あれは腹痛の薬ではなかったのかと不死人は言う 作:カズヤミサワP
それから数日が過ぎた。新しくミュレアに来た者たちは、思っていたより早く村の暮らしに馴染み始めていた。大工仕事のできる男は、長く使われていなかった家の屋根を直したあと、今度は舟小屋の傷んだ壁を補修している。農作業の経験がある者は畑に入り、土の具合や作物について村人と話し、織物のできる女は、いつの間にか村の女たちに混じって糸を扱っていた。漁の経験がある男も、すでに何度か舟に乗っている。
最初の二、三日は互いに遠慮があったものの、仕事をしているうちに少しずつ会話も増えた。食事になれば同じ場所に座り、仕事が終われば酒を飲む者もいる。子供たちに至っては、新しく来た者だろうが以前からいる者だろうが、面白そうな相手を見つければ勝手について回っていた。真継が連れてきた馬も似たようなもので、初日は遠巻きに眺めていた子供たちが、今では餌をやりたがって毎朝集まってくる。家畜の世話に慣れた者が面倒を見てくれているため、真継自身がやることは思ったより少なかった。
そしてガレネも、すでに村の中を一人で歩くことに何の違和感もなくなっていた。今朝も真継が漁から戻ると、広場の隅で村長と話している。手には蝋板があり、何やら数字を確認していた。
「昨日アテライへ持っていった魚の分がこれで、買ってきた塩と油がこれです。それから、新しく来た人たちに渡した道具が――」
「待て待て。もう一度頼む」
「ですから、魚を売った分から――」
真継は二人の横を通り過ぎようとした。
「マツグ」
呼び止められ、真継は足を止める。
「何だ」
「何だ、ではありません。これ、あなたが持って帰ってきた貨幣ですよ」
ガレネが蝋板を見せる。
「そうだったか」
「そうだったか、じゃありません」
「お前が覚えているなら問題ないだろう」
「そういうことを言っているから、私が覚えることになるんです」
「助かる」
真継が素直に答えると、ガレネは一瞬口を閉じた。
「……そう言われると怒りにくいですね」
「ならよかった」
「よくありません」
村長が横で笑っていた。
少なくとも、ガレネについては心配する必要はなさそうだった。真継が村を見渡せば、新しく来た者はそれぞれ仕事をしており、以前からいる村人も、それを特に気にする様子はない。数日前まで見知らぬ者同士だったとは思えないほど、村の日常に混ざり始めていた。
連れてきた張本人としては、一安心といったところだった。もっとも、真継自身に「連れてきた責任」という意識がどこまであったのかは怪しい。帰るところがないと言うので連れてきただけである。それでも、村長から追い出されることもなく、村人とも揉めずに暮らしているなら、それに越したことはない。人が増えれば働き手も増える。今のところ、それでよかったらしい。
そう思った直後、浜のほうから怒鳴り声が聞こえた。
「何だ?」
真継が振り向く。普段なら漁から戻った者たちの声が響く程度だが、今聞こえたのは明らかに違う。誰かが怒鳴り、それに別の声が返している。ガレネも顔を上げた。
「喧嘩でしょうか」
「見てくる」
「どうして少し楽しそうなんです?」
「気のせいだ」
真継は浜へ向かった。
♢
浜にはすでに十人近い村人が集まっていた。中心にいるのは二人の男で、一人は以前からミュレアに住む漁師、真継も何度か同じ舟に乗ったことがある。もう一人は奴隷狩りから解放され、数日前に村へ来た男だった。漁師だったという話は聞いている。二人の間には、丸められた網が置かれていた。
「だから、この辺りじゃそんな入れ方はしねえって言ってるだろ!」
「やってもいないのに分かるのか!」
「分かるから言ってんだ! 潮の流れが違うんだよ!」
「俺の村じゃこれで獲れてた!」
「ここはお前の村じゃねえ!」
その言葉が出た瞬間、周囲の空気が変わった。新しく来た男の顔が強張る。
「……そんなことは分かってる」
先ほどまでより低い声だった。言った側も失言だったと思ったらしいが、すぐに謝ることはできなかったようだ。
「なら、ここのやり方を覚えろよ」
「だからって、俺のやり方が間違ってるとは限らないだろ」
「何だと?」
二人が一歩ずつ近づいた。まだ殴り合いにはなっていないが、どちらかが肩でも押せば、そのまま始まりそうな雰囲気だった。
「何をしている」
真継が声をかけると、二人が同時にこちらを見た。
「マツグ、こいつが――」
「こいつがじゃない! こいつらが――」
「一人ずつ喋れ」
真継が言うと、二人とも口を閉じた。少し遅れてガレネと村長も浜にやってきた。テロンはすでに近くにいて、腕を組んで二人を眺めている。
「何があった」
真継が尋ねると、古くからいる漁師が網を指した。
「こいつが網の入れ方を変えろって言うんだよ。もっと沖に出して、向きも変えたほうが獲れるって」
「俺は変えろなんて言ってない。試したらどうだって言っただけだ」
「同じようなもんだろ」
「違うだろ!」
「また始めるな」
真継が止め、改めて話を聞いてみれば、どちらか一方が明らかに悪いというものでもなかった。新しく来た男は故郷でも漁をしており、そこで使っていたやり方を提案した。ただしミュレアの漁師からすれば、この辺りの潮や海底の形を知らない者に仕事に口を出されたように感じたらしい。一方、新しく来た男からすれば、何を言っても「ここではそうしない」で退けられることが気に入らなかった。
「要するに、漁のやり方で喧嘩しているのか」
「喧嘩じゃない」
「まだな」
テロンが横から言った。
真継は二人を見た。
「なら殴り合えばいいんじゃないか」
一瞬、浜が静かになった。
「……は?」
古参の漁師が間の抜けた声を出した。
「どちらかが負ければ終わるだろう」
「終わるか!」
テロンが真っ先に怒鳴った。
「何を言ってるんですか!」
ガレネも続く。
「冗談だ」
「お前の冗談は分かりにくいんだよ!」
「本気かと思いました!」
「まだ殴ってないんだから煽るな!」
周囲からまで声が飛んできた。真継は少し考える。
「誰も笑わなかったな」
「笑えるか!」
またテロンに怒鳴られ、村長が深いため息を吐いた。
「マツグ、頼むから余計に話をややこしくするな」
「では真面目に考えるか」
「最初からそうしろ」
真継は改めて二人を見る。古参の男はこの海を知っている。潮の流れも岩礁の位置も、どこに網を入れればよいかも分かっている。一方、新しく来た男には、別の土地で漁をしてきた経験がある。どちらも漁師であることには変わらない。
「二人で舟に乗ればいい」
今度は別の意味で周囲が静かになった。テロンが真継を見る。
「……何だって?」
「一緒に舟に乗せろ」
真継は海を指した。
「こいつはこの海を知らん。なら教えればいい。そっちは違うやり方を知っている。使えるかどうか試せばいいだろう」
誰もすぐには答えなかった。
「何だ」
真継が周囲を見る。
「いや……」
テロンが妙な顔をしている。
「まともなこと言ったから驚いた」
「失礼だな」
「さっき殴り合わせようとした奴が言うな」
「あれは冗談だ」
「だから分かりにくいんだよ」
ガレネも少し驚いた様子だった。
「でも、いいと思います」
「だろう」
「何でそんな得意そうなんですか」
村長が二人の漁師を見る。
「どうだ」
二人とも嫌そうな顔をした。
「俺は別に……」
「俺だって嫌ってわけじゃ……」
「なら決まりだな」
真継が言った。
「待て」
古参の男が真継を見る。
「何でお前が決めるんだ」
「俺はどちらの仲間でもないからだ」
「仲間じゃないのかよ」
「そういう意味ではない」
真継は少し考えてから続ける。
「俺は昔からこの村にいるわけでもないし、こいつらと一緒に来たわけでもない。だから、どちらの肩を持つ理由もない」
今度こそ、誰も反論しなかった。真継自身、ミュレアに来てまだそれほど長くない。古くからの村人でもなければ、新しく連れてきた者でもない。確かに、間に立つにはちょうどよかった。
「明日の朝、二人で舟に乗れ」
村長が言った。
「テロンも一緒に行け」
「俺もか?」
「二人だけにしたら、海の上で殴り合いを始めるかもしれん」
「俺が止めるのかよ」
「泳げるだろ」
「船が沈む前提かよ」
結局、テロンも巻き込まれることになった。
♢
翌朝、三人を乗せた舟は日が昇る前に浜を離れた。真継は別の舟で漁へ出る予定だったが、どうなるのか少し気になったので、浜から出ていく三人を眺めていた。
「気になるんですか?」
隣にガレネがいた。
「少しな」
「昨日は殴り合えばいいって言っていたのに?」
「だから冗談だ」
「まだ信用してません」
三人が戻ってきたのは、日がだいぶ高くなってからだった。浜に舟を引き上げると、籠の中には十分な魚が入っている。漁そのものは問題なかったらしい。真継が近づく。
「どうだった」
「最悪だ」
古参の男が答えた。
「こっちの台詞だ」
新しく来た男も言う。
「喧嘩したのか?」
「してない!」
二人が同時に答えた。後ろから降りてきたテロンは疲れ切った顔をしている。
「朝からずっと言い合ってたぞ」
「なら駄目だったか」
「いや」
テロンは魚の入った籠を指した。
「こいつのやり方、場所を選べば使えそうだ」
古参の男が少し不満そうに続ける。
「全部は無理だ。沖の流れが速いところじゃ網がずれる。でも湾の内側なら試してもいい」
新しく来た男も腕を組んだ。
「ここの潮は俺の村より変わるのが早い。昨日の場所じゃ確かに駄目だった」
「分かったなら最初から聞け」
「説明が下手なんだよ」
「何だと?」
「おい」
テロンが間に入る。二人は互いに睨んだが、昨日のような険悪さはなかった。
「明日も乗るのか」
真継が尋ねると、古参の男が鼻を鳴らした。
「こいつがちゃんと網を畳めるならな」
「お前こそ結び方を少し変えろ。あれじゃ解くのに時間がかかる」
「またそれかよ」
「でも使えただろ」
「全部じゃねえ」
二人は言い合いながら魚を運び始めた。仲良くなったとは言い難いが、少なくとも今すぐ殴り合いを始めそうには見えない。
「仲直りしたのか?」
真継が聞くと、二人が同時に振り返った。
「してない」
「してないな」
「そうか」
真継は少し考えた。
「なら、もう一度――」
「殴り合いはさせませんよ」
ガレネに先回りされた。
「まだ何も言っていない」
「言おうとしてました」
「分かるようになってきたな」
「嬉しくありません」
テロンが声を上げて笑った。
♢
その日の夕方、真継は村の外れで一頭の馬に餌をやっていた。少し離れたところでは、新しく来た者と以前からいる村人が一緒に壊れた籠を直している。その向こうでは、昼間まで言い争っていた二人の漁師が網を広げ、まだ何か言い合っていた。ただし今度は、互いに網を指しながら話しているだけだった。
人が増えれば、働く者が増える。真継はそれだけを考えていた。畑を耕す者が増え、舟に乗る者が増え、家を直せる者も増える。ならば村にとって得になると思っていた。
だが、人間は道具ではない。育った場所も違えば、仕事のやり方も、考え方も違う。同じ村に住ませたからといって、その日から同じように暮らせるわけではないらしい。
「面倒だな」
真継が呟くと、ちょうど通りかかったガレネが足を止めた。
「何がです?」
「人を増やせばいいというわけでもないんだな」
ガレネは少し意外そうに真継を見る。
「気づいたんですか?」
「俺を何だと思っている」
「気づかないかと思っていました」
「失礼だな」
ガレネは笑った。
「でも、増えたからできるようになったこともありますよ」
「そうだな」
真継は村を眺めた。以前より声が多い。仕事をする者も増えた。そして揉め事も増えた。どうやら、人が増えるというのはそういうものらしい。
面倒ではある。
それでも、悪くはなかった。