脳内花畑のTAKUMIが……ああっ!
約束の18時より、一時間も前。
17時、まだクソ暑くて明るい駅前。
俺は公衆電話の影にある花壇の縁に座って、ぼんやりと待ってた。
早く来た理由なんてねぇ。ただ、家で親父の顔を見てるのがなんとなく嫌だっただけだ。
浴衣を着た女の子たちが通り過ぎるたびに、下駄の音がチャラチャラ鳴る。別に誰が通ろうが関係ないはずなのに、なぜかさっきから落ち着かない。
腕時計を何度も見る。
15分に1回、駅ビルの自動ドアが開いて人が出てくる。
……誰でもいいから、早く来い。
──いや、違う。
あいつが、早く来ればいい。
そう思ってるうちに、一時間なんてあっという間に過ぎていた。
____イツキは、いつもと全然違ってた。
黒っぽい朝顔の柄の浴衣を着ていて、なんだか急に大人っぽく見えて、俺はまともにあいつの顔を見られなくなった。
「……すげぇ可愛い」
「ん? なんか言った? 拓海」
「……いや、別に。なんでもねぇよ」
危ねぇ。声に出てたみたいで、心臓が変な跳ね方をした。
イツキは「待った?」と聞いてきたけど、「今来たところだ」と無愛想に返した。
夕暮れの駅前は、お祭りの独特な匂いと、花火のポスターでいっぱいの自販機、それから遠くで鳴る踏切の音が混ざり合ってた。
イツキは俺の隣にいるのに、さっきからスマホを見たり周りをキョロキョロしたりして、こっちを全然見ない。
なんでだよって言いたくなるけど、それを口にしたら負けな気がして、俺は黙って爪先を見ていた。
なんだか、胸の奥がずっとモヤモヤする。
……こんなカッコ悪い顔、イツキには絶対に見られたくない。
池谷先輩が合流して三人で歩き出した途端、イツキは真っ先に出店の並びへ突っ込んでいった。
浴衣の裾をひらひらさせて、俺と池谷先輩のことなんてお構いなしだ。
「私、先にりんご飴買ってくる!」
そう言って人混みに消えていく後ろ姿は、相変わらずうるさくて、勝手で。
なのに、見えなくなるまで目で追ってしまう自分がいた。
……なんなんだよ、俺。ハチロクに乗ってる時より落ち着かねぇ。
「お前さ」
不意に、池谷先輩が俺の横でぽつりと言った。
「イツキちゃんに、優しくされるの慣れすぎじゃねぇの?」
「……え? 何がですか」
「当たり前みたいな顔してるけどよ。あの子、誰にでもあんな風について回るタイプじゃねーぞ。お前だからだろ」
俺は何も言い返せなかった。
本当に、当たり前だと思ってた。
俺の横にイツキがいるのは普通のことで。
勝手に助手席に乗り込んできて、勝手に喋って、勝手に俺の手を引っ張っていくもんだとばかり思ってた。
「もしかしたら、他の男にすぐ盗られちまうかもな」なんて、池谷先輩はからかうように笑う。
だけど、その言葉を聞いた瞬間、心臓が冷たくなるのが分かった。
イツキは、いつも俺のために動いてた。
それを他の奴に持っていかれるなんて、想像しただけで――。
……なんか、イライラする。
自分の気持ちが、コントロールできないハチロクみたいに振り回されてるのが、すごく嫌だ。
その時、イツキが人混みをかき分けて走って戻ってきた。
両手にりんご飴を三本も持って。少し息を切らして、バカみたいに無邪気に笑って。
俺の顔を見ると、嬉しそうに一本押しつけてきた。
「はい、拓海!」
その一瞬、池谷先輩はなぜか苦笑して、肩をすくめた。
「……イツキちゃん。こいつの分くらい、拓海に払わせろよ。男のプライドってやつがあるだろ」
「えー? だって今日は私が誘ったんだから、拓海にお金使わせたくないもん。拓海は私の『マイベストフレンド』だし!」
「だからお前はよぉ……」
マイベストフレンド、か。
いつもは俺がゲーム代とかジュースやお菓子代を払ってるから、イツキなりに気を使ってるつもりなんだろう。
でも、その「いつもと違う」感じが、なんだか無性に寂しかった。
池谷先輩は、俺の冴えない顔を見て察したのか、ため息をついて俺の背中をポンと叩いた。
「灯籠流しのところ、二人で行ってこいよ。俺は焼きそばでも食って時間潰してるからさ」
「え? なんでですか。池谷先輩も行きましょうよ」
「いいから行けって。……俺がいたら邪魔だろ」
最後の言葉だけ、俺にしか聞こえない声で言った池谷先輩は、いつになく大人びた顔をしていた。
その言い方が、妙に胸に刺さる。
邪魔?
違う。先輩は何も分かってない。
邪魔なんかじゃない。
本当に「邪魔」なのは、イツキを独り占めしたいなんて思ってる、俺のこのみっともない独占欲だ。
イツキは俺の隣にいるのが当たり前だって、ずっと、ずっと思ってたのに。
「なぁ、イツキ」
気がついたら、名前を呼んでいた。
自分の声じゃないみたいに、少し掠れてた。
「俺、あっちの灯籠のところ……行きたい。二人で」
「うん! 行こ!」
イツキが嬉しそうに頷いて、俺の手首を掴んだ。
いつからだろ。
あいつの手は小さくて、少し汗ばんでて。
なのに、絶対に離さないってくらい、ぎゅっと握られてる気がした。
川面に夜店の灯りがゆらゆら映ってる。
イツキとの距離が近くなるたびに、胸の奥が苦しくて、まともに息ができなくなる。
──なんなんだよ、これ。
車のメカニズムのことは少しずつ分かってきたけど、自分の体のことは、何一つ分かんねぇ。
だけど。
こいつを誰にも渡したくないってことだけは、ハチロクのハンドルを握ってる時よりも、ずっとはっきり分かってた。
川沿いに灯籠の明かりがずっと奥まで続いてる。湿った夜の空気と、ソースの匂い。
その人混みの端っこで、俺たちは立ち止まった。手は──イツキが握ったままだ。
「拓海、りんご飴食べる? 一口あげるよ」
「……別に。今はいい」
「そっかぁ」
水面を流れていく灯籠の光を見つめるイツキの横顔。
光の届かない暗いところに、あいつが一人で行っちまいそうな気がして、俺は無意識に繋がってる手に力を入れた。
「ねえ、拓海」
「……なんだよ」
「今日、ちゃんと楽しい?」
「……」
「私は、すっごく楽しいよ」
イツキは答えを急かさない。俺が言葉を見つけるまで、じっと待っててくれる。昔から、あいつのそういうところが一番居心地がよかった。
「……楽しいよ。お前といるの」
俺がボソッと言うと、イツキは嬉しそうに破顔した。
そのときだった。
──ドォンッ!!
お腹の底に響くような爆音がして、夜空が一瞬で真昼みたいに明るくなった。金色の光が、火の粉みたいに降ってくる。
花火だ。
イツキは目を丸くして空を見上げていた。その横顔に、花火の光が綺麗に反射してる。
気づけば、俺は空なんて一瞬も見上げてなくて、ずっとイツキの顔だけを見ていた。
あいつはよく、自分のことを「引き立て役のモブ」なんて言って自虐する。モブって意味はよく分からないけど、そんなことない。俺は、イツキのこの顔が、たぶん世界で一番――。
「拓海……綺麗だね」
「……ああ。そうだな」
本当は、空の花火じゃなくて。
「お前が綺麗だ」って言いかけて、喉の奥に引っ込んだ。恥ずかしくて死にそうだった。
二発目、三発目と、お腹に響く音が続く。俺は、イツキの小さな手を、今度は自分から強く握り返した。
眩しい光の中で、どうしてもあいつから目を逸らすことができなかった。
──あぁ、クソ。俺はもう、ずっと前から_____。
イツキ「急募。花火を見ているのに、なにやら横から熱い視線を送ってくるんだが。相談求む。」