秘封倶楽部の相方が突然消えてしまって…。

1 / 1
第1話

「結局の所、『結界』とはどういう物なのでしょうか。」

黒髪の少女はそう呟く。手前に置かれているショートケーキには一口も手を付けておらず、神妙な視線で対面を窺っていた。

「そうね。」

私と向かい合って座っているのは赤髪の少女。纏う衣は赤色で染まり切っており肌の白さが際立っていた。遠目から見たら素敵な巫女の如き印象を受けるだろう。

「宇佐見蓮子さん、だったかしら。」

少女はショートケーキの上に乗った苺にフォークを突き刺しながら問いかけた。

「はい、理学部学部生の宇佐見蓮子と申します。」

「『込み入った話が有る。』と言うから誘ったけど特急呪物物の話じゃないの。」

赤色の少女は溜息をついた。苺は既に消失していた。

「まあ、いいわ、変な活動をしている学部生たちが居るというのは此方でも把握している。どういう要件かは判らないけど、相談に乗るくらいはしてあげる。教授としてそれ位は当たり前の事だしね。」

少女はふと少し驚いた様子で語り掛けた。

「そういえば自己紹介がまだだったわね。教授をしています岡崎夢美です。どうぞよろしく。」

その教授は確かに教授らしい精神と落ち着きがあった物の、どこか少女らしさが抜けきれない様子で蓮子にそう告げた。

 

さて、私は何故この名物教授に質問しに行く事になったのだろうか。其れは彼女が超統一理論の構成に多大な貢献をしたからではない。其れだけならば純粋に勉強中に出てきた課題や疑問に対する答えを求める為に質問しに行く事もあったのかもしれない。

だが、彼女のそれからの振る舞いは異常と呼ぶほかなかった。「魔法の存在」を確信している旨の発言を記者会見でした後は世間からも嘲笑・コメディのネタとして扱われる様になった。今では多少なりとも理解を示していた学会も彼女の発言・論文をマトモに受け取る者は少ない。一部の理解者の働きかけと「結界」に対する貢献が無ければ彼女は今頃博士号すら剥奪されていた可能性すらあるのだ。

それに彼女とは同業者である可能性が高く、尚且つ向こうの方が進んだ知識・権力を持っているとなれば若干の反骨精神が湧いてきて若干ムキになっていた節が無いわけでは無かった。

 

しかし状況は変わったのだ。秘封倶楽部が1/2になるという最悪の状況へ。

 

始めはとある神社を訪れたことが切っ掛けだった。掠れて名前すら読めない、かつ殆ど忘れされて1960年の地理院地図にさえ名前が載っていないそんな神社での出来事だった。

 

暑さは多少残る物の二十四節季は彼岸に突入し秋の様相を呈していた。山奥での事だったのでそれは特に顕著で、湧き水はもう冷たくなっていた。

 

お参りを済ませて境内を散策していた時の事だった。藪の中に張られていた恐らく昔は引いたお御籤を結びつける為に使われていたであろう麻紐を見ていつの物だとか話していたときの事だった。

 

ゴトン

 

本が落ちたような木材が落ちたような、どこか軽快ささえ含むようなその音に二人とも震え上がった。

しかし、振り返ってみると朽ちそうになっていた社の一部が崩れていただけだった。二人して安堵した後、社の中──社が崩れた時にはもっと別の音がする筈だという合理的な予測は浮かばなかった──を覗き込んでみたのだ。

 

魔鏡──そう呼ぶ他無い物が鎮座していた。

 

知識としては知っていた。古の時代に作られた裏側の紋様が光を受けて浮かび上がるロストテクノロジーの事だった。

しかしあそこまで精巧な物はあの時まで、そしておそらくこれからの私の人生の内でも拝む事は出来ないであろう物だった。

というのも曼荼羅の様な模様がひたすら中心に向かって繰り返されていたのだ。数学的に表現してしまえば簡単だろう。無限の彼方に飛ばして0にして終わりだ。

だが、あれはそんな生易しい物では無かった。立体感が、次元が、異世界がその一枚に収まっている。そんな気さえさせてくる鏡だった。マジックアイテムやパワーストーン等では無い。まさしく世界であり神器だった。

 

私がそれに目を奪われている間にメリーは澄み切った目でその鏡に手を伸ばすと、鏡ごと消失していったのだ。―こちらを振り返る事も無く。

あたりを見渡すと魔法人らしき幾何学模様が消失していく光景が見当たった。また、社を見るとそこに魔鏡は無く、”何か”が終わった事を呆然としつつも悟るしかなかった。

 

涙はこぼれなかった。脅威も恐怖も織り込み済みの筈だった。だが、とある疑問とある種沸々と湧き上がる怒りや焦燥感にも似た疑問が頭の片隅に常に滞留し続けた。

──何故、魔鏡に躊躇なく飛び込んでいったのか。

──何故、別離の際に彼女が此方を見なかったのだろうか。

──何故、一言「さよなら。」と言ってくれなかったのだろうか。

──何故、どこか悲し気な様子をしていたのか。

 

それから彼女の痕跡を探る為に彼女の住んでいた家に行ってその動機を探ろうとした。鍵や法律程度で私を、私の怒りを、メリーに対する想いを拘束できると思うなという訳だ。

 

──何も無かった。表札も家具も住民票も彼女に関する記憶も彼女直筆のメモさえ。彼女の両親の連絡先も何とかして探り出し、連絡も送ってみたが、娘など居ないという困惑に溢れた返答が返ってくるだけだった。

文字通り彼女を覚えているのは私の灰色の脳細胞が持つ北極星の如き煌めきだけになってしまっていたのだ。

 

そんな絶望的な状況に於いて最後に頼りになるのはずっと避け続けていた同業者しかいなかったのだ。

 

「教授、マエリベリー・ハーンという名前に聞き覚えは無いでしょうか?」

「聞き覚えはある。貴方の相方で結界に片っ端から首を突っ込んでいる要注意人物の事でしょ。今日はいないみたいだけど。」

 

愕然とした。それ以上の言葉は出てこなかった。

 

「そんなに驚いて一体どうしたのよ?」

「いえ、メリーの事を覚えている人に初めて出会ったのでつい。」

「うん?『覚えている。』とはどういうこと?」

「文字通りです。誰も彼女の事を覚えていない。まるで彼女が最初からこの世界に存在しなかったように。役所の戸籍も、両親も、彼女の知り合いですら彼女の事を覚えていなかったんです。」

「ちょっとまて。実験してみよう。謎に出会ったときに我々がすべきことはそれだ。」

 

教授は一瞬恐怖で顔面蒼白になったように見えたが直ぐに冷静さを取り戻すと、誰かに連絡して此処に来るように半ば命令した。その人が来るまでの間、教授はケーキにも珈琲にも一切手を付けず思案している顔と恐怖で恐れおののく顔の相加平均の様な顔をしていた。

秋風が私たちを打ち付ける。秋風と畏怖の念は互いに手を組んで悪寒という形で表れていた。

 

「噂話をしていた院生達も覚えていない。仲の良い学部生は知らないと言い張っている。後は簡単に検証できるのは……。」

教授の独り言は"実験結果"を如実に示していた。何故だかこんな非科学的な現象に反証可能性があるのは面白いことだと一瞬だけ思ってしまった。

 

「なんだいご主人様、暇なのか?」

嫌味を言いながら入ってきたのは岡崎教授の助手をしている北白川先生だった。

「単刀直入に聞くわ。マエリベリー・ハーンという名前または秘封倶楽部というサークル、または結界に首を突っ込んで火遊びをしていたという話に聞き覚えはある?」

「えっ、い、いえ。無いぜ。」

七割程度おちゃらけた様子で話しかけた先生は真剣な様子の教授を前に一気に委縮しつつもそう答えた。

「間違いなくちゆりとは彼女の話をした筈、なのに覚えていないという事…。」

教授は思考の海に囚われていた。其の目に映っているのはヒトならざる者への恐怖か其れとも好奇心か。

 

「ええ、状況は分かったわ。貴方たちが極めて異常な目にあったというのも。ただ、恐らく何かきっかけとなる事象があったのよね?其れを聞かせて頂戴。そしてちゆりはそこに座りなさい。状況はそのうち分かる。」

「……判った。」

先生が少し不憫な気がしたが些細な事だ。

「先日、彼女ととある由来不明の神社を訪れた時に、神社の一部がよそ見をしている間に音を立てて崩れたんです。」

「びっくりして振り返ってみると魔境が社の中に置かれていました。」

「私が驚いて固まっている間にメリーは魔鏡の方に進んでいって、魔鏡に手を伸ばして触れたんです。」

「そしたら鏡ごと彼女が消滅していました。」

「あたりを見渡すと何らかの術が発動したのか空中に浮かんでいた青色をしていた曼荼羅の様な幾何学模様が消えていっていた所でした。」

「その後はご存じの通り神隠しにあったように彼女の事を知る者は消えていたんです。」

 

教授は真剣だった。私から目を離すことなく一語一語を吟味し、検討していた。教授が好んでいると聞くショートケーキに手を付ける様子も一切ない。

 

「大まかには以上です。」

「状況は分かったわ。だけどこれは…。」

教授は項垂れた様に溜息をつくと矢継ぎ早に話し始めた。

「周囲に人間が居たような様子は?」

「いえ、有りませんでした。」

「直前までマエリベリーさんに異常と見られる振る舞いは?」

「有りませんでした。何となく口数が少なかっただけです。」

「幾何学模様は曼荼羅とか言ってたけど具体的にはどんな感じだったのよ。」

「さっき『曼荼羅の様な』と言ったのは便宜的な物で色々なパーツから出来ている感じでした。火焔土器らしいものから五行を模ったようなものまで。一つに断定するのは難しいです。」

「なる程ね、間違いなく結界または異界の栓だ。と言っても理論的に示唆されているだけだったのに。」

彼女は今日一番の溜息をついて話し始めた。

 

「まず、この世界の仕組みについて話させてもらうわね。」

「重力によって空間が歪むことは人口に膾炙している事実だけど、空間を歪める方法はいくらでもあるのよ。電磁気力が場に干渉して伝わるようにね。そして『結界』という物は『魔力』または『魔法』を用いて世界を高度に歪曲させる技術に相当するのよ。」

 

教授は冷め始めた珈琲を啜るとケーキにフォークを突き立てる。

 

「そして次にこの結界について何だけれど別に閉じた空間という訳では無いの。私たちが住むこの世界とは地続きなの。理由は簡単で完全に閉じた空間は隔離・消滅して私たちから観測・干渉できなくなるだけだからなんだけど。」

「つまり、結界によって曲げられた空間は壺の様に入れる物を選別しつつ独自性を保つことを可能にしているの。結界とは事物を隔てる物という側面もあるけれど本来は空間を歪曲し独自の世界を構築する為の物だと私は推定している。」

 

すると疑問が湧いてくる。その壺に入る技術を確立してしまえば彼女に再会することが叶うかもしれないのだ。

 

「恐らく貴方はその壺に入ろうとしているんでしょう。やめておいた方がいいわ。」

「…。」

「確かにさっき地続きとは言ったけどそれは地続きで微分可能な経路が少なくとも一つ存在することが数学的に保障されているだけ。」

「時空間の流れがその経路を除いて至る所で微分可能とも連続とも限らない。不連続点に足を突っ込んだりすれば過去の異界に落ちていく可能性があるし、微分可能で無いならば時空嵐じみたものが発生している可能性もある。だから──」

教授は私を見ると言い淀んだ。

 

「いえ、分かったわ。恐らく貴方は私が何を言おうと彼女に再会できる可能性が十分低いとしても0で無いならやるんでしょう。」

「…。」

彼女にそう告げられて私は自分のこの怒りにも焦燥感にも似た感情にある名前を、説明を与えることが出来た。彼女が何故此方を振り向いてくれなかったのか、それを解決せずに惰眠を貪る事は私には耐えられそうになかった。

「協力してあげる。私に着いてきなさい。」

教授は私に手を差し出した。

 

「私の今行っているプロジェクトは他の可能性空間を探るプロジェクト。目的は魔法の存在する世界を見つけ、それを輸入しこの世界で再現する事。魔法を学び、習得する事は魔境の先を知る事よ。彼女に会いたいなら、一発殴ってやりたいと思うなら、この手を取りなさい!!」

 

何故だか涙が溢れているというのに、俯くことも、涙を拭うことも出来なかった。

唯、彼女の方を向いてその手を強く握りしめていることしか出来なかった。

 

斯くして私の運命は強く歪曲しこの素晴らしきユークリッド空間から逸脱していく事になった。

ケーキの上に乗った苺とブラックベリーは外の公園で花を咲かせつつある菊を一緒に見つめている様に見えた。同時に菊はゆっくりと起き上がり、ブラックベリーをその視野に捉えている様にも思われた。

 

秋風は遍く人々に秋を、そして凍えるような寒さの冬を、そしてそれから来たる温かい春を予感させた。




続きません。筆者は古典物理しか知りません。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。