あれは腹痛の薬ではなかったのかと不死人は言う 作:カズヤミサワP
第一部終わりまで6時間毎に投稿します。
ミュレアが見えてきたころには、日はだいぶ西へ傾いていた。
街道の先には見慣れた海が広がり、その手前には斜面に沿うように家々が並んでいる。アテライを出てから奴隷狩りと戦い、捕らえられていた者たちの行き先を決め、ようやくここまで戻ってきた。長い一日だったと思いながら、真継は馬上から村を眺めた。
馬に乗るのは何億年ぶりだったが、乗り方そのものに不自由はなかった。忘れていたというより、思い出す必要すらなかったらしい。鞍に腰を落とし、膝で馬体を挟み、手綱を操る。考えずとも身体が勝手に動いた。
もっとも、昔の騎乗とは随分勝手が違う。鞍の形も手綱の取り方も異なり、何より鐙がない。最初こそ昔の癖で足を置く場所を探しかけたが、歩かせる程度なら困ることはなく、少し走らせてみても問題はなかった。ただ、奴隷狩りの中には自分より巧みに馬を操る者がいたことを思えば、この世界の騎馬民というものは大したものだと改めて思う。
「マツグ、本当に馬に乗れたんですね」
背後からガレネが言った。
真継の後ろにはガレネも乗っており、落ちないよう真継の腰に腕を回している。本人は馬に慣れていないらしく、最初は身体を固くしていたが、ここまで来るころには多少ましになっていた。
「乗れると言っただろう」
「何でもできるような言い方をするので、半分くらい疑っていました」
「何でもはできん」
「では、できないことは?」
「この辺りの字は読めん」
「……そうでしたね」
妙なところで納得され、真継は前を向いた。
二人の後ろには、奴隷狩りから解放された者たちが歩いている。それぞれが食料や水袋、持ち帰ることにした武器などを分けて持っていた。
戦いのあと、奴隷狩りが残した馬は五頭あった。そのうち四頭は、故郷へ帰る者たちに食料や水と一緒に渡した。故郷が遠い者や、長く歩くのが難しい者もいたため、そのほうが役に立つと考えたからだ。
真継が残したのは一頭だけだった。
馬は欲しかったが、五頭も連れて帰れば世話が面倒になる。一頭あれば人も荷物も運べるのだから、それで十分だった。
奴隷狩りに捕らえられていた者のうち、帰る場所がある者とは途中で別れた。それでも行くあてのない者が何人か残ったので、真継はミュレアに来るかと聞いた。
全員がついてきた。
人数そのものは大したものではない。小さな村一つを作れるほど連れてきたわけでもなかったが、出発したときより増えていることだけは遠目にも分かるだろう。
その予想は正しかった。
村の入口近くまで来ると、最初にこちらを見つけた子供が「マツグだ!」と声を上げた。何人かが駆けてきたものの、途中で揃って足を止める。真継ではなく、真継とガレネが乗った馬と、その後ろに続く見知らぬ人々を見ているらしい。
「……馬だ」
「二人乗ってる」
子供たちはしばらく一行を眺めていたが、やがて何か大変なことに気づいたように顔を見合わせると、一斉に村へ駆け戻っていった。
「何だ?」
「大人を呼びに行ったんじゃないですか?」
「そうか」
「驚かれますよ」
「何がだ」
ガレネが真継の背後から顔を覗かせた。
「全部です」
やがて本当に人が集まってきた。漁の道具を手にした男、籠を抱えた女、仕事の途中だったらしく腰に縄を巻いたままの者までいる。その中から見覚えのある男が一人、他の村人より先に歩いてきた。
テロンだった。
真継と目が合うと、テロンは片手を上げた。真継も同じように返す。
「おう。無事だったか」
「ああ」
「ガレネもいるな」
「いますよ」
「ならよかった」
そこまでは普通だった。
テロンの視線が真継からガレネに移り、そのまま後方へ流れていく。一頭の馬、その後ろを歩く見覚えのない男女。何人かは槍や荷物まで持っている。
しばらく黙って眺めたあと、テロンは眉を寄せた。
「……いや、俺たちが別れたときより増えてるんだが」
「増えた」
「見れば分かる」
テロンは馬の鼻面を見上げ、それから真継に視線を戻した。
「お前、奴隷狩りを狩る為に残ったんだよな?」
「ああ」
「何で人と馬が増えるんだ?」
「奴隷狩りが持っていた」
「人まで戦利品みたいに言うな」
「人は違う」
「なら最初から分けて言え」
テロンは呆れたように息を吐いた。
その間にも村人は増え続けていた。どうやら先に戻ったテロンたちから、真継とガレネが奴隷狩りを襲うため街道に残ったことまでは聞いていたらしい。だから二人が戻ってきたこと自体より、その後ろについてきた者たちのほうに関心が集まっている。
「テロン」
人垣を割って村長が出てきた。
「何だ、これは」
「俺に聞くな。俺たちが帰った後に増えたんだ」
即座に答えたテロンを横目に、村長は真継に向き直った。まず真継を見て、次にガレネを見て、それから後ろに並ぶ見知らぬ人々と馬をゆっくりと見渡す。
「マツグ」
「ただいま」
「説明しろ」
真継は馬から降りると、ガレネに手を伸ばした。
「降りられるか」
「乗せる前にも聞いてほしかったですね」
「乗れたから問題ないだろう」
「そういうところです」
ガレネは真継の手を借りて馬から降りた。長く馬上で揺られていたせいか、地面に足をついた直後、少しふらついた。
「大丈夫か」
「少し足が変なだけです」
「慣れれば平気だ」
「次も乗せるつもりですか?」
「歩くより早いぞ」
「せめて、もう少し乗りやすくしてください」
「考えておく」
村長が咳払いをした。
「話を戻していいか」
「ああ」
真継は馬の手綱を持ったまま少し考え、まず何から話せばよいのかを整理した。
「奴隷狩りは殺した」
「そこまでは予想しておる」
「捕まっていた者を解放した」
「それも見れば分かる」
「帰る場所がある者は帰した」
「うむ」
「残った者は帰る場所がないらしい」
隣でテロンが嫌そうな顔をした。
「……嫌な予感がするな」
「だから連れてきた」
「やっぱりか」
村長の眉間に深い皺が刻まれた。
「マツグよ。村に人を住まわせるときは、せめて先に相談せんか」
「今回は先に相談できなかった」
「なら一度帰って相談して、決まってから連れてくるものだろう」
「それではこいつらを街道に置いてくることになる」
「……それは、まあ、そうだが」
村長が言葉に詰まると、横で聞いていたテロンが腕を組んだ。
「村長、こいつにその辺を考えろって言っても無駄だぞ」
「なぜお前が諦めておる」
「アテライまで一緒に行ったからだ」
「どういう意味だ」
「こいつ、金の価値もよく分からないまま買い物してたからな」
「使えたぞ」
「ほらな」
テロンが村長を見る。
「使えることと価値が分かることは別だって、前にも言っただろ」
「使えればいいだろう」
「よくないから言ってるんだ」
村長が頭を抱えた。
その様子を見ていたガレネが、小さく咳払いをした。
「とりあえず、連れてきた人たちについては私が確認しています」
村長が顔を上げる。
「確認?」
「名前と出身、それからできる仕事です。農作業の経験がある人が二人。漁をしたことがある人が一人。大工仕事をしていた人もいますし、織物ができる人もいます」
ガレネは奴隷狩りの荷から見つけた蝋板を取り出した。真継にはそこに何が書かれているのか分からないが、村長は受け取ると目を細めながら読み始めた。
「……名前まで書いてあるのか」
「後で分からなくなると困りますから。怪我をしている人についても書いてあります」
「お前さんがやったのか?」
「はい」
「読み書きと計算ができるのだな」
「そのくらいなら」
村長の表情が少し変わった。
「それは助かる」
真継は二人のやり取りを聞きながら、ガレネがいつの間にそんなものを作っていたのか考えた。奴隷狩りを片づけたあと、彼女が解放された者たちと一人ずつ話していたのは見ていたが、どうやらあのときに聞いていたらしい。
隣にいたテロンも感心したように蝋板を覗き込んだ。
「ちゃんとしてるな」
「必要でしょう?」
「必要だな。マツグに任せたら、たぶん名前すら聞いてないぞ」
ガレネが真継を見る。
「聞きました?」
「何人かは」
「何人かなんですね……」
なぜ二人とも呆れた顔をするのか分からなかった。
村長は蝋板を一通り確認すると、改めてガレネを見た。
「お前さんを連れて帰ってきたことだけは、マツグを褒めてやってもよさそうだ」
「買った」
「言い方を考えろ!」
村長の声が村中に響いた。
テロンが額を押さえ、ガレネも片手で顔を覆った。
「その説明、ここでもするんですか……」
「事実だろう」
「事実でも順番というものがあります」
「こいつ、アテライでもこんな感じだったからな」
「テロンさんは止めてくれなかったんですか?」
「止めてどうにかなると思うか?」
ガレネは少し考えた。
「……思いません」
「だろ?」
「二人で納得するな」
真継が言うと、テロンが笑った。
周囲の村人たちは別のところでざわめいている。「買った?」「奴隷だったのか?」「ニンフじゃないのか」と話が妙な方向に進み始めたため、ガレネが慌てて説明することになった。
「買われましたけど、すぐに解放されています! 今は奴隷ではありません!」
それを聞いた村人たちが今度は真継を見る。真継は間違ったことは何もないと思ったので頷いた。
「そういうことだ」
「だからどういうことなんだ……」
村長が疲れた声を出した。
ひとまず、新しく来た者たちについては今夜の寝床を確保することになった。使われていない家や倉を掃除し、それでも足りなければ村人の家に何人かずつ泊める。食事については村全体から少しずつ出し、明日から改めて仕事と住居を決めるという。
小さな村である以上、人手が増えること自体は悪い話ではないらしい。若く働ける者が増えれば畑を広げることもできるし、舟を出す人間も増える。だが、村長が言うには、家も食料も水も無限にあるわけではない。
その理屈自体は真継にも分かった。ただ、何人なら受け入れられ、どれだけ食料や水が必要になるかといった勘定は、真継の得意とするところではない。
新しく来た者たちの話がひとまず片づくと、次は馬だった。
「で、こいつはどうする」
村長が一頭だけ残った馬を見る。
「使えばいい」
「何にだ」
「荷を運べる。人も乗せられる」
「それは見れば分かる」
テロンが馬の横に立ち、首筋を軽く撫でた。
「奴隷狩りはもっと馬を持ってただろ?」
「戦いのあとには五頭残った」
「ほかの四頭は?」
「やった」
「誰にだ」
「帰る連中にだ。遠くまで戻る者もいたからな。食料と水も持たせた」
テロンが意外そうに真継を見る。
「売れば結構な金になったんじゃないか?」
「そうなのか?」
「知らずにやったのかよ」
「五頭も飼うのは面倒だろう」
テロンはしばらく黙った。
「……そこは考えたんだな」
「当たり前だ」
「金の価値は考えないのに?」
「馬と金は違う」
「何が違うんだ」
「馬は餌を食う」
テロンが村長を見る。
「一応、考えてはいたみたいだ」
「その基準がよく分からんな」
村長は残った一頭を眺めた。ミュレアにも家畜はいるため、一頭程度ならどうにかできるらしい。荷運びにも使えるし、急いでアテライに人を出すときにも役に立つ。
「一頭なら何とかなるだろう」
「なら残す」
真継が言うと、テロンが笑った。
「結局、お前が欲しかっただけじゃないのか?」
「欲しかったぞ」
「否定しろよ」
「なぜだ。人も助けたし、馬も手に入った。何も問題ないだろう」
「お前は本当に一つのことで二つ三つ得ようとするな」
「得をして悪いことがあるのか?」
「そういうところだよ」
横でガレネが小さく笑った。
奴隷狩りを殺して縄を切れば、それですべて終わるわけではない。助けた者には帰る場所が必要で、なければ新しく探さなければならない。人が増えれば食料も水も寝る場所も必要になる。馬を奪えば、今度は餌や世話を考えなければならない。
面倒なことが増えたとは思う。
だが、だからといって、あの場で縄に繋がれた者たちを見捨てたほうがよかったとも思わなかった。足りないものが出たなら、そのとき考えればいい。
少なくとも真継は、そう考えていた。
その日の夕方、村の広場ではいつもより少し騒がしい食事になった。
新しく来た者たちはまだ遠慮がちだったが、ミュレアの者たちは思ったより早く彼らに話しかけていた。どこから来たのか、何ができるのか、家族はいるのか。質問は多かったが敵意はなく、話を聞いた者が別の村人を呼び、仕事の相談まで始めている。
真継は少し離れたところで魚を焼いていた。
奴隷狩りから奪ったものについては、明日改めて確認することになっている。武器、食料、貨幣、それに一頭の馬。それぞれ何がどれだけあるのか、真継自身は数まで覚えていなかった。
「マツグ」
呼ばれて振り向くと、ガレネが蝋板を持って立っていた。その後ろには酒の入った器を手にしたテロンもいる。
「今回手に入れたもの、ちゃんと覚えてます?」
「馬と武器と食料と金だろう」
「数です」
「知らん」
「やっぱり」
ガレネが呆れたように息を吐くと、テロンが横から口を挟んだ。
「こいつに聞くだけ無駄だぞ」
「それは今日一日で分かってきました」
「慣れると楽だぞ。最初から期待しなければいい」
「お前たちは俺を何だと思っている」
「強い奴」
テロンは即答した。
「あと、金勘定をさせちゃいけない奴だな」
「私は記録を任せちゃいけない人だと思っています」
「大体同じだな」
「そうですね」
また二人で納得している。
「これからは私が記録します」
ガレネは持っていた蝋板を軽く掲げた。
「戦利品も、お金も、使った分もです。そうしないと何がどれだけあるのか分からなくなります」
「好きにしろ」
「あなたのためでもあるんですけど」
「なら助かる」
真継が素直に答えると、ガレネは何か言い返そうとしてやめた。その代わり、焼けている魚に目を向けた。
「それ、私の分もあります?」
「ある」
「では許します」
「何をだ?」
「色々です」
テロンが笑った。
「お前ら、もう随分仲いいな」
「そうか?」
「そうですよ」
なぜガレネまで肯定するのか分からなかった。
翌朝、真継が目を覚まして外に出ると、村は普段より早くから騒がしかった。
昨日来た男たちの何人かが、長く使われていなかった家の屋根を直している。大工仕事ができると言っていた男が屋根に上がり、下から村人が材木を渡していた。農作業の経験がある者は畑で土を手に取り、何やら村人と話している。漁の経験があるという男は、すでにテロンたちと一緒に浜へ向かっていた。
子供たちは仕事などどうでもいいらしく、一頭だけ増えた馬の周りに集まっている。触ろうとして大人に叱られ、それでも離れようとはしない。
人が数人増えただけだ。それでも声が増え、歩く者が増え、昨日までとは少し違う朝の景色になっていた。
海のほうを見ると、ガレネが浜辺に立っていた。
波打ち際から少し離れた場所で、青い髪を海風になびかせながら海を眺めている。真継はその隣まで歩いた。
「海が好きなのか」
「ええ。ずっと見ていなかったので」
奴隷市場にいた期間のことだろう。
真継はそれ以上聞かなかった。
波が寄せては引いていく。浜では漁に出る男たちが舟を準備し、その向こうでは子供たちの声がする。振り返れば、昨日までいなかった者たちが村の中で働き始めていた。
「何だか賑やかになったな」
真継が言うと、ガレネがこちらを見た。
「誰のせいだと思ってるんです?」
「奴隷狩りだろう」
「半分くらいあなたです」
「そうか?」
「そうです」
真継にはいまひとつ納得できなかった。
自分は奴隷狩りを見つけたから襲っただけだ。馬や武器があったので奪い、捕まっていた者がいたので縄を切った。帰る場所がないと言うから、ミュレアに来るかと聞いた。
それだけである。
だが、昨日までいなかった者たちが家を直し、畑を眺め、浜に向かっている。村には馬まで一頭増えた。
なるほど、少しは自分のせいかもしれない。
「次からは村長に相談してくださいね」
「奴隷狩りを見つける前にか?」
「見つける前にどうやって相談するんですか」
「では無理だな」
「そういう意味ではありません」
背後から笑い声がした。
振り返ると、舟に向かう途中らしいテロンが立っていた。
「ガレネ、諦めろ。そいつにそういう話をしても無駄だ」
「昨日も同じことを言ってましたよね」
「大事なことだからな」
「お前は俺を馬鹿だと思っているのか?」
「馬鹿だとは思ってない」
テロンは少し考えた。
「頭はいいのに、たまに考える場所がおかしいとは思ってる」
真継はしばらく考えたが、何が違うのかよく分からなかった。
「まあいい。魚を獲りに行くぞ、マツグ」
「朝飯は?」
「獲ってから食えばいいだろ」
「そうか」
それなら悪くない。
真継が浜へ歩き出すと、背後でガレネがため息をついた。
「本当に似た者同士じゃないですか」
「俺はあいつほど酷くないぞ」
テロンが答える。
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言ったんだよ」
昨日より少しだけ賑やかになったミュレアの朝、真継はテロンと並んで浜へ歩いていった。