イツキに成り代わったけども。   作:テン吉

9 / 9
拓海くん視点

脳内花畑のTAKUMIが……ああっ!


9話

 

 

 約束の18時より、一時間も前。

 17時、まだクソ暑くて明るい駅前。

 俺は公衆電話の影にある花壇の縁に座って、ぼんやりと待ってた。

 早く来た理由なんてねぇ。ただ、家で親父の顔を見てるのがなんとなく嫌だっただけだ。

 浴衣を着た女の子たちが通り過ぎるたびに、下駄の音がチャラチャラ鳴る。別に誰が通ろうが関係ないはずなのに、なぜかさっきから落ち着かない。

 腕時計を何度も見る。

 15分に1回、駅ビルの自動ドアが開いて人が出てくる。

 ……誰でもいいから、早く来い。

 ──いや、違う。

 

 あいつが、早く来ればいい。

 そう思ってるうちに、一時間なんてあっという間に過ぎていた。

 

 ____イツキは、いつもと全然違ってた。

 

 黒っぽい朝顔の柄の浴衣を着ていて、なんだか急に大人っぽく見えて、俺はまともにあいつの顔を見られなくなった。

 

「……すげぇ可愛い」

「ん? なんか言った? 拓海」

「……いや、別に。なんでもねぇよ」

 

 危ねぇ。声に出てたみたいで、心臓が変な跳ね方をした。

 

 イツキは「待った?」と聞いてきたけど、「今来たところだ」と無愛想に返した。

 

 夕暮れの駅前は、お祭りの独特な匂いと、花火のポスターでいっぱいの自販機、それから遠くで鳴る踏切の音が混ざり合ってた。

 イツキは俺の隣にいるのに、さっきからスマホを見たり周りをキョロキョロしたりして、こっちを全然見ない。

 なんでだよって言いたくなるけど、それを口にしたら負けな気がして、俺は黙って爪先を見ていた。

 

 なんだか、胸の奥がずっとモヤモヤする。

 

 ……こんなカッコ悪い顔、イツキには絶対に見られたくない。

 

 池谷先輩が合流して三人で歩き出した途端、イツキは真っ先に出店の並びへ突っ込んでいった。

 浴衣の裾をひらひらさせて、俺と池谷先輩のことなんてお構いなしだ。

 

「私、先にりんご飴買ってくる!」

 

 そう言って人混みに消えていく後ろ姿は、相変わらずうるさくて、勝手で。

 なのに、見えなくなるまで目で追ってしまう自分がいた。

 

 ……なんなんだよ、俺。ハチロクに乗ってる時より落ち着かねぇ。

 

「お前さ」

 

 不意に、池谷先輩が俺の横でぽつりと言った。

 

「イツキちゃんに、優しくされるの慣れすぎじゃねぇの?」

「……え? 何がですか」

 

「当たり前みたいな顔してるけどよ。あの子、誰にでもあんな風について回るタイプじゃねーぞ。お前だからだろ」

 

 俺は何も言い返せなかった。

 

 本当に、当たり前だと思ってた。

 俺の横にイツキがいるのは普通のことで。

 勝手に助手席に乗り込んできて、勝手に喋って、勝手に俺の手を引っ張っていくもんだとばかり思ってた。

 

「もしかしたら、他の男にすぐ盗られちまうかもな」なんて、池谷先輩はからかうように笑う。

 

 だけど、その言葉を聞いた瞬間、心臓が冷たくなるのが分かった。

 

 イツキは、いつも俺のために動いてた。

 それを他の奴に持っていかれるなんて、想像しただけで――。

 

 ……なんか、イライラする。

 自分の気持ちが、コントロールできないハチロクみたいに振り回されてるのが、すごく嫌だ。

 

 その時、イツキが人混みをかき分けて走って戻ってきた。

 両手にりんご飴を三本も持って。少し息を切らして、バカみたいに無邪気に笑って。

 俺の顔を見ると、嬉しそうに一本押しつけてきた。

 

「はい、拓海!」

 

 その一瞬、池谷先輩はなぜか苦笑して、肩をすくめた。

 

「……イツキちゃん。こいつの分くらい、拓海に払わせろよ。男のプライドってやつがあるだろ」

 

「えー? だって今日は私が誘ったんだから、拓海にお金使わせたくないもん。拓海は私の『マイベストフレンド』だし!」

「だからお前はよぉ……」

 

マイベストフレンド、か。

 いつもは俺がゲーム代とかジュースやお菓子代を払ってるから、イツキなりに気を使ってるつもりなんだろう。

 でも、その「いつもと違う」感じが、なんだか無性に寂しかった。

 池谷先輩は、俺の冴えない顔を見て察したのか、ため息をついて俺の背中をポンと叩いた。

 

「灯籠流しのところ、二人で行ってこいよ。俺は焼きそばでも食って時間潰してるからさ」

 

「え? なんでですか。池谷先輩も行きましょうよ」

「いいから行けって。……俺がいたら邪魔だろ」

 

最後の言葉だけ、俺にしか聞こえない声で言った池谷先輩は、いつになく大人びた顔をしていた。

その言い方が、妙に胸に刺さる。

 

邪魔?

違う。先輩は何も分かってない。

 

邪魔なんかじゃない。

本当に「邪魔」なのは、イツキを独り占めしたいなんて思ってる、俺のこのみっともない独占欲だ。

 

イツキは俺の隣にいるのが当たり前だって、ずっと、ずっと思ってたのに。

 

「なぁ、イツキ」

 

気がついたら、名前を呼んでいた。

自分の声じゃないみたいに、少し掠れてた。

 

「俺、あっちの灯籠のところ……行きたい。二人で」

「うん! 行こ!」

 

イツキが嬉しそうに頷いて、俺の手首を掴んだ。

いつからだろ。

あいつの手は小さくて、少し汗ばんでて。

なのに、絶対に離さないってくらい、ぎゅっと握られてる気がした。

 

川面に夜店の灯りがゆらゆら映ってる。

イツキとの距離が近くなるたびに、胸の奥が苦しくて、まともに息ができなくなる。

 

──なんなんだよ、これ。

車のメカニズムのことは少しずつ分かってきたけど、自分の体のことは、何一つ分かんねぇ。

だけど。

こいつを誰にも渡したくないってことだけは、ハチロクのハンドルを握ってる時よりも、ずっとはっきり分かってた。

 

川沿いに灯籠の明かりがずっと奥まで続いてる。湿った夜の空気と、ソースの匂い。

その人混みの端っこで、俺たちは立ち止まった。手は──イツキが握ったままだ。

 

「拓海、りんご飴食べる? 一口あげるよ」

「……別に。今はいい」

「そっかぁ」

 

水面を流れていく灯籠の光を見つめるイツキの横顔。

光の届かない暗いところに、あいつが一人で行っちまいそうな気がして、俺は無意識に繋がってる手に力を入れた。

 

「ねえ、拓海」

「……なんだよ」

「今日、ちゃんと楽しい?」

「……」

「私は、すっごく楽しいよ」

 

イツキは答えを急かさない。俺が言葉を見つけるまで、じっと待っててくれる。昔から、あいつのそういうところが一番居心地がよかった。

 

「……楽しいよ。お前といるの」

 

俺がボソッと言うと、イツキは嬉しそうに破顔した。

そのときだった。

 

──ドォンッ!!

 

お腹の底に響くような爆音がして、夜空が一瞬で真昼みたいに明るくなった。金色の光が、火の粉みたいに降ってくる。

花火だ。

 

イツキは目を丸くして空を見上げていた。その横顔に、花火の光が綺麗に反射してる。

気づけば、俺は空なんて一瞬も見上げてなくて、ずっとイツキの顔だけを見ていた。

あいつはよく、自分のことを「引き立て役のモブ」なんて言って自虐する。モブって意味はよく分からないけど、そんなことない。俺は、イツキのこの顔が、たぶん世界で一番――。

 

「拓海……綺麗だね」

「……ああ。そうだな」

 

本当は、空の花火じゃなくて。

「お前が綺麗だ」って言いかけて、喉の奥に引っ込んだ。恥ずかしくて死にそうだった。

 

二発目、三発目と、お腹に響く音が続く。俺は、イツキの小さな手を、今度は自分から強く握り返した。

眩しい光の中で、どうしてもあいつから目を逸らすことができなかった。

 

──あぁ、クソ。俺はもう、ずっと前から_____。

 




イツキ「急募。花火を見ているのに、なにやら横から熱い視線を送ってくるんだが。相談求む。」
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