へ移ろうとしていた時だった。
「リヴィア」
執務室の方からアドリアンに呼ばれた。
「はい」
中へ入ると、机の上に一通の書面が置かれていた。教会同士でやり取りする文書はこれまでにも何度も見ているので、見慣れないものではない。ただ、アドリアンはすぐに次の仕事を頼む様子ではなかった。
「教会本部から届きました」
「私に、ですか?」
「あなた本人へ話をしたいそうです」
「何のお話でしょうか」
「黒髪の子供たちの保護についてです」
「黒髪の……子供たち?」
「ええ。今いる保護先では大人の聖職者や職員へ強く警戒する子供もいるそうです」
「そこで、子供たちから年齢が近く見える若い修道女を日常の支援役として置き、警戒の仕方に変化があるかを少人数で確かめたいとあります」
「私が、ですか?」
「その協力をあなたに相談したいそうです」
命令ではなく、すでに何かを任されたわけでもない。詳しい話もまだ分からない。
それでも、その言葉を聞いた瞬間、ずっと昔の光景が浮かんだ。店先で追い払われた黒髪の子供。声をかける前に走り去り、その背中を見ることしかできなかった。
後になって薬屋の前で再会し、さらにその後、名前がエルナだと知った。
自分が知らないだけで、同じような子供がほかにもいるのではないか。以前そう考えたことがある。
けれどその時の自分には何かを調べたり、継続して助けたりする立場はなかった。
今は。
リヴィアは机の上の書面を見た。修道女になったばかりの自分に何ができるのかも、何を求められているのかも、まだ分からない。まずは話を聞かなければならない。
「……分かりました。まずお話を聞きます」
リヴィアはそう答えて、もう一度机の上の書面を見た。
黒髪の子供たち。