魔法少女まどか☆マギカ [異編] 反逆のキュゥべえ   作:折無堂

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25. まどかが心配するべきこと

 まどかの部屋の窓の外で、風が鳴っていた。

 まだ雨は降っていないが、空は妙に重かった。雲が低く、街全体が何かの下敷きになっているように見える。天気予報では、数日後に大型の低気圧が来ると言っていた。

 

 まどかはもう知っている。

 それは、ただの嵐ではない。

 

 ワルプルギスの夜。

 何度もほむらを打ちのめし、まどかを契約へ追い込み、世界を巻き戻させてきたもの。

 

 机の上では、キュゥべえが光の板を出していた。

 そこには、また文字と図形が並んでいる。まどかには半分も分からない。最近は少しだけ分かるようになったこともある。

 

 赤い線は杏子ちゃん。

 黄色い線はマミさん。

 青い線はさやかちゃん。

 紫はほむらちゃん。

 そして、薄い桃色の線が、時々それらの間に伸びる。

 

 自分だ。

 まどかは、それを見るたびに少しだけ困った気持ちになる。

 

「キュゥべえ」

「なんだい、まどか」

 

 キュゥべえは振り返らなかった。

「ワルプルギスの夜って、どんな願いをしたの?」

 

 そこで、白い獣の動きが止まった。

 まどかはベッドの端に座ったまま、キュゥべえを見ていた。

「魔女になる前は、魔法少女だったんだよね」

「一般的には、そうだよ」

「じゃあ、あの魔女にも願いがあったんだよね」

 

 キュゥべえは、少しだけ黙った。

「分からない」

 

 まどかは瞬きした。

「キュゥべえにも分からないの?」

「分からないことはある」

「そっか」

「ワルプルギスの夜は、通常の魔女とは違う。単一の魔法少女が魔女化した結果として説明するには、構造が複雑すぎる。核になる願いは存在したかもしれない。けれど、今の形ではほとんど残っていない可能性が高い」

 

 まどかは首を傾げた。

「残っていない?」

「願いは、魔法少女の自己認識に強く結びついている。けれどワルプルギスの夜は、複数の絶望、複数の魔女的構造、複数の因果が積み重なった災害に近い。元の願いがあったとしても、それはもう中心ではないかもしれない」

 

 まどかは、少しだけ窓の外を見た。

「じゃあ、かわいそうだね」

 

 キュゥべえは、今度こそ振り返った。

「かわいそう?」

「だって、願いも分からなくなってるんでしょ。何をしたかったのかも、何を守りたかったのかも、分からなくなってるなら」

「魔女に、その認識が残っているとは限らない」

「うん」

 まどかは頷いた。

 

「でも、残ってないなら、それもかわいそうだよ」

 キュゥべえはしばらく黙った。

 

 まどかは、最近その沈黙の違いが少しだけ分かるようになってきた気がする。

 計算している沈黙。

 言葉を探している沈黙。

 言わない方がいいと判断している沈黙。

 今の沈黙がどれなのかは、まだ分からなかった。

 

「まどか」

「なに?」

「君は、ワルプルギスの夜にも同情するのかい」

「同情っていうか……」

 

 まどかは膝の上で手を重ねた。

「怖いよ。すごく怖い。みんなを傷つけるなら、止めなきゃいけないと思う。でも、元は誰かの願いだったのかもしれないって思うと、何も感じないのは無理だよ」

「そうか」

「キュゥべえは、感じない?」

「僕には、君たちのような感情はない」

「うん」

「ただ」

 

 キュゥべえは、光の板へ目を戻した。

「今の君の反応は、記録する価値がある」

 

 まどかは苦笑した。

「またそれ?」

「でも、今は口に出すべきではなかったかもしれない」

「もう出しちゃったよ」

「そうだね」

 まどかは少しだけ笑った。

 

 窓の外へ目を向けたところで、さっきの話が頭の中でもう一度つながった。

 

 ワルプルギスの夜は、普通の魔女とは違う。

 一人の魔法少女が絶望して、そのまま魔女になったものでは説明しきれない。いくつもの魔女的な構造や因果が重なっているのかもしれないと、キュゥべえは言った。

 

 なら。

「ねえ、キュゥべえ」

「なんだい」

「この前、言ってたよね」

 

 キュゥべえがまどかを見る。

「魔法少女を魔女にしなくても、その方が長い目で見れば得になるかもしれないって」

「言ったね」

「それがうまくいったら、新しく魔女になる子は減るんだよね」

「従来方式を完全に置き換えられれば、そうなる」

 

 まどかは頷いた。

 そこまでは分かっている。

 

「でも、ワルプルギスの夜が、一人の魔法少女が魔女になっただけのものじゃないなら」

 窓の外では、低い雲が街を覆っている。

「魔法少女が魔女にならなくなっても、ああいうものは生まれるの?」

 

 キュゥべえは、すぐに否定しなかった。

「その可能性は高い」

 

 まどかの背中が少し冷たくなった。

「どういうこと?」

「人間は魔法少女でなくても絶望する。怒る。妬む。憎む。諦める。失う。そうした負の感情は、通常は魔女化ほど高密度にはまとまらない。けれど、条件が重なれば、集合して魔女に近い構造を作る可能性がある」

「人の気持ちだけで?」

「それだけではないよ」

 

 キュゥべえは淡々と続ける。

「使い魔の成長、魔女の残滓、結界の断片、都市規模の不安、災害の予感、集団的な恐怖。そうしたものが同じ場所に重なれば、魔法少女の魔女化を経なくても、魔女に近い存在が発生する条件は成立する」

 

 まどかは少し考えた。

「でも、それはまだ仮説なんだよね?」

「そうだよ」

「なのに、ずいぶん自信ありそうに言うんだね」

「仮説であることと、確度が高いことは矛盾しないよ」

 

「そういうものなの?」

「少なくとも、僕はそう判断している。既知の使い魔の成長過程、魔女消滅後の残留魔力、結界の形成条件、そして人間の感情変動を合わせれば、発生しないと考える方が不自然だ」

「でも、まだちゃんと見たことはないんだよね?」

「この条件が揃ったものを、通常の魔女化と切り分けて観測した例はない」

「じゃあ、分からないところもある」

「あるよ」

 

 キュゥべえはまどかを見る。

「だから確かめるんだ」

 

 まどかは、窓の外を見た。

 重い雲、風に揺れる電線、どこか不安そうな街。

 

「ワルプルギスの夜も、そうなの?」

「可能性はある」

 キュゥべえは言った。

 

「ワルプルギスの夜は、単一の魔女として説明しきれない。魔法少女由来の核を持ちながら、人間社会の負の感情、災害への恐怖、過去に発生した魔女構造を巻き込み、肥大化したものかもしれない」

 

 まどかは少し考えた。

「それって、ほむらちゃんが何度戦っても止められなかったことと、関係あるの?」

「そう考えると、いくつかの観測結果と一致する」

「……倒せるの?」

 

 キュゥべえは即答しなかった。

 まどかは、その沈黙が少し怖かった。

 

「倒せる保証はない」

「うん」

「今回の目的は撃破ではない」

「夜を越えること」

「そうだよ」

 キュゥべえは頷いた。

 

「鹿目まどかを契約させない。魔法少女を魔女化させない。誰も失わずに夜を越える。被害を抑える。ワルプルギスの夜を逸らす、通過させる、あるいは封じ込める。撃破は最優先条件ではない」

「でも、魔女がこれからも生まれるなら」

 

 まどかは小さく言った。

「みんなは、ずっと戦わなきゃいけないの?」

「すぐには終わらない」

「そっか」

「ただし、新方式が安定すれば、魔法少女の損耗率は下がる。魔女化による連鎖的被害も抑えられる。感情変動は非破壊型でも回収できる。魔女に相当する構造が自然発生するなら、それへの対応も継続的な観測対象になる」

「そういう言い方」

「でも、つまり」

 

 キュゥべえは、まどかを見た。

「魔法少女が魔女にならなければ宇宙がすぐ困る、というほど単純ではない」

まどかは少しだけ息を吐いた。

「よかった」

「よかった?」

「だって、みんなが魔女にならなくてもいいなら、よかった」

「それは、君が心配するべきことではない」

「え?」

 

 キュゥべえは机の上から、まどかを見上げた。

「魔法少女システムの収支、宇宙の熱的死、魔女生成の代替経路、非破壊型感情変動運用。これらは僕が本体へ報告し、試験継続の根拠を示すべき問題だ」

「でも」

「まどか」

 キュゥべえの声は、いつも通りだった。

 まどかには少しだけ違って聞こえた。

 

「君は友達の心配をしていればいい」

 

 まどかは目を丸くした。

「……キュゥべえ」

「なんだい」

「今の、ちょっと優しい」

「そうなのかい?」

「うん」

 

 キュゥべえは少し考えるように黙った。

「僕は優しくなったわけではない」

「知ってる」

「君が宇宙規模の問題を背負おうとすると、鹿目まどかの契約リスクが上がる。だから、君の注意を友人の安全へ戻すことは合理的だ」

「台無しだよ」

 

 まどかは笑った。

 でも、少しだけ泣きそうだった。

 キュゥべえは本当に分かっているのか分からない。

 

 それでも、今の言葉は確かにまどかの胸の中を軽くした。

 

 宇宙の熱的死。

 魔女。

 ワルプルギスの夜。

 人の負の感情。

 全部、怖い。

 

 でも、今まどかが一番心配したいのは、そこではなかった。

 さやかちゃんが無茶をしないか。

 マミさんが怖さに押し潰されないか。

 杏子ちゃんが一人で抱え込まないか。

 ほむらちゃんがまた一人で戻ろうとしないか。

 キュゥべえが勝手に飛び出して死なないか。

 

 それでいいのだと、キュゥべえが言った。

「ねえ、キュゥべえ」

「なんだい」

「キュゥべえの心配もしていい?」

 

 キュゥべえは黙った。

 まどかは、少しだけ笑う。

 

「だめ?」

「だめではない」

「じゃあ、するね」

「僕は友達に含まれるのかい?」

 

 まどかは少し考えた。

「うーん」

「迷うんだね」

「だって、キュゥべえはキュゥべえだから」

「説明になっていない」

「でも、心配はするよ」

 

 キュゥべえは、また黙った。

 今度の沈黙は、どれなのか分からなかった。

 計算しているのか。

 言葉を探しているのか。

 言わない方がいいと思っているのか。

 それとも、何か別のものなのか。

 

 やがて、キュゥべえは言った。

「それは、ローカル改善試験の安定に寄与するかもしれない」

「うん」

 まどかは笑った。

「そういうことにしておくね」

 

 窓の外で、風がまた強くなった。

 ワルプルギスの夜は近づいている。

 

 それでも、まどかはベッドの上で膝を抱えながら、少しだけ息を整えることができた。

 宇宙の心配は、今はキュゥべえに任せる。

 

 自分は、友達の心配をする。

 それが、今のまどかにできる一番大事なことなのだと、少しだけ思えた。

 

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