魔法少女まどか☆マギカ [異編] 反逆のキュゥべえ   作:折無堂

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27. 笑う夜

 ワルプルギスの夜は、空の上で、逆さまのまま笑っていた。

 嵐の中心に浮かぶ巨大な影は、まるで舞台装置のようだった。歯車が軋み、瓦礫が回り、壊れた建物の破片が風に巻き上げられている。そのすべての中心で、魔女は笑っていた。四人は押されていなかった。

 

 少なくとも、ほむらにはそう見えた。

「佐倉さん、右!」

 マミの声が飛ぶ。

「見えてる!」

 杏子の槍が伸びる。

 赤い光が、空中を走った。槍は途中で節に分かれ、瓦礫の間を縫い、ワルプルギスの夜から落ちてきた巨大な車輪を絡め取る。普通なら押し潰される質量だった。

 だが、杏子は受け止めない。軌道をずらす。

 

「さやか!」

「任せて!」

 さやかが叫びながら飛び込む。

 青い剣が、逸らされた車輪の端を叩く。斬るというより、弾く。杏子がずらした角度を、さらに変える。

 

 車輪は、四人の頭上をかすめ、市街地とは反対側へ飛んだ。

 その先に、マミのリボンが広がる。

 黄色い幕が何重にも重なり、衝撃を受け止める。完全には止められない。だが、速度が落ちる。方向が変わる。瓦礫は高台の奥の空き地へ落ち、地面を大きく揺らした。

 

「上!」

 ほむらが言った。

 言い終わる前に、もう動いていた。

 

 時間を止める。いや、止めない。

 

 以前なら、そうしていた。

 世界を丸ごと止めて、自分だけが動いた。その中で武器を置き、爆薬を並べ、何とかしてこの化け物を削ろうとしていた。

 

 今は違う。

 一瞬だけ遅らせる。

 半拍だけずらす。

 次の位置を見て、そこへ身体を置く。

 

 それだけで足りる。

 足りることに、ほむら自身が一番驚いていた。

 

 さやかが動く。杏子が受ける。マミが広げる。まどかが後ろで息を呑む。キュゥべえが黙って見ている。

 

 それらが全部、分かる。

 ただ敵を見るのではない。

 ただまどかを守るのではない。

 誰がどこにいて、何をしようとしていて、何を怖がっていて、それでも前へ出ようとしているのか。

 

 分かる。

 

 分かるだけで、ここまで変わるのか。

 

 ほむらは、落ちてきた鉄骨の軌道へ銃弾を置いた。

 弾が鉄骨に当たり、わずかに角度が変わる。

 

 その先へ、杏子の槍が入る。

「よし!」

 赤い槍が鉄骨を絡め、振り回すように弾いた。

 

 さやかが、その下を抜ける。

「マミさん!」

「ええ!」

 マミのリボンがさやかの足場になる。

 青い魔法少女は、黄色いリボンを蹴って空へ上がった。足元でリボンがしなる。さやかの身体は以前より重い。だが、それは鈍さではなかった。踏み込める重さだった。

 

「届く!」

 さやかの剣が、ワルプルギスの夜の外縁を斬った。

 青い光が走る。

 

 巨大な魔女は、笑っていた。

 ずっと笑っていた。

 斬られても、撃たれても、縛られても、槍で軌道を崩されても。

 笑っている。

 

「効いてるの、これ!」

 さやかが着地しながら叫んだ。

「効いてる!」

 キュゥべえの声が、まどかの腕の中から返ってきた。

 

 白い獣は、珍しく前へ出なかった。

 まどかに抱えられたまま、赤い目だけをワルプルギスの夜へ向けている。

 

「観測できるものが変わっている。魔力構造の外層に揺らぎが出ている」

「ほむら。君が教えてくれた過去の戦闘記録では、ここは反応していなかった」

「ええ」

「今は反応している」

「見た目じゃ分かんねえぞ!」

 杏子が怒鳴る。

 

「見た目には分からない」

「じゃあ不安にさせんな!」

「でも効いている」

 キュゥべえは言った。

「それは確実だ」

 その声だけは、妙に強かった。

 

 ほむらは空を見た。

 ワルプルギスの夜は、まだ笑っている。

 何も変わっていないように見える。

 だが、ほむらにも分かった。

 

 以前とは違う。

 過去の時間軸で、何度もこの魔女に挑んだ。

 何度も武器を使った。

 何度も爆発させた。

 何度も止めようとした。

 

 ――そのどれとも違う。

 

 今、ワルプルギスの夜は、ただ通り過ぎているのではない。

 こちらに反応している。

 

「マミ!」

 ほむらが叫ぶ。

「拘束、もう一度!」

「分かったわ!」

 

 黄色いリボンが空へ伸びる。

 ワルプルギスの夜の巨大な歯車に絡みつく。普通なら、千切れる。だが、今のマミのリボンは千切れなかった。引きずられながらも、ほどけず、粘る。

 

 マミの足元が滑る。

 さやかが駆け寄る。

「マミさん!」

「前を見て、美樹さん!」

 声に震えはなかった。怖くないわけではない。

 だが、恐怖に身体を奪われてはいなかった。

 

 さやかは歯を食いしばり、前へ向き直る。

 杏子がマミのリボンに槍を絡めた。

「引くぞ!」

「ええ!」

 黄色と赤が重なる。

 ワルプルギスの夜の巨体が、ほんのわずかに傾いた。

 ほんのわずか。

 だが、傾いた。

 

 ほむらは息を呑む。

 今まで、これほど明確に動かせたことがあっただろうか。

 ――いや、ない。

 

「ほむらちゃん!」

 まどかの声。

 

 ほむらは振り返らない。

 振り返らなくても分かる。

 まどかが自分を見ている。

 

 怖がってはいるが、信じてもいる。

 それだけで、紫の光が静かに脈打った。

 

 ほむらは盾を構えた。

「合わせるわ」

 さやかが剣を構えるのと同時に、杏子が槍を引き、マミのリボンが魔女の身体へ食い込む。

 まだ、わずかにずれている。

 

 ほむらは時間を刻んだ。

 ほんの一瞬だけ止める。

 

 杏子の槍が張り切る直前で待たせ、その間にマミの拘束がもう半歩だけ深く入る。

 流す。

 魔女の身体が引かれ、姿勢が崩れる。

 

 そこでまた止める。

 

 今度は、踏み込みかけたさやかの足が床を蹴り切るまでの差を詰める。

 再開。

 赤い槍が魔女を引き、黄色いリボンが逃げる方向を封じ、その崩れた正面へ青い影が滑り込む。

 ほむらの銃口も、同じ瞬間に上がった。

 

 一秒を奪うのではない。

 必要なのは、四人の動きの間に残った、ごくわずかなずれだけだった。

 

 誰かが早い。

 誰かが半歩遅い。

 呼吸が合っていても、武器の重さも、踏み込む速さも違う。その差が、ほんの一瞬だけ攻撃をばらけさせる。

 

 ほむらは、その隙間へ時間停止を差し込んだ。

 早すぎる動きを待たせ、遅れた動きが追いつくまで、ほんのわずかだけ世界を刻む。

 コンマ一秒にも満たないずれが、一つずつ消えていく。

 四人の動きが、同じ一点へ収束する。

 

「今!」

ほむらの声と同時に、四人が動いた。

 

 マミのリボンが魔女の身体を締め上げるのと同時に、杏子の槍が逆方向へ強く引いた。

 その二つの力で姿勢が崩れたところへ、さやかの剣が青い軌跡を引いて走り、ほとんど同じ瞬間、ほむらの銃弾が開いた隙間へ撃ち込まれる。

 拘束と牽引で作られた一瞬の崩れへ、斬撃と銃撃が重なった。

 

 ワルプルギスの夜の笑いが、ほんの少しだけ乱れた。

 ほんの少し。

 けれど、確かに。

 

 まどかはそれを聞いた。

 笑い声が、揺れた。

「……今」

 まどかが呟く。

「キュゥべえ」

「観測している」

 キュゥべえは言った。

 

「今のは、明確な反応だ」

「効いてる?」

「効いている」

 

 キュゥべえは、まどかの腕の中で大人しくしていた。

 前へ出ない。飛び出さない。ただ、見ている。その赤い目は、いつもよりも強く四人を追っていた。

「四人の相互補助は、予測を上回っている。個々の攻撃出力だけではない。互いの位置、意図、恐怖、期待。それらが魔力運用に影響している」

「それって」

 まどかは言った。

「みんなが、お互いを分かってるってこと?」

 

 キュゥべえは少しだけ黙った。

「今はその言葉が、概ね正しい」

 まどかは、泣きそうになりながら笑った。

「そっか」

 

 戦いは長引いた。

 

 ワルプルギスの夜は、倒れない。

 明らかに四人は善戦している。

 誰が見ても、以前とは違う。

 

 ほむらが一人で挑んだ時間とは違う。

 マミが一人で守ろうとした戦いとも違う。

 杏子が生き残るためだけに戦っていた戦いとも違う。

 さやかが壊れるまで突き進んでいたはずの戦いとも違う。

 

 だが、ワルプルギスの夜はまだ笑っている。

 効いているようにも見える。

 効いていない気もする。

 どちらにも見える。

 

 その曖昧さが、四人の体力と心を削った。

「このままじゃ、埒が明かないわ」

 マミが息を整えながら言った。

「だな」

 

 杏子も槍を構え直す。

「削れてるとしても、こっちの方が先に潰れる」

「でも、効いてるんだよね」

 さやかが言う。

「なら、もっと強く叩けばいい」

 

 ほむらは、キュゥべえを見た。

「あなたの望みそうなことね」

「僕の望み?」

「四人の魔法を、一つの処理として接続する。そう言うのでしょう」

 

 キュゥべえは、まどかの腕の中で少しだけ首を傾げた。

「その表現は、かなり正確だ」

「褒めなくていいわ」

「褒めてはいない。評価している」

 

 杏子が笑った。

「じゃあ、やるか。キュゥべえが喜びそうなやつ」

「なんであんたまでそっち側の言い方すんのよ!」

 さやかが叫ぶ。

 

 マミは、空を見上げた。

 ワルプルギスの夜は笑っている。

 笑い続けている。

 それでも、その笑いの奥に、ほんのわずかな揺らぎがある。

 

「やりましょう」

 マミが言った。

「これで届かないなら、次を考える。今は届くところまで行くしかないわ」

 ほむらは頷いた。

「合わせる」

 杏子が槍を握り直す。

「外すなよ、さやか」

「そっちこそ!」

 

 さやかが剣を構える。

 まどかは、四人を見ていた。

 キュゥべえを抱く腕に、少しだけ力が入る。

 

「みんな」

 声は風に消えそうだったが、四人には届いた。

「がんばって」

 

 その瞬間、四つの光が強くなった。

 黄、赤、青、紫。

 それぞれ別の色だった光が、魔女を中心に一度だけ重なる。

 黄色の縁へ赤が差し込み、その上を青が走り、最後に紫が輪郭を締める。

 混ざりきって一色になるのではない。四つの色を残したまま、ひとつの光景として重なっていた。

 

 ワルプルギスの夜の笑いが、また一瞬だけ揺れた。

 戦いは、まだ終わらない。

 

 これまでは、四人の攻撃を重ねてきた。

 次は、それをひとつにする。

 

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